2010年4月30日金曜日

日本財団9年の日々①


おはようございます。奈良の万葉の道を歩き、40年前にいった長谷寺は丁度牡丹の頃で、宅急便でお土産に買ってきました。それが毎年咲きます。かすかに家内は匂うというのですが、小生にはまったく感じませんのでその解説を聞いて楽しんでいます。

日本財団※9年の日々:曽野綾子著

「クリスチャンのくせに、なぜ博打の金をあつかう仕事についたのか」という批判が多かった。
「聖書のルカによる福音書」16・9に「不正にまみれた富で友達を作りなさい」という箇所があるのです。友人というのは天国の友人のことで、現世でワイロを使って誰かと仲良くなれ、ということではありません。
一般的にいって金は不正な富である場合が多い、と聖書はいうんです。しかし、その金が自分のところに来た時から、正しく慈悲の心で使って神に喜んでもらいなさい、ということなんです。つまりどんな金であろうと、過去のことはどうでもいいんですね。ただ今から誠実に使いなさい。ということですね。
キリスト教は本来性悪説ですからね。でも同時に立派なこともする時もある。と認めています。ただ人間は放っておけば悪いことをする。初めから正しい者も、完全に善行を行う者もない。どろどろの人間性の中から、どうしたら人間が一歩でも悪い方向ではなく、いい方向に向かって歩くということを考えているわけです。
曾野綾子さんは3つの点で日本財団と共通点があった。①「死者の海」で船の小説を書くのに、正式の船の勉強をしていた。②71・72年に産経新聞にハンセン病をテーマに「人間の罠」を連載→62年の財団設立以来、地球上からこの病気をなくすることを悲願にしていました。
③通称JOMASというNGOで途上国へ資金を送ることに関わり、援助資金が当初の目的通りにちゃんと使われているかどうか、アフリカまで自費で現地を調べにいった。→財団で、海外援助がすべてうまく行っていますという認識の少しでも是正に貢献したいということだそうです。

※http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%B9%E8%88%B6%E6%8C%AF%E8%88%88%E4%BC%9A

2010年4月28日水曜日

心余裕の国


おはようございます。こんな天気なので、コートは防寒、中は春着という両用の構えです。

世界の峰を背負っていると、気持ちも気高くなるのでしょうか。

北海道大学観光学高等研究センター准教授:山村高淑
GNH(国民総幸福量)1976年当時21歳だった第4代ブータン国王により提唱された。
① 健全な経済成長と開発
② 環境の保全と持続可能な利用
③ 文化遺産の保護と振興
④ よき統治
自然環境や文化遺産の保全には、環境客数が地域のキャパシティを超えないようにすべきである。量よりも質を目指している。自然や文化について十分な理解と敬意を示し、かつ高い客単価で滞在する旅行者にきてもらおうというのである。
中国とインドという超大国に挟まれた小国ブータンが国際社会にアピールできるものは、軍事力でも経済力でもなく、豊かな自然とユニークな文化でしかない。
しかし観光といってもむやみやたらに世界遺産登録物件をもたないし、一つもない。世界遺産に登録する方法を考えるより、建築遺産をそのまま使い続ける手法を考えることのほうが大切なのだと。ブータンの建築遺産の特徴は寺院やチョルテン(仏塔)や民家に代表されるように、昔ながらの用途で使い続ける点にある。そんためにこそ世界遺産に登録するという考えなのだそうです。これこそがこの国の自尊心なのである。
ブータンの旅は、町や村の美しさは建築の様式美からくるというよりも、景観を作り出している生活の美しさにほかならない。寺院で無心に祈る人々をみて我々は心や精神の美しさの根底に信仰の力にあることに気づく。
もはや見る旅ではなく、感じる旅である。観光の質を上げることは、地域住民は旅行者に、旅行者は地域住民に「幸せ」を相互に与えあうことではないか。ブータンのGNHの考え自体はまだ答えのでていない社会実験であるが、この推移を見守りたい。

2010年4月26日月曜日

社交のきついリゾート



おはようございます。ツツジが時を忘れず咲き出しています。、このような天気でも健気です。

社交のきついリゾート  旅行作家  山口 由美より

海外旅行でレストランでの勘定をすませようとするとき、「ビル」といってもビールと間違われやすいので、「チェック」というのがよいそうです。ホテルやレストランの人は大抵忙しいので、仕事ならいざ知らず、観光旅行であれば、長い会話を望むなら現地で友人を作るしかない。英会話が上達するのは、恋人をつくることがよくいわれている。だが恋人をつくらなくても、シャワーのように英語を浴び続けられる環境がある。それが小規模のリゾートやガイドと長期間行動を共にするエコツアー、川のクルーズなどである。
その典型がアフリカのサファリロッジだ。小規模リゾートとエコツアーが合体したサファリロッジでは、日々まさしく「英語漬け」と異なるのは、逃げ場がないこと。スイッチを切れば終わりという訳にはいかない。こんなことは、普通の旅行ではありない。1週間のサファリで、英会話学校3ケ月位の効果があると思う。抽象度の高い単語に弱く、サイだのカバだの野生動物の単語に強くにはなる面は難であるが、
欠伸を噛み殺して英会話教室に通うよりも効果があるものの、このサファリロッジはあまりにも「英語漬け」な状況故に、日本人には不向きと敬遠されている。
「英語漬け」系リゾートでは食事のテーブルが最後の晩餐のように一つしかないものがある。みんなで会話を楽しみながら食事をする、というきこえはよいが、英語嫌いには地獄のようなシステムである。
しかし取材に同行した日本人カメラマンはこのようなテーブル席になった、苦手といいつつ単語や文法の能力は、そこらのラテン系より長けていたりする。必死に頭の中で英作文したカメラマン氏の英語も文法も完ぺきであった。そして、なんと彼の必死の訴え(英会話漬けのテーブル外へ移動)は一笑に付されてしまった。

2010年4月25日日曜日

これならできる図書館の本読破


おはようございます。図書館で本を読んでいると10分で眠くなる。あっ同じ仲間が時折いますね。但し寝顔は上手に本で隠しているのですが。

あのエッセイ・この随筆:川本三郎著より


一葉のころに日本で初めての東京図書館は湯島聖堂から上野に移転した。
一葉はそれまで図書館の存在をい知らなかった。人から本を読む場所があると教えられ、大いに喜んで早速通いはじめた。そのころ図書館を利用する人は弁護士の勉強を」するためだった。一葉は男達の中に美しい彼女がいる。」当然好奇心に
さらされ、図書館からの帰り、すれ違った学生から「こちらむき給へ」とからかわれた。「書のかたはしをも読む人のしわざ」と憤慨したこともあった。女性が勉強することに理解がなかった時代の不幸である。この図書館には、田山花袋、時代が下って芥川竜之介、宮沢賢治も利用した。夏目漱石も若い頃、湯島の東京図書館に通った。「子供の時聖堂の図書館に通って、荻生徂徠のけいえん十筆
を無闇に写し取った昔を生涯ただ一度繰り返し得た様な心持ちが起こってくる」といっているそうです。これは早熟ぶりに驚く。
なかなかの勉強家で毎日8・9冊本をかり出すが、どの本にも書き込みがあり、明治の学生たちが、いかに勉強家だったかがわかる。
「ティファニーで朝食を」で知られる米国人の作家トルーマン・カポーティは旅で知らない町にいって必ず立ち寄るのが図書館、本を読むためではなく、自分の本が何冊あるか確かめるためだそうです。そしてライバルのノーマン・メイラーよりも多いと無邪気に喜んだそうです。
1945年につくられたエリア・カザン監督の「ブルックリン横丁」に登場する女の子が図書館で「憂鬱の解剖」という難しい本を借りるとき、司書の女性に「子どもがこんな難しい本を」と驚くと、」「わたし、図書館の本をAからZまで全部読んでみたいのです」と答えた。

