2008年3月30日日曜日

桜その2近所





27日上野駅で新幹線を降りた。エスカレーターの両側は角館・弘前のポスターです。東北の桜をネットでみると800もあります。近畿・中部・関東におとらず春を待ち焦がれていて、桜で一気に膨れ上がるようです。
みなさんの近くでもかなり見ごたえがあり、今年はどこへいっても公園にしても、民家の庭先にしても素晴らしいところばかりです。下記のカトリックのイエズズ会の庭先に5本の桜があってこんな見事な桜をゆったり静かな気持ちで浸ることができます。

今年の桜は写真写りがとてもよい出来栄えで腕がなくとも綺麗におさまっています。

練馬区上石神井4-32上智大学神学部・イエズズ会(西武新宿線の北で武蔵関駅と上石神井駅の中間です)

2008年3月29日土曜日



おはようございます。昨日は九段下の九段会館で皇居の大堀の桜見物でした。6時まで千鳥ガ淵からライトアップされるということで、大勢の人がきていました。
私は5時にいったので、屋上までいったのですが肌さむく、1階の喫茶店に大勢いるのもなるほどでした。フロントにきいて新館の1階なら6時までの1時間なら
桜の見える席をあけますとのことで頼みました。なにがしかの食事をしてくださいとのことですから、軽いのでは渡り蟹のスパゲッティを頼みました。
他の10組くらいの人もそのようでしたが、ガラス越の桜で大分遠い桜なので、花より団子で、食事が目の前にくると、皆花より食事に集中していました。
結局隣の昭和館からガラス越しでない匂うような桜でひとつの花びらも散らないのをみて満足しました。

添付の桜は岐阜の桜で何百年もたった「薄墨桜」です。桜は見るものではなく、祈るものだと
書いてあり、なるほど厳かなただづまいでした。

2008年3月28日金曜日

庄内雛街道



http://www.spoonnet.jp/

ゆったりした街


25日は現地をみて千鳥が淵の桜は4.5日後が見ごろかなとおもいましたが、それよりも足早に咲いています。山形県から帰京してみるとコートを着ているのは熱い位です。
田舎はシニアにとって、とても住みやすい環境にあります。家内の実家筋の93歳のおばあちゃんは週2日通っているディサービスは職員も知り合いがいますし、一緒にのるバスにもご近所もいれば、親戚もいれば、自分の知り合い、子供の知り合い、コーラスの知り合いなどで繋がるので、自分だけではないという安心や深夜でも近所のお医者に往診を頼んでもきてくれる。緊急入院でも市立病院は断られることもないという具合です。
みんなゆったり暮らしていました。

写真は「いずめこ」といって山形県荘内地方の農家で子育てする道具で、田圃まで子供をつれてゆき、このわらで編んだ入れ物に赤ちゃんをいれておくものです。

2008年3月20日木曜日

面白い都市空間③

<面白い都市空間の発見③>

H:近代に鉄道ができたとき、駅の場所は街のはずれに追いやられたけど、追いやられたはずの駅周辺が賑わって、そこが中心地となって行きました。ところが、都心を迂回する道路ができ、バイパスに商業地が張り付くと、駅前のポテンシャルが下がって、中心市街地は空洞化していきました。あるエリアが繁栄したとしても、次の時代には違う場所が輝く、そして、かつて賑やかだったところが、何年か後に手を入れることで、新たな意味が付加されて、また活気を取り戻す。それが都市の新陳代謝であり、都市のダイナニズムだと私は思います。
駅は人が移動する場所ではなく、滞留する場所に変わったのが上野駅であり、東京都だと思います。(新幹線でそうではなくなっていますが、それ以前の話のようです)
大阪は民鉄が早くから複合化を試みていますが、上野駅見たいな画期的デドラスティックなものはありませんね。
S:京都駅はすごいですね。
H:名古屋や札幌では駅の付属物として商業施設やホテルが併設されていますが、京都駅は改札口がホテルのロビー風だったりして、どこまでが駅か定かではない。ホテル、デパート、レストラン、劇場などの空間が融合している。京都駅ほど奇妙駅はありません。「駅」を超えた新しいビルディングタイプでしょう。
FOREという雑誌で、大手不動産会社が作っている協会の季刊誌のNO32:集客とにぎわいの対談から
S:鈴木伸子:「東京人」副編集長

