2009年7月31日金曜日

壁画探し


おはようございます。昨日は1階に避難しました。屋根の断熱が悪く、上下の温度差は5度位だったからです。夜10時を過ぎたらめっきり涼しい、今朝もほどよい温度です。

アフリカの白い呪術師より

ポーシャは各場面や概念の関連性が見いだせなかったが、壁画をよく観察してみると、人間がオオカモシカの上に描かれているよりも、オオカモシカが人間の上に重なっている場合が多かった。明らかに人間の上に動物を描くことを意図的に好んでいた。
石の美術を、人気のある芸術上至上主義としてかたずけるか、しかし人間が活気と生命力に溢れて,狩り、踊り、闘いをしている絵が絶妙ではあるが、どうして対象が意図的に選ばれ、重ねられるにあたって、はっきりとしたルールがあったのか説明できない。
石の美術の本質は、シンボルにあり、何らかの儀礼上の役割をもっていて、それを理解することが出来れば、宗教の起源について多くのことが知ることが出来るというのが妥当な結論だろうと考えた。
ポーシャは壁画探しの旅を続けた。
ある日岩陰でみつけた、素晴らしい多色のインパラが描いてある。」そして今までどこの記録にもみたことのない30cm大の人物が、インパラと向かい合って口づけをしていた。人間のようだったが、ネコのような尻尾と睾丸がついていた。この不思議な人物は白っぽい身体をしていたが、右側は真紅と黒の縞、左側は黄色とシェナ色になっていた。顔には真紅の目がついた仮面をつけていた。そして頭には司教の冠に似た、黄土色の縞のついた白いターバンを巻いている。(続く)

2009年7月30日木曜日

殺伐とした対応


おはようございます。殺伐な対応です。社会はちょっとでも面倒なことはやりたくないという風潮ですが、どう思われますか?


老夫婦の家庭に事情があって、2人の孫(3歳、小1の両方とも男子)が預けられた。
1) -I保育園で医者にもらった、薬を飲ませることを依頼したら、園では薬を飲ませる場合は親か家族が来て飲ませて欲しいという。
 ―Ⅱ送迎は園に登録した人以外は遠慮ください。友人に依頼するにしても、
登録していないとダメという判断なのだそうです。
2) ご主人が大腸ガンで、ある大きな病院の定期検診で6ケ月前にうけていた。その後上記の孫の世話で老夫婦は超多忙になって、結果を聴きに行く余裕すらなかった。久しぶりに時間を作っていってみると、肝臓にも転移し、内視鏡で摘出するには大きくはなっていた。6月まえもかなりその兆候はあったとのこと。どうしてそのような状態ならば、すぐにも呼びだしをかけてくれることが出来なかったかを問うた。しかし病院にはそういう呼びだし等の義務はありませんとの説明だったそうです。本人の申し出があれば別ですがという。本人は一応これで納得されたというというものの、昨日ご主人は別の病院に入院しました。

2009年7月29日水曜日

アフリカの壁画


おはようございます。暑い時にアフリカを書けばさらに暑いといわれそうですが、ちょっとアフリカの壁画の道に迷いこんでしまいました。
ヨーロッパの洞窟壁画に描かれているものは、おおむね動物と抽象的な記号である。人間象はめったになく、風景描写もないに等しい。一方、アフリカの有史以前の石の美術、人物や物語の場面でいっぱいである。動物、人間、そして両者がいっしょになった神話などで息づいている。それぞれがすべて相互に関連し、重なりあって意味の豊かな画面を作っている。

 アフリカ南部のほぼ全域にわたって,この土地に古くから暮らしてきた人々が描いた壁画や刻画が発見されている。その言語の特徴からコイサン語族と呼ばれ る人たちが,それらの芸術の作り手であった。年代測定によって,多くは数千年前のものと考えられるが,古いものでは2万年以上昔のものもある。
 壁画には,独特の文化や風習,さまざまな動物の姿,歴史上の出来事などが描かれている。狩りの様子,踊りや装身具,雨乞いの儀式などは,今でも人々の生活に受け継がれている。さらに新しいものでは,15世紀のヨーロッパ人の侵入を描いた壁画も発見されている。
 サンやコイの人々は,現在ではごく限られた地域に追いやられて暮らしており,壁画を描く手法はほとんど失われてしまった。年代測定や新たな発掘に力を注ぐだけでなく,古代アフリカ文化を伝える貴重な遺産をどのように守っていくかも重要な課題である。
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著者 Anne Solomon
南アフリカのケープタウン大学の研究員であり,同大学で博士号を取得した。サンの岩の芸術とジェンダー・イデオロギーとの関連について幅広く研究を行ってきた。南アフリカ考古学会の理事を担当し,またSouth African Journal of Field Archaeologyの編集委員を務めている。現在は,絵画の技術と年代推定の問題を中心に研究を行っている