火との対話


おはようございます。竃で炊いたご飯はとても、美味しかった。「はじめチョロチョロ、中パッパ」の呪文を唱えながら、薪を入れていた。煙が目に滲みらせながらも竹筒で吹いて火に栄養を送っていた。

厚い木の蓋の隙間からご飯のヨダレがこぼれた。ご飯との対話だった。その後暫く待たねばならなかった。釜の淵沿う部分は黄金色にアイロンがかかっていてコオバシイ匂いがした。。


村上春樹の書籍はまだ読んだことがないが、凄い売れ行きですね。

あのエッセイ・この随筆:川本三郎著より

村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』のなかの「アイロンのある風景」というたき火好きな男を描いた部分

神戸のほうから茨城県の海辺の小さな町にやってきた。男にはちょっと変わった趣味がある。四十代半ば。海の近くに家を借りて一人で暮らしている。芸術家らしい。夜、鹿島灘に面した海辺に出かけては、流木を集めて焚き火をする。
男が焚き火がすきなのは「もう病気みたい」なもので、そもそも海辺の町に」やってきたのはここの海岸は流れ着く流木が多いからなのだという。コンビニで働いている若い女の子も焚き火の仲間入りをする。
女の子は焚き火をみていると「わけもなくひっそりとした気持ちになる」という。それに対して、こんなことをいう「火ゆうのはな、かたちが自由なんや。自由やから、見ているほうの心次第で何にも見える」「でも」、どんな火でもそういうことが起こるかというと、そんなことはない。そういうことが起こるためには、火の方も自由やないとあかん。がスストーブの火ではそんなことは起こらん。ライターの火でも起こらん。普通の焚き火でもまずあかん。火が自由になるには、自由になる場所をうまいことこっちでこしらえなああかんねん。」そしてそれは誰でも簡単にできることやない」
焚き火の火はこの鹿島灘までいくのかしら。

2010年4月24日土曜日

春の攻防


おはようございます。日本のような桜や新緑の素晴らしさもさることながら、故郷で育った頃はもっと雪がおおかった。
地面にある雪の厚さが段々薄くなり、表面が塵・芥・埃で黒くなっていて、最後には湿りが乾いて土ぼこりが舞う。
このときの土の匂いが何ともいえない。それぞれの国や地方によって、春の訪れは異なりますが、四季の幕開けに思う。


あのエッセイ・この随筆:川本三郎著より

チェコの人・カレル・チャペック※は名随筆『園芸家12カ月』(中公文庫)を紹介していますが、四月に花の芽が出てくるときの喜びをこういうふうに書いている。
「四月、これこそ本格的な、恵まれた園芸家の月だ。恋人たちは、かってに彼らの五月を謳歌するがいい。五月は単に草木が花を開くだけだ。ところが、四月には、草木が芽を吹くのだ」カレル・チャペックは、芽ぶきを「自然界の最大の奇跡」と呼んでいる。
庭に出て、しゃがむ。自分の手で土を少し掘る。指に芽が触れる。そのときの感動は「とても言葉では書き表すことができない」。長い冬がようやく終わる。三月はまだ冬と春が戦っている。「春が攻めよせてくるのを冬が抗戦している」。四月にはその攻防戦に決着がつき一気に春がくる。

※http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%9A%E3%83%83%E3%82%AF

2010年4月23日金曜日

ソフト帽


おはようございます。野菜はビニールハウス栽培が多いためか、収穫が悪く、値上がりしていますが、奈良で買ったきたボタンはしっかり花芽から白い花びらをのぞかせ、躑躅もさほど
影響を受けていないようですね。しかしこの右往左往の天気の影響は先行き心配ですね。

残っている父の写真もソフト帽を被っているのがある。

あのエッセイ・この随筆:川本三郎著より
昭和二十九年でも永井荷風は背広にソフト帽、それにこうもり傘とボストンバッグという荷風ならではのスタイルで、現代の作家でもソフト帽が似合う人はもういないのではないか?
現代人はなぜ帽子をかぶらなくなったのは?
ハンチングや野球帽は結構かぶっているがサラリーマンにはまず見かけない。
満員電車の通勤には帽子は邪魔になる。車に乗るときも帽子があると不便。冷暖房が完備されてきたために実用的価値も減った。また帽子は道路の埃よけの役も果たしていたが、完全舗装の時代にはその役割も必要なくなった。戦後のモノ不足の時代に、帽子まで手が回らなくなった。しかし、こんな理由のほかに、もうひとつ重要なことがある。これについては帽子の会社の「オーベックス百年史」(93年)に書いてあるのは石原慎太郎が”慎太郎刈り”という髪型で若い世代の人気者になったことである。流行語の『太陽族』の慎太郎刈というヘアスタイルを強調するのは中折れ帽子は不必要であった。だからこそ中折れ帽子を被りたいと筆者は語っている。

2010年4月22日木曜日

ほどよい街


おはようございます。練馬区から西東京市にきて、いろんな活動をしても、顔がみえる街です。よく見なれた顔に出会います。昨日もお恥ずかしい話をすると、年賀はがきの当選した分の受領と、書き損じの分のはがきの切手との交換して3字に帰宅。交換切手8枚した分が見当たらず、もう一度郵便局まで戻って、声はかけませんでしたが、担当の職員の顔もみたのですが、見つけた気配もなく、もう諦めて帰宅しました。
5時すぎに、電話があり、もしや切手の忘れものはありませんでしたか?局前に落ちていたのを届けがあり、交換のはがきに電話が書いてあったので、電話してみたとのことでした。歩道を擦れ違うときも、お先にとかの挨拶もあり、心使いが通じる街なのです。私たちが発行している「きらっとシニア」という新聞に、図書館で新聞記事を検索して見つけた旅行作家Hさんに寄稿を依頼したら、喜んでとのこと、このようにアットホームなのです。市役所の窓口の対応も故郷鶴岡市に似て優しいのです。
4/14pm8:00:BSのフジ
島根県の隠岐の島の海士町について町長のテレビ出演での説明
さざえのカレーが年間3万個売れている。これは島の外の人を受け入れた故の成果だった。新しく来た島外の人がつくったメニューではなくて、今はもう市場では十分に評価されている和牛の飼育で肉も食べるようになったが、それまでは肉の代用品がサザエだったという。これが独特の風味をもったカレーなので人気をよんでいるそうです。
この海士町の人口7000名がいま2500人になっているが、その1割の250人が島外からの人が住むようになった。同町の高校生25人の卒業生は全員島を出ていく。
一時はやった合併も辞退したところ、2004年には地方交付税が大幅カット、さんざん考えた対策は、自立促進条例と少子化対策、今の山内道雄町長は家庭の事情で島に52歳で戻ってきた。島にできるホテル関係の仕事を手伝っていた。
嘆いていても仕方がないので、島にあるものを生かすことにしたが、島に住んでいる人には良さが見えないが、島の外の人も学歴も職歴もかなりのものを捨ててきているのは、大きな社会には愛想をつかし、自分の力量を手助けしてくれるこの町の魅力に引き付けられたようです。
こうなってきているので、島の高校生も島内にとどまる算段をしてくれるのではないかと町長も期待している。島外からの夫婦が子作りするのに、よい島と評価している。
ICT※の発達で島でも保健婦さんらがいれば遠隔診療ができる態勢が出来つつあるそうです。※http://www.town.ama.shimane.jp/news/pdf/kouhou1003-0203.pdf
町長はいう「海士町ならでは のまちづくりのテーマは、『島の幸福論』です。そこには住民の「自分たちの島は自ら築く」という挑戦の意志と、一人ひ とりが足元から小さな幸福を積み上げ「海士らしい笑顔の追求」をしようという想いが込められています。」
慶応大学の上山教授も、ことの変革はおおきなところではなく、地域から国家の再生がはじまるということの実例といっていました。