H:橋爪紳也橋爪 紳也(はしづめ しんや、1960年12月6日-)は、日本の建築史家。元大阪市立大学教授。建築史・都市文化論専攻。工学博士大阪大学、1990年)。大阪市中央区島之内生まれ。兄は美術史家の橋爪節也。社団法人現代風俗研究会会員。イベント学会副会長。

2008年3月17日月曜日

面白い都市空間②


<面白い都市空間の発見②>
街づくりには完成という概念はない
造園学者の人たちと話すをすると、「建築、土木を専門にする人たちは間違っている」といいまあす。
どうしてそう言うかといいますと、建築・土木の人たちは「竣工」という言葉を使うが、造園の世界にいる人たちの世界にいる人たちの世界には竣工という言葉がないという
のですね。木はどんどん伸び、石は風雨で削られ、時間の経過とともに、変わってゆく。造園の世界では、完成ということはない。常時その時々の最善の姿が維持されていくのが造園だと思います。建築家は竣工時が一番よくて、どんどん劣化していくという前提にたっているよだけど、街はそうではない。街の完成とか竣工という概念を変えていくべきと私は思うのです。完成された街はありえない。

FOREという雑誌で、大手不動産会社が作っている協会の季刊誌のNO32:集客とにぎわいの対談から
H:橋爪紳也橋爪 紳也(はしづめ しんや、1960年12月6日-)は、日本の建築史家。元大阪市立大学教授。建築史・都市文化論専攻。工学博士大阪大学、1990年)。大阪市中央区島之内生まれ。兄は美術史家の橋爪節也。社団法人現代風俗研究会会員。イベント学会副会長。


話は変わりますが、隈研吾建築都市設計事務所いわく小堀遠州にしても造園がさ先でこれと調和のとれたものを建築するという考えが昔から日本にあったという説明をされています。慶応大学→創立150周年記念講演の07/9/9に入ると、ビデオで講演が聴けます。作品もとても素晴らしい・斬新ですが和む作品ばかりです。

2008年3月16日日曜日

<面白い都市空間の発見①>


<面白い都市空間の発見①>
S:あの一帯はラスベガスをお手本につくったということを聞いたことがありますが。
H:いい意味で、あり得ないアミューズメントの組み合わせが実現していると思いますよ。場外馬券売り場が、あり、格闘技のメッカがあり、
球場があり、女性をターゲットにした天然温泉(2000円ですが優雅な雰囲気)があり、真ん中に穴があいている観覧車(どういうのでしょう?)、ホテルがありという組み合わせのアミューズメントは欧米にもないのでは、日本で唯一なら世界で唯一ということになります。ありとあらゆる人がそこで遊べる仕掛けを作っているのですよ。
ラスベガスがギャンブル中心の大人の街から、子供や女性も遊べるエンターテイメントをつけ加えてファミリータイプの街に変えていったプロセスと似ているといえば似ていますね。競馬のある日はお父さんが、温泉にはOLや若者がきて、阪神巨人戦(この人は大阪市の人)には、阪神ファンも来る、休日も平日もフルタイムで賑わっています。
東京ドームがある後楽園のことです。
FOREという雑誌で、大手不動産会社が作っている協会の季刊誌のNO32:集客とにぎわいの対談から
S:鈴木伸子:「東京人」副編集長

橋爪紳也橋爪 紳也(はしづめ しんや、1960年12月6日-)は、日本の建築史家。元大阪市立大学教授。建築史・都市文化論専攻。工学博士大阪大学、1990年)。大阪市中央区島之内生まれ。兄は美術史家の橋爪節也。社団法人現代風俗研究会会員。イベント学会副会長。

