2009年8月31日月曜日

細心の気配り


おはようございます。昨日は台所の出窓の屋根は雨が強いと雨だれの音が早くなり、夕方8時に雨が弱くなると、雨だれの間隔が間遠くなってきていた。
今日は関東大震災の日で災害予防の日で、避難用具の点検や乾パンや飲料水などの交換が必要だ。「災害は忘れた頃にやってくる」と寺田寅彦がいっていたが至言です。

平成おとぎ話:河合隼雄より

本当の芸術家は歌詞の一言一言にも心が行き届いている。何気なく歌っているように見えて、どれほど細部のひとつひとつに心をつかっているか。
フィッシャー・ディスカウが、このように歌うのだと生徒に歌ってみせ、生徒が歌うことによって生徒に教えようとしているのは、その「歌い方」を真似ようということではない。自分が歌っているような「たましい」を」もって、生徒が自分の歌を歌うように、ということなのだ。先生は言うならば、シューベルトのたましいを自分はこう感じているのだと伝え、それを受け止めることが生徒にとって大切なのであって、先生の行為を真似してもはじまらないのだ。
 日本の教育はこれまで知識を早く伝えることに熱心すぎたのではなかろうか。その一番てっとり早いのが、すべて先生の真似を上手にすることである。先生のほうも、こうするのが正しい、こうすれば能率できる、というのを教えるし、生徒はそれを早く真似するほど「良い生徒」ということになる。
しかし、本当の教育において、先生が生徒に「伝える」ことはそういうことではない。
私は「シューベルトのたましい」などというものが伝わるものなのか。それはどうしたら伝わるのか。
フィッシャー・ディスカウのテレビ番組をみて河合さんは理屈ぬきで「たましい」が伝わるのが実感できたそうです。
彼の顔、仕草、それらすべてが「たましい」を伝えるために総動員されている。人間が生きているということ、人間が歌うということ、それがどんなに凄いことか、それはフィッシャー・ディスカウという存在が直接的に伝えてくれる。ほんの少しの強弱、長短に配慮がむけられ、フィッシャー・ディスカウはいちいち注意する。その細かいひとつひとつを通じてたましいが伝わっていく。

宝塚


おはようございます。女の姉妹がいないので、その関係はよくわかりませんが、お袋がよくいっていたのは、男の場合、かけてある服装は黒っぽいものばかりで、地味で面白くないと
いっていました。宝塚は尼崎にいたころ、労音でオイストラッフのバオリン演奏会でいったことがありました。大阪で中学の同窓会の女性連中だけは途中からここに行くとイソイソと出かけていました。

畑田国男:妹の力より

女の園これを構成する団員もおそらく女系家族出身者という仮の前提の説明だそうです。
「いい嫁を探すなら宝塚で探せ」といわれている。宝塚には舞台人を育成すると同時に、
一般の家庭人としても立派に通用する女性を養成するという側面もあるそうです。
宝塚はスターへの登竜門でもあるが、大スターになれるのはホンの一握り。大半の女性は宝塚OBのハクを土産によりよい結婚に走るのである。
「妹」は大スターを目指し、「姉」はそこそこで舞台からリタイアしている現象からも、姉には良妻に満足し、賢母の人生を歩むシーンが見て取れる。

【団員の兄弟・姉妹の内容】

男兄弟しかいない女性  115人(32.0%)
女姉妹がいる女性   181人(50.4%)
ひとりっ子      63人(17.5%)
(昭和40年から63年のスター級359人の「姉妹型分類」より)
「妹」が宝塚に興味をもったのは「姉」が宝塚を好きだった場合がほとんどである。
姉妹そろって、宝塚ファンだったが、「姉にすすめられて受験したら受かってしまった」というのが、「妹」サクセスストーリーの典型だ。姉は批評家で、妹はアクトレス。これが親子というよりも擬似姉妹のパターンである。
一方姉が宝塚に通うケースでは母の存在がおおきい。何時までも若い母、気が若くて姉の様な母、姉か友達のような母、こんな母の応援を受けて「私」は宝塚を受験するのである。
母親が姉に相当し、長女である私はいわば「妹」という構図である。
一人っ子が多い(63人=17.5%)という現象も姉妹のパターンだ。
同じ一人っ子でも、男の子だと、母親は厳しさを忘れ、つい過保護,過干渉におちいって、我が子をマザコンに追い込んでしまうケースがよくあるが、女の子だと上手に育てることが出来る。
母と娘の関係は、限りなく「姉妹」に近づくことが可能である。まして、長女でもある「一人っ子」と母の年齢差は少なく、この擬似姉妹は一層、姉妹に近い感情を共有できる。