壁画:http://www.photographersdirect.com/stockimages/k/kondoa.asp

http://www.bradshawfoundation.com/tanzania/sites_1_2.php

2009年7月28日火曜日

槿の木


夏の花といえば、槿の花、庭先にうっすらとしたピンクが漂う色です。

樹齢110年、韓国最古のムクゲの木発見 /江陵
高さ4メートル、幅6メートル
 韓国で最も古いムクゲの木が江原道江陵市で発見された。
 国立山林科学院のパク・ヒョンスン博士は23日、「江陵市沙川面芳洞里の江陵朴氏の祭堂(祭祀〈さいし〉を行う堂)の前庭にあるムクゲの木は最高110年経つものとみられ、韓国で最も古いムクゲと推定される」と発表した。
 このムクゲの木は高さ4メートル、幅6メートルで、根元の直径が0.5メートル、幹周りは1.5メートルに達する。韓国固有のムクゲで、今はピンク色の花が満開に咲き、美しい姿を誇っている。根元から地上50センチほどの高さから幹が三つに分かれ、広く枝を伸ばしている。
 国立山林科学院による調査の結果、樹齢は90-110年と推定される。ムクゲの木は通常、樹齢20-40年ほどで、それ以上経つと枯れてしまう。このムクゲが長生きできたのは、適時に薬を与え、肥料をたくさん与えたためと分析されている。
 江陵朴氏宗家のチョ・キルジャさん(79)は「16歳で嫁入りしたときから、このムクゲの木はあった。今ほどではないが、当時もだいぶ大きかったことを思い出す」と話した。
 パク・ヒョンスン博士は「こんなに大きく、多くの花を咲かせるムクゲの木は初めて見る。ムクゲは毎日花を咲かせ散るため、たくさんの肥料が必要だ。遺伝的側面から研究資料として活用し、保護樹に指定して管理する必要がある」と述べた。
 江陵市はこの木の現地調査に取り掛かり、江原道に保護樹指定を申請した。保護樹として指定されれば、今後は国や道の支援で環境改善や管理費用を充当するなど、江陵市が管理することになる。
 ムクゲの木は日帝強占期に民族精気抹殺政策で大半が損なわれたため、韓国では古い木があまり残っていない。樹齢60年ほどの保護樹は江陵市連谷面柳洞里にある1本を含め、全国に3本ほどあるという。
槿園;http://www.mukuge.com/hana/index.htm

2009年7月27日月曜日

アフリカの白い呪術師


おはようございます。イギリス人の血液の中に、冒険という養分が入っていますね。
探検家の書き記した旧きアフリカに憧れ、16歳で未開の奥地へと移り住んだイギリス人・エイドリアン・ポーシャという青年は、てんかんとヘビ取りの才能が幸いして、白人ながら霊媒・占い師の修行を受け、アフリカの内なる伝統に迎入れられた。人類の300万年の進化を一人で再現することになった男の驚異のドキュメント!

「アフリカの白い呪術師」ライアル・ワトソン著:河出文庫
同類を持たない、特殊なアフリカの鳥がいる。この鳥はコウノトリとアオサギの中間の科に属する、とされる。フットボール大の巣を中心に、そのまわりに大木を包むほどの大きな構造を作り上げるのである。
アフリカの人々は、この鳥が水たまりに映る自分の姿を凝視しているのを、よく見かけるという。彼らはこの鳥のことを、未知をしるもの、直視すれば消えうせてしまう事物としたしいもの、ととらえようとしているようだ。孤立したその姿を、指で指すことはできない。鳥の方が魔法使いをさししめし、その力を吸収するのだ。風と雨に追われて飛んでくるこの不思議な鳥は、風を呼び、雷雨を予告する使者として知られている。だから<マシアノケ>――――ライトニング・バード(稲妻鳥の意)と呼ばれている。
アフリカ人は、この鳥に丁重な礼儀をつくし、距離を置いて接しながらも、その行動をつねに観察して何かの前兆や予言を読み取ろうとする。その鳥への敬意の念には、恐怖も混じっており、同時にある信仰が感じられる。すなわち時には、おそらく何世代かに1回位の確率で、この鳥が人間の姿になって人間界に出現するという信仰だそうです。