2010年4月21日水曜日

独尊のブラジル



おはようございます。 ブラジルは気持ちのいい国です。ちゃんと自主独立の気風を持っている国ですね。

逆様の地球儀:複眼思考の旅:和田昌親より

BRICsと云われ、、ブラジル、ロシア、インド、中国が急成長していますが、
そのもう21世紀の大国といわれているそうですが、そのブラジルが沖縄の会社を買収していることは知りませんでした。

南西石油株式会社(なんせいせきゆ、Nansei Sekiyu K.K.)は、沖縄県西原町に本拠を置く石油精製会社。ブラジルの国営石油会社ペトロブラスの傘下となった。
2006 年現在においては、沖縄県の石油消費量の約6割分を製造していた
沖縄県内の最大手の石油販売企業。以前は、アメリカのエクソンモービル傘下の東燃ゼネラル石油の子会社(出資比率:東燃ゼネラル石油87.5%、 住友商事12.5%)だったが、2006年9月よりブラジルの国営石油企業であるペトロブラスが買収の交渉を開始。その約1年後の2007年11月10日に両社が合意し、ペトロブラスの子会社である※ペトロブラス・インターナショナル・ブラスペトロが全株 式を55億円にて買収した。
2008 年4月に はサトウキビを使ったバイオ燃料をブラジルで生産、南西石油のプラントで貯蔵し、日本 国内マーケットへ供給するとしている。

意外としられていないのは「エンブラエル」というブラジルの航空機メーカーは、カナダ・ボンバルティアと世界3位を争う巨大企業で、大型旅客機はボーイング社とエアバスが市場を2分しているが、百人乗り前後の中型旅客機を得意とし、7割近くをアメリカに輸出しているそうです。08年には日本航空も導入する。三菱重工のMRJも全日空に25機納める予定であるが、この実績にはかなわない。

おおくの国際会議でアメリカの鼻がへし折られ、ワシントンからは「ブラジルはやりにくい」という嘆きんも声が聞こえてくる。04年テロ対策にアメリカ在留外国人の再入国者に対して指紋採取と顔写真撮影を義務つけた。そんな失礼なことがあるかと烈火のごとく、怒り、ブラジルに入国するアメリカ人に同じことを義務つけた。一時期サンパウロの入国審査にアメリカ人のところだけ長い列ができた。
アメリカが毛嫌いするキューバとも友好関係を絶やさない。また貿易国の相手国もEUの25~30%、アメリカとは20~25%とこの30年来変わっていない。

2010年4月19日月曜日

仏教ルネッサンス②



おはようございます。日曜日のボランティア祭後の打ち上げも楽しいものでした。運営していたのが、西東京市にある武蔵野大学(浄土真宗系)の学生さんたち16名でした。土曜日の準備に加え、ある学生さんは本番の日曜日は朝5:30横浜をでて、
8:00からの11:00までの準備もあり、終了後の6:00からの打ち上げで30分もすると、眠る一幕もありました。ボランティアなので、この会費も自前でした。本当のボランティアでした。
礼儀ただしく、来場者に楽しんでもらいたい配慮が行き届いていて、気持ちがよいものでした。4年生も何人もいるので、ここ2年は交流ができましたが、来年からこれない人もあり、名残おしいことです。
「仏教ルネッサンス」の続きになります、さらにこのような動きが活発になり、一般にも認知されるようになるのを期待したいですね。
葬式や法事といった儀式は執り行うが、仏教の教えと実践はわれわれが抱えている現代の問題には何の関係もない。そう考えている人が何と多いことか。しかし日本の仏教寺院は葬式の場だったのではなく、古来から多様な活動のセンターとして存在してきた。そこには「癒し」「学び」「楽しみ」といった機能があった。聖徳太子によって日本で初めて建立された四天王寺にして、四つの建物のうち、3つまでもが、病院、薬房、療養所ちいった癒しの場であった。また寺子屋といった学びの場、さまざまな歌舞演芸が勧請される楽しみの場でもあった。しかし明治以来それらの機能が、病院、学校、商業娯楽等に奪わてしまい、寺は「葬送」だけに特化させられてしまった。だから古来からの多様な寺の機能を取り戻すことで、地域の拠点となるという「ルネッサンス」が必要なのである。
仏教とはその時代その時代において、新たな苦に向かい合い、その構造を明らかにし、教えを改訂しながら進んでいくという実践なのだが、現実に起こっていることは、既に確立した「教義」における「苦」の定義から現実を見るという転倒した方法である。これでは最初からその過去の教義に見合ったものしか見えない。
時代がどのように進もうとも、教義は変更の必要もなく、「偉大なる真理は不滅であり、永遠である」といっていれさえすればよい。
日本の仏教は仏教全体が「教え」のほうを向いていて「慈悲は説くが、慈悲は実践しないといった状態に陥っている。」「教え」は深遠で高邁だが、実際の実践は「葬儀」であり、その葬儀もありがたくもなく、宗教的でもないといった不満をもつ人々は多い。真の仏教ルネッサンスをもたらすためには、教えと実践の一致、慈悲の実践こそが必要なのである。
今一度「日本仏教」の大きな流れに立ち返り、現代の問題に立ち向かうことが求められれている。それとともに、一般の在家者の側も仏教に期待感を持ちつつ、ある時は厳しく、意見し、あるときは励ますという、生産的なコミュニケーション作り必要だ。仏教は何より日本文化の大きな流れである。それを活かすか殺すかは私たちの未来に大きくかかわって来る重大事なのである。
雑誌「観光文化」はhttp://www.jtb.or.jp/themes/content/img/publish/bunka/bunka200.pdf
で閲覧や購読申し込みができます。

仏教ルネッサンス①


おはようございます。昨日はボランティアフェスティバルでした。心配された天気も快晴で、駅に近い小学校で開催したら、小学生、およびその親御さんらもきてくれて盛況でした。

 奈良にいった人の話では、平城遷都1300年が行われていますが、盛り上がりにはちょとかけるそうです。
仏教ルネッサンス:観光文化【財団法人交通公社】 VOL184:2007/july
で上田紀行木※東工大大学院准教授が述べている。
※http://www.valdes.titech.ac.jp/~ueda/
仏教ブームで多くの仏教書が刊行され、由緒あるお寺は観光地としてにぎわっている。
一方葬式と法事などの「葬式仏教」といったイメージの日本仏教の水面下で、日本仏教を復興させ、全国に6万以上ある寺の活気を取り戻そうという、「仏教ルネッサンス」ともいうべき動きが始まっているそうです。4年前に「21世紀
の仏教の可能性を探求する」場である「仏教ルネッサンス塾」をスタートし、若手僧侶が宗派を超えて日本仏教の未来を語り合う「ボーズ・ビー・アンビシャス」という集いも既に8回を数えている。

【活動の状況】

東京都港区青松寺:http://www5.ocn.ne.jp/~seishoji/seisyoukouzaframe.htmlでは「仏教ルネッサンス」
長野県松本市の神宮寺では「ケアタウン」地域の福祉センター
大阪市の應典院:前衛劇場として若者を集め、同時にキャリアデザインのエンパワーメントの場で、年間3万人の若者が集う
仏教の現在流布しているイメージは「過去を向いていて、現在や未来にはかかわらないもの」「葬儀や法要を執り行うものであり、現実の問題にはかかわらないもの」といった否定的なものである。しかし意外なことにおもわれるが、仏教はどの時代においても極めて「現代的」なものであり、その「現代性」あるいは「前衛性」こそが仏教の命脈をここまで保たせてきた核心だった。
そもそも「伝統的」なバラモン教が儀式主義に陥り、民衆の苦悩を救いとることができないとして、革新者として現れたのが、釈迦その人であり、彼を支持したのは伝統にとらわれぬ新興資本家たちであった。日本に仏教を定着させた聖
徳太子はまさに新時代の日本を創造した「前衛」そのものである。そして最澄や空海といった、時代を生きるスーパースターというべき人物たちによって日本仏教は勢いを得ているが、その後仏教が比叡山にこもって保守化し、民衆の救
いに届かなくなると、法然は山を下りる決断をし、親鸞、道元、日蓮といった個性あふれる鎌倉仏教の祖師たちがそれに続いていく。

