2007年11月14日水曜日
主夫になって若返った元舅
写真はゆんフリー
働き蜂が居場所を失った悲劇はよくいわれるところだが、何をヌカすか、妻子のために辛い苦しい会社勤めを嫌々ながら続けてきたのではなかったか。「誰に食わせてもらっているだ」などとバカ丸出しのセリフを吐いて妻に愛想をつかされてしまっている。会社の居場所ナンテ幻想だったことを、離れてもまだ気付かない?人間生きるためにしなければならないことが山ほどあるんだ。
男はもう20年来自立していないといわれている。定年後は退職金と年金を半分にされ、離婚されるより、家事を分担するなど、妻に見直された方がよい。
ここから物語が始まる。
主夫になって若返った元舅:おおかた83歳になって姑に急死されたこの人は、パンツの置き場所も知らないオトノサマだった。長男の嫁故に、子育て終了時に逃げたくて離婚した。ところが彼は関西から私を追って、上京してきたため、いたかったら自分のことは自分でやれと自立の特訓をした。リュマチで少し不自由な脚に巨体が乗っかり不器用な手と衰えた五感で皿を割り、鍋を真っくろにし、洗濯機の水をあふれさせては後始末もできず、元嫁に怒鳴られるザマ。関西に親思いの息子や娘に親族もたくさんいるのに、彼は帰ろうともせず、泣き泣きひとつずつマスターしていった。米を洗って火にかけることでご飯ができることもしらなかった男が釜に米を仕掛けている。私はメインのおかずを拵えることでよくなった。それだけではない、役所や郵便局へいくのも、留守中の電話番や荷物の受け取り,集金の支払も、洗濯物ものの取り込みも、私のフリーの仕事が入りだすと秘書役もこなし、何時の間にか私とOLの娘はおじいちゃんがいないといきられなくなった。嫁として同居した時彼は七六歳だった。生きているのか死んでいるのかわからないムサいジジイだったのに、一家の主夫となり、家族の必要な一員となったとき、体は不自由ながらいきいきして若返ってしまったのだ。家事は企画力、判断力、決定・実行力、創造力、経済観念、後始末の責任能力などあらゆる能力を要し磨くものである。日本の男社会がどんづまりになってしまったのは、個々の男が“生命の営み”に根を下ろさず、子育ても含めて関わろうとしなかった当然の結果だろう。
退職したら子供の結婚式も子供ら自身で、2分22秒に一組が離婚する時代に親がかりの盛大な挙式も不要、葬儀代を残すのも、本人は立派な葬儀が見えるわけでなく、坊主を喜ばすより、生きているうちに自分のために使って喜べ。孫にいろいろ買ってあげたいというのも、孫で金・モノまみれにするジジ・ババ害はつつしみ、モノ抜きの愛情を眼いっぱい注いだら。
ここまでくると過激ではなく極まともに感じます。
門野春子[NHK連続小説:天うらら]の原案、」寝たきり婆あ猛語録の著書もある。定年後「もうひとつの人生」への案内:岩波書店編集部編
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