2008年3月14日金曜日

こどもクラブ


ボランティア協会主催ボランティアの交流会が2008.3.8にあった。              
すぎっ子という30年以上もの歴史を持つ、会員50名をようし、キャンプなどの野外活動のグループでひところはYMCAの理解と協力もあって6歳児未満から中学生、若いリーダーとして高校生、とともに歩む。最近は神津島での活動では、赤イカという大型で新鮮な刺身は、大人の協力者には廻ってこないほどの食欲だった。それがおわれば、まさに初体験である10Mの高さの岩場から海に飛びこむ、なかなか思い切ることができず、大人たちが見守る中、勇気を奮って一人が飛び込むと、それにつられて次次に飛び込む経験をする。家に帰りドアを開ける瞬間に、子供の自信をもった顔つきに変貌している。開口一番「おかあさん、僕ね10m(4階の床から)以上もあるところから海に飛び込んだよ。足首に海水の反動がバチャーンと言う飛沫がすごかった。カレー2回もお代わりしたよ。来年も必ず行くよ。」というそうです。このクラブには親は一切入会できない。親がいないので、のびのびといろいろ挑戦できる機会が増える。親がいると、自分の子供優先、であるが、安全優先で冒険にはならない。親がいなところで、思わぬ挑戦を果たしたので、嬉しくてしょうがない。山登りでは女子の方が持久力があって元気で、瞬発力を必要とする運動は男子に軍配があがる。(その分協力者の安全上の配慮は大変だそうですが、かれらの笑顔がとてもうれしいとのこと)
野外授業だけでなでなく、亜細亜大学の藤井先生はゲームとしての人生行路を教える手段では、最初は鉛筆一本の資本をもとに、藁しベ長者から資本を蓄えてのし上がるものもいる。金券を与え、事業や商売をやらせ、失敗では値段を下げ、成功や性能がよければ高く売れる。それが子供同士でのやり取りで模擬演により、経験するし、逆戻りして、最初から事業開始を始めるものもいる。これも楽しそうだ。保育所で6歳未満の児童にナイフを持たせ、鉛筆削りをやらせるが、両手が緊張して握りしめているので、刃物で鉛筆を削るどころではない。指が鉛筆を硬く握っているので削れないそうです。
写真はミモザの花

2008年3月12日水曜日

マルコムxはいう。


原爆投下の前、----海をへだてたこちらのアメリカ合衆国では帰化し、あるいはアメリカで生まれた忠誠なる日系アメリカ市民10万人が、収容所の有刺鉄線のなかに借り集められたが、これはどういうことなのか?それにひきかえ、ドイツ生まれの帰化アメリカ人で、鉄条網のなかに集められた者が何人いただろう?彼らは白かったからだ!マルコムX自伝335p。

もしヒトラーがその意図していた通り世界を征服していたら-------こう考えると、今日生きているユダヤ人はだれしも、身の毛がよだつような思いがするのだ。ユダヤ人はけしてこの教訓をわすれない。彼らの諜報機関は、あらゆるネオナチ組織を監視している。大戦直後、ユダヤの「ハガナ」(ユダヤの穏健派社会主義の自衛武装機関。防衛の意)の調停団が長年にわたる英国との交渉を促進させたが、当時「シュテルン」(ユダヤの左派の自衛武装機関)は英国人に銃火を浴びせていた。そのため、英国人はユダヤ人がパレスチナを正当な所有者たるアラブ人の手から奪い取るのを黙認し、これを助ける結果となり、かくてユダヤ人は自身の国イスラエルを樹立したのだ。
マルコムX自伝346p。

アメリカ黒人が尊敬されるためには、ほかに道がない。白人が黒人に与えようとして与えられないものが一つだけある。それは自尊心だ!黒人は、ほかの人々の持っているものを持ち、ほかの人びとと同じように自らの手で行ってはじめて、独立もでき、またほかの人間と真に平等な人間として認められるようになるのだ。

イエスはイスラム教では、もっとも重要な3人の預言者の一人とされていて、あとの2人がモハメドとモーゼなのである。エルサルムには預言者イエスを祀ったイスラム教聖堂があるくらいだ。されにいえばキリスト教はキリストも教えたことを行っていないというのがわれわれの信念だと説明した。そしてかならずビリィ・グレアム(米国の福音伝道者。信仰復興運動組織の指導をした。)の事例を引き合いにだした。アフリカで反論された彼でさえ、自分のことをはっきり区別して、「私の信じているのはキリストであって、キリスト教ではない」といっているのだ。マルコムX自伝356p