2010年4月17日土曜日

リョカンはよいサービスブランド



おはようございます。JTBの「観光文化」はさすがに世界と連動した新線な情報が豊富で興
味深いことが多岐にわたっていいます。
外資系リョカン「観光文化」VOL183号2007.may
旅行作家・山口由美: http://www.yumiyamaguchi.com/index.html
(この方のHPにも下記サファリロッジが紹介されている)
この人が連載コラムを書いている雑誌「月刊ホテル旅館」があるが、深く考えもせず、雑誌の英語名を『Hotel&Ryokan』としていたところ、何気なく雑誌の表紙に『The HotelManagement』とあるではないか。ならばとおもい正式な英語名にしたら、ホテルのPR窓口の担当に、『ホテル旅館』のほうがイメージがよいですねと言われた。『ホテルマネイジメント』だと退屈な専門誌に思われてしまいます。ということで『Hotel&RyokanManagement』にしたそうです。
 
★★外資系のホテルの日本進出が話題を集めている。

◆アマンリゾーツ:http://www.magellanresorts.co.jp/aman/index.html
アジアを中心にリゾートの一ジャンルを築いたアマンがついに日本に進出する。噂では旅館を参考にホテルの運営を考えている。
◆箱根にオープンしたハイアット・リージェンシーも畳のリビング、温泉大浴場、等旅館テイストを随所に取り入れたホテルとして話題になった。http://travel.rakuten.co.jp/platinum/pltnm/hotel/56257/index.html?s_kwcid=TC|16676|%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%88%20%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%BC%20%E7%AE%B1%E6%A0%B9%7C|S||3716428782
今のところはこの箱根のホテルが黒船になっている様子はない。しかしリョカンというスタイルがインターナショナル・スタンダードとして世界に広く認識されることにあるのではないか。
◆東京ミッドタウンのオープンしたザ・リッツカールトン東京の記者会見で、「京都、それから福岡そしていろいろ難しい問題があることも承知していますが」、前置きして上げたのが箱根だった。「リョカンという形態にも興味があります」といったのである。
アフリカのサファリロッジと日本の旅館が似ていると山口さんは話をされていたそうですが、食事付きのサービスを基本とし、サービスの決まりごとが多く、仲居さんやレンジャーという専属の担当者がつく、従来のホテルとことなる独自のスタイルが似ているそうです。アフリカでもじつは今、日本の温泉ブーム並みに、ホテルブームがあって、雨後のたけのこのようにロッジがオープンされているそうです。
南アでは外資系の参入はない、サファリロッジ※というのは、」何しろゾウやライオンが相手だから、レンジャーの教育など独特のノウハウを必要とするが、旅館のノウハウは容易二」学べるから、外資系のリョカン進出が注目されるそうです。


但しまだリョカンを外国の方が好むイメージがピーンと分かったという訳ではないのですが、サファリロッジは魅力的にみえます。

お茶にしましょう


おはようございます。この寒さはどういうことでしょうか。地球温暖化対策も小休止になりそうですね。
「お茶にしよう」のお茶がなかったらどうなるのでしょう。英国ではお茶タイムは格上のようですね。

イギリスはおいしい:林望著
tea and biscuitが食べ物の一番簡単なもの。
drinksは、親しくもない人、ちょっとした知り合い、とともにする。しかいmealsはそうではない。それをともにするのは家族、親しい友人、それでなければ名誉ある客人に限られる。
イギリスの飲食習慣は大きくDRINKSとMEALSとに分けられる。DRINKSは勤め先やパブ、または自宅で催すこともあるけど、要するにそれは簡単にワインやビールなんぞで飲みながら、1・2時間雑談する会合のことで、一切食事めいたものは出ない。こういうものに呼ばれてもそれは彼らの社会に受け入れられたこととは言えない。DRINKSは「食べ物」という概念には含まれない。

日本なら「お茶」→「ちょっと一杯(酒)」→「食事」という順で親密の度合いが進んで行くのに対して、イギリスでは「酒」→「お茶」→「食事」です。
英国でのお茶に招待された場合には、ダイニングテーブルに案内されると、アイロンのかかったテーブルクロスにきれいに整えられた食器類を揃えた「お茶の食卓」が用意されている。食べ物は一定しないが、サンドイッチやスコンといったところが定番で、バウンドケーキのような乾いたケーキ、シュークリーム、やチョコレート
ケーキ、のような水分の多いケーキ、ショートブレッドやジンジャービスケットのようなクッキーのたぐい、それにチョコレート、砂糖菓子、ゼリーの類と驚くほどたくさんの種類のお菓子が賑やかに食卓を飾るのである。招く方の主婦にとって特に主婦にとって、それはもう一大事である。これらをあれこれとつまみながら、大量の紅茶(ミルクティ)を飲むのが「ティー」で概ね午後4時位から2時間ほどである。となるともうまったく満腹し、甘いものに食傷する。もう晩飯を食べようという無謀なことは考えもしない。「ちょっとお茶でもいかが」というような気楽な具合にはいかず「お茶に招く」ということになる。」かかる風習は日本の特に酒のみのオジサン達にとって難行苦行に属する

2010年4月16日金曜日

カギ穴からのぞいた人生模様②


おはようございます。昨日の続きです。昨日サラ・ブライトマンという英国の歌手の名前を知ったのですが、キャッツやオペラ座の怪人などでも有名でだったもですね。こういううっかりが結構
あるものです。顔を見ていたら、あのキャッツの顔そのものですね。

鍵師-カギ穴からのぞいた人生模様- 著者名 大谷二三男著より

トイレに閉じこめられた場合、中にいた人が出てくる時、ムッとした表情で出てくるか、私(鍵師)の横をドドとはしり過ぎてゆきます。一人暮らしで住んでいる場合には困るでしょうね。

不思議と旦那さんが奥さんに内緒というのはほとんどなくて、奥さんのほうが旦那さん内緒といったケースが圧倒的に多い。それに嫁が姑のいないちに、というパターンも結構多くあります。
 埼玉県に住んでいるある奥さんが、タクシーに乗って店にきたことがありました。旦那さんの留守に洋服ダンスを開けてくれというのでした。普通は事前には事情いわない珍しいケースですが、もちろん断りましたが、奥さんが必死になって頼み込む。「結婚して20年になりまさすが、、あのタンスの中を見たことが一度もないのです。夫は絶対に見せてくれない。中身を聞いてもお前には関係ないの一点張り。夫婦の間で隠し事があるなんて私には考えられないんです。だからどうしてもタンスを見たいんです」

タンス備え付きの鍵とタンスの取っ手に南京錠までかかっていました。これだけ厳重にしてあると、逆に見たくなるのが人情です。奥さんは20年間この思いを抱き続けてきたというわけです。
南京錠もタンスの錠も耳かきに似たピッキングで簡単にあきました。興奮した奥さは早速あけてみました。その中
はすべて女性のものばかり、シルクのロングドレス、帯から襦袢、「あっ」といったきり奥さんは言葉がでませんでした。「これは奥さんのものではないんですか」と聞くと、ただ首を横に振るばかり。
その内なんと女性の下着もきとんと並べてありました。
しばらくすると、薄い雑誌を一冊見つけだし、パラパラ見ていたと思ったら突然、「ありがとうございました。もう十分ですので。後は私が元どおりに直しておきますから」と、まるで私を追い立てるかのような態度に豹変。実はその雑誌、女装の専門誌だったのです。これでみなさんも事情がおわかりいただいたことと思います。
あけて誰も喜ばないこともあるのだと痛感したそうです。
その後そのご夫婦がどうなったか知る由もありません。

