2010年6月25日金曜日

夢は大きくと ラジオ体操


おはようございます。W杯一次リーグから決勝T戦に進出が決まりました。AM3時半からのキックoffからの観戦は遠慮して、目覚ましを4:45に設定し、11時半には就寝。目覚ましの必要はなかった。
あわててチャンネルを回したが、他国の試合の録画、これは敗退したが故の消化放送と思ったが、念のためもう少しまわして日本テレビで日本選手がうつっている。後半30分頃2:0で日本が勝っていました。その後日本がペナルティで2:1になり、引き分けでも決勝というものの、終了までの15分は長かった。岡崎が追加点をいれて3:1になってかなり安心しました。
本田選手「深夜の応援ありがとうございます。まだ満足はしていません。諦めないでがんばれば出来ることを証明できました。いいました優勝のはまだ遠いですが(岡田監督はベスト4目指して)頑張ります。」のコメントでした。
望みは大きいのでした。まず望みが大きくないと、目標も小さくなるのですね。

絶対感動本50:斉藤孝のおすすめブックナビ

素晴らしきラジオ体操(ノンフィクション):高橋秀実:の紹介から
雨が降ろうが、槍が降ろうが、毎朝会場にでかけ、6時30分にあわせて体操せずにはいられない人々、彼らを「ラジオ体操人」と呼ぶ。何故これほどまでに人々の心を惹きつけるのか

ラジオ体操が生まれたのは1920年代のアメリカで、ある生命保険会社が商品を宣伝するために始めた。保険会社は、自社の生命保険により多くの人を加入させ、保健が満期になるまで確実に保険料を払ってもらう、ラジオ体操を普及させて長生きしてもらおうという戦略があったそうで、その目論見が見事あたったのだそうです。
1925年には400万人がこの体操に参加、主な保険加入者である白人の死亡率がみるみる低下した。
それまでは『死を待つ不吉な商売』等と言われた保険会社のイメージを健康なものに変えるという恩恵までもたらした。
日本ではやはり保険事業にからむ思惑で、独占していた簡易保険の逓信省が、『保険にはいると早死にする』といわれるほど保険のイメージが悪かった。そこでNHKと共同でこのラジオ体操をはじめたのだそうです。
軍国主義下「国民体操」さらには「ヨイサ」と呼ばれ、全国的に広められた。大企業も職場でも取り入れられ、労働者と経営者が一緒に「ヨイサ」しており、当時の「サボタージュ」がなかなかできにくかったという。

0 件のコメント: