2007年11月29日木曜日

"夢追い人の往く道”

写真は
ゆんフリー

大事な人との別れ:本当に伝えたいことは別れてから出てくるというようなセリフがある。googleで探した紹介文も利用しながら・・・

この映画のビング・クロスビーの歌を聞いていると本当に幸せ気分になってしまう。「人助けは心豊かににするし、幸せが近くなんだ。角をまがると標識“夢追い人の往く道”幸せはすぐそこだ。わが道を往こう」
今日は時間が随分あったので、武蔵野市図書館に立ち寄りDVDブースも運よく空いていた。何気なく手にした「わが道を往く」という1944年にアカデミー賞をとったものだった。この作品の押しつけがましくないヒューマニズムに感ずるものの無い人でも役者クロスビーの人柄に負うところ大で、クルーナー(囁くように歌う)第一人者である彼の深みのある温かな歌声は、それこそアメリカ音楽の至宝なのだが、その歌声同様に真摯な演技者としての才に全く驚嘆させられるのが本作。NY下町の教会を自ら築き45年護ってきた老神父フィッツギボンの後任を命ぜられ赴任した神父オマリーだが、老師の心情を察し、あくまでも表立たず行動しようとする。そこへ、若い彼の実践主義に違和感を持った老師は、司教にその転任を願い出て逆に真相を知らされて衝撃を受ける。一度はオマリーの奮闘で経営危機を脱した教会が焼失。オマリーは自ら結成した聖歌隊(構成員の悪ガキたちにごく自然にハーモニーの楽しさを教える場面も素敵だ)をバックに、実はかつての想い人だった(眼差しだけでそれが分かる)、今はメトロポリタン・オペラのプリマのジェニーの協力も得て、自作曲の売り込みを図り、再建の資金を得ようとする。自信作“我が道を往く”は高尚すぎる--と受けなかったが、その後、何気なく歌った“星にスウィング”(オスカー受賞曲)が買われる。その他、家出娘の歌手志望キャロルと家主の息子テッドの若い恋の応援もさらりと描かれ、オマリーの人間味をあぶり出す。そして、新しい任地へ赴く彼が老師に贈ったクリスマス・プレゼントとは…。この素晴らしいラストは他言無用。名優フィッツジェラルドの人間臭さがまた一気に吹き出る名場面だ。続編は「聖メリーの鐘」。

ジョニー・バーグ作詞、ジェームズ・ヴァン・ヒューゼン作曲による「星にスイング」やタイトル・ソング「我が道を往く」など5曲で自慢の歌声を披露。

2007年11月28日水曜日

地方自治体の情報化

写真はゆんフリー
情報化シンポジュウム・イン・西東京[役所の情報化に関して] 2007.11.27
西東京市のHPは最優秀賞を受賞したとの市長のあいさつから始まった。
<総務省の自治行政地域政策室長井上知義Z>の話
●今の日本のITのインフラは世界の最高水準にある。
●自治体のオンライン利用は図書館・公共施設の利用予約の利用率は合わせて48%
 入札は16%、港湾手続き25%、中には内容はよく分からないが、暴力団による不当な行為の防止等に関する責任者選任届が11万件0.03%の利用率というのもあった。

<市川市情報政策監・井堀幹夫氏の話>
●証明書等の交付はオンライン申請しても受取のために役所にゆく必要がある(市川市はコンビニで受け取れる)
●情報漏えい:どんなにがんばっても0にはならないが、市川市はISO取得で職員のセキュリティレベルは各段にあがった。
●民間のITのセキュリティ会社を利用するのも手だそうです。
●社会保険所へ分厚い紙データーを持参で照合チェックし、又持ち帰るのはIT時代にはお粗末で改善の余地あり。
●市川市はベッドタウンで選挙の投票率も20から30%で地方政治への関心が希薄であるが、ネットによって意見やクレームが寄せられるようになってきて有り難い。
●イギリスではパスポートも旅行代理店から受け取れるようになっている。
●市川市では市民の意見を全部ではないがパソコンで自動解析してグラフ化まで出来るソフトを利用している。
◎地域のポイント制度:ボランティア・リサイクル・市政モニター等に参加したらポイントを付与し、公共施設の利用料にも使用できるが、一番期待したいのは、そのポイントを望ましい団体に寄付することもできる。そうすることによって、なにかやるときに補助金をください→活躍する・喜ばれる団体に集まる。自ずと好ましい団体の評価ができることになる。(ハンガリーで考えられた制度で納入税金の1%をポイントにしようという。しかし老人や子供にはポイントがでないが、市川市の場合はこれにも出るポイント制度にしている)
神奈川県藤沢市は電子市民会議という自治会や静岡県掛川市生涯学習センターが小中学校に併設刷るように作ってあるそうで、時間がなくてここは聞いていない。

2007年11月27日火曜日

こころの距離

写真は「ゆんフリー」より

以前こんな話を読んだことを思い出しました。たしかアンデス山脈へ考古学の発掘調査に出かけた探検隊の話だそうです。
大きなキャラバンを組んで南アメリカの山岳地帯を旅していると、ある日、荷物を担いでいたシェルパの人々がストライキを起こします。どうしてもそこの場所を動こうとしないのです。困り果てた調査隊は給料を上げるから早く出発してくれと頼みました。日当を上げろという要求だと思ったのです。それでも彼らは耳を貸さず、全く動こうとしません。現地の言葉を話せる隊員が一体どうしたのかとシェルパの代表に尋ねると、彼はこう言ったというのです。“私達はここまで速く歩きすぎてしまい、心を置き去りにして来てしまった。心がこの場所に追いつくまで、私たちはここで待っているのです”
旅する木:星野道夫著:ガラパゴスより

2007年11月25日日曜日

フラット化する世界

写真はゆんフリーより
フラット化する世界
ロボコン(ロボットのコンテスト)は20年前から国立高専の大会をNHKがサポートしてきたが、99年からアジア53カ国の放送組織(ABU)がアジアの大学生を対象としたロボコンを開くこととになった。これは大変な仕事で、アジアは政局が不安定で、言葉や宗教の違い、通信などのインフラの未整備、それにお金がないなどのマイナス要因が沢山ある。01年9月の同時多発テロの時は中止になるかと思った。
 この時モンゴルから国内大会を開くというビッグニュースが、ありこれをネットで流すことにより、アジアの若者達が刺激されたことと、02年の東京の第一回の大会で、」ベトナムの大学が優勝するという番狂わせによって、ベトナムの学生がやれるなら自分たちもできるという挑戦する意欲が、アジアの若者達に湧いてきたと思います。東工大の森教授がいっている「ロボコンには正解がないからアイディア勝負になる」と。アイディアは強制されて出てくるものではないので任せるしかない。これがロボコンの基本精神であり、今大変評価されている。又ITの普及がロボコンを成功に導いてくれた。
 米国のトーマス・リトン氏の「フラット化する世界」によると、00年頃から世界が様変わりして、コロンブスの時代は世界が丸かったというのが発見でしたが、今や世界はフラットになり、ITのお陰で様々の障害がなくなり、いつでもどこでも最高水準の技術情報が得られるようになり、まさに独創性とアイディアの競争になりました。
これは母校の同窓会報に記念講演をしたNHKプロモーション常務取締役栗田実氏の要旨から。

以下は心の深みへ河合隼雄と柳田邦男の対談集より
●日本の大正時代の総合雑誌「日本及び日本人」が「百年後の日本」を予測していますが、学者、政治家、行政官の予測は全部はずれている。唯一当てたのが漫画家。新婚旅行は飛行機でハワイに行くようになりとか、工場の乱立で都会では公害が問題化するというものでした。何故あたったかというと,発想が奇想天外で、しかも勘が鋭かったから。
●いのちとか福祉とか医療といった現実生活に根ざした要求、ミクロではあっても、やむにやまれぬ大事な要求を起原とした小さな集団が、政治とは別の次元で実に多様な活動をして、地域社会を変えつつある。

2007年11月24日土曜日

食料自給率


写真はゆんフリー

食と農をめぐる今日的課題:食料自給率から読み解く
以上は東京大学・農学部長、農学生命科学研究科長生源寺眞一教授の東大農場公開セミナー11月23日から

農林水産省の発表によれば8年間食料自給率が40%を維持していたが、昨年度39%に低下したと発表した。
●日本人の栄養は現在摂取しているのは1900kcalであるが供給過剰で2600kclで、その分冷蔵庫を見ても、食べきれないほどにあふれている。

日本の穀物自給率は28%
1980年代半ば頃までは食生活の大きな変化が自給率低下の主要因
1980年代後半以降は農業の衰退が自給率低下の主要因
      <農業生産指数の推移>
1960-64年    1985-84年  2000-04年
総合     100        134         115
米      100         87         70
麦類     100         55         40
豆類     100         57         46
いも類    100         70         53
野菜     100         147        121
果実     100         194        150
畜産物    100         307        286   
ここに示していないが、1986年がピークだった。このときはバブルの年だった。

<1人1年当たりの供給純食料の変化>単位kg
1955年は高度成長に入った年
 1955年    2005年   2005年÷1955年
米       110.7       61.4      0.55
小麦      25.1        31.7      1.26
いも類     43.6        19.7      0.45
でんぷん    4.6         8.3      3.8
豆類      9.4         9.3      0.99
野菜      82.3        96.3      1.17
果実      12.3        43.1      3.5
肉類      3.2        28.5       8.91
鶏卵      3.7        16.6       4.49
牛乳・乳製品 12.1        91.8        7.59
魚介類    28.3        34.6        1.32
砂糖類    12.3        19.9        1.62
油脂類    2.7         14.6       5.43
●米は約半減、果実や肉・卵、乳製品類が3.5倍から8.倍強もの伸びをしめしている。
その頃育った人の実感は、梅干し弁当が幕の内弁当に、外食は年に数回程度であった。
●農地があまってきていますよ。米・芋などのカロリー生産型農業は国内消費の減少と
輸入農産物の増加とともに後退し、施設園芸(ビニールハウス)や加工型畜産・高品質の果樹が健闘した。

<品目別自給率の変化>単位%
      1960年       2005年
米     102           95
小麦    39            14
いも類   100           81
大豆    28            5
野菜    100           41
果実    100           41
鶏卵    101           94
牛乳・乳製品89           68
牛肉    96           43
豚肉    96           50

飼料   1970年38       25

 <ふたつの食料自給率のかい離>
1960年①   2000年②    
カロリー自給率      79%     40%        
生産額自給率       93%     71%        
②÷①          1.18     1.78
参考:カローリー対比で経済的価値がたかく自給率の品目はレタス、同種の輸入品にくらべ消費者の評価のたかい国内農産物で自給率は牛肉、飼料などはカローリーベースでと生産額の自給率に開きをもたらす要素がある。

●アジア農業は労賃や地代がこれまで農業の競争力を支えたが、長期でみると徐々にそうではなくなるでしょう
●中国・インドなど成長著しく・人口の多い国が食料の質のレベルを上げてきたら、影響は相当大きなものになるでしょう。
●土地余りの状態の下で、安定兼業農業や定年帰農のホビー農業とビジネスとしての農業経営は十分に両立可能
●水田農業の持続性に注意信号:水田農業は平野部でも耕作放棄地が広がり始めている。
それでも水田が持ちこたえているのは昭和一桁世代の頑張りによるが、後10年もすれば80代になるので、期待できないし無理である。集約して1農家あたりの耕作面積を広げることも大事。
●日本の農業品目の輸入は7兆円、輸出は3500億円で20対1の比率しかないが、将来アジア地区でそれぞれの国の得意な農産物に特化してゆく方向もあってしかるべき。
<稲作と酪農の経営規模の推移> 単位a.頭
       1960年     2005年
稲作   55.3           96.1
酪農   2.0           59.7
※酪農は約30倍にもなっている。

●「イネイネ・日本」日本のバイオ燃料は稲、休耕田数10万ha、このうち2万haにおいしい米でなく、収穫量の多い品種にして年間30万klのエタノールが作れる試算がある、政府のバイオマスの総合戦略は年間50万kl、東京大学がスタートさせた

2007年11月23日金曜日

崇高な顔のインディアン

写真はゆんフリー


おおはようございます。昨晩は相当の寒さで、田舎の山形では雪の天気予報までていました。今日はアメリカのインディアンのお話です。
ユングという臨床心理学の学者がいましたが、彼が訪ねたネイデイティブアメリカンはプエブロ族。1920年代だったから誰にも注目されませんでしたが、プエブロの長老のような崇高な顔をした人はヨーロッパにはどこにもいない、ヨーロッパの老人たちはみな貪欲な顔をしている、言っているんです。たましいのことを忘れて物質文明ばかり追求している点で、これでは絶対にだめだになるということをその時いっています。そのアメリカも最近になってやっとそのことに気づくようになって、急にネイティブアメリカンから話を聞き出したりするようになったわけですが、ユングはもう80年前にそういうことを指摘していたんですね。
2001年6月第1回日本統合医療学会で伝統療法と西洋近代医学の統合を目指すシンポジュウムを行ったとき、議長役の東大名誉教授の渥美和彦教授はもとは人工心臓の研究者ですが、ヤギに人工心臓をつけてなが生きの世界記録を作った人ですが、ある日突然「先端医学は人を救わない」と言い出した。ほんとうに人間を救うとなったら、どうしても心の問題に到達するということです。
悪いものを摘出して医学的になおっても、自分の心のなかのもやもやしたものがあると、ついつい家族にあたったりする。家族も「医者に聞いたら、治ったと言っているぞ、健康なくせになにぼやぼやしているんだ」と怒る。そこさえほんとうに解決したら普通に生きている筈の人たちが、そういうことでとても不幸な人生を生きておられる、それがすごく多いと思います。(これは臨床心理士が徹底的に聴いてくれるそうです。)