2008年3月11日火曜日

コンセントの穴


昨日に続いてVEです。
コンセントの穴をマジマジと見た人って多いのでしょうか。
よく見ると、2つの穴の大きさが違うではありませんか。これは、きっと何か機能があるに違いない。私はそう思い調べました。
左側の長いほうが「コールド」で、右側の短いほうが「ホット」と呼ばれており《極性を示す》機能があります。「ホット」側から電圧がかかり、「コールド」側に電圧を逃がしています。そのため、「コールド」は「アース」あるいは「グランド」とも言われています。
オーディオに詳しい人は、この違いをご存知の方が多いようで、電源コードの極性とコンセントの極性に合わせれば音質がよくなるのだそうです。そのため、電源コードの方にも《極性を示す》機能として、片側だけに線がついています(線がある側をコールドに挿す)。
ところが問題なのは、電気工事の人がこの機能を知らないことです。結構、多いのだそうです。配線を逆に接続してしまうことで、《極性を示す》機能がまったく達成されなくなってしまいます。
結局、消費者は「検電ドライバー」という商品を買って、《極性を示す》機能を手に入れるしかないようです。 せっかくのコンセントの機能が活用されていない例です
白ヤギさんから:補足説明をいただきました。
白やぎさん:この穴の違いも知らなかったのです。たいしたオーディオをもっていなかった。 極性?、検電ドライバーの役割?、この穴が逆になったらどういう影響がでますか?
2008年03月12日 09:19
電気も音も波です。綺麗な音の波(いい音)を得るためには、元になる電気の波を綺麗にする必要が有ります。 一番簡単なのは、プラスからマイナスに流れが決まっている直流を使えばいいのですが、高電圧高電流の直流を得るために専用の整流器が必要になってしまいます。 結果、交流電気の製品しかないので、少しでも綺麗な交流を得るため極性を揃える事から始めます。つまり交流は1秒間に50回(50ヘルツ、東日本の場合)プラスマイナスの流れ(極性)が入れ替わるので、電柱のアース側と電気製品のアース側の流れを統一する必要が出てきます。 それを調べるのが検電ドライバーです。 もし途中に極性が反対の部分があれば電流が乱れ、汚い電気が来てしまいます。でも普通の電気製品は、極性が変わっても問題は有りませんし、テレビのように常時画面が変化しても人間の目には残像が有るので気がつきません。 でもオーディオの様に、最初にいかにいい音を出すか集中して聞き比べをすると、綺麗な電気とそうでない場合の違いが出てしまいます。そこでせめて極性を整える事になります。なにしろ、アンプからスピーカーまでのコードの長さでも音が変わりますから(もちろん線の材質差はかなりです) 同じバイオリンを弾いても、巧い人の綺麗な音で音楽を楽しみたいので す。

2008年3月10日月曜日

巷のVE(問題解決の方法)

問題を解決する方法を探していたら下記のブログに出会いました。
行政の 問題にもVEは利用されていると書いてありました。これは親しみやすくするための例のようです。

ペットボトルのラベル
よく見るペットボトルですが、ラベルに注目してください。ラベルは、《注意をひく》機能や《商品情報を伝える》機能があります。そして、このラベルはペットボトルの上部ぎりぎりまで覆うようになっています。これは恐らく、《紫外線を遮る》機能があるのでしょう。そして、形状に合わせて密着していますね。なるほど、熱を加えて収縮するフィルムの《形を変える》機能を使っているのだな、とここまでは理解しました。
ところが、一番上にある社名のところで、気になるところがありました。そう、「伊藤園」と書いてあるところです。この部分は、ボトル形状が大きく変化している部分です。フィルムはそれに合わせて上部と下部で収縮の度合いが違うはずです。しかし、この文字は少しも歪んでいません。
収縮した後で正しい文字になるように、あらかじめ文字をゆがませて置いたようです。よく考えていますね。《社名を知らせる》機能や《ロゴを示す》機能を確実に達成していますね。さすがですね。