2010年4月15日木曜日

鍵穴から見た人生模様①


おはようございます。鍵はいくつ身につけていますか?あるいは鍵の箱にいくつ保管されていますか?もう何の鍵かわからず捨てないで残っています。
3年前、歯医者に自転車で行って、帰りに、探してみても見当たらず、受付に聞いてもわからず300m、自宅まで引きずってきたことがありました。あれそれ常習犯ではないの
と言われそうですね。

鍵師-カギ穴からのぞいた人生模様- 著者名 大谷二三男著

よく手提げ金庫の鍵が鍵穴に入らない、作ってくれとという依頼があって、行ってみると、鍵はなんともない。何故鍵が鍵穴に入らないかというと、錠の筒の中にゴミが入って奥まで届かなかったりするのです。削り残しのエンピツのかすが入っていたり、ポケットのホコリがいつの間にか入ったりして詰まってしまうのです。正直いって請求しにくい。子どもにだって出来る仕事です。でもこういうときは、相手がバツの悪そうな顔をして、依頼しきた人も、原因が詰まったホコリだなんていえない。こういう場合は他の人に知られたくないばかりにさっさと支払いをすませ帰そうとします。
私もそういうときは楽な仕事をしたもんだとニッコリ笑って帰ってきます。
金庫開けの理由で最も多いのが、やはりダイヤルの番号を忘れてしまったというう理由がありますが、キーの依頼者の理由の90%がこの理由です。昨日までダイヤルを覚えていたのに、今日になって忘れてしまったというおじいさんもいました。
また何回も回すのが面倒なので、テープ固定しているセロテープが日数の経過でテープの粘着力がなくなり、」わずかに動いてしまって開かなくなるケースもあります。この場合に前任者から申し次ぎがないので開かないということです。
同じケースが警察署で拳銃を入れた金庫や、卒業証書が出せないので渡せないということもあったそうです。
しかし日頃面倒ということでこういうケースは意外におおいそうです。
しかし大事なものではなくて、ホカロンやポルノ雑誌が入っていたりの金庫もあるそうで、笑いたくもあり、かわいそうでもあるそうです。

2010年4月14日水曜日

可愛い過ぎる弟


おはようございます。もうこちらの桜は終わりですが、毎日春と冬の繰り返しですね。着替えも大忙しです。
それでも街路樹や欅も若い芽を出して、ほとんど影響ないようですね。

図書館に置いてあった小中学生の作品集がありました。何時も思うのは小学3年生は一番可愛い年齢
かなと思います。

平成21年度 武蔵野市第4回子ども文芸受賞作品:優秀賞より

やめてほしいなぁ:小学3年辰巳晴宇

「ねぇ、やめてよ」と言っても「やめて!」といってもやめてくれない。
弟はむし、だってわからないから。どうしようもないなぁ、でも言いたくなる。
「やめてくれょ」・・・むし、なぐりたくなる、でもいみがない。
なぜかと言うと、わからないから、なにを言っても答えは「ブー」
ぼくのへやは弟にとって天国だ。「あとはぶちょうだ!」と言っている様に。

ズカズカとリビングで。ぼくは後かたずけをしながら考える(もうくるなよ)(かたずけてくれよな)弟は1才。

☆下線部分がよくわからないのですが、・・・・でも可愛い詩ですね。

2010年4月13日火曜日

医療費無料をやめた理由


おはようございます。仲間で発行している「シニアかわら版」という新聞は公民館や福祉会館に加え、接骨院さんやマッサージ院にも置いていただいて読者に配布しています。
お陰さまで段々反響があって喜んでいるしだいです。ところでこういうところがこのように接骨院等がこれほどおおいとはおもいませんでした。コンビニよりもおおいですね。

テレビで医療費無料の村があってどいうことかなと思って、辿りついたのが増田先生でした。

トミイという治療院のブログに要点が書かれているので、それを引用します。


緑陰診療所 増田 進所長の「森の診療所の終の医療」を読んで http://tommy.asablo.jp/blog/2009/12/22/4772660― 2009/12/22 21:47
http://www.ne.jp/asahi/shinqma/tommy/index.html

増田所長は東北大学医学部を卒業後, 岩手県沢内村の国保沢内病院の副院長として赴任. その後, 1975 年院長に就任.

沢内村健康管理課長を兼任し, 全国に先駆けて老人医療費を無料化した村で, 医療・介護・保健活動を一体化させた 「沢内方式」 を完成させる. 医療費の伸びを抑えながら村民の健康を守った業績は, 地域医療史上の金字塔として語り継がれている.

2007 年, 現状にそぐわない健康保険制度の枠を離れて患者と向き合いたいと, 自由診療による「緑陰診療所」を岩手県雫石町に開院.

長年に亘る地域医療への貢献に対して, 厚生大臣表彰, NHK 東北ふるさと賞, 若月賞, 保健文化賞などを受賞. 2008 年には春の叙勲 (瑞宝双光章) を受けている. 知る人ぞ知る地域医療に関する第一人者である.

この本を読むと, 老人医療が無料と言う環境下, 患者にとって本当に必要な医療とは何なのか, また, 現代社会の医療が抱えている問題点は何なのか, が明確になるだけでなく, 増田先生ご自身の医療に関する考え方がよく理解できる.



沢内病院や田老病院では、診療に鍼治療を取り入れて来たが、西洋医学による治療の、あくまでも補助的なものとしてやらざるを得なかった。
鍼治療で料金を請求すれば「混合診療」になり、保険診療の規定に違反することになる。 鍼治療で治療費を貰う事は出来ない一方、鍼治療を求めて、患者さんはどんどんやって来る。
そのため、病院の経営上、鍼治療は肩身の狭い診療になっていた。 この鍼治療を新しい診療所で自由に発展させたかった。
患者さんを突き放した様な医療が多い様に感じる。 もう少し患者さんに寄り添ってみてもいいのではないか、と思う。
...私が鍼治療を始めたのは、昭和 40 年代半ばからである。 沢内病院で外科系を担当していた私のところには、肩が凝る、腰が痛い、膝が痛いと言う患者さんもやって来た。
それに対して、さて如何治療するか、医学の参考書を見ると機械で牽引するとか、電気機器で温める、湿布する、とある。
私自身も若い頃に腰を痛めたことがあって、椎間板ヘルニアの症状があり、ためしに教科書どおりに治療してみたのだが、ちっとも良くならない。 患者さんに同じ様に治療をしてみても、どうも効果が上がらないし、痛みは治まらない。
痛みが強い箇所に麻酔剤を注射するトリガーポイント・ブロックと言う治療があり、それを試みた処、劇的に良くなる場合があった。 「先生、お蔭さんで良くなった。 本当に感謝です」 と言ったおばあさんがいた。
こんな風に良くなる人がいる一方、全く良くならない人もいる。 更に悪い事には、注射する以前よりも悪くなる人がいる。 「注射して貰ったら動けなくなった」。 また、「堪らなく痛い」 と言われる事もあった。
詰り、同じ治療法でも、良くなる人、良くならない人、逆に悪くなる人、と色々経験したのだ。 そこで、昔から行われてきた鍼治療はどうだろう、と一寸試みてみた。
すると、鍼の場合には、良くなった、或いは変らないと言われることはあっても、悪くなったと言う例がとても少ないのだ。
鍼は体に優しいと興味を持つ様になり、勿論西洋医学的な療法と併行して、鍼治療も取り入れる様になって行った。
私が鍼でも治療していると聞きつけて、方々から沢内病院に患者さんが来るようになった。
一番劇的だったのは、帯状庖疹が顏に出来て、顏が麻痺してしまった或る名士だ。 大学病院に 3 ヶ月入院したが、良くならなかったと言う。 顔面神経麻痺と同じ様に手当てをしたら直ぐに効果が現れた。 「お蔭様でまた人前に出られる様になった」 と言われた時は嬉しかった。
作家で翻訳家でもあったきだみのる氏が沢内村に逗留していた事があり、時々 「鍼を打ってくれ」 と頼まれた。 「打って貰うと、原稿が捗る」 と言って帰って言ったものだ。
最初は見様見真似で鍼を始めたのだが、だんだん効果を実感して、治療に取り入れる割合が増えて行った。
ただ、患者さんの中には 「鍼より注射してくれ」 と言う人が必ずいるので、勿論注射もする。 鍼を打ってくれと言う患者さんには鍼と言う風に、患者さんが希望する方の治療をするのだが、ただ、鍼の方が副作用が少ないと言うか、悪くなる人がいないだ け、やり易いのは確かだ.
...鍼で確かなのは、効く人が多いと言う事だ。 人間の体の反応を利用して治療している様な処があり、上手にやれば、確かにかなり効果が上がる。
然し、人によって様々で、うんともすんとも痛みを感じない人もいるし、かなり痛みを感じる人もいる。 効果が上がる人も上がらない人もいる。 私はその違いを見究めたいと思っている。