心の深みへ河合隼雄と柳田邦男の対談の第7話より、
(下記の祈りはまた別です。どういう顔だったかに関心がありますが見つかりません。これらの祈りをしていた人の顔がそうではなかったかと想像します。)イエローポスト


おお父よ、わたしはあなたの声を風のなかに聞き、
あなたの息はこの世界中のすべてのものに生命を与えています。
お聞きください。
 わたしはあなたの前に、あなたのたくさんいる子供たちのひとりとして、 
今、立っています。
わたしは小さくて弱く、
あなたの力と智恵とを必要としています。


どうかわたしを、美のなかに歩ませ、
なにとぞこの眼に、赤と紫の夕陽をお見せください。
この両手が、
あなたの創られたものを、尊敬させるようにしてください。
この耳を、
あなたの声が聞こえるように、鋭くしてください。
そうすればきっと、あなたがわたしの一族に与えられた教えを、
一枚一枚の木の葉や、
ひとつひとつの岩のなかにあなたが隠された教訓を、
このわたしも、理解するかもしれません。


父よ、わたしは力を求めています。
偉大なる敵と戦うことができるようになるための力ではなく、
その力で、汚れのない手と、濁りのない眼をもって、
わたし自身があなたのもとを訪れる準備をさせてください。
もしそれがかなうのなら、
日没の太陽が姿を消すように、わたしの生命が終わりを迎えたとき、
いささかも恥いることなく、
わたしのスピリットはあなたのもとを訪れることができることでしょう。

アクエサスネ・モホーク・ネーションのセント・レジス・リザベーションの
なかに立つ「トム・ホワイトクラウド」という名前のひとりのネイティブの
墓に刻まれている祈りの言葉・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「虹の戦士」  北山耕平 翻案 太田書店 より

2007年11月22日木曜日

ケアと触れ合い

写真はメル友yamazakiさんから

おはようございます。コケを玉にしたものを作ったものが、今までは黒ずんでいましたが、本来の緑を取り戻してきています。

介護講座にいったら、同じ机のに学生と市民が並んでください。これは世代の違うもの同士が3分位交代で自己紹介もします。

ケアで大事なことは、自分が一番やってもらいたいことを相手にしらせることです。これはなんとなくしか考えていないことがわかりました。
まず書き出してみると、結構曖昧でした。書くことによってもっと自分でも鮮明にすることが大事だと思いました。こういうふうにいわれなかったら、オボロゲナガラしか自分のことが分かっていないことが
分ったことと、これを隣の人に説明する・相手はヒタスラじっと聞くという作業でした。

●ちょっと歩行がおぼつかなくなった人:あと堤のところの桜の木のしたで、存分に花に触ってみたい。→それでは今からそれができるようにリハビリをしましょう。
こうすると、目標ができるので頑張り方が違ってきます。
叔母が最近介護施設に入所しました。お隣の82歳のオバアチャンでしたが、介護4が訓練によって介護1になったそうです。

又弓の仲間で月に1週間は博多にいって母上の介護の応援にゆくそうですが、脳梗塞の治療が終わったら、別のリハビリ専門に移るべきだととのこと、これは
専門のリハビリにゆくと、厳しいが3倍もはやくよくなるそうです。

柳田:最近おもしろい話を聞きました。指圧マッサージの得意な女性が中学校をたづねていって、生徒同士で肩もみをやらせる。丁寧にツボとかのもみ方を教えてね。すると、もまれている側は当然
だんだん気持ちがよくなってきますが、上手にやっていると指圧をしている側も心地よくなってくるというんです。マッサージの先生が「指圧していて気持ちよくなった人」と聞くと
半分以上が手をあげるそうですよ。
河合:はいわかります。
柳田:触れ合うことでやさしさや思いやりを共有するコミュニケーションは、医療の現場にゆくともっと大事なんです。悩んで苦しんでいるお年寄りを看護師だんがさすってあげる。あるいは手を
握ってあげる。そのことが信頼と癒しにつながっているんですね。いりいろなデーターや処置ばかり教えられるが、こういうヒューマンな原点を忘れがちなんです。


河合隼雄と柳田邦男の心の深みへ:講談社より

2007年11月21日水曜日

コスト削減

写真はゆんフリー
ゴミ問題にも関連します。単純に節約・節約だけでなく、策をねり、同意をえて、智恵をあつめ、目にわかるようした上なんらば、企業の力になるようです。

今日はコピー用紙の裏は使うな!(コスト削減の真実)朝日新聞・村井哲之:コスト削減総合研究所社長1957年生まれ
まず問題です。

1◇コスト削減に最も効果があるのは人べらしだ。
2◇ミスコピーの裏紙を再利用すると、コスト削減になる
3◇事務用品をカタログで一括注文すると事務用品費が下がる
4◇蛍光灯を交互や片側間引くとコストが下がる
5◇クールビズのキャンペーンをすれば、夏場の電気代が削減できる。
6◇現場が暗くなるので、コスト削減はやりやくない

答えは全て×です。

1→不要のところはよいのだが、企業の生命力を阻害することはいけない。企業が苦しいときに陥りがち。
2下記参照
3カタログをみて百円ショップではないが不用品や量的に多くの在庫になる
41本間引いても回路の関係で電流がながれてしまうものもある。朝の最初の出勤者が全部点灯しないで、自分のいるところだけ、あとは順順に昼の消灯はイっセイにする。
5同じ環境でクールビズとそうでないところと[総務と営業]などと、2つの指標比較を作り実績がどうかというふうにしないと、見えない。
6→会社が苦しくなってからではなく、日頃から、企業の業務が始まればそのときから衰退の兆しはあるので、コスト削減は永遠のテーマ
。営業のノウハウ本は沢山あるが、確実に売上を上げる“100%成功の法則はない”がたとえ5%でもこのコスト削減は純益である。経営と現場の距離を様々な形で縮小できる。

まず1は社内文書用になど涙ぐましい努力を重ねていた。→ある日突然「裏紙を本日から禁止」というエライ人の鶴の一声で裏紙用の箱が無くなった。
 理由:大事な文書を社内に流して、今生きているのが表裏どちらか分からなくなっていた。「君この前指示したこのFAXを未だ処理していないのか」→部長
裏表逆です。机の上に逆におかれていた。ある時ホチキスの針がついた紙が使われてコピー機にが壊れた。急ぎの大事なコピーができなかった。

2007年11月20日火曜日

ゴミ問題を考える



写真はゆんフリー

おはようございます。随分肌寒くなりました。夏から冬で中間の秋が大変短くなったようです。
芝久保公民館まつりでゴミについてのクイズと講演がありました。
西東京市のこれからのゴミ収集の有料化に伴いかんがえようということでした。ゴミから地球温暖化も見えるし、経済の動きも見えてきます。
多摩地区のゴミについては日の出町のゴミ埋め立て場があと何年もつかに、驚いて隣接の青梅市が積極的になり、これが近隣に波及したということです。
池田千城さん(西東京市在住)はNPOのごみ問題に取り組んでいて多摩地区の理事でもある。どうしてこうことを始めましたかときいたら「家庭のゴミなども自分一人でも
努力」できるからという。又お孫さんもオジイイチャンの仕事はゴミ捨てといわれているそうです。イエローポスト
ゴミの量:
1人1日当たりの可燃ごみの量[持ち込み事業を除く、市の収集分]
 有料化  日野市355.4g、東村山市399.2g : 未有料化 西東京市445.4g
有料化にすると約15%は減るだろうというもくろみ、日野市が東村山市に比べて少ないのは
市長自ら率先していたからである。

●有料化したときのゴミ量の変化の推移(単位g)

   日野市             清瀬市の推移
年度      収集量  99年度比    収集量   00年比
1999年  670      0
2000年  546     -18.5%     503      0
2001年  380     -43.3%     453     -10.0%
2002年  381     -43.1%     438     -13.0%
2003年  374     -44.2%     441     -12.3%
2004年  353     -47.3%     420     -16.5%
2005年  355     -47.0%     424     -15.7%

●容器包装リサイクル法の役目[容器を作る業者と容器に飲み物などを入れて販売する業者が負担した金額
単位億円
品種       13年度     18年度
ビン        22        18
ペットボトル    91         2※
プラスチック    145        476
※はペットボトルは中国に売られていた。日本にも再生工場があるが、原料がないので立ち行かないそうです。
●白いトレーはこれだけ特別あつめてもコストがかかりすぎるので「容器包装プラスチック」と一緒の扱いでよい。


●クイズ:Aさんは下記のように分別しましたが、いくつか間違っていますどれでしょう

容器包装資源プラスチック:1シャンプーボトル、2プラスチックの弁当ばこ    3アルミのようなお茶・のり袋

不燃プラスチック    :4荷作りの紐    5ポリ手袋    6CD    7黒いプラスチックのハンガー

資源雑紙        :8写真    9はがき    10コーティング紙   11金箔のある紙
             12紙コップ    13複写カーボン
正解:1、3、5、6、9、
誤答:2、4、7、8、10、11,12、13
考え方:プラスティックは販売するために容器としたか・・・たとえば味噌がはいっていたのは容器の方に、形や材質が似ているが、
    2の弁当は容器ではあるが、中味はないので不燃の方になる。とにかくリサイクルで使うかであるから、洗っていないものは
    包装容器としては認めないという業者優先の考え方。
    紙のほうも、紙の大半になにか塗られていると再生しにくいので資源ゴミにはならない。

2007年11月17日土曜日

環境保全に即効薬はない


写真はゆんフリー

「環境保全」というキーワードを入れて検索すると、2002年でGOOGLEで約42万が約半年後47万件のヒットになっている。情報量が多いと人々の間に環境問題が社会の中で重要なテーマであることが伝わり、社会的コンセンサスの形成につながる。この情報量の多いのはよいのですが、意外な盲点になっているのは、この情報にどう向き合うかということではないか。ドイツの情報も多いが環境保全のための仕組みも運営もドイツの風土や歴史,習慣があってこそ成り立っているからだ。
三重県の環境研修;
もう10年も前になるが、ドイツへ地域で環境保全運動を行っている10人あまりが1年間の研修に参加し、最終的には政策提言まで力をつけたことだ。一般家庭ヘのホームステイでドイツ語も英語もおぼつかない中年以上の参加者が多かった。その熱心は取り組みには頭がさがった。
そうした難しい研修結果の活用:賞賛はするが「どうせ外国でやっていること」という雰囲気になる。このドイツの例を日本で適用するには難しいと回答した人もいる。
海外研修で何が変わるか:まずは「驚き」で、自分の住んでいる世界とは異なる建物,街並、生活ぶりである。「わあすごい」という驚きが感動となり環境保全運動の大きな原動力になるが情熱の空回りもある。それから日本とドイツとの比較して自分たちの取り組みや考え方を整理することで根源的な見直しができる。なぜ驚いたかの自分達の言葉ではっきり表現する。こうすればドイツで学んだ事例を血肉とすることができる。
日本は仕組みや概念の「輸入大国」である。とにかく日本風にどんどんアレンジする。
下手をすると勘違いしたまま、器用に適用する。日本の介護保険はドイツを見本にしているが、年齢や性別にかかわらず介護が必要なすべての人に適用される。ところが日本では介護保険は高齢者介護になってしまう。(これは急激な高齢化を迎え、老人介護をどうするかに関心が集中している面もあるし、財源を若い世代に押し付ける可能性大ということもあるようにおもいます)
環境保全には即効の処方箋はないことを肝に銘じることが必要だそうです。
エコライフ(ドイツと日本はどう違う:高松平蔵:化学同人発行;2003年6月10日発行)より

2007年11月15日木曜日

遊牧民と砂漠


写真はゆんフリー

遊牧民といえば満天の星を見上げ、昼は馬を乗り回し、羊を追うイメージですね。中国・新疆ウイグル自治地区でのこと。


農林水産省の一部であったが、緑資源機構海外事業部の上原有恒氏の話(亜細亜大学のインターナショナル・フォーラム講義録2006から)からです。

●昨今の砂漠化の原因:過度の農耕は従来の草地を農地にしたり、家畜を殖やしての過度による。これは中国の市場経済化により、遊牧民もうかうかしていられず、農地や放牧地を増やし収入を増やす目的・食肉需要の増大→水源の枯渇(遊牧民は牧畜しかしらないから)→
悪循環に陥っている。砂漠化対策は新しく砂漠になることを防止することで、砂漠になったところを緑地にすることではないそうです。

●「アルタイ」という言葉はモンゴル語で金の山という意味。アクアマリンや柘榴石という宝石があるそうですが、掘り出すのではなく地上に落ちているものを羊の糞と間違えないように拾うのだそうです。