2009年8月30日日曜日

犬と尊敬


おはようございます。朝の犬の散歩は男性が多いが、夕方や夜は女性が多いようです。大体犬の気ままにさせている方が満足しているようですね。わが家でも、結婚当初、茨城県の牛久市に住んでいた頃は
次郎という犬を飼っていました。松戸市にマンションに引っ越すときに飼育は駄目ということで、やもうえずお世話になった獣医さんにお願いしたら、引き取り先を世話してくれました。ところが1週間ほどして、隣家からの知らせで次郎が戻っているよという、隣家にお願いして引き取り先に連絡して戻してもらました。次郎は生後1週間の子犬を畳屋さんから頂いた柴犬の雑種でしたが、可愛い犬でした。

楽老抄:田辺聖子著・集英社より

ある新聞の投稿欄に「わが犬ながら、私は尊敬していた」と書かれており、私まで粛然として襟を正してしまった。そのような犬、「尊敬」せしめるほどの犬とはどういうことだろうと思っていたそうです。

犬好きの女性が集まった席で、好まれる話題「犬と男とどちらがいいか」――といのがあるそうです。
このテーマは奥が深いそうですが、
犬は食べ物のえり好みをしない。犬はつないでおけば彷徨しない。犬は稼ぎこそしないが、夏冬同じ着物で不平をいわない。犬は相談相手になり、かつ励ましてくれる、というのだ。
犬に<どうしようね、ジョン>などと話しかけると、つぶらな眼をじっとつけて、<あなたの思っているようにしたらいい、それがいちばんだよ>と示唆してくれるそうです。<つらいことばっかりなんだよ、ピコ>と涙を流している人には<元気だして>というように女の涙をなめてくれる、というのだ。
<男がこんなことするかよっ>
と女性達はいきまいた。結局犬は百パーセント情をかえしてくれるが、男性は10パーセント位しかかえしてくれぬ、男は犬より劣る、という結論になった。しかし彼女らにいわせると、「尊敬」に値する犬は、これちょっと困るナアということであった。

2009年8月29日土曜日

ほうとうの話には本当はない


おはようございます。河合隼雄著:平成おとぎ話:潮出版社より→ほらふきのお手本のようです。


河合隼雄さんはホラを吹くことはまえから有名で、日本ウソツキクラブの会長であることも大分知られている。その上ホラだけでなく、笛(フルート)をふくことも知られている。
 
『アメリカのテキサスA&M大学で講演があり、その講義録を書くにあたって、その大学のローゼン教授のご自宅に滞在させてもらった。
彼はアメリカ人らしく、「ワシントンと桜の木」の話の如く、「正直」を大事にする人である。
彼がいうには私のことについて「河合はすぐれたユーモア感覚の持ち主であること、執筆の合間に笛を美しく演奏する才能をもっている人だと」とこの講義録の序に書いている。
ところでローゼン邸でフルートを吹き始めると、たしかに 小鳥があちこちから飛んできて、木の枝に一列に止まり、なにやらさえずりはじめる。これには私もうれしくなってしまった。わが家でも庭に木もあるし、小鳥もくるが、小鳥が寄ってきたりすることはない。
こうなると、日米の文化比較までしたくなるのですが、講演のあと、アメリカの聴衆はそばによってきて「いい話を聞いてとても参考になった」とかいろいろほめてくれて握手をもとめてくれる。とすると、小鳥までも違うのかなと思ったりした。

こうなると私はとてもうれしくなったので、窓をあけて笛をふいた。といっても
二重窓だったので、開けるのに、少し苦労した。そして吹き始めると、小鳥のさえずりは一層はげしくなり、ついに小鳥の一羽が室内にまでとんできて、私の耳元で囁いた。「フルートを吹くときは、窓を厳重に閉めてください。辛抱できませんので」私はさすがアメリカの小鳥は気持ちを率直に表現するものだと感心した。』と。

2009年8月27日木曜日

妹の力


おはようございます。親の姉妹(兄弟)の扱いにこうも差があると思っている人がいることは珍しくないようですね。
お姉ちゃんだから我慢しなさいなどと。

畑田国男:妹の力・社会学:コスモの本より
「妹」とは姉妹の「妹」だけでなく、兄妹の「妹」、および、大勢のきょうだいの「末っ子」をふくむ「妹型」の人間の総称である。
秋田県・金浦小学校3年生(昭和63年当時)田中美希さんの「妹と仲良くしたい」全国の「姉」型女性にとって、涙なくして読めない作文コンクールでの「文部大臣賞」を受賞した作品である。サンタクロースにもらったジェニー人形を妹にとられたことからケンカが始まった。
お母さんは「わたし」を叱り、いつもの言葉でこういうのだ。
「美希は3年生だよ。千香のお姉ちゃんでしょ。反省しなさい」妹に味方するのはお母さんばかりではなかった。「お父さん。美希をうらの小屋につれていってくれ」の言葉で、「わたし」を叱りに参戦する。
お父さんはめがねといっしょに目をつり上げておこった。妹にはあんなにやさしいのに。
小屋でさんざん怖い思いをした後、しばらくしてやさしいおじいちゃんがカギをあけてくれた。家に戻ってみると、「妹はずうずうしくて、テレビの前にでっこりすわっている。」お父さんとお母さんは、ここでさらに「わたし」にあやまらせようとする。「わたし」は妹にあやまり続けるしかなかった。
翌日も妹のことが頭から離れず悶々とすごす「わたし」であった。
お母さんに「なんできのうわたしだけおこって、千香をおこらなかったの」「美希はおねえさんだから」この呪文を何百回聞かされたことか。

お母さんが姉である「わたし」の気持ちをわかってくれないのは、お母さんが「妹」型人間だったから。「わたし」のことをわかってくれるのは、お母さんの兄であるおじさんのほうだ。」という真理に気がついた。
「妹」には永遠に「姉」や「兄」の気持ちなんてわからないということを訴えたい。しかし私母はに謝ったあとで、千香に「お母さんをおこらせないようにするには、かんかしないんだ。だからケンカはやめよう、千香」
美希の気配り、目配りは家中にゆきわたっている。

「上厳下甘の法則」
①一日も早く大きくなって、立派な人間になって欲しい=厳格
②いつまでも可愛い子供のままでいてほしい=溺愛
相反する2つの気持ちをもっている。
子供がひとりしかいない場合は、厳格さと溺愛ぶりが同居している。
子供が二人になると、前者①の厳しさはは第1子の兄か姉に、後者②の甘やかしは末っ子の妹か弟に。
時を越え、国境を越え、人類を越え、猿などの「家族」という形態にとって生活する生きとし生けるものの子育ての原則である。
姉(兄)はウルサイと叱られ、妹(弟)はカワイイと誉められる。

父母の子供に接する態度は確実に変化してゆく。子供の生長とともに、両親も年をとる。年とともに厳しい躾けをどこかに置き忘れ、根気もなくなり、正直いうと子育てに疲れ、面倒くさくなって甘やかしでお茶を濁してしまう。姉には厳しく、妹には甘く。

琢摩都立大教授が約300人にアンケート
結果(兄・弟・姉・妹の4人の子供をもつとしたら、
姉は、落ち着いていて、控えめで、世話好きで。
妹は、おしゃべりで、ちゃっかりしていて、甘ったれでわがままで・・・・。
しかしもっと素晴らしいところは、
姉には「許される性格=なし」
妹には「期待される性格=なし」
これは息を飲むような大胆な結果である。男の兄・弟についても、これに似た傾向は認められるが、ここまではっきりとした形にはなっていない。妹は期待されない性なのだそうです。

2009年8月26日水曜日

運が悪い?