2010年4月12日月曜日

季節変動


おはようございます。天気が大波小波で、気温が昨日は23.4度今日は13度と、脱いだり着たり大忙しですね。

花もパンジーは別にして黄色の水仙、菜の花、ミモザ、連翹から、白色の辛夷、ニラ、桜、へ、バトンタッチは大きな欅の若い芽が木を覆ってきいます。牡丹の3つの鉢の花の蕾は、一つは2つ、一つは1つ、残りはない。今年は、花数が少ないようだ。あわてて遅いのですがお礼の施肥をしました。
季節おもしろ事典;倉嶋厚の風のたより
◇「大学生になったんだから、レストランにご馳走になる時は、ハンバーグ・ステーキにするのよ。ビフテキは高いんだから・・」今なら和牛ではなくオージービーフというのかもしれない。ハンバーグのブルグ(英語読みではバーグ)は城とか都市の意味で、ハンブルグの語源は「森の町」、ピッツバーグやエジンバラなどのバーグやバラも同じだ。
◇一刻千金おぼろ月夜にサクラの花が白く浮かんでみえるの夜は一刻千金と思うことがある。この言葉を聞いて、子供は「英語のタイムズ・マネーと同じだね」というが、これはその時間に行われうる生産を金に換算しており、一刻千金の方はお金を払っても無為にすごしたい心境だ。
「百円やるから黙っててくれないか」というと、子どもは「沈黙は金ね」むろんこれも解釈が違うが、情報過多、騒音禍の今日は子どもの式の解釈があたっているかもしれない。」

2010年4月11日日曜日

4月の空


おはようございます

近所の周辺の団地では2つのスーパーが撤退したので、足不自由な人は買い物は不自由している様子でした。この団地を通りかかったとき、
車での移動販売がいて10人位ならんでいました。覗いてみると、ほとんどの人は初めてのようですが、普通魚屋さんか、八百屋さんの移動販売
ですが、こんどのはあまり品数がすくないのです、青梅市からきている「たまご倶楽部」http://www.tamago-club.co.jp/info/info.html:という卵中心の販売でした。卵一筋で頑張っていることがわかりました。皆珍しいのか買っていました。毎週土曜日6時ころにはきているということで、次の機会にしてみようということにしました。
もうひとつは酒屋さんが「茂蔵」というブランドの豆腐は2つで105円で枝豆で作ったものでした。これは2回買ってみて確かに美味しい。
目の前にある豆腐やさんもウカウカしていられないだろう。商売人の工夫はたいしたものだとおもう。

季節おもしろ事典;倉嶋厚の風のたより

◇日本では「今泣いたカラスがもう笑う」という。ヨーロッパでは「まるで4月の天気みたい」という。

女心と春の空はそのうつり気が女心にも通じる。
もっとも「男心と秋の空」ともいう。春と秋ではどうちがうのか------ある説によれば「女心と春の空」は気持ちがいろいろ移ろいながらも、最後には暖かくなる。しかし「男心と秋の空」というときは、気が変わりながら冷えきってしまう・・・という訳。この説、うまく作られているが、賛否両論があるに違いない。

◇大きな石の下から植物が横から顔を出して花を咲かせている。
種子がそこに落ちた時には、大きな石はなかったに違いない。が植物は理不尽な邪魔に耐えて、ついに光を求めた。なにものも向日性を完全に弾圧することはできないのだ。

2010年4月10日土曜日

アルミ缶は2ピース缶製法


おはようございます。昨日は叔母が入所している施設に顔を見せにいってきました。例年では野川という多摩川に流れるところの桜見物へ年1度の集団外出ですが、今年から大変な準備がいるので、施設内の安全
優先で中止になったそうです。でもこの園内にも大きな窓から大きな桜の木がみえました。晴れていればその桜の先に富士山が見えるそうです。、
施設内の人々とも調和し、段々童顔になり、円満な顔になっています。本来の自分の性格に戻るそうです。お土産に葛湯とサクラマロンを持参したところ、サクラマロンは小粒なのですがほとんどな舐めた位でした。山形県の鶴岡の葛湯はこれは美味しいんだと故郷を思い出していたようでした。91歳だそうです。叔母の母・祖母が95歳で長寿でしたから、それに追いつくようにしようねと手を握っておわかれしてきました。血圧があがって220にもなったことがあって、毎日検査ということでしたが、143でしたから先ず安心でした。習字クラブに入っていて、廊下の壁にしっかりした字が貼り出されていました。

身近なモノ100不思議:左巻健男著

★スチール缶は天板、地板、側板の3枚の板を組み合わせて円筒状に加工しています。
アルミには3ピースにする技術がありませんでした。スチール缶は材料コストが非常にやすかった。ところがアルミ缶は銃の弾丸のヤッキョウの製法はアルミを絞りだしてコップ状のアルミトップのついた天板を圧着密封して作る2ピース缶製法を採用してコストダウンを図った。
円高でアルミ地金もひじょうにやすくなっったのでアルミのシェアも大幅に伸びた。アルミ:スチールは95年で8:3になってビールに至っては100%。最近コーラやコーヒー缶の内側にPETフィルムを張っているのはTULC缶と呼ばれています。鉄と化学反応を起こす緑茶やビールなどをいれるために改良されたものです。
PETボトルはリサイクルのしにくさが問題にされていますが、TULC缶でスチール缶がふたたび有利になってきましたが、円の動向も大きな影響を与えています。

2010年4月9日金曜日

iポッドはハーフだった②



おはようございます。
日産とルノー、とダイムラーベンツの提携とかは量的規模で製造費用や開発費用を安くしようと思われます。サントリーとキリンビールは不調に終わりました。
The Apple Wayジョッブスはなぜ天才集団を作れたか・より:
この書籍もアップル社から頼まれて書いているかのように思えますが、そうでも狙いは面白いし、この書籍を書いている意図が多少でもわかってきたように思います。とにかく電子業界は目まぐるしいが、よくチャレンジ精神を失わない
で頑張っていると思います。だからと言ってすぐアップル社の製品を買うわけではないが、好きになってきた。

このアップル社は社是が自由で消費者への態度がやさいしい。しかも対応が早い。

「アップル・コンピュータ社」は社名を「アップル社」とした。携帯電話でも似たような旋風を惹き起さないとは、誰も断言できない。
『ニューヨーカー』誌の記事「かつては最も自給自足的な会社だったアップル社でさえも、変化しつつある。かつての創業者のジョッブスはアップル社のすべてを自前で調達し、メモリーチップの原料の砂の品質までコントロールすることを夢みていたところが、今日のアップル社は、モトローラヤヒューレット・パッカードなどと、平気で協力しているのである」どれほど頭が良かろうと、一人で全部をやることは不可能だ。数多くの天才たちが、あまりにも多くの時間と資金を技術革新に投入している。市場の変化はあまりにも素早く、テクノロジーはあっという間に手におえないほど複雑になってしまう。そんな中で成功をおさめようとすれば、たとえ天才でっても他人と手を組まざるを得ない。
・使って楽しいものにするというのが素晴らしい発想に聞こえます。
次のジョッブスの発言
「アップル社は、決して消費者を見くびったりしません。消費者は上質な製品を欲するものだし、そのために正当な対価を払うつもりでいると信じてきました。値段が100ドル安くするために、ずっと性能の劣った機種をつくるよりも、消費者が欲しがり、しかも何年でも使えるようなものを提供するというアップル社の哲学が、消費者に「きちんと理解していただけるだろうと、信じてきました」