●話は飛びますが、オーストラリアのダーウインという町があるそうですが、そこからさらに海を渡っていくとバサートという島がある、そこの島で「泉」という言葉は「幸せ」という言葉と同じ意味で、泉がみつかると、一人でも多くの人が生き延びるので喜びをあらわす。片やイギリス人がオーストラリアの内地で見つけた泉は「黄金にも値する」と言ったそうです。人間は文明が進んでいくと人間と人間のつながりよりも、人間とものとのつながりが重要視されるという研究結果もあるそうです。遊牧民の社会では自給の生活がなりたたず、お米やパンを購入するので、交易の接触をもち、人間と人間のつながりを大事にしている。

2007年11月14日水曜日

主夫になって若返った元舅


写真はゆんフリー

働き蜂が居場所を失った悲劇はよくいわれるところだが、何をヌカすか、妻子のために辛い苦しい会社勤めを嫌々ながら続けてきたのではなかったか。「誰に食わせてもらっているだ」などとバカ丸出しのセリフを吐いて妻に愛想をつかされてしまっている。会社の居場所ナンテ幻想だったことを、離れてもまだ気付かない?人間生きるためにしなければならないことが山ほどあるんだ。
男はもう20年来自立していないといわれている。定年後は退職金と年金を半分にされ、離婚されるより、家事を分担するなど、妻に見直された方がよい。
  ここから物語が始まる。
主夫になって若返った元舅:おおかた83歳になって姑に急死されたこの人は、パンツの置き場所も知らないオトノサマだった。長男の嫁故に、子育て終了時に逃げたくて離婚した。ところが彼は関西から私を追って、上京してきたため、いたかったら自分のことは自分でやれと自立の特訓をした。リュマチで少し不自由な脚に巨体が乗っかり不器用な手と衰えた五感で皿を割り、鍋を真っくろにし、洗濯機の水をあふれさせては後始末もできず、元嫁に怒鳴られるザマ。関西に親思いの息子や娘に親族もたくさんいるのに、彼は帰ろうともせず、泣き泣きひとつずつマスターしていった。米を洗って火にかけることでご飯ができることもしらなかった男が釜に米を仕掛けている。私はメインのおかずを拵えることでよくなった。それだけではない、役所や郵便局へいくのも、留守中の電話番や荷物の受け取り,集金の支払も、洗濯物ものの取り込みも、私のフリーの仕事が入りだすと秘書役もこなし、何時の間にか私とOLの娘はおじいちゃんがいないといきられなくなった。嫁として同居した時彼は七六歳だった。生きているのか死んでいるのかわからないムサいジジイだったのに、一家の主夫となり、家族の必要な一員となったとき、体は不自由ながらいきいきして若返ってしまったのだ。家事は企画力、判断力、決定・実行力、創造力、経済観念、後始末の責任能力などあらゆる能力を要し磨くものである。日本の男社会がどんづまりになってしまったのは、個々の男が“生命の営み”に根を下ろさず、子育ても含めて関わろうとしなかった当然の結果だろう。
退職したら子供の結婚式も子供ら自身で、2分22秒に一組が離婚する時代に親がかりの盛大な挙式も不要、葬儀代を残すのも、本人は立派な葬儀が見えるわけでなく、坊主を喜ばすより、生きているうちに自分のために使って喜べ。孫にいろいろ買ってあげたいというのも、孫で金・モノまみれにするジジ・ババ害はつつしみ、モノ抜きの愛情を眼いっぱい注いだら。

ここまでくると過激ではなく極まともに感じます。
門野春子[NHK連続小説:天うらら]の原案、」寝たきり婆あ猛語録の著書もある。定年後「もうひとつの人生」への案内:岩波書店編集部編

2007年11月13日火曜日

人間の歴史の短さ


写真はゆんフリー

このごろ柳田邦男先生の推薦された星野道夫という写真家の文に魅かれている。
図書館から「イニュニック(生命)」の貸出の連絡がくるのを待っている。湯川豊氏が星野道夫とのインタビューの本「終わりのない旅・星野道夫インタビュー」に抜粋されていた部分です。

星野は語る「過ぎ去った時代に思いを馳せる時、人間の歴史がもつ短さに僕は圧倒される。今一緒に旅しているキャサリンやスティーブンのわずか数代前の人々はまちがいなく神話の時代に生きていた。僕はいつのころからか、歴史の長さを人の一生で考えるになった。今自分がここに在るということは、歴史のどの時代にも自分の分身がどこかに「いたということだ。親からスタートして自分の分身が一列にずっと並んだなら、例えば2千年前の弥生時代の分身はわずか7,8十人先なのだ。振り返り、少し目をこらせば、その男の顔をかすかに読み取ることだってできるだろう。僕達人間の歴史とは、それほどついこの間の出来事なのだ。
不安なことは、人の暮らしが変わってゆくことではない。その速さである。暗い予兆を内包する、加速度的な速さである」湯川さんがいわれている七、八十人というとちょうど学校の二クラスよりちょっと多いくらい。つまり、もし一部屋に集められているとしたら、ひとりひとりの顔がはっきりと認識できる範囲なんですね。血筋をたどってゆくとすればその位の認識の範囲内なのですね。
二千年前の分身だって「少し目をこらせばその男の顔をかすかに読み取ることだってできるだろう」というのは実際二千年前の自分の先祖の消息をしるかどうかではなく、二千年前の人間をそう感じること、人間の歴史にそのような感じ方が僕には驚きだった。 」と。

2007年11月12日月曜日

自主規制する日本は我慢比べの社会

写真はゆんフリー

養老孟司(y)と荒俣宏(a)との対談
自主規制する日本は我慢比べの社会
y:日本人は世界のレベルでは“生きられない”
a:日本社会は全部我慢社会=世界レベルで“生きていない”と言われます。
y:本当に自分のやりたいことがあって、それで生きているのが世界レベルで“生きている”ということ。
世間に迷惑をかけないかはどこでも当然の規範だけれど日本で拡大解釈されて自主規制になっている。そうすると半分はしんでしまっているのです。逆に、だから日本人は長生きできるんだよと。
a:風水の話になりますが、その極意は“同じことの繰り返すことなんですね。最近は幸せになる方法だと勘違いしているようだが、風水は朝飯でいえば、おいしいビフテキをたらふく食べるより、ご飯とみそ汁で一生食べつないで行く方法なのです。そのために、これなら一生変えることなく、暮らせるという丸適マークの場所を探す、でもこれは消して幸福な状態ではなくて、同じことの繰り返しのですからおもしろくもないのです。風水を作った中国人の理想は不老長寿、つまり仙人になることで生きておもしろいかとか面白いとかは別問題なのです。風水も面白いことは求めてはいけない。まさに我慢大会に通じます。
つまり東洋では半分死んでいることが生きていくことになる“おしん”みたいな生活が長生きするんです。アメリカ人はナンセンスというが一つの生き方ではある。
a:勝手がどんなに楽しいか、最近はやや変化してきたけれど、大学というのはどうも勝手な研究をしてはいけないらしい。不思議なもので勝手をやると必ず排斥されてたり、クレームがついたり、指導がついたりする傾向がある。
y:現象的には我慢大会です、全員我慢している、我慢していない人がいるとそれが我慢できない。
まさに日本は自主規制ですよ。権力規制をやると嫌われる。
「研究は自由です」
a:その代わり予算はつけない“世のため、人のため”という市民権を得ている研究にはつかない。自分がやっている博物学には絶対つかない。(便法で薬草学ならOK)
見える日本、見えない日本:養老孟司対談集(荒俣宏・作家で博物学に詳しい)より

2007年11月11日日曜日

暦の話


写真はゆんフリーから

どうして2月は日数が少ないか
太陽暦はローマ時代から続いている。その頃の1年の始まりは今の3月であった。
ローマの元老院はユリウス・シーザーにゴマをする意味で、7月をJuly・ユリウスにした。そのシーザーを継いだ養子のがオクタビアンヌスであったが、同様に8月のAugustとしたが、通常であれば31日・30日を交互に繰り返すことになるが、7月の31日にならって、8月も31日にした。そうなると365日を超えることになる。元来2月は縁起の良くない月とされていて、そんな月なら日数が少ない方がよかろうということになって2月の日数を減らしたのだそうです。フランスで30日・31日の交互の暦が実施されたが、隣国はどこも従わずに、従来のグレゴリオ暦にもどった。その後世界も2月も少ない日数のまま使用されている。

中国の皇帝は天の代理人だったので、日蝕はかならず1日に来るような設定にしていた。同一の暦を永年つかっていると、端数の時間がたまって帳尻を合わせるために新暦を作る必要とか、王朝が変わってその覇権をしらしめるための暦の改変がおこなわれた。
日本では692年持統天皇に時代から中国の暦を利用していた。1600年代になって渋川春海が江戸幕府に暦の改訂を進言したところ、823年も使っていた中国の宣明歴と渋川の暦の案の優劣を計算し比較することとなった。意外にも結果は従来からの宣明暦が優れていた。これは中国と日本の緯度の違いによるものが原因であることがようやく分かった。1685年から貞享歴が採用されたが、それまでは全国結構まちまちであったが、天文方が作った暦を使うような統一が行われた。
日本の暦の経過は木簡や実際の暦を地方の役所に配布していた。其の紙が1年経過すれば無用になるが、貴重なので、習字の練習などに使われ、土器に漆を塗り、これを包むものにも利用されていたものがのこっていたものが何かわからなかったが、赤外線を照射して字が浮かび、その結果暦の存在も分かってきた。これが漆紙文書といい、これから暦の歴史を探るのです。

イスラム教では1年が354日か355日になっているので、
この不足分がグレゴリオ暦とくらべて(実際の季節ともくらべ)、ずれるので、イランやエチオピアなどでは断食のラマダン実行時期も移動するので、長期でみると、夏になったりするときは飲み水も日没後でないととれないので大変なんだそうです。一生を計算すると日本人より2年は早く年をとることになる。
マレーシアにゆくと。民族というか、宗教がことなるので、3つそれぞれの休日を平等に採用しているそうです。
ともあれイスラム教の国に旅行するときは、大使館に正月で混雑しているか否かなど事前に問い合わせしたほうがよいとのことでした。
岡田芳朗女子美大名誉教授の暦の話を聞いた中から。

2007年11月10日土曜日

米国の愛国心

写真はゆんフリーより
思想としてのアメリカ(武蔵野市寄付講座)2007年11月7日成蹊大学宮村教授(日本政治思想史に詳しい)続きです。

トクヴィル(仏国の貴族、仏革命のあとの時代の学者であるが保守的)とアメリカ:

仏国ではカトリックは自由の敵だった。やはり米国は信仰の国であるとの評価を下している。
「私は宗教の精神と自由の精神がわれわれにあってはつねに反対の方向に進むのをみてきた。ここ米国では両者は親しく結びついている。」
「合衆国には数え切れないほどの宗派があるが人間の義務にかんしてはすべての宗派が一致している。合衆国のあらゆる宗派はキリスト教として一体性の中にあり、キリスト教道徳はどこでも同じである」

米国人の「愛国心」の偏狭さ:米国人はこの国でなされるどんなことにも関わりあいがあるので、米国に対する批判は何事であれ、反駁しなければならないと考えている。国が攻撃されるだけでなく、自分が攻撃されることになるのである。米国人のお国自慢は手段を選ばず、児戯に類する個人的虚栄をあまさず発露するところまで行くことがある。
[西欧にゆくに従って宗教的感覚が薄れてゆく]こと米国に関しての自由はない。
米国の場合,市町村単位のレベルなら合理的であるが、大きな政府レベルになると、盲目的になる傾向がある。多数は専制方向になびくが、孤立する不安を抱え込んでいる。それを修正しようという動きはあり。
愛国心は個人のエゴイズムに相当する。国のレベルではそういう評価にならないで、当然という評価になる。

昨日も書きましたが、江戸幕府は儒教でしたから治める側の治国はあっても、各個人の愛国心はなかったが、天皇崇拝に進めたという説明をされていました。

日本もそうですが、米国の国民全体の考え方では時代が100年経っても変わらない面があるようです。

2007年11月9日金曜日

明治維新のころの知識欲

写真はゆんフリー提供
明治維新のころはいろんな知識を取得したいという意欲のにまさに燃えるがごとくでした。イエローポスト

思想としてのアメリカ(武蔵野市寄付講座)2007年11月7日成蹊大学宮村教授(日本政治思想史に詳しい)より

岩倉使節団は1871年12月(明治4年)の出発で(廃藩置県を終えたばかりで国が発足したばかりのころ)米国・英国・仏国・露国・西欧への歴訪の旅で時期的には無謀ともいえる使節団だったが、それほど列強の知識など早く吸収したという意欲に燃えていた。帰国1873年9月であったが、これの詳しい内容は岩波文庫に5冊の米欧回覧実記という記録集がある。