おはようございます。梨を食べるころになると、夜道の茂みの横は夜空全体に届かせるためのようなの音で懸命にないています。涼しいので今日は良く寝られました。


目からウロコの「心理学」斎藤勇著:PHP研究所
外交的・内向的、どちらも外交的な人を好む。

大学生の自己概念の構造
順位:米国                   日本
   好まれる性格   嫌われる性格       好まれる性格   嫌われる性格

1   誠実な人    ウソつき        思いやりのある人   ずるい人

2  正直な人    いかさま師        誠実な人      人をさげすむ人

3  理解ある人    下品な人        やさしい人    卑劣な人

4  忠実な人    残虐な人        きさくな人    傲慢な人
           
5  真正直    正直でない人       寛容な人     ウソつきな人

米国では誠実で正直なひと、日本は思いやりがあって誠実な人というように甘ったれのところがあるといえるかもしれません。

「運の悪い人」は、幸運も不運と思いこむ。ものは考えようということが言われますが・・・・・・
  不運にも挫折ばかりくり変えてしまう人がいる。決まって問題が発生してしま。成功の目前で急に体調を悪くしてしまったり、通常ならありえないようなトラブルに巻き込まれたり・・・。
一見どうにもならない偶然の積み重ねのように思えるが、実は本人の無意識の心の在り方が、次次不運を引きよせているケースが多いのである。不運な人はたいてい「自分は運がわるい」「思いこんでいる。不運な人が不運なのは、この思い込みが悪影響を及ぼすからである。何か行動するとき、あるいは何か行動するとき、あるいは成功しかかったとき、「また何か悪いことが起こるかもしれない」という思いが頭をかすめ、躊躇する。躊躇しながら行動を起こすと、事はうまくいかない。そうして「やっぱりダメだ」と落胆する。また迷った挙あげく行動を起こさなかった場合は、行動を起こしてチャンスをつかんだ人をみてこんなふうに呟くだろう。「やっぱり運が悪い」と。迷いが迷いを呼んで、このような状態が延々と繰り返される。それでもたまにはラッキーなことも訪れる。しかし、自分が不運だと思いこんでいる人は「この幸運は、不運の前ぶれかも知れない」と疑心暗愚になり、せっかくのラッキーを生かすどころか、戸惑ってしまう。
◎幸運に気づくかどうかで人生は決まる。例えばデート中にいきなり雨が降ってきたとき、「ああツイていない。最悪だ」と意気消沈してしまう人もいれば、「雨の中を2人で歩くのってロマンチックで素敵」とウキウキしてしまう人もいる。楽観的なもののとらえ方をする人は、たくさんの数の幸運に気づくため、ますます幸せを感じることが出来る。
◎原因の帰属:例えば失敗など自分に起こったことについて、何が原因だったか考えることである。そのとき人によって、自分が悪かったと考える人と、周りが悪かったと考える人がいる。自分が悪かったと考えると、あまり悲観的にはならないのであろう。同じ失敗でもとらえ方によって深刻になったり、ならなかったりするのだ。実は運のいい人、悪い人は自分で決めているのである。そのことに気づけば、不運な人から脱出できる。

2009年8月25日火曜日

頼み事には


おはようございます。人に頼むことにも心理学の応用があるということです。
頼みごとは2段階に分けると効果的!(目からウロコの心理学・斎藤勇著・PHP研究所より)