2010年4月8日木曜日

iポッドはハーフだった①


おはようございます。昨日は雨のやんだ時を見計らって、床屋と図書館と「きらっとシニア瓦版」の配布にいってきました。通りは桜雲が両側から覆うようにたなびいていました。
3時頃なので南北の通りよりも、東西の道沿いのほうが明るく様子でした。今年は桜が長持ちしています。

The Apple Wayジョッブスはなぜ天才集団を作れたか・より:
「iポッド」は日本的な製品だった。アップル社の創業者の一人スティーヴ・ジョッブスは自分のビルの反対側にあるソニーのオフィスにするりと入っていっては、ソニー製の美しいデザインを五感で吸収
していた。その頃アップル社は一貫性などかけらもない企業だった。ジョッブスはソニーの製品に対する姿勢をかりることにした。そうしてこれにドイツ流のデザイン精神を少々あわせて新しいタイプのコ
ンピューター会社を作ろうと考えたのだ。
四半世紀後、iポッド」は東芝製の2.5インチという超小型ディスクドライブを搭載させた。
この根っ子は日本とドイツの電子製品にあることは明らかだった。レバーやノブスライドする棒といった操作用のパーツがほとんどない。家電ショップでこんな製品はソニーのコーナーやブラウン社のカ
タログにおさまっていても誰も違和感も覚えなかったことだう。
日本勢はひとたび斬新な新製品が発売されると、それより少しだけ質が良く、少しだけ価格もやすく、少しだけ性能も多様な製品を作り、それでもって市場を支配してしまうのだ。つまり「iポッド」でウ
オークマンのようなものは全世界で3億台も出回っていて、とても新製品がヒットする余地などないと予想されていた。しかもウオークマンの類似品なら50ドルに対して「iポッド」は400ドルだった。
競争の激しい市場に殴り込みをかけたジョッブスは日本流の製品戦略をとった。この賭けは、想像以上の当たりだった。
「あなたのポケットに収まる、デジタル音楽の宇宙」はなんと1000曲も録音でき、ダビングする時間も」ほんのちょっと。円形のつまみをまわすだけで機能が選べ、曲名やアーチストなどから音楽が選
べる、とにかく欠点のない使いやすさだった。

2010年4月7日水曜日

やっぱり便座は:


おはようございます。温水便座のないホテルには泊れません。公民館などの公共施設もこうなればと思います。
ナゴヤ全書:中日新聞社:「この国のみそ」取材班編著:(名古屋は最低1月位は住んでみたい所です)
温水洗浄便座
INAXは国内で年間約百万台売る同社も、海外ではまだ7000台、欧米人は便がボロボロで紙でふけば十分だから苦戦している。
マイコン制御と水を使うトイレの取り合わせに、漏電を心配する人もいるらしいが、米国行脚で井戸田(最初にお開発したINAXの社員)が受けたのは「おせっかい機能」「赤面する」といった反応。 文化的な違和感も大きいそうだ。例えば2002年10月8日の米ニューヨーク・タイムズ紙の記事。洗浄のみならず、乾燥、便座の温度調整、ふたの自動開閉、果ては健康チェック機能まで・・・」“最先端”ぶりをからかい「(日本は)新奇な仕掛けへの中毒で有名な国だが、症状はついに便所にまで及んだ」と。「そのハイテクかつ、清潔へのこだわりぶりが、外国人には『これぞ日本的』と映るようです」だが必ずしも否定的ではないと感じた。
愛知県国際交流の米国人男性も「慣れたら気持ちがいい、今では、ないときれいになった気がしない」と惚れ込むほどだし、来日したスポーツ選手や芸能人からの注文があるそうです。

2010年4月5日月曜日

ゴミ袋


おはようございます。
ゴミの分別には大変気をつかいますね。しかし23区とか、武蔵野市はそれほどうるさくない。しかし西東京市は面倒で、ゴミ袋が高い(高いが故にゴミを減量しようという努力がなされている)ために効果があるという。箱を壊して
もホチキスの針まで除去して捨てる人もいるし、人によって扱いがずいぶん違いますね。プラスチックは潰して、形状記憶製品のように元にもどり、嵩張るので、空気を捨てているようだという批判があって、プラスチック用のゴミ袋
は値下げの予定だそうです。

★ゴミ収集袋二なぜ炭酸カルシウム?
東京都はゴミの袋を、炭酸カルウシウム入りの半透明のものに指定し、それまでの黒いごみ袋は収集しないと発表し,PR不足で【袋が高い、売っていない】などの声も聞かれました。
半透明した背景には2つの理由がありました。
一つは半透明にすることで、燃えるゴミと燃えないゴミを分別して出す率が高まるという期待です。半透明のゴミ袋で収集した仙台市ではビン、缶のリサイクルが25%あがったというデーターがありました。
2つ目は黒い袋ではその中身がわからないので、ガラスの破片などでケガをする事故が年間100件ほどあったからです。
炭酸カルシウムをいれたのはポリエチレンは焼却炉で燃えるときに液状化してしまい、他のゴミから分離して単独で燃焼してしまいます。焼却炉を痛めてしまうため、ゴミを分別する必要があったので、炭酸カルシウムを入れることによ
って、ポリエチレンだけの場合と比べ燃焼温度を低く抑えることができ、炉を痛めなくともよいのです。
半透明ならば、スーパーやコンビニの袋でもよいが、炭酸カルシウム入りを推薦するなどの修正が行われた。
思わぬ副産物は、それまで黒くて目立たないをいいことにこの黒い袋のために目立たなかった烏が、目立つようになったので袋をつっつきにくくなったということだそうです。

旅への思いやまず



おはようございます。松尾芭蕉も止むにやまれず旅にでています。ジョン・F・ケネディの母上も83歳になってもやはり旅への思いは衰えていなかった。家内の義母も、自分でプランをたて、隠岐の島への旅行、とうとうスリランカに住みたいということまでいったが、娘達が葬儀にでられないからという猛反対にあって断念した。とても面白い義母でした。

旅と生涯学習:前田正之;文芸社より

旅を楽しみ旅に学ぶ
人は何かを求めぢこかへ動く、それを旅とするならば、
知らない地方の風光を目でみつめ、
〃            の言葉を耳で聞き
〃            の味覚を口で味わう
秘められた出会いがある、旅の緊迫感や旅の証を表現することの微妙だに加え、どの旅行の価値を左右することが多い。宿泊した日付を旅館からサインをいただくことが最良の記録と思った。旅の思い出は貴重であるが、
月日が経過すると、いつのまに忘却の彼方へ。大切な子どもさんや可愛いお孫さんたちへの読み書きの啓蒙にでもなればと幸いであるとかいています。

ジョン・F・ケネディの母上(当時83歳)は記者団に語った。「私が今思っていることは2つあります。次男のジョンが43歳で大統領に選ばれましたが、任期半ば・就任2年10月後にダラスで倒れました。それから5年後ロ
バートは兄の意思をついで大統領選挙を有利に戦っていた時、ロスアンジェルスで暴漢に襲われました。5年間に幸せの絶頂から、不幸の谷底に突き落とされました。世の多くの方から呪われた一家だとささやかれ、私は
それにも堪え忍んできました。もう一人のエドワードはもう絶対に候補には致しません。これがまず一つの思いです。もう一つは今私は旅に出たいのです」
話が短絡すぎるので記者から質問があり、答えは「人生の喜怒哀楽の急変ない対する琴の難しさとおぼつかなさを悟りました。このような時旅に出て、自分の生活環境を外部から変えて、客観的に見つめることも一つの方法
ではないでしょうか?私は83歳の今日まで生きてきましたが、まだ世間様に対して知らないことが多くございます。旅には秘められた出会いや学ぶべきことが沢山あります。それ故に私は今旅に出てもっと勉強したいので
す」。
これを聞いた記者は黙して語らずでしたが、これは感動を覚えたからでした。