この一行に久米邦武という後帝国大学教授がいてその記録もある。

米国は「信仰の国」である。南北戦争や普仏戦争の終結したころであった。
大統領はじめ有力者が日曜日に率先して教会にゆき、説教を聴いているのを知った。またニューヨークの出版社ではバイブルを印刷するのを見たが、数はものすごく、どこの家庭にも、ホテルにもバイブルが置いてあるのをみた。それは民心に浸透して、米国人の勤勉とモラルの基本になっていた。教義をきけば「処女懐胎」、「死囚の復活」など久米の表現を借りればまるで「瘋癲の戯言」としか思えないほどだと。しかしその信仰の篤さには感心せざるを得なかった。そこで伊藤博文らの急開化組は、この際日本でもキリスト教になってしまえという始末さえあった(四書五経の読解できるのは士族でも僅かであるとか、仏教についても、宗教心についての批判は厳しい)。米国における愛国心は建国間もないのにもかかわらず、(江戸幕府は儒教なのでこういう思想は含まれていないので国を治めることであった。この愛国心を天皇崇拝に導いた糸口であった)米国民の愛国心は特別なものであった。


この10年後であるが、自由民権運動がおこった。2つの潮流があり、土佐の武士から展開された反政府士族と、もうひとつは豪農民権家を中心とするものであった。
その学習運動がいかに熱烈だったか、五日市学芸講談会のときは2・3里の遠方より200人に及ぶ。議論妙所に達するや手拍ち声を揚げて賛成を表し、僻地に稀なる盛会なりし。奥多摩の孤島といわれた檜原村の南郷からさえ通ってきた青年がいた。ちなみに1881年(明治14年)五日市学芸講談会は会員百余名で月2・3回の定例演説や報告の学習会を行っていた。こうした集会で使用したとみられる当時の新刊書は216冊にも及び、半分は政治・法律書であった。これにより憲法草案の起草の準備を行っていた。これらの蔵書は豪農深沢家に残っており、当時の米国のエール大学の教科書に相当する内容のものを翻訳したものだということが分かった。
日本で最初の政党自由党は多摩の人たち、とくに豪農と言われる人たちだった。

2007年11月8日木曜日

学校の格付け

写真は ゆんフリー


学校のHPを何気なくみていたら、学校の格付けというのが目にはいりました。
学校が用地を取得したりや校舎を建設したりする場合に資金調達をするので、当然寄付も募集しているようですが、学校債をも募集する。この場合、学校であっても返済能力が どの程度あるのかを第三者が評価した資料が欲しいということになります。
学校の経営がうまくいっているか、少子化が叫ばれる中、学生数の保持は大きな課題です。社会情勢の合致した学科や教授陣がそろっているか、職員の退職金の準備はきちんとされているか を総合的に判断した上での格付けなのでした。これをみれば親はこの学校はNOVAみたいに、入学金を集めながら破たんに至る学校ではないとか、それ以上に未来に向かっても 学校運営がきちんと見分けられる資料になるのではないかと思いました。教育の場に「お金」の評価も現実的かなとおもいますが、大事な一面でもあるようです。
具体的な例は下記の学校でした。イエローポスト

平成18年10月、学校法人武蔵野女子学院(武蔵野大学、武蔵野女子学院中学高等学校、武蔵野大学附属幼稚園)は、長期優先債務格付けにおいて、平成16年、17年に引き続き「A(シングルAフラット)」をR&I(格付投資情報センター)より取得いたしました。
【参考】
■R&I国内法人長期優先債務格付け<A> (平成18年9月30日現在)
三菱UFJフィナンシャルグループ、伊勢丹、テレビ朝日、KDDI、清水建設、ヤクルト、帝人、田辺製薬、東芝、NEC、ヤマハ、コクヨ 他

2007年11月7日水曜日

食感について

ゆんフリー写真集より



養老孟司の対談集より



田崎:
日本人は味わっているものに対して、表現方法が触覚に頼りすぎているところがある。
テレビのレポーターが肉料理を食べて「柔らかくておいしいですね」という。それならマシュマロでもよいか(笑い)
「こりこりして美味しい」とか「さくさくして美味しい」とか「温かくておいしい」舌ざわりや熱などの触覚を美味しいと判断している。逆に臭覚に対する言葉がすくなく、曖昧だ。
養老:
それはおそらく日本の約束事であるのでしょうね。匂いや味よりも物理的性状を大事にする。カマボコの硬さは柔らかいといえば柔らかい、噛むと切れたままの塊が絶対に溶けないで残っている。ネコは必死にいつまでも噛んでいる。

田崎:
もし私がカマボコの味を聞かれたら、噛んだ瞬間の歯ごたえでなくて、先ず香りを嗅ぐ、そして何系統の魚を使っているとか、うま味と甘味のバランスというような多分ワインと同じような表現をしてしまいます。日本料理は刺身も触感が大事ですし、それに他のアジア人もですが、食べ物の温度帯が広い。冷たいものは冷く、熱いものは熱く、ですから「熱っかい料理」と聞いただけでも「おいしそうだな」と思う。ヨーロッパ人はやけどしそうな熱をいうと、「そんな物のめない」という違いがある。
見える日本、見えない日本:養老孟司対談集(ワインのソムリエ田崎真也)より

2007年11月6日火曜日

介護保険のケアプラン

写真はゆんフリー提供

武蔵野大学で公開講座があって学生よりも、一般の人の参加が多かった講座でした。イエローポスト

介護給付ケアプラン作成模擬演
介護保険は規制が厳しいので分かりにくくなっているので、不明な点は自分の属する包括支援センター(老人問題何でも相談室との理解しても間違いないので、気軽に電話での相談や質問が可能です)
自分でも電話に次の電話番号は貼っておくと役立つ。
最低:包括シエンセンターと救急病院の2つ。
全国ケアプランネットワークという組織(http:www.mycareplan-net.com)があり、そこの方武蔵野大学で佐藤先生の指導のもと、講義が行われた。
資料入手の場合は
① マイプランの玉手箱、②あたまの整理箱各500円がある。
090-8451-4540(島村)かFAX042-405-5950
メイル;info@mycareplan-net.com

●介護報酬は地域によって単価が異なる(中央と地方とで物価がことなるからという理由で調整が行われた。)が、福祉器具など全国一律の部分もあります・・・。
●在宅サービスの支給限度:要支援1では4970単位~要介護5では35830単位以内で介護保険の対象が限られている。
●身体介護1:30分未満      231単位
 身体介護4:1時間半~2時間未満 667単位
1は30分が4は30分×4=2時間
身体1生活2は身体介護0.5時間、生活介護1時間です。
身体1生活2と、身体2生活1では397単位、485単位とことなり、生活介護[食事や掃除]よりも、身体介護[入浴、トイレ補助]が単位数が多い。
●介護保険をつかわないほうがよい場合がある。
 介護保険は規制が厳しく、使いにくい面があり、単価の安いNPOやシルバー人材センターの利用も組み合わせたほうが利用しやすいこともある。
●同居?家族がいると、家事援助は頼めない。国は緩い指導ではあるが、運用する自治体は厳しい指導をする。市町村によって異なる。杉並区や調布市では家事援助ではだめですが、府中市はある程度柔軟な面があるので、ケアマネージャーと一緒に窓口と相談したらよい。
生活援助で2人家族で一人が介護保険を受ける場合、食事を作ってもらえる場合に1人分しかつくってくらない自治体がある。

●就寝前の入浴は可能か:時間帯によって単価がことなるようです。また事業所が受け入れてくれるかによる。
●介護保険は自立支援であって、丸丸の援助ではない、やりたいことを何でもやってもらうことではない。
●身体介護でも手を直接だすことだけでなく、自立のために程度にもよるが傍らで見てもらうや、危険なtきの手助けしてもらうこともできる。
●ケアプランは月毎作成[要支援や介護の度合いの認定有効期限は半年から2年で市町村が判断する]し予定と実績と金額が記入できるようになっていて、事業所とも相談のうえ、予定をきめて窓口に提出して承認を受ける。これを事業所に伝える。変更は可能で、実績欄があるのはその為である。通常ケアプランは包括支援センターか事業所のいるケアマネージャー(この選択も自由で、良い人に巡り合えるとこちらの事情を理解)がプランの作成をしてくれる。自分等でも可能ではあるということです。
●種々のサービスがあるが、それぞれの自治体によってサービスの単位の制限数が異なるので問い合わせが必要(ほとんどの場合問題はないそうです)。

マスメディアの現場から

ゆんフリー写真提供


東京経済大学
アミュエル・ジェムソン氏の講義から
米国の報道機関の特派員として活躍、シカゴ・トリビューン[1963~1971年]及びロスアンゼルス・タイムス(1971~1996年)の両新聞の支局長を歴任。在日外国特派員協会[外人記者クラブ]の会長や元在日フルブライト教育員会の委員も。現在は日本についての本を著作しながらコラムニストや評論家として活動。
●日本では二大政党になるとは未だ思えない。可能性はあるが判然としない面がある。福田さんが最後の自民党の総理になるかもしれない。政権交代すればワイロ問題が一掃されるとも思われる。自民党が参議院でも多数を取り戻すとしても、たとえできたとしても2019年にならないとそれはできない。参議院で民主党等の野党が過半数をえたが、衆議院でも国民が信任するかはわからない。(小沢代表は福田総理と連立を話し合い、党に持ち帰って否認されて、代表の辞任を申し出ている。民主党が公約に掲げた年金問題などの実現するには連立で果たすことしかできないし、政治を実際に担うほどの実力はもっていないことを認めた故の行動だったようだ)
●昔は警察が発表した記事がほとんどだったが、独自の取材した記事もでるようになったのは、リクルート事件1989年や文芸春秋での立花隆さんの田中角栄追求の記事あたりである。
1971年、毎日新聞の外務省の蓮根秘書から得た情報を西田記者は新聞にかくことはしないで、72年に社会党代議士に渡し国会での追及の資料に提供した。欧米なら記事を政界に渡すことは、ジャーナリズムの否定を意味した。一審では無罪、最高裁では有罪、記者の取材の権利は相当に大事にされなければならないと思う。
●大新聞は一通り取材するが、週刊誌にある事実は本当にお粗末で、サミュエルさんにコメントを得たような記事があり、謝礼まで送ってきたのは突返し、極めて小さなお詫びの記事をやっとかかせたこともあった。昼さがりの情事ということで、橋本総理が中国の辺鄙なところにいって病院の援助を申し出たことがあった。橋本総理は雑誌に対してコメントしていないのがあたかも回答した如くになっている。報道機関は自民党が10%の支持率以下に落ちたら、とやかくの記事を書くがそうまでになっていないときは、まずい事実があっても記事にしていなかった。
●自民党も大臣をえらぶ場合で派閥からの選出から脱却したかのように見える(今回の福田首相の場合?)
小選挙区制はかなりの変化を起こしている。
●日本の首相の任期は平均2年2ケ月、戦争のとき米国は首相交代はあり得ないが、東条秀樹のときも2年9月、これでは何もできない。日本人は指導者を信頼することが希薄である。
日本の強力な指導者は暗殺される。織田信長、大久保利通、原敬。日本の首相の21人、小渕さんら途中死去された人は3人で、残18人のうち、任期満了したのは大平・中曽根・小泉で、あとの15人は辞任に追い込まれている。
●憲法でも時代の都合で解釈が変わる。小沢さんも湾岸戦争のときには賛成しているではないか。

2007年11月4日日曜日

中央構造線と日本海の拡大


詳しくは「大鹿村中央構造博物館」をごらんください。
日本海の拡大とフォッサマグナ地域の沈降日本列島の骨組みは、アジア大陸でできました。日本列島の「もと」は、新第三紀の2000万年~1200万年前ごろに、アジア大陸から離れ、太平洋へ向かって移動しました。西部は時計まわりに回転、東部は反時計まわりに回転し、大陸との間が開いて日本海が拡大しました。そのとき、折れ目になった部分が引っ張られて落ち込み、海底の地層が厚く堆積しました。 西南日本の骨組みが大きく落ち込んで、新第三紀の海の地層に厚くおおわれた地域を「フォッサマグナ」 といいます。フォサマグナとは、ラテン語で「大きな窪み」「大きな溝」という意味です。骨組みが大きく落ち込んでいる構造から、新第三紀の変動に注目するときは、フォッサマグナ地域で東北日本と西南日本に分けることもあります。フォッサマグナ地域西縁の糸魚川-静岡構造線フォッサマグナ地域の西縁の断層を「糸魚川-静岡構造線」 といいます。糸魚川-静岡構造線は、西側の古い岩石と、東側の新しい地層の、境界になっている断層です。フォッサマグナ地域の東側の境界は、もっと新しい火山や関東平野を埋めている地層におおわれて見えません。新発田-小出線と柏崎-千葉線が候補のひとつです。飯豊・朝日山地、越後山地、足尾・八溝山地には、西南日本の古い岩石が再び現われています。一方、棚倉構造線に沿って、西南日本の骨組みが引きずられ、新第三紀の地層が堆積しています。そこにも大きな構造運動があったと思われます。 ⇒フォッサマグナって何ですか?(フォッサマグナミュージアムホームページ) 糸魚川-静岡構造線の位置は、北部では糸魚川~松本平~諏訪湖~小淵沢へ続きます。しかし、その先を 富士川沿いにたどるのは誤り です。武川から~夜叉神峠付近~早川~安倍川をとおって静岡市へつづきます。静岡市付近では、安倍川沿い~高草山~焼津の線と、竜爪山地稜線付近~静岡市安倍川河口の線と、2つの考えがあります。 ⇒糸魚川-静岡構造線山梨県早川町新倉露頭見学記(2002/12/24) フォッサマグナの地層に埋まっている中央構造線西南日本の古い骨組みを食いちがわせた中央構造線は、フォッサマグナ地域では、新第三紀の地層におおわれて、地表にあらわれていません。破砕帯もおおわれているので、破砕帯が侵食されてできる直線的な谷もできません。そのうえ佐久地域では、新第三紀の地層の上を、現在の火山(浅間山と八ヶ岳)の噴出物がおおっています。隆起して古い岩石が露出した関東山地と中央構造線第四紀に大きく隆起している奥多摩~奥秩父には、西南日本の骨組みが露出しています。新第三紀の海の地層は、群馬県富岡や、秩父盆地、五日市盆地などに残っているだけです。関東山地の岩石は、赤石山脈にあらわれている岩石のつづきです。関東山地北部の群馬県下仁田には、中央構造線が露出しています。
投稿者 イエローポスト 場所 8:28 0 コメント