http://www.kamuna.jp/

2008年3月7日金曜日

舞台にたつ夢をかなえる

世の中広いとつくづく感じたのです。
幼稚園・小中高校の文化祭のメインイベントといえば演劇だろうと思います。
この主役にならなくとも一度何らかの役ででて、人前で話すこともできなかった人が目覚めて
演ずることも面白さに気がついて、結局はそういう世界に飛び込んだりしています。
小生の叔父が事実そうでした。そういう世界に飛び込まないまでも、歌にしても喉自慢にでたり、人前で演じたり、歌ったりしたい人がいる。
京都の舞妓さんの衣装を着てそういう華やかな姿をしてみたい人向けの観光の企画も憧れを実現させるのですから、そういう流れかもしれません。
全国に芝居小屋があって閉鎖に追い込まれているが、熊本県の八千代座(熊本県山鹿市で熊本市から車で30分の温泉街)、坂東玉三郎
を招へいして、歌舞伎などを挙行し成功しているそうです。夢はニュヨークではないが常設の芝居小屋にしたい。桟敷の芝居小屋を復活をさせたのは
秋田県にもあるそうです。
これを一般の人も参加できる芝居小屋にしたいというのです。先に申し上げた人前で演じてみたいという潜在需要
はかならずあるという信念の人にあったのです。日本芸術振興事業団の安永さんというひとが、考えているのですが、この事業団や友人・知人
には脚本・演出家・地元の演劇愛好家・旅行社の人もいるのでそれらの人を巻き込んで、潜在需要で寝ている人が出演できる場を作る。
例えば3日の旅行ツアーのプログラムに簡単な出演できる脚本もつくれるので心配ないしとする夢追い人なのです。
芝居小屋の八千代座は市で運営しているそうですが、ここに知人がいてその話をしたら、企画書にまとめて持ってきてほしいといわれ、どうまとめたものか
NPOの立ち上げ方の講座で、話し合ってみたいことで、我々の議題にのせてきたのです。ゆくゆくはそういう場ができれば、カラオケ道場ではないが、
芝居道場が消えゆく芝居小屋を利用して、観光資源になれば、地元の雇用の場(グッズ。演劇のビデオ、お土産、)が創出されるといいなというアイディア
なのです。団塊の世代の人の中にも演劇好きがいて、劇団員になってみたい応援団もいるはずという前向きな姿勢です。さいたま市で市民劇団員を
プロの演出家が指導して、半年の稽古をしたうえで公演するという企画に、大勢の希望者があって選ぶのに、苦労している放送をみたことがありました。
やっぱり演劇好きで、舞台にたってみたいという人がいることは確かだなとことを思い出しました。
前向きな情熱ある姿勢とお金と時間系列の計画で目に見える絵がポスターができるまで考えなさいそうすれば必ず実現できるということを、岩手市のNPOの高井さんが
力説していました。事実いろんな案件を成功させているのです。夢をいっぱい書きなさい、次に3回書き直してください。優先順位を決めてください。必ず実行できるプラン
を作りなさい。実行しなさい。失敗したら修正しなさい。それを繰り返していけば成功するのだと高井さんはいうのでした。イエローポスト

2008年3月6日木曜日

家畜動物福祉ということ

家畜の健康と福祉;日本獣医生命科学大の松木洋一教授の退任講演
我々の常識からかけ離れているので、理解しにくい授業であった。
動物福祉というのがヨーロッパでは1960年代から虐待された家畜の飼育は、いまやEUでは動物福祉団体のみならず、消費者市民や食品企業の支持によって改善ないし、禁止の方向に置かれている。
ブロイラーを例にとると、狭い身動きもとれない籠にいれられて、食べることだけが仕事で、急激に太らせるから、しかも運動もしないので、足の骨がおれた鶏は毎日捨てられるという。嘴もストレスで喧嘩しないように切られている。これで健康な美味しいブロイラーができるのではなく、不健康だから抗生物質などを投与したりする(他は繁殖母豚は子豚に乳を与えるために横座りで、たちあがれない檻内での飼育)。
畜産は作るのではなく、神経細胞のある動物には苦痛を与えないで、ノビノビ育てる必要があり、工業と違い、また作るのではなく、生命を頂いているという考えをしなければならない。
それが動物福祉という概念だそうです。英国では狭い籠で飼う鶏は2004年に禁止されている。英国ではBSE問題で178457頭の牛を殺害している。
家畜といえどもストレスを感じる生命の存在だ、ストレスによって周囲の病原菌にたいする免疫力が減退する。ユネスコにおいても動物福祉宣言に1989年に行っている。
EUではこのような動物福祉の概念で育てる農家には政府が直接奨励金をしはらっている。EUでは卵1個あたり、3.2円支払っている。
農家側から見れば、従来の114%(14%か114%の内容確認は必要)の奨励金をうけとっていることになる。それでも消費者は買うと答えているそうです。
こういう健全に育てた鶏、豚、牛に品質表示のレッテルを貼ったものをEUは2年後に日本でも発売する。これは日本の農家にも大きな影響を与えるのは確実だ。
報道関係はやっとこれらについて朝日が報道しただけである。こういうことをどういう風に進めていくか食品安全経済学という方法に基づいて、日本のスタンダードの作成をやっと始めた位でEUとくらべ相当に遅れている。(食品業界が相当な反対しているそうで、労働厚生省も及び腰だそうです。)
豚の祖先は猪ですから本来は活発に動く動物で、清潔ずきで、富士山麓でノビノビ飼育している豚は犬のようになついてくる可愛い動物だそうです。
食べるのに、動物福祉というのも矛盾する考え方ではあるが、命を頂く上で、できるだけ命を尊重し、命を奪うにあたり、事前に不安を感じさせないようにしたり、動物を運搬するのでも例えばサラブレッドを運ぶ丁寧に類することをやるという決心は仏国の場合は2010年に実行するということです。
日本人がこれを聞いて「何のこっちゃ」というに違いないが、EUは真剣に考え実行段階に入っていて、中国にもそういう注文をつけて輸入してるという。
(工業製品を輸出する環境を整えて、農家の生きる世界が狭くなっている。そこで食物自給率40%を切っている状態になっている。由々しきことと言わねばならない。)
これに理解のあるレストランは「ビックリドンキ-」だそうです。(実際にどういうことをやっているかは聞き洩らした)
21世紀の畜産改革~家畜福祉畜産論~は松木洋一教授(退任):畜産の研究 第62号第一号(2008年)