「助けを必要とする少年少女のためにボランティアで毎週2時間ずつ、2年間にわたって手伝ってくれませんか」しかし誰もこの頼みを聞きいれなかった。これは2段階要請法の第一段階であって、断られることを承知の上で予定の依頼なのである。
最初は断られるよう大きな要請をわざとするのである。大きな頼みごとを断られて直後、断った直後に、すぐにこういう「では、この同じ少年少女を1回だけ動物園に連れて行き、2時間を一緒に過ごしてもらえないか」このように頼んだところ、約半数が応諾した、これが本命だとしたら、頼みは結局聞いてもらえることになる。
一方最初の大きな頼みごとをせずに、第2の頼みだけを他の学生にしたところ、承諾したところ、承諾した人数は前者の学生の半分しかいなかった。
大きな頼みごとを聞いた後で小さな頼みごとを聞くと、小さな頼みごと聞くと、小さな方がより小さいように感じられる。これは知的な対比である。しかし、頼みに応じた本当のメカニズム
は、頼まれた大きなボランティアを断った罪悪感である。断った罪悪感があるところに、
申し出される小さな依頼は罪悪感を依頼者の大きな頼みごとの後の小さな頼みごとは依頼者側の譲歩とも見てとれる。譲歩には譲歩でなければという心理も働くのである。
しかしこの2度目の頼みごとは同じ人からのものでなければならないことになるそうです。

但しこの記事はまだ実際には試していません。

※立正大学心理学部教授

2009年8月24日月曜日

風土の違い


おはようございます。ずいぶん涼しくなりました。宗教には気候や風土の影響は大きいですね。

俳句のメルマガが中止になった頃、独居住まいの友人が毎日俳句を寄せられます。こちらはそれに俳句ではなく、感じたことを返信します。それはそれでお互いに楽しみです。

打水の 敷石光り 風を呼ぶ

 友人からいただいたぬか漬けは、市販のものは浅漬けですが、胡瓜はしゃきしゃきしていながら、ちょっと酸味があって夏には美味しい。田舎を思い出します。

梅原猛の授業仏教より
 西の文明は小麦農業が始まったのはおよそ12000年前に今のイスラエル地方で始まった。そして少し後に牧畜が始まった。ところがアジアは米農業、此の稲作は14000年前にはじまったので2000年西の文明より古いことになります。米文明にはのち養蚕がともなうことになる。
小麦農業は草原に発達した。それが続いて西アジアは森林が切られて畑や牧草地になった。森を破壊し、都市文明を作った。中東からアジアの真ん中は砂漠地帯であるが、昔は砂漠はあったが、わずかだった。森をきって牛や羊を飼ったが地面が荒らされて、最後にやぎを飼う。そのさきは砂漠にならざるを得ない。その砂漠のなかから一神教のユダヤ教やイスラム教が出てきた。
稲作はそんなに自然を傷めない。稲作は雨が必要で、森林というのは水を蓄える。中国の北半分は小麦地帯で山に木がない。南の米を作るところには木があるそうです。
日本のように山に木があるところは世界ですくない。
雨は人間の力でどうすることも出来ない。ヨーロッパは人間中心主義が栄えるが、稲作地帯は人間と自然が共存するという思想が栄える。キリスト教と仏教の違いはそこですね。

2009年8月23日日曜日

納涼祭





おはようございます。全くの見物人で、祭りの参加というよりも運営方法の見物と偵察です。

昨日は納涼まつりでした。西東京市の西端でバス便のところですが、20年は経過している緑の豊富な大きな団地があるところなのです。その団地も子供の成長とともに、小学校が必要なくなり、スポーツ施設、郷土資料室、福祉施設、などで利用されています。
元小学校グランドが会場;入り口は宿場町の旅籠のイメージを示す大きめ行燈がありました。中央に盆踊りの太鼓用櫓がありました。時間は4時から9時

●太鼓をたたく人が80歳位の人一人:→「太鼓クラブ」の応援2時から9時半なのですが、照明がないので6時半位から薄くらい
●踊り(女性のみの参加、高校生から結婚前はいない):年齢によってことなる
◇小中学生の女性はリズム感あふれるダンス:就学前、小学生、中学生にわけて。
◇主婦(子供がいる人から、70歳未満):フラダンスはメタボも気にしなくてよいし、
ゆったり感、衣装もはなやかで若返る。音楽はいやされるの
どかさ。
見物衆にレイかけてを手まねきして、一緒に踊ろう。受け入れられる要素は年代を超えて魅力がありそう。
奥さんの踊りを見に来ている撮影のご主人風な人も。