2007年11月2日金曜日

福祉施設の第3者評価


福祉施設の第3者評価

前から気になっていたのですが、宿泊先の評価は結構わかりますし、せいぜい1・2泊ですからたいした問題ではありませんが、福祉サービスについてはどこがよいか分かりませんでした。
まだ内容はみたことはありませんが、ちょっと心強い感じがします。
東京都における「福祉サービス第三者評価」ってなに?いざ福祉サービスが必要となったときに、どの事業所、施設が自分にとっていいのか等、自ら選ぶのはとても難しいものです。 サービスを受ける前に十分確認してと言われても、何を確認すればいいのか、どうやって調べればいいのか、どの情報をあてにすればいいのかなど、悩んでしまうのではないでしょうか。 東京都における第三者評価制度は、「自分の利用したい事業所の特徴はどのようなことか」、「サービスの質はどのような状態にあるのか」など、利用者の皆さんがサービスを選択する際の目安となったり、都民の皆さんが事業所の内容を把握することが可能となるように、各事業所の評価結果が公表されます。 公表される内容は、評価講評、利用者調査の結果、事業評価の結果のそれぞれについてあらかじめ事業所が公表に同意した内容を、また、評価結果に関する事業所の皆さんのコメントもあわせて公表しています。

2007年11月1日木曜日

在家と出家、大乗仏教


写真はゆんふりーから
東京禅センターで行われた花園大学教授佐々木閑のお話です。この方は分かりやすいお話をします。しかし長いお話です。
これは要約はとても出来ませんので、1週間とか時間がかかるかもしれません。

只今ご紹介に預かりました、佐々木でございます。日本の仏教は全部大乗仏教ですが、その日本の仏教の本質、その成立してきた歴史的な経過、そういうものについて今日はお話をしようかと思っています。 私は花園大学で教員をしておりますが、本来は浄土真宗の寺に生まれまして、寺を出てしまったのですね。親鸞聖人は大好きですけれども、浄土真宗そのものを受け継いで世に広めるという立場のものではないのです。

 私の学問上の立場として誰が好きかといったら、とにかくお釈迦様が好きなのです。インドでの仏教を知りたいというのが勉強を始めた動機になっています。そこで、今日お話しすることすべてインドのお話です。日本で仏教の話をすると、日本のことを取り上げて日本ではこうです、という話はたくさんあります。
しかし、そのもとになるインドはどうなのだという話はなかなかなありませんね。実はインドまでさかのぼらないと仏教の本当の形は見えませんし、大乗仏教というのはどういう点で他の仏教と違うのかということも分からないのです。そんなわけで、皆さんには一番大本の話をいつもお話するように心がけています。

 阪神大震災の後でしたが、あるお寺さんに呼ばれて、皆お家が潰れちゃっているもので元気がないから元気が出るようにお釈迦様の話をしてくださいと頼まれました。皆何もすることがないから1日中喋ってくれと言われました。では一日中喋りますといって、朝の9時から喋りだして、終わったのが6時頃でしたね。その間、皆で体操したり、眠気覚ましに遊んだりしながら話をしていたのですが、大体7,8時間喋ってそれでうまく喋れたかな、というくらいです。それくらいかかるものなのです。本当はね。今日はそれを1時間にコンパクトにまとめますのでちょっと急ぐところもあるかと思います。