2008年3月5日水曜日

9.11の爆発の空がきれいにみえる?

ジストロフィー双子兄弟の言葉:2/24pm再放送NHKこの世界に 僕たちが生きてること ~平成18年度芸術祭優秀賞~

病と闘う双子の画家・弟の死を乗りこえ兄が描くのは、110人のほほ笑みの絵。苦しみや悲しみの先にある笑顔とは ▽母の愛 どんな困難も前向きに 2年の記録。
愛知県豊田市に住む河合正嗣(まさし)さん(28歳)は、筋ジストロフィーと闘いながら「ほほ笑み」の絵を描き続けている。手が動きにくいため、特製の電動イーゼルを使い、キャンバスのほうを動かして、ゆっくり時間をかけて絵を描いていく。手伝うのは母の孝子さん。目標は110人の笑顔。「1(ひと)10(と)人(ひと)」を結んでいくのが河合さんの目標だ。家族とともに懸命に生きる河合さんの姿を伝えている。

9.11の爆発のビルの背景にある空があんなに綺麗にみえるのは自分がどうにかなっているのだろうか
ズット考えたことで分かりかけたことは、この世界が絶対なものでないこと、この一瞬一瞬に命が宿っている危うさと大事さを
教えてくれたので、美しいことを気づかされてくれた。
この世で何も不満のない完璧な事柄はあり得ない、今できることを一生懸命にやれればそのことで生き甲斐を充実させていることになる。
生きていることで、怒る、泣く、悲しい、嬉しいこれが回りの人と関係しながらドラマを作っている。これこそ生命なのだと思う。という感想を述べていました。

2008年3月3日月曜日

言葉はタイムマシーン


「人の楽しみに結婚がある。考えてみてごらん離婚もある」というような機智に富んだ諺があるが、昔の人々の間で、今日の人々と同じように語られていることを知ると、数千年前の時代の差も一挙にちじまってしまうように思われます。言葉は一瞬にして飛び込んでくるという意味で、一種のタイムマシーンだともいえるのではなかろうか。
メソポタミアの人々の詩には人間について描写しうる最も普遍的な姿を要約している。
退屈な日常生活を見つめ、そこから反転して自分の心に見入りつつ歌われた、さわやかな喜び、悲しみ、怒り、絶望、についての表現だから時代を超えて心に響くものとなった。
きょう生まれたものが今日死ぬ
束の間のうちに人間は闇に投げ込まれ、突然押しつぶされてしまう。
喜びに歌をくちずさむときはあっても
たちまち嘆き悲しむことになる
朝と夜の間に人々の気分は変わる
ひもじいときには亡骸のようになり
満腹になるとその神とも張り合い
ものごとが順調にいっているときには天にも昇るなどとしゃべる癖に
困った時は地獄に落ちそうだとわめく
まるで現代のあり様そのままですね。
ことばの力:大岡信:花神社より