◇70歳以上:盆踊りは7時から暗いので盛り上がらない。もう屋台の売り物完売
      当然老人会に参加していない人が来ていましたが、屋台のものを買っただけで帰るようでした。独居の人を呼び、老人席があり、フラダンスなどが握手にいくとかレイをかけてあげるとかの工夫もあればさらによい。
来場者の数も相当数あり、屋台のものもほとんど6時半にはビールを除いて、完売で盛況でした。
       
来場者:就学前、親子、小学生は友達と、友達のフラダンス見学、幼児の孫をつれた人、
     老人会(30人位、珍しく9割が男性、スイカ割りの手伝後宴会)

●屋台:やきそば、いかやき、おでん、焼き鳥、ビール、かき氷、(どうしてもアイスクリーム、
など洋風はない)

●ゲーム:水槽でのヨーヨー釣り、輪投げ、
●100円で買える:クラゲヨーヨー(ウニのように柔らかい針が飛びだしていて、中央に
目玉があり、灯りが点滅する)、サインポール(30cmくらいの長さで太さは指2本、
七色に照明が変化する)、根付縫いぐるみ、
●宣伝・呼び込みた隊:ヨーヨーを持ってダンボールに「楽しいゲームあり来て下さい」これは中学生か小学生の高学年
●花火:250人分8時からこれは:バケツを用意、花火をやれる場所がないのでだそうです。
  (ちょこちょこ道端でやっていますね)
●男性はビール前にたむろ。
●屋台のテント:団地自治会3、スポーツクラブ1、田無手をつなぐ親の会2
●会場運営とアナウス:会場の行事の説明[何売っているか、どんなゲームがあるか、今すいか割り、フラダンスなど時間のプログラムもよい]アナウンスは主催者の70歳前後の男性でしたが、総合的に分かる立場の人でしょうから司会には最適であるが、若い女性の声ならいうことなし。但し誘導する人は必要でしょう。

2009年8月22日土曜日

災害時要援護者登録


おはようございます。枝豆(だだちゃ=おじいちゃんという意味の枝豆が田舎・山形から送ってきました。こういうときに限って2ケ所から送ってきたので、あ叔母の介護施設の見舞がてら、御すそわけしました。
叔母にも茹でたもの少々とどけたところ、匂いも味もいいということで喜んでくれました。

災害時要援護者:65歳以上の独居、老人のみの家庭にに登録してくださいとの要請文が来ました。
災害があり、行方不明があると、結構高齢者が多いようです。それは、都市部ではないので、山間部とか農村部に高齢者が多く、建物も築年数が結構多いからということも相当影響があるからなのでしょう。

 西東京市に於いては「みまもり隊」というのがあります。これは独居の高齢者が希望すれば、
新聞、牛乳、郵便物の取り込み状況や、昼でも電灯がつけぱっなしなど異常な状況を定期的に複数の担当でチェックし、訪問して顔を合わせるというような登録や研修をうけ、見守るという制度ですが、19万人中60歳以上が5万人いますが、見守りしてほしいという人は8名でした、小学校単位の包括支援センターと同一のブロック編成になっていますが、自宅の地区の希望者は0でした。ですから見守りすべき人がどのような人がいるかもわからないし、実施対策をどのようにすべきかも考えられないのでした。
災害時要援護者も同じく希望登録した方を災害時に応援するという制度は同じですが、この名簿を警察署、消防署、消防団、社会福祉協会(市の立案した福祉の実行部隊)、包括支援センター(老人何でも相談所)や市長が認めた町会、自治会(防災組織を含む)にも活用(安否確認、避難誘導、避難生活応援、)できる体制にするための登録者募集の案内だった。そうした意味では前進ではある。