◆仏教成立には理由がある さあ、そこで、僕はいつも人に仏教のお話をする時に、お釈迦様が生まれたところからお話しても仏教は分からないと言っています。お釈迦様はもちろん皆さんご存知の通り、カピラ城の王子様としてお生まれになりました。そして、人生の苦悩を知り、出家をなさって最後に菩提樹の下でお悟りを開かれて釈迦牟尼仏という仏になられたということですね。これはもう、大体仏教の話をする時には最初にお話しいたします。しかし、実はその前に、仏教が生まれる前のインドはどうであったかということを知らなければ仏教が生まれてきた理由なんて分かるはずがないのです。つまり、お釈迦様はただ趣味で仏教を作ってみようと思ってたまたま作った、とそんなインチキなものではないということです。仏教というのは。ちゃんとその前の時代の流れで、どうしてもその時に仏教を作らなければならなかった理由があるのです。仏教が生まれなければ困ったのです。ですから、必ずインドの仏教の話をする時には、仏教の前の段階から僕はお話をすることにしているのです。
◆夢の国ガンダーラ インドという国は三角形、そして南に真珠のようにポツッとある、これがスリランカですね。昔のセイロン。そしてインドで一番大事なポイントは、ここに人が通ることの出来ない大きな壁があります。つまりヒマラヤ山脈ですね。8000メートル級の山がズーッと連なっております。ここは人が1人や2人、ポツポツと山道をぬいながら越すことは出来ます。しかし、大人数の、例えば軍隊とか、あるいは民族移動というようなことでヒマラヤを越えることは出来ません。無理です。ですからインドという国は非常に大きな三角形なのですが、入り口は巾着袋のようにギュッとしまっているのです。出入口はここしかありません。 これ、今大変問題になっているところね、アフガニスタンからパキスタンにかけてのあたり、我々が「ガンダーラ」と呼んでいるところです。夢の国ガンダーラ、というところですね。行けないとお思いでしょう?今は行けますよ。私はこの間学生を連れて行ってきたばかりです。飛行場から降りて、車で2時間くらいでガンダーラです。とても素敵なところですよ。それがパキスタンですね。アフガニスタンは入りません、今は。インドという国は、このガンダーラという、細い細い入り口、ここだけが陸づたいで入るための道です。 実は、今から3000年から4000年前、長いですね、1000年も間がありますが、その長い1000年間の間にこの細い入り口を通って、今までここにはいなかった新しい民族が少しずつ少しずつここへ入って来たのです。何故入ってきたか?それは、おそらくその民族はそれ以前にここにいた人達よりも何か優れた武力的な特徴とか、あるいは、農耕で優れた、つまり文化ですね、高い文化を持っていたのでしょう。そういう人達が約1000年間の間に少しずつここへ入ってきて、それまでそこに住んでいたインドの現地人と言うのか、古い人達をだんだん圧迫しながらここへ自分達の文化を作っていきました。この民族の名前を「アーリヤ」と呼びます。アーリヤ人。アーリヤ人というのはご存知ですか?今でもアーリヤ人がたくさんいる、というのはご存知ですか?
◆イギリスの植民地政策 18世紀位にインドがイギリスの植民地だった頃、イギリスは植民地政策で、インドでどうやってお金を儲けたらいいか、ということを考えて、たくさんの学者さんたちをインドへ送り込みました。その学者さんは皆命令を受けて入ってきたのです。どんな命令かというと、なんでもいいからとにかくインドでお金になるものを見つけて来い、それで、植物学者、動物学者、言語学者、地質学者、色々な学者がどんどんインドへ送り込まれて、植民地からお金を吸い上げるための方法を考えたのですね。その結果、色々なものが見つかりました。 今でもそれがインドの大変な名産になっています。例えば紅茶、そんなもの昔は紅茶なんてお茶の木ですから自然の山の中にポツポツと所々に生えていた。それをイギリスの人達が見つけて、この紅茶というのはヨーロッパに持っていったら・・・エライ売れますよ、絶対金になりますと。それを本国のイギリスに報告するとイギリスから命令が来て、そのお茶がお金になるというのだったら、そこに生えている木は全部切って、全部紅茶の木に植え替えなさい、という命令が来る。そうすると、イギリスは軍隊を総動員してそのインドの山にある木をことごとく全部切ってしまう。そして、その木を全部紅茶の木に植え替たのです。 ですから今でもインドは、僕も、この間バスに乗って来まして、バスで1日10時間走りましたけれど、走っている間目の中に入ってくるのはお茶の木だけでした。そこはもともときれいな森だったのに、全部切ってお茶にしてある。これをプランテーションといいます。ガーデニングと違いますよ。そんなチャチなものとは違うよ。全部切って植え替えるのをプランテーションというのです。 他に何があるかというと、綿の木、綿ですね。インド綿。今でもお金になっています。それから、今はもう売ってはいけませんが、昔は芥子の花をいっぱい作ってアヘンを採りました。これもイギリスがどうやったらインドでお金になるか、というのを考えて見つけたものです。紅茶とか綿はそのままインドから直接ヨーロッパへ持っていって、ヨーロッパの人達に売りました。お金は全部イギリスへ入りました。だからイギリスは大金持ちになったわけです。アヘンは体に悪いので、ヨーロッパに持ってくると体に悪い!それで、他のところへ持っていって売ってしまおう、というわけで中国に持っていって中国人がそれを買った。そのお金は今度またイギリスへ回った、ということで結局お金だけは全部イギリスへ集まるようになっていたのですね。これがイギリスの植民地政策です。もうこの話だけで1日かかってしまうのだけどね、本当は。おもしろいのですが、今日はこれぐらいで。
◆英語とサンスクリット語は同じ言葉だった そのたくさん送り込んだ学者の中に、ウイリアム・ジョーンズという言語学者がいました。有名な人です。この人は言葉の学者ですが、一応肩書きはインドのカルカッタという町の裁判所の判事さんという肩書きでした。つまり肩書きだけイギリスはくれるのです。お金はその肩書きで給料払うから実際は自分の専門の教育、勉強だけして金になるものを見つけてくれと、これがイギリスがとった政策です。このウイリアム・ジョーンズが一生懸命インドの言葉を調べたら、とんでもないことを見つけたのです。 何かというと自分の国ではイギリス語、つまり英語ですね、その英語と、インド人がしゃべっている古い時代のサンスクリットと呼ばれるインドの言葉が同類の言葉だということに気が付くのです。これはとんでもないことだとわかりますか?僕は学生に例えていつも言うのですがこれは、日本人が例えばですよ、ロケットを作って宇宙飛行士が火星まで飛んでいった。火星に着陸して火星を探検していたら火星の岩の向こうから八本足のタコみたいな火星人がニョロニョロとやって来て、そして日本語で「ようこそいらっしゃいました」と言ったのと同じぐらいのショックです。わかります? 遥か彼方ヨーロッパの人達から見れば当時のインドというのは未開の野蛮な国でした。それを植民地にしてそこを調べてみたら、なんと自分たちがしゃべっている言葉と同じ言葉をしゃべっているじゃないかと。同じというのは,まったく同じという意味ではなくて明らかに同じ系統の言葉という意味です。 そこでウイリアム・ジョーンズは英語と似ているのであればドイツ語フランス語とはどうか?これが似ています。それならばヨーロッパのもっと古い言葉とはどうか?古い言葉はラテン語といいますね。もっと似ている。ギリシャ語だったら、古代ギリシャ語、ソクラテスがしゃべっていた様な古代ギリシャ語。もう絶対間違いない。インドのサンスクリットと古代ギリシャ語は同じ言葉です。そこからまったく新しい考え方が出てきた。つまりインドからヨーロッパまで全部これは一つの文化圏ではないか。古代の世界では実は同じ文化だった。今では違うように発展して違うように見えるけれども実は全部同じだという、とんでもないことがわかるわけです。ウイリアム・ジョーンズはインドとヨーロッパがもし同じ言葉であるならば、その中間地点、今で言うイラン、イラクなどのペルシャの国々ね。あそこの古い言葉も調べてみたらきっと似ているはずだという予測をたてました。そして実際に学者達が調べてみるとこれはドンピシャリ当たります。結局インド、ペルシャ、ヨーロッパ全部言葉は同じということになったのです。不思議ですね。 今考えてみるとヨーロッパから移民がアメリカ大陸に渡りました。北アメリカは英語、南アメリカはスペイン語とポルトガル語。これは全部ヨーロッパの言葉ですから今のアメリカ大陸の言葉も全部同じということになってしまう。そうするとユーラシアの一番端っこのインドからアメリカまで全部同じ言葉だったのです。凄いですね。そこから昔、強い民族がいて、それが多分ヨーロッパからインド全域を支配したのだろう。そうしてその言葉が今でも残っているのであろう、という説が出てきたわけです。
◆インド・ヨーロッパ語とアーリア民族 では、その民族とは一体誰なのか?今ではそういう民族はどこにいるかわかりません。おそらく一方ではヨーロッパ人になり一方ではインド人になっているのでしょうけれども、そのオリジナルの民族のことについては全然わかりません。何て呼んだらいいのかもわからない。呼び方もわからない。そこで学者はしょうがないのでインドからヨーロッパまでの文化の中で残っている一番古い本、実はそれはインドに残っていたのです。一番古いその教え、言葉というのは「ベーダ」と呼ばれる、聖なる神様を称える本がインドに残っているのです。これはもの凄く古いものです。この「ベーダ」の中を読んでみると自分達の民族のことを「聖なる民族」と呼んでいるのです。その聖なる民族という言葉はインドの言葉で「アーリア」と呼ぶのです。わかりますか?そこで我々現代人は本当かどうかわからないが、とにかく便宜上その民族の名前を「アーリア」という名前で呼ぶ様になっています。 そのアーリア人がインドからヨーロッパ全域を征服したとして、その人達が使っていた一番オリジナルな言葉、今はもう無くなってしまったけれども、そのアーリア人が元々使っていた一番根っこにある言葉のことを一応インド・ヨーロッパ語。あまりにも安易なつけ方ですよね。もう少しかっこいい名前があってもいいと思いますが、インド・ヨーロッパ語と呼ぶのです。ですから、今のインド人がしゃべっている言葉はインド・ヨーロッパ語です。それの末裔です。ヨーロッパの中でインド・ヨーロッパ語を使っていない人の方が少ないのです。ヨーロッパの言葉の中でインド・ヨーロッパ語でないもの、これは本当に少ないので挙げることが出来ますよ。 フランスとスペインとの中間地帯にバスクという地帯があります。ヨーロッパに行ったことのある方ならご存知かもしれませんね。バスク地方。バスク地方の人達がしゃべっているバスク語という言葉が今でもありますがこれはインド・ヨーロッパ語ではありません。どこから来たのかは知りません。元々ヨーロッパにあった土着のものでしょうね。それからローマという文化が出来る前にイタリアに起こっていたエトルリアという文化があります。これは綺麗な壺を作っている文化で有名ですね。エトルリアの壺という。この言葉もインド・ヨーロッパ語ではありません。 現代のヨーロッパの国の中でインド・ヨーロッパ語を使っていない国が幾つかあります。そのうちの二つは新しい時代にチンギス・ハンとかの時代ですね。ユーラシアの東の方から攻め込んできた遊牧民族がつくった国なので、何千年も前のアーリア人と全然関係なくつくられた国なのでその国の人達はインド・ヨーロッパ語を使っていません。ハンガリーです。ハンガリーのハンというのは、元々は騎馬民族フン族。フンガリーですね。ですからあそこのハンガリア語はインド・ヨーロッパ語ではありません。 もう一つはフィンランドですね。フンランド。この二つはインドヨーロッパ語を使っていない。しかしもう、挙げなさいといわれても、それぐらいしか挙げられません。後は全部インド・ヨーロッパ語の系統の国々です。したがってアーリア人という特別な民族がいたという事が想定されます。このアーリア民族が今から3千年から4千年前その大きな流れの一環としてインドにも入ってきました。そしてここに自分たち独自の文化を作るようになりました。
◆アーリア民族とカースト制度 その文化の基本は何かというと、まず一つには、それまで住んでいた民族と、征服民族として入ってきたアーリア人との間の二段階差別社会です。当然、征服した側と征服された側ですから二段階社会になる。しかもそれが幾つかの社会的な状況によってわかれるので非常に厳しい身分差別社会がここに生まれることになりました。良くご存知のカースト制度です。 <バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラ>。でさらにその下に不可触民と呼ばれる<チャンダーラ>と呼ばれる階級、大きく分けて5つぐらいの階級になります。このうちの、バラモン、クシャトリア、大体この二つは入ってきたアーリア人が占めていました。上ですからね。そして三番目のバイシャというのは普通、平民と訳されますが、一般市民ですね。一般市民の中にはアーリアもいれば元々住んでいた現地のインド人もいるという形で混ざっています。そしてシュードラまでいくと、これは元々住んでいた現地人。それから、その下のチャンダーラと呼ばれる人達はどうして生まれたのかというと、それはすでにこの段階でアーリア文化ができて入ってきますが、この辺りまで来たときにカースト制度は定着します。バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラまでできたのです。 さらにそれがこちらまで進んでいくと、例えば森の中に住んでいた少数民族とか部族がだんだん文化の中に取り込まれていきますが、もうその段階ではシュードラまで身分制度が確定してしまっていたので入る場所がないのです。それで余ってしまうので、とんでもない話ですが余った人間は下に落とそうということで、かわいそうですがどんどん取り込まれてカーストのさらに下へ置かれてチャンダーラと呼ばれる身分へと発展していきます。いずれにしてもこの様に行われるカースト制度というものが非常に厳しい階級社会を生んでいきます。
◆親が蛇使いなら子供も蛇使い カースト制度は今でもありますよ。インドでは法律上撤廃されて、ないことになっていますけれども、インドではこのカースト制度がいまだに厳しい社会制度として残っています。特に職業がカーストによって規制されています。例えば皆さんよくご存知のヘビ使い。ヘビ使いはカーストです。つまりヘビ使いという職業の人々の村があって、その人々はこの5段階の中のさらに細かい区分の一つに属しています。細かくわけて言うとインドのカースト制度は2千から3千に分かれているのです。凄いですよ。だから、いくつあるのか知っているインド人はひとりもいません。わからないのです。地域によってみんな違い、バラバラなので。ヘビ使いカーストがその中の一つです。ヘビ使いに生まれた子供たちは特別に自分が勉強して大学に行くといったことを考えない限り、父親の後を継げば必ずヘビ使いになります。 だからヘビ使いの子供に生まれたら小さい時からおもちゃはヘビなのです。最初は毒の無いヘビから触らせて、全然怖くなくなったらだんだんコブラを触るようになるというわけです。ミージシャン、ヘビ使い色々な職業がすべて2千から3千ぐらいのカーストによって決められ、そして結婚や就職その他社会での重要な局面はすべてこれに支配されている。法律上はその様なものはないと言っているけれどもとんでもない話でいまだにこれがインドを動かしているわけです。
◆バラモンは神と会話ができる その一番上にいるバラモンの話をしなければいけません。なぜバラモンと呼ばれる人達が一番上にいるのか?これは考えてみると不思議です。バラモンというと普通はお坊さんと訳されますね。バラモンはどうして一番上かといいますと、この人達は神様と話をすることができる。神様に物事をお願いすることができる階級だからなのです。どういう事かといいますと、インドの神様の体系というのはキリスト教やイスラム教の様な神様とは全然違います。 むしろ日本の八百万の神に近い様なもので、この世界の森羅万象、全てのものが全部神様になります。例えば暁、明け方になると空が赤くなってくる、それが神様です。勿論、太陽も月も神様です。風が吹けば神様。雷がなれば神様。そして昔の人は麻薬を飲んでいたのですね。麻薬を飲んでファーと気持ちが良くなると、これは麻薬の中に特別なパワーがある。麻薬も神様。サイコロ博打をすると勝つときにはどんどん勝つけれども、負けが込むといくらやっても勝てない。これはサイコロ博打の中に特別なパワーがあるに違いない。そこで博打という神様。何でも形のあるもの無いものみんな神様になって行きます。そしてこの神様は我々人間の社会と無関係にあるのではなくて、私たちが神様にお願いをすればそれに応じて神様が動いてくれると考えます。いってみれば生贄とか供物をあげると見返りに私たちにちゃんといいことをしてくれる。そういう神様なのです。