上野動物園にも、この鳥がいることが分かりました。
http://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=news&link_num=12116

2009年7月26日日曜日

パニック&クローン


おはようございます。まだまだ暑い日が続いています。寝る頃になると、汗で肌が痒くなってきて、シャワーで流しています。

そういう暑い日でありながら、トンボはもう3週間まえからとんでいますし、昨日は秋茜をみかけました。


パニック障害からの快復:シャーリー・スウ



第一次世界大戦では、前線の塹壕の兵士たちが主力となって戦いました。彼らのストレスはまさに耐えがたいものでした。塹壕は絶えず砲撃を受けています。退却はできません。(退却すれば、軍法会議にかけられ銃殺されます!)。前進しても、後退しても、どっちみち死が待っています。こうした状況下で、あんなに多くの男たちがいわゆる「戦争神経症」になったことに、なんの不思議があるでしょう?神経系は断じてこれほど大きなストレスに対処できないのです。 でも奇妙なことに、イギリス兵よりアメリカ兵のほうが、はるかに戦争神経症にかかった人数が多い。食事の違いかもしれないという事で調べると、イギリス兵は牛肉の缶詰、米兵はドーナツとコーヒーを無理強いされたのです。そのころ非常に強い同士愛が絶え間ない空襲のストレスを相殺していたのです。戦争終了後、砂糖が戦前どおりに市場に」でてくると、神経的情緒的障害の発生率は戦前レベルにもどりました。

生命科学では遺伝子がおおはやりである。クローン技術などというものが確立されたので、イチローなどを沢山つくることができるようなことを言っている。日本のマスコミによって作られた風潮は“人の人生は遺伝子によって決まってしまう”ということらしい。ところが幸いにして、人間の一生はもっと面白いものである。我々自身の人生から明らかなことは、人間がどこへ行って何をするか?ということは遺伝子ではなく、運命(偶然)によって決められるということである。(出典失念)

2009年7月25日土曜日

突然の死


おはようございます。昨日はいつものOB会の予定だった。OBといっても、生え抜きの人の退職後のOB会ではなく、全く別の会社からの転職してきた嘱託が寄り集まったたった5名のOB会だった。
それが8年も続いたのは、上下関係もなかったから、嘱託というとやはり本筋から外れていて、本筋の手伝いなので、下請け的な悲哀が消えなかった。そういう背景があったのが、
余計仲間意識を引き付ける要素となっていたのかもしれないが、それぞれ分野と家族の背景が違うので、何時も話題に事欠かない楽しい会です。このOB会は毎月第4金曜日に予定されていて先月も26日に行われた。一人総務部長として残っている人Uさん、OB会の幹事役の人から、1週間延ばしましょうという連絡があったのが2日前だった。昨日再度Uさんから電話があって、メンバーのHさんに変更の連絡をしても、返事がない、何時もならすぐにわかりましたという連絡のある誠に几帳面なはずなのに、どうしたものか不思議に思っていたそうです。
携帯へのメ-ルも送信していたのに、やっとHさんの奥様からメールで返事があって、「7日の七夕の日になくなりました」というお知らせだった。以前Hさんは杉並区にすんでいて、その人の親御さんの介護が終わり、すぐに奥様の親御さんの介護になり、北区の奥様の実家に移った。それが3月前に火事で全焼、原因はコンセントにホコリがたまってショートを起こしたということだった。なぜこんなにも、連続して不幸に襲われるのだろうか。
こういう突然の死は、今年の2月にもあった、それは弓の先生の奥様の死だった。ご夫婦でこられるので週2回も稽古でお会いしていた。ある日先生達が欠席された。
翌日仲間に聞いたところ、先生の面前で、インゲンの豆の糸をとっていたのが、そっと崩れるように倒れたのが大往生だったそうです。
このような突然の死は、予告や前ぶれが全くないので、どう自分でも整理してよいか分からない。が今までのお付き合いの中で、それでもいろいろ楽しいことも思いだされる。
Hさんは恒例の年忘れOB会で演歌がとても上手、「海の男」をよく歌っていた。何か頼むとすぐに迅速に的確にやってくれる。携帯電話の新機種がでると、すぐに買い替える趣味があり、
先月私にテレビ電話が出来るのが残ったのを欲しいといったら、すぐにもってきて同じAUの私にくれ、代理店に一緒に使用できるようにしてくれた。其れが形見となってしまった。
ご自宅も火災後の立て直し中で、所有の家作の一部に移っていて手狭になっていたことだと思われる。機会を考えてお参りしたいと思う。