2010年4月4日日曜日

桜に代わる花


おはようございます。花より団子というが、コンビニで花見の途中でトイレを借りたら、お昼頃でもう売り切れだった。聖跡さくらが丘方面にいったが、ゴルフ場はどこで桜が見事、桜が丘カントリーや米軍のゴルフ場は実に見事
土や日曜日でなければ、ゆっくり見物出来るでしょう。以前西熱海ゴルフ場でそういう経験をしたことがありました。
★叔母が入所している施設で年に一度は外出がある。自室の窓や食道にいく廊下の窓からもガラス越しに園内にある桜や民家の庭先の桜もみえます。この一度の外出は野川という国立市・国分寺市・三鷹市・調布市を流れ、最終は多摩川
にたどり着く。この川縁は桜並木になっていて、車でも10分ほどのところにあるところまでお弁当をもって、外気の風が流れるところの桜見物に連れていってくれるとのこと。多忙な介護施設はボランティアの手助けもあって実施され
ているのでしょう。


こぼれ種:青木玉(幸田露伴の娘・文さんの子供)
★花を追う
晩年、体が弱くなって冬籠もりから抜けきれない母に、何度かお花見をさせたことがある。大した風邪ではないものの、やっと床の上に起きられる迄に回復した母を、外気に当てるのは心配で堪らない。ここでやり損なえば、一年を不調
つづきにすることもある。たった昼の十時から3時間ほどと一年とではつりかえにならないが、花の眺めは値千金、千金を取るか一年の健康かは悩みの種だ。
「ああ咲いたね」とテレビの桜をみている母に来年の花はあるのだろうかと思うと、いてもたってもいられなくなる。明日は気温も上がり花も満開、という天気予報を確かめて、車の手配、毛布、丹前、飲み物、お八ツ、いつもながら慌
ただしい仕度をする。それでも出先にたって雲行きが悪くなり風もでればあきらめが肝心。
行きたい所へ出にくくなった母は、植木屋」さんに頼んで、自分の背丈ほどのカイドウを部屋の前に一度に四本植えた。木振りは悪いが、桜より一ト足遅れて咲く花は、花首がながく俯いて可愛らしく揺れる姿がいいという。咲くより早
く蕾が点々と紅くふくらみ、木が植えられているあたりが、ぼーっと華やかにあからんでゆく様子を、部屋の中から終日満足そうに眺めていた。春を駆け抜けてゆく桜のまざましさから海棠のゆるやかな明るい色のお花見になってい
った。

2010年4月3日土曜日

旅と電子レンジ


おはようございます。昨日は東京駅の八重洲北口にある第二鉄鋼ビルの地下にある「旅の図書館」※03・3214-6051に行ってきました。障害者や・高齢者の旅行についての資料や東海道五十三次を調べるためでした。
例えば視覚障害者の方が一人でも外国への旅ができるということがわかりました。障害者や高齢者でも誰でも旅行してみたいという気持ちは変わりません。そんな無理なことをを思いつつも調べてみると、希望を
捨てない限り、実現できる方法があり、それを実現しようという努力がとても素晴らしいということがよくわかりました。今まとめている最中です。

身近なモノ100不思議:左巻健男著より
★電子レンジの仕組み:
電子レンジが歴史に登場したのは約三十年前、今ではこの普及率は約9割になっている。
電子レンジは、電波的に密閉された箱の中で、非常に高い周波数(2450メガヘルツ)の強力な電波をマグネトロンという発振器から発生させて食品に照射します。ちなみにFMラジオは約800、携帯電話は1000メガヘルツ程度
です。水の分子は、分子の中にプラスとマイナスの極をもっています。この強力な電波がプラスマイ/ナスに変化するたびに、水の分子はひっくり返ったりはげしくふるえたりします。分子がはげしく動くということは、温度が高くなる
ということなのです。この高い周波数の電波は水の分子だけに作用するのではありませんが、水がもっとも影響を受けるのです。たとえば食器などにも影響しますが、桁ちがいに小さいのです。
電子レンジが登場する前は、加熱は食品の外側から熱してじわりじわりと中心まで熱を伝える方式でしたが、電子レンジによって食品中の水に直接加熱をはたらきかける新しい方式があらわれた。

旅の図書館:http://www.jtb.or.jp/library/
無敵のバリアフリー旅行術(例:告知後の旅)
障害者の地球旅行術、(例:犬と歩いたフランス、ひとり旅のスコットランド、電動車いすでナイアガラへの旅)
親孝行のお値段(高齢者の親と出かける旅マニュアル)

2010年4月2日金曜日

ようやく桜満開



おはようございます。まだ春の本格的な暖かさにはなっていないので、おそるおそる花を見ている感じです。垣根のベニカナメは紅い新芽がとても元気です。玄関先にある奈良・長谷寺から送った牡丹の花芽もでて
いて今年も楽しみです。弓の仲間は東海道53次を旅行している人の話では、箱根では雪だったが、静岡の三島神社で3/22に大島桜が満開だったそうです。

こぼれ種:青木玉(幸田露伴の娘・文さんの子供)
★染井吉野は全盛だ。
色は上品な桜色で、葉はあとからで花の色を邪魔しない。この親木は大島桜と江戸彼岸桜である。ところがその並木があるかといえばこれはない。「あれは台木に使うもので、庭にわざわざ植える方は滅多にありませんね」大島桜のよさ
は第一実付きがよく、その種を播けば発芽率はたかい。いい苗に育ち病気に強く成長がはやい。実がよくできるということは、バライエティーに富んだ種が生まれる可能性が高い。染井吉野もこのところ人気のある早咲きの河津桜も、も
とはといえば片親は大島桜だそうです。
交配を手がける園芸家は、なんとして珍しい組み合わせの結実でやっきとなる。はじめて花をみるまでに随分時間がかかる。それが親を凌ぐいい花を咲かせるのは千に一つあるだろうか、親より見劣りするのだって生まれてくるだろう。
大島桜は白い目鼻立ちのぱっちりした花に若緑なのに、この白い花と緑の葉はの組み合わせは、どうしてか好まれない。桜のことは八王子市の浅川の森林科学園にあるそうです。いっそのこと、伊豆の大島
に並木もあるし、十分日帰りができる。

2010年4月1日木曜日

当たり前の不思議


おはようございます。ゆったりと桜がみられる喫茶店やレストランが意外にないものですね。
身近なもので「これどうして?」というものがありますが、ほとんどは見逃してしまって当たり前と思っているものが多い。ホッチキスの針は100円ショプのものは
押して、すぐ潰れて用をなさない理由も分かりました。
身近なモノ100不思議:左巻健男著

★ホッチキスの針:

紙を貫通するときは曲がることなく、そして貫通後は先端を楽に曲げられる。この相反する性質を必要とするのがホッチキスの針です。(ホッチキスは商品名で、正式にはステープラーというそうです)
書類だけでなく、建築用はもちろん、医療用として、骨をつなぐことにまで利用されているそうです。
原材料は軟鋼製の線材なのだそうです。直径0.42粍までのばし、平たい形にして一定
の長さでカットします。それをコの字に曲げて一本の針がつくられます。この針を50本ないし100本まとめ、即乾性の接着材で軽くかため、さらに今度は遅乾性の塩化ビニル系接着材で固めて完成です。
JISで先端の刃の形は決められていて、両刃になっていて、この先の出来具合が紙への貫通力や貫通後に曲げ台の溝にそって曲がる際のスムーズさを左右しているそうです。JIS規格でないもので尖っ
ていものは紙への貫通力はきわめて低くなるそうです。
大正時代から国産が開始されているそうです。