◆バラモンはクシャトリアの願いをかなえる ところがアーリア人が持ち込んだ神話体系、神様の体系の中では、その神様にお願いができる人とできない人がいる。どの様な人ができるのかというとそれは神様と繋がりが深い家柄に生まれた人達。いってみれば巫女さんの家に生まれたとか、なにかシャーマンの家に生まれたとかそういうことを意味しています。神様と交流を持つことのできる血筋と、いくら神様にお願いをしても何も力の無い血筋がちゃんと最初からわかれているのです。そして神様にお願いをするためには、その神様にお願いができる血筋に生まれなければならない。その血筋のことをバラモンというのです。だからこれは階級です。血筋で決まる階級。だからバラモンが一番上に来るのがわかりますか? クシャトリアは武士階級、王様階級ですからお金はたくさんあります。世の中の色々な財宝を集めることはできますが、いくらそういうものがあったとしても神様が敵にまわったらどうにもなりません。神様を自分の味方にするにはバラモンにお願いをするしかないのです。だからバラモンの方が上なのです。例えば私が大王で凄い力を持っている。しかし隣の国と戦争をしなくてはならなくなった。当然バラモンにお願いをして今度戦争をするから戦争の神様にお願いをしてうちの軍隊が勝つようにお願いをするわけです。インドラといいますね。戦争の神様のことを。日本で言うと帝釈天です。勿論敵の王様も同じ事をしていますよ。しかしそれをやらなかったらどうなるかわかりますか?もしお願いをしなかったら。お願いをしなかったら部下や兵士たちがこの様に考えます。敵の王様はちゃんと供物をあげてインドラにお願いをしたけれども、うちの大将はケチだからお願いしていないらしい。これは絶対負ける。逃げようと皆逃げてしまう。つまり神様がいる、いない関係なしに世の中の人々がそのことを信じていることによって神はそこに表れるのです。存在するのです。そうしてバラモンはクシャトリアよりも上の力を持っていく様になっていくわけです。
◆すべては血筋で決まる この話で一番ポイントになるのは、それは全て「血」で決まるということです。これは大変なことですね。今でもインドではカーストがあるわけですからバラモン階級の人達がいます。今はバラモンだからといって神様と交信する仕事に就くというのは少ないです。みんなサラリーマンになったり、普通の仕事をしています。しかし、中には今でも昔ながらのバラモンを継いでいる人がいます。そういう人はどうするのかというと。生まれてから十年間以上、ひたすら神様と交信するための儀式とか日本で言う祝詞ですね、神様を呼び寄せる言葉。そういうものを十年以上ひたすら勉強して一言も間違えないように唱えられて初めて一人前のバラモンになります。そうするとその様になった人は例えばお祭りだとか戦争だとかそういうことがある時には必ず呼ばれて行って人々からたくさんの謝礼を貰うというわけです。 そのバラモンが一番最初に神様と交信する時にCQサインをだすのですね。今から神様にお願いをしますのでどうぞ私の言うことをきいてください。アテンション・プリーズですね。なんと言う言葉かご存知ですか?その時にだすCQサイン。一番最初の言葉。これは、意味は無いのですが神様に称える言葉。これを「オウム」というのです。「オウム」とは神と人間が交信するときの最初と最後の言葉です。それが真理かどうかは知りませんけれども・・・(笑)。そういう意味があります。 このバラモン教の一番の問題点は人間の価値は生まれで決まるということです。これが問題なのです。だから先程からカースト制度が問題だと言っているのはそういうことです。人間の価値が生まれで決まるというところに問題があるわけですよ。バラモンで生まれれば幸せでしょうね。チャンダーラやシュードラに生まれた人達は悲惨ですね。チャンダーラは今ではかなり、身分は良くはなっていますけれども。第二次世界大戦前、まだ植民地時代だった頃のチャンダーラは人間扱いされませんでしたからね。殺されても警察は動かない、チャンダーラを殺したほうが牛を殺すより安くあがるとか、この様な言われ方をされていた人達です。最近では、多少は無くなってきましたが、やはり差別はあります。その今のカースト制度に基づくバラモンが一番上に来ている、そのシステムのことを我々はバラモン教と呼ぶわけです。
◆クシャトリアの義憤 今のインドはヒンドゥー教と呼ばれていますがバラモン教とヒンドゥー教は根は同じものだと思ってください。バラモン教がだんだん時代と共に色々な神様の数が増えて世俗的になっていって、やがて今のヒンドゥー教になったわけです。その根底が「生まれ」で人間を差別するカースト制度であるという所は同じです。だから考えてみるとインドの文化は数千年間、何も変わらずに続いているわけです。その中でやがて一番上にバラモンが来ることに不満を持つ人達が現れます。大体そういう人達というのは二番目の人達です。自分たちは凄く力があるのにいつも頭の上を押さえられている。どうも納得がいかない。というわけで二番目の階級の人達が今度は反バラモン教の動きを次第に持つようになっていきます。当然クシャトリア階級ですね。そこから出てくる人達がバラモン教を認めない、バラモン教の言っていることはおかしい、と言い出すわけです。どこがおかしいのかといいますと。クシャトリアに生まれてしまったからバラモンになれなかったという点ですね。当然彼らの主張は、人間の価値が生まれで決まるのはおかしいではないか、ということです。
◆人間の価値は平等 では、人間の価値が生まれで決まるのではないのならば何で決まるのかとバラモンから問いかけられます。どの様に答えますか?人間の価値が生まれではないということはつまり、生まれたときはみんな平等だという意味でしょう。スタートラインは一緒だという意味でしょう。それがどこかで人間に甲乙、優劣というものがもしできるとするならば、その違いは生まれた後でなければおかしいはずです。ですから生まれた後、つまり人間が生まれた後にどの様な努力をするか。どんな努力をどの位したかによってその人の価値が決まるという考え方が反バラモン教の人達の中心的な考え方になります。 インドの言葉で努力という言葉は「シュラム」というのです。そしてインドの言葉で努力をする人、つまりバラモン教を認めない、人間の価値は努力で決まるのだという人達は、努力をする人という意味で「シュラマナ」と呼ばれます。これがそのまま中国に渡って中国語で漢文、漢字に翻訳されるのですが、中国にはその様な人がいないので上手く翻訳することができないから、音だけを写しておくのです。音写するのですね。「シャーマナ」、「シャーマン」から沙門という言葉で音写されていきます。ですから日本では沙門というと仏教のお坊さんという意味で使うのですが、これは、本当は正しくありません。沙門というのはバラモン教を認めない、つまり人間の価値は努力で決まると考える人は全部沙門です。そして仏教はその中の一つです。だから仏教のお坊さんは沙門ですが沙門が全部仏教のお坊さんというわけではありません。
◆人間の価値は努力で決まる? 例えば今のインドにはジャイナ教と呼ばれる別の宗教があります。このジャイナ教は代表的な沙門宗教です。人間の価値を努力で決めようというわけです。だからジャイナ教の修行者も沙門ということになります。ところがこの沙門は努力をする人だと私は言いますが、難しいですね。人間の価値は生まれではなく、努力なのだと聞いて、では努力とは何か?これを答えるのは難しいですね。実際その当時のインドの人達、インドの沙門達にとってもこの問題は大変難しくて、上手く答えられない。 そこでインドにはたくさんの沙門が現れて、その沙門達はみんなそれぞれ違ったことを努力だと考えたのです。つまり色々な沙門がいたわけです。中には変な沙門もいたのです。例えば努力とは辛いことを我慢することだ。だからどの様にするのかというと爪を切らないとか。爪を切らないことが努力なのだそうです。たぶんみなさんテレビとかで見たことあるのではないでしょうか。爪をのばしている人。インド人だったでしょう。あれは沙門の伝統がそのまま今のインドにも残っているのです。あれは好きこのんで趣味でのばしているのではないのですよ。あれは修行です。あれも努力なのです。そう考える一般の人達です。色々あります。 それからお腹に針を刺すとか、暑い40度を越す真夏の日に4箇所で焚き火を焚いてその真ん中でずっと座っているとか、町内我慢大会のレベルです。それから、私は会ったことがありますが太陽を一日中見つめている人。勿論、失明していますよ。インドの太陽を三日も眺めれば失明はしますよ。角膜が焼けてしまいますからね。その後死ぬまでずっと見つめ続ける。これは全て自分の肉体をいじめて、そして我慢するということによってこれが努力である。その努力を積み重ねることによって我々の魂の解放を得ることができるという、そういう沙門の考え方です。 それとはまた別の系統に進んだ沙門宗教があります。それは肉体というものを一切無視して、肉体をいじめることは全然努力ではないのだと、努力は全て精神的な問題、心の問題だけに関わってくると考えた沙門がいます。そういう沙門はどの様な修行をするかといいますと肉体をいじめる我慢するようなことは一切いたしません。ということは、肉体は一番何もストレスの無い、リラックスした状態に置いておくわけです。その代わりそのエネルギーは全部自分の心、精神を見つめる方向に使わなければならないというわけですから、一日中自分の精神を見つめることになります。外から見るとそれはどの様な姿に見えるかわかりますか?瞑想ですね。どうしたってそれは姿として瞑想になっていきます。これが仏教という沙門宗教がとった道です。
◆仏教の基本は坐禅 お釈迦様の伝記でご存知かと思いますが出家した後に一度苦行をなさるでしょう。体をいじめる様な修行をなさるでしょう。でもそれを途中でやめてしまいます。そしてスジャーターさんがくれた乳粥を飲んで元気になってから木の下に座って悟りますね。あれはまさにそれを表しております。つまり肉体をいじめるのではなくて全てのエネルギーを精神の状態へ振り向けるという立場がこれが仏教の本来の姿なのです。 でも坐禅していると足が痛くなるよというかもしれませんが、インドで一番楽な状態は何ですかと聞かれたら、それは木の下に座っていることに決まっていますよ。40度越すようなところで家の中にはいられないです。風が吹かないからね。家の中にいたら暑くてしょうがないです。外にいるのが一番いい。太陽が無い、直射日光が当たらないで風が吹くところはどこですかといったら、木の下に決まっているでしょう。それならば寝ていた方がいいのでは。寝ていると汗はかくし、虫は来るし不愉快ですよね。座っているほうが楽です。ですから実はここは禅宗のお寺なのでいいますが坐禅というものがありますけれども、坐禅は厳しく肉体をいじめているのではないのですよ。肉体は一番楽にしている状態なのです。肉体があるということを忘れてしまうほどリラックスする状態が坐禅の座っている姿。何をしているのかというと要するにエネルギーを心のほうにだけ向けているから、あのようにジーと座っているのです。外に気が散っていないのですね。それが本来の仏教の修行なのです。
◆苦行は仏教ではない それでよく言うのですが、お正月になるとテレビで何宗か知りませんけれどもお坊さんが冷たい滝に打たれたり、水浴びしたりしていますよね。それとかどこかの行者さんが火渡りとかして火の上を歩いたり、或いは比叡山で毎日朝早く走り回っている人もいますね。今考えた本来の仏教の沙門としてのやり方から考えたら、実はあれは正しくはないのです。本来お釈迦様が考えた修行とは全然違いますよ。さきほど爪をのばしているのは努力だといった。皆さんは馬鹿みたいだと思ったかもしれませんが。それはなぜかというと爪をのばしても心は綺麗にならないからです。もし爪を伸ばして心が綺麗になるのならば、私ものばしますけれども。それは繋がりがない、関係がないと思うからその様に思うのですね。 ところがお正月の寒い冬に水浴びをしたらそれが、心を綺麗にすると考えるのですね。私はその様には思はないのですが。こんなこと言っていると怒られてしまいますが、マーいいですよね。比叡山で飯食っているわけではないから・・・。でもそれは本当にそういうことなのです。仏教の本質は瞑想にあるという点は絶対に逃してはいけない事なのです。 それ以外の色々な修行が現れますが、それはお釈迦様がつくった仏教が次第に変化して、その時代や地域に応じて転変していく中で新たに取り入れられていった別個の修行形態です。それは全て否定するのですかといわれますが。そうではなくて、別にブランド志向でなくてもいいわけです。お釈迦様ブランドがついていなくても構わないでしょう。お釈迦様の時代のバラモン教の中の世界においてはお釈迦様が考えたような、沙門宗教というものは大事ではあったが社会が別の状態だったらそれに合わせたまた別の形態があってもおかしくは無いわけですから。昔あったものが一番いいのだから、その後出てきたものは全部偽者だといって打ち消してしまうのも変な話なのです。ですからそれは、結局は今の時代の中でそしてそこで生きている我々一人ひとりの自分の状態に応じてどれが一番正しいのか自分で選ばなくてはいけないのです。選択です。
◆檀家制度も仏教とは関係ない 現代において、檀家制度はもう関係ないですね。それは江戸から明治でしたけれども今これからは、やはり自分にあった形を選択するという形になるのでしょうね。だから、私はお釈迦様は大好きですが瞑想修行を一番だとは私自身思ってはいません。他の形の信仰もあると思っています。しかし、それは個人的な問題なのであまり人には言わないようにしています。自分で選んだのですからそれを人にまで押し付けるのは変な話ですからね。ともかくそのようにして瞑想を中心とした一つの修行形態を持つ仏教という宗教が生まれました。たくさんある沙門の中の一つです。そして、この仏教という宗教の基本的な方針がお釈迦様によって創られました。
◆出家して、とにかく瞑想せよ! まず、何が大事かというと、とにかく瞑想せよ!全てのエネルギー、時間を使って瞑想せよ。そうしないと、人間の心はきれいにならない。そんな一朝一夕に簡単な修行ですぐきれいになる。そんなことありません。これは、大変な努力が必要です。努力宗教ですからね、「シュラマナ」だから。特にお釈迦様は、「片手間では無理だ!」と、いうのです。片手間というのは、つまり、仕事をしながらは無理だというのです。五時まで仕事して、二時間瞑想して、そして悟る。それは、無理だろう。しかも、仕事すると、自分の心の中から消さなければいけない執着とか、怒りとかそういうものがまた仕事するとどんどん増えていく。要するに今で言うストレス。ですから仕事は駄目。 というわけで仕事をやめるというのが基本方針になりました。仕事をやめて1人で暮らすというのは大変なので仕事をやめた人間が集団で暮らしなさい、そして修行をしなさい、というふうに告げました。仕事をやめた人間が、集団で暮らすと死んじゃいます。それはそうです。何も食べる手段が無いのですから。それで、お釈迦さんはどういうふうに食べたらいいか食べ方も教えてくれるわけです。人から貰えばいい。もうそれだけです。あまり物を貰いなさい、残り物を貰いなさい、これを托鉢、乞食とか言います。 まず、仏教で志を立てて修行をしたいという人は、仕事をまず全部やめること。これを出家といいます。そして集団で暮らすということ、これを「僧団」といいます。「サンガ」といいます。そしてご飯は人の残り物を貰って歩きなさい。それ以外のものは、絶対駄目です。「寺の後ろの畑で大根と人参を作ったらどうでしょうか?自分で作ったのなら良いのではないでしょうか?」というのはダメ!駄目です。お坊さんは、自給自足は禁止です。ちゃんとインドの規則書の中に書いてある。だから、インドのことやらないと、日本のことだけ見ているとわからなくなるんです。 お坊さんが大根、人参作るようになったのはずいぶん後の中国になってからの話です。インドのお坊さんは一切自分では働いていません。働いてはいけない。規則なんでね。口の中に入れていい物、つまり、食べてもいいものは、誰かが鉢の中に入れてくれたものだけ、と、決められています。大根作ったって大根が飛んできて鉢に入るわけじゃない。そうでしょ?(笑)誰かが入れてくれたものしか食べたらダメ!というのだから、自分で作ることは出来ないし、自分で拾って食べるのは、ダメですよ。山の中に入って木の実を採って自分でこれならいいだろうと、そこに落ちているドングリ食べたら、それはダメ!誰も入れてくれてない。柿の実なっているからと、採ったらダメ。それは、ズルですね。やっぱり人が入れてくれないとダメです。だからお坊さんというのは人に頼って生きるというのが、基本原則なのです。
◆出家者としての条件 でもそんなに人に頼ってもご飯入れてくれるのかしら?それはね、条件があります。入れてもらうためには、その坊さんは、入れてもらえるような人間でなきゃならない。当然でしょう。例えば、毎日遊んで暮らしているとかね、この間行ったらカラオケで会ったとか、(笑)。で、その坊さんが、次の日、鉢持って、「ここに入れてください」と言ってもチョッと入れませんよね。つまりこれは、大変厳しい話なのです。当時のインドのお坊さんというのは、ほんとに厳しい条件で生きていた。しかも大事なことは、沙門がたくさんいたから、ライバルだらけなのです。日本や今の仏教国っていうのは、仏教しかない。鉢を持って歩いてくれば仏教のお坊さんと思うでしょ? 当時のインドは、違います。毎日毎日いろいろな人が、家の前を、いろんな修行者が、歩いていくのだけれど、全部、宗教が違う。その中の1人が、仏教で、余り物をあげるといっても、みんなにあげるわけにはいかない。そんなに裕福じゃないから。そうしたら、自分が選んだいいと思う人にしかあげません。しかも、仏教で言う「業」の考え方によると、何か人にあげると、それは、良いことだから、必ず見返りが来る。その見返りというのは、いい人にあげればあげるほど、見返りがたくさん来る、と当時のインド人は、信じていた。つまり、尊敬できない人に、百円あげても、何も返ってこない。尊敬できる人にあげると、それが、千円になって返ってくる。と、当時の人は、信じていたわけです。そうすると、そういう中で、修行者がお布施を貰う。つまりご飯を入れてもらうということは、大変なことなのです。それなりにお坊さんは、もの凄く自分をキチッとした人間として生活しなければならないわけです。 ですが、これは、お釈迦様が考えた非常に合理的なやり方だと思います。これによって当時のお坊さんは、嫌でも、立派な人間として行動しなければならなかった。そうしないと、食べられなくなって死んでしまう。ですから、当時の仏教のお坊さんたちは集団で暮らしながら、キチッとした規則を守って世の中から軽蔑されないように、そしてお布施が貰えるような集団として毎日を暮らしていたわけです。その規則のことを、「律」と呼ぶのですね。お坊さんが毎日キチッとした生活をするために守らなければならない規則のことを、「律」といいます。戒律のリツです。日本にも律宗というのがありますけれども・・・このような形で仏教というのは常に社会の目を意識して、社会から軽蔑されないようにして生きていく、というのが基本法則なのです。ここがオウム真理教と基本的に違うところです。解ります?オウム真理教はどうやって生計を立てたか御存知ですか?
◆オウム真理教の出家 今言ったように、仏教は人からモノをもらって生きます、と決めたでしょう。だから当然一般社会の人達に対して常に尊敬されなければならないという意識で生活をする。オウム真理教はどうやってお金を儲けるかというと、その1番の基本が違うのです。一般社会のお金を奪い取る、というのが基本方針。信者さんになったら信者さんの持っていた全財産は僧団に寄付しなさい。すると、残った家族は困るでしょう、困ってもいいです、困ってもいいからそのお金は全部寄付しなさい、というのがオウム真理教の生きる道でした。仏教のお坊さんは出家した時に、その財産をどうするかご存知ですか? 今、日本では「出家」ということはほとんど無いからね。お坊さんはお寺に生まれた人がお坊さんになっているだけだからあまり「出家」ということはないので、その残りの財産をどうするか、ということはあまり知らないと思いますがね。本来、仏教ではそれは、仏教僧団は知らない、と言うのです。知ったことじゃない。それは出家する人の勝手。ただ、出家したお坊さんは、財産は持たないで下さい、だからそれを例えば、残してきた子供にとか、家族に置いていくなり、誰かに寄付したかったら慈善団体でも何でもいいから寄付するなり、好きなようにしてください。お寺は出家した人のお金に関しては一切関知しません。もちろん、お寺に寄付してくれたら、それはいいかもしれないけどね。それはありがたいけれども、強制するようなことは絶対出来ないです。 オウムはそれを強制した、強制したから当然社会から見ると、我々のお金を奪っていくものだ、となります。オウムはそうやって人からの好意によって貰うのではなくて、強制的に奪い取りますから、社会に対して我々は尊敬されねばならないという、そういう気分はないのです。むしろ自分達の活動を妨害するような社会は我々の敵であると考える。だから当然それがエスカレートしていけば、サリン事件にもなるし、自分たちで武器を持って武装するというようなことになって仏教と正反対に進んでいきます。 その、仏教とオウム真理教の1番の境目、分かれ目は何かというと、それはどうやって生きていくか、という方針が違うのです。仏教はもらい物で生きる、これがもう基本方針なのですね、で、まあ今日は大乗仏教の話というのだけれども、何でもいいのです。仏教の基本さえ分かれば、あとは、大乗仏教と小乗仏教の違いというものに関しては、また別の話になってくるのです。
◆大乗は努力を他人に分けられる 今言った、僕がお話をしたお坊さんの生活方法、生活形態は、これは小乗も大乗も関係ありません。当時のインドではお坊さんと呼ばれる人達は皆この生活をしていました。ただ、小乗と大乗が違ってくるのは、大乗になってくると「自分の努力」という問題が自分の努力では足りない部分を他の人が補填してくれる、あるいは、自分の努力を他の人に分けてあげることが出来る、という具合に努力の受け渡しが出来る、と考え始めるところが大乗仏教の出発点です。本来お釈迦様はそんなこと言ってないです、お釈迦様の時代には、「業」の問題、つまり、自分が何かをした、その自分のやったパワーはどうなるかというと、それは自分が受け取るという風に考えます。それはまあ、お金と同じです。借金したら借金した本人が返さなければならない、お金を儲けたら儲けは、儲けた本人が使うことが出来る。これは一切、他の人がそこに関わることが出来ないと考えていたのです。これが本来の業の考え方です。 ところが、いろいろな時代の問題もあるのでしょうけれども、インドはお釈迦様の時代は、割と平穏だったのですが、その後、もうグジャグジャに崩れていくのですね、戦乱時代になって、そんなこと言ったって、出家したって、ちゃんとお坊さんとして生活していけないよ、という時代が来るのですね。そうなると、出家しなくても、つまり、努力をしなくても何とか他の形でゴールまで、悟りまで行けないものだろうか、といろんな人が考え始める。そこではじめて、この、業の自己責任性が次第に崩れていくわけです。 そうすると、自分ではとても努力しきれない。まあ、言ってみれば、私は今出家も出来ない、家族もいるし、今仕事をやめたら皆家族は死んでしまうだろう。ということは、私は修行が出来ないからいつまでたっても悟れない、と思っている人が、その分を誰か他の人が修行してくれて、分けてくれる、ということはないだろうか、と考え始めるわけです。逆に、今度は、私はいつも悪いことばかりして、悪い業がいっぱい詰まっている、私の背中には悪い業が山ほど溜まっている、それを誰かが肩代わりして、まあ要するに、借金だね、これを全部代わりに払ってくれないかしら、というような考えの中から次第に、我々を救う仏、我々を助ける仏というような、存在が想定されていく、頭の中に浮かんでくるわけですね。それが、今で言う浄土教的な阿弥陀の世界とか、あるいはさまざまな仏というものを生み出すわけです。 ですから、お釈迦様の時代に仏様というのはお釈迦様だけですよ。スリランカのお寺へ行ったって、お寺の中に建っている仏像はお釈迦様だけですよ。他の仏なんていうものは後で、大乗仏教になってからでてきたものであって、本来の仏教には無いです。仏がたくさんいるならば、仏予備軍もたくさんいるはずだ、仏になるために修行中の人もたくさんいるはずだ、ということで菩薩と呼ばれる、仏予備軍の人達もいっぱい考えられるようなった。小乗仏教にもともと観音信仰なんかないですよ、という具合で、また色々な原理の変更があって面白いのですけれども、今日はもうそこまで行かない。大乗の話をするといいましたがこの辺で失礼いたします。(一同拍手)
▼質疑応答
Q; 先生はお釈迦様が大好きだといわれましたが、それはどうしてですか?それと、もう1つ釈尊が生まれた場所はカピラ城・・・
A; お釈迦様の何が好きかというと、考え方がもの凄く合理的なのです。お釈迦様が考えられたこの仏教社会、仏教的な世界というものを今の科学的な世界へ移し変えてもほとんど変更する必要がないのですね。おもしろいですよ。例えば、キリスト教やイスラム教の人等はねえ、仏教を批判するときに、神がいないじゃないか、仏教には神がいないじゃないか、神がいない宗教なんてあり得ないじゃないか、というけど、それは神がいる宗教という特別なものを信じているキリスト教やイスラム教の勝手な言い分であって、仏教という、ちゃんと歴然とした絶対神がいなくても成り立つ宗教はあるのです。それを知らないだけの話なのです。 仏教では、お釈迦様の考えたことはこうなのですね、世の中は、誰か特別な力を持った人が作ったのでもないし、特別なパワーを持った人がコントロールしているわけでもない、じゃあ世の中は何故こんな風に転変して移っていくのか、これは全部因果の法則である、つまり、原因があればそれに応じて必ずこういう結果がある、ということがもうオートマチックに自動的に移っていく、その世界があるんだ、と。そして、その中に我々が存在している、我々が修行をすることによって、その心の悪い形相を取り除く、そうするとその世界の中で真の幸せを得ることが出来るという、これをオートマチックな、決まった事柄であって、誰かがどうこうしようとしてやっているわけではないのだ、とこういうわけです。 ということはね、科学的な世界観というのは物質世界だけに目をやって、因果の法則を考えていく世界。仏教というのは、逆に今度は物質のほうをほとんど無視してしまって精神の中での因果関係というものを認めて考えていく世界。別にこれ全然矛盾しないのですよ。考え方としてね。もちろん、因果法則が正しいかどうか、その時点で見つかっている因果法則が正しいかどうかは別ですよ。例えば、ニュートン力学が相対性理論によってまた変わっていくのと同じように、時代が変わればそれぞれの因果法則を、我々が認める因果法則は変わるかもしれないけれども、原理原則としては世の中にはコントロールする絶対者がいなくてもオートマチックに動いていく法則性があって、それを知ることが我々の本当の目的だと考える、これ、もの凄く合理的です。当時の社会でいったら、本当に驚くべき合理性だと僕は思うのですね。 お釈迦様はそういうことをちゃんと気がついて、そして、その中で、じゃあどうやったらその精神的な汚れを除けばいいのか、というその生活スタイルを我々のために決めてくれた、それが今日お話した話です。その、どういう生活スタイルをするべきか、ですから仏教というのは信仰する宗教というよりも、むしろ信頼する宗教だと私は言うのですけれどもね。つまり、絶対的な不思議なものを認めて信じるのではなくて、お釈迦様が言って下さったそういう世界観は正しいのだということを信頼して、それに沿って自分でやってみるという宗教ですね。 解ります?やってみるのですよ。だからお釈迦様は絶対者でもないし、お釈迦様にすがれば全部助けてくれるなんて誰も言っていません、そんなこと。お釈迦様だって困っちゃうでしょう、そんなこと言われたら。なんで自分に、ってね。ただ私は皆さんのリーダーとして最初の道を見つけたから、それを皆さんにお知らせしているのだから、その通りにやってみたらどうですか、という考え方。僕は、これは非常に今の、なんというか、科学的な世界観、宗教に全然触れずに育ってきた人間でも非常にこれは素直に受け入れられる世界なのだと思っているのです。だから今でも通用するのだ、ということなのです。 それから、カピラヴァストゥ僕も行きましたけどね、全然分からないね。あの傍からね、カピラヴァストゥの傍から昔本当に壺が1個出たのです。その壺は古い壺で、今のインド人には読めない、古い文字で、お釈迦様の骨、釈迦の骨、と書いてあったのです、壺に。それで、開けてみたら骨が入っていたのです、見つけたフランス人のペッペという名前の考古学者はその骨をインドへ寄付しようとした、これお釈迦様の骨ですからね、ただ、インドは、うちはヒンドゥー教ですから要りません、それで、しょうがないので世界で最も信仰の厚いと思われていた国、タイへそれを寄付してしまいました、その骨を。タイはまたね、仏教国だね、うちの国だけで持っておくのはもったいない、世界の仏教国にこの骨を分けてあげましょう、ということで、その骨をみんなに分けることになりました。 それで、日本も当然分けてもらえるかなと思ったら、日本は本当の仏教国ではないから分けてあげない、と言われた。ところが、たまたま、それ明治ですけれどね、明治の時代に、その時に日本から使節団がタイへ行っていたので、お願いします、そんなこと言わずに、日本にも分けて下さい、というわけでその骨を貰ったのです。日本にありますよ。ちょうど明治の、明治維新の直後にその骨は日本へもたらされました。そこで喧嘩になったんだ、どこへ置くかというので。ちょうど明治の後だから東京に、ここに首都が移ったでしょう、これは世界の宝なのだから東京に置くのが当たり前だと、江戸の人達は言う、何を言っているのだ、仏教の中心地は京都に決まっているではないか、京都の人は言う、それで綱引きになって大喧嘩になって、しょうがないから真ん中に置こう、ということで、名古屋に置くことになりました。 その骨は壺に入れて、名古屋に新しくお寺を建ててそのお寺の中に、地面の下に埋めて、そして、その上に白い仏塔を建てました。日本がタイから貰った骨を入れたお寺、ということで、日本とタイの友好の寺ということで、そのお寺は日泰寺という名前がつけられます。今でも名古屋へ行って、地下鉄に乗りますと、覚王山日泰寺、という地下鉄の駅があります。行ってごらんなさい。もう骨は見えませんよ。下に埋めてあるから、日泰寺のタイは、天下泰平の泰という字を書いているので、あまり皆気がつかないのだけれども、その泰は、タイから貰った泰なのです。まだこれはちょっと後日談があって、ペッペが掘った壺の場所から20年ほどして別の探検隊が掘ったら、その下からもう1個釈迦の骨と書いた壺が出てきて、その骨は今イギリスのブリティッシュミュージアムに置いてあります、それで、それが本当かどうかは未解決のまま。だからあなたの質問には全然答えてないのだけれども、ついでに話をしていました。---------------------------------------------
Q;佐々木先生は花園大学で「禅と生 命科学」という講義をお持ちですがどんな内容なのですか?A;数年前に、花園大学に科学者を呼んで来て、科学の話をしてもらう公開講座を三年ほどやっていました。有名になった科学者ではなくて、色々な問題に取り組んで袋小路に入って困っているとか、苦労している若手の科学者を呼んできて自分がどういう考えで科学をやっているのか、という話をしてもらっていました。名前は「禅と生命科学」なのですが呼んでくる科学者の人は仏教のことなんて何にも知らなくていいのです。何にも話さなくていいのです。科学のことだけ話してくださいということでやっていました。 ところがそうやって話してもらっているとその科学者たちの言葉の中に仏教的なというか仏教でもそれは理解できるというようなことがいっぱい出てくるのですね。特に面白かったのは物理学者、今の量子論とか相対性理論とか世界をどう見るかというその見方そのものが仏教ともの凄くつながっている。科学と宗教っていうのは無理やりくっ付けるといやらしくなります。ただ、ごく自然に考えていくと非常にそこらには深いつながりを感じるのです。で、それが面白かったのですが、三年で息切れしちゃいました。(笑) 今は自分で講義を持たせてもらっています。昔は私もやったけれど、数式を使うことなんてもう出来ませんが、今の物理学が持っている宇宙観というもの、世界をどう観るのかという見方、その視点というものは説明をすることが出来ますからね。そういうものを学生さんと一緒にやっているのです。去年は生物学をやりました。皆さんご存知かな?スティーブン・J・グールドという人の『パンダの親指』という本を使って進化についての話を一年間やりました。 今年は、量子論の基本的なことを一緒に考える授業をやっています。そうすると学生さんは面白がりますね、ここ仏教と合うのではないですかとか、そういう風に考えていける様になれば宗教とか科学っていう風に、線引きしなくても、要するに世の中を合理的に観ていったらどうなのかというその一点でおさえていく事が出来るだろうと思っております。