山間部や農村部のように濃密な交際関係があれば、このような名簿は必要ないのでしょうが、実際に災害にあった場合にこのような制度が都市部でどのような効果があるのかが非常に関心があります。

ところが7/30の毎日新聞によれば、都下の山間部の檜原村で、この名簿が出来なかった。1月から4月に「死後2日後死亡が確認された」8名中、独居者は4名だった。山間部だから日頃の交遊が濃密かというと、家がとびとびなためなのか理由がよく分からないのですが、そうではなさそうだ。
又渋谷区では要援護名簿を任意で募集しても、その15%しか集まらなかったので、区の条例で、この名簿を同意なしで、必要な関係者に公開してもよいという全国初の例が始まった。
こういう名簿が実際にも役に立つには、日頃から防災訓練などをやって、目で見える体制が住民の連携
を強めるものことが必要でしょうから、生きたものにするには相当の努力が必要です。

2009年8月21日金曜日

ごみ袋談義


おはようございます。靴を買いに行ったら、1足300円分で引き取るとのことでした。スーパーでも衣類を引き取りますとのキャンペーンもやっていますね。紳士服専門店ではそのような誘導していませんでした。
:主婦の声のもろもろ:ゴミ袋の有料化にともなって
●とくにピンクのプラスチック用の袋に入れるとき、プラスチックが嵩張るので、出来るだけ入れるために、圧縮したり、、ハサミできったりで苦労しますとのこと。こういう手間をかける時間がない時はゴミ袋にまだ隙間があり、袋がもったいないが、そのままゴミに出すそうです。
    それでびっくりしたのは、道路に箱にいれておいたところ、ピンクの袋ごと、無くなっていた。おそらく、これを自宅に持って行って、さらに自分の分も詰め込みしたのではないかの推定だそうです。
   ●お父さんが障害者の子供にチャント分別してだしなさいと頼んだところ、出来ないのでお父さんがやってと戻された由。
●醤油やソースの小袋まで洗うとなると水道代や手間暇がかかります、こういう処理の値段も含めて買っているのに、さらに捨てるときに捨て代まで負担することになるのですね。スーパーで買ったときに、店内で嵩張るプラスチックを抜き取り置いてくる工夫している人もいるそうです。夫の勤務先における分別と西東京市の分別がことなるので、夫へのゴミ分別教育に困っている。
●分別が悪くで、引き取らないで残されているは、あまりにも厳しく対応するのに何故だめなか分からない人も結構いるのではないか。
   ●ボランティアの集いは来年の4月18日の予定で準備していますが、年齢を問わず、誰でも関心のあるゴミをあつめて街をきれいにしようということも出て検討中です。
ゴミ回収用指定袋有料化で当初は頑張って効果が出たことは確かですが、リバンド現象で、中だるみみたいなものがあるのでしょうかなどの話で、とくにゴミ問題の話に絞ってのことではないのに、極めて関心が高いのでした。
◇ごみ袋の値段が安くならないか、近隣各市と比較したものがあるので、これをは次回会った時に説明してくれることになった。
●ゴミの分別は頭の体操に匹敵しますね。難しい市ほどためになるのかもしれませんが・・・

2009年8月20日木曜日

漁業権のルーツは秀吉の海賊対策


おはようございます。ごみの話:主婦の声のもろもろ、近隣にくらべ割高の有料袋になっている。とくにピンクのプラスチックの袋に入れるとき、プラスチックが嵩張るので、圧縮するのに、ハサミできったりで苦労しますとのこと。時間がない時は隙間があるが、袋がもったいないが、そのままゴミに出すそうです。  それでびっくりしたのは、道路に箱にいれておいたところ、ピンクの袋ごと、無くなっていた。おそらく、これを持って行って、さらに自分の分も詰め込みしたのではないかの推定だそうです。

漁業権のルーツは秀吉の海賊対策
日本の漁業法では基本的に「漁業を営むものは漁業者に限る」となっており、これにより、漁業が極めて新規参入が難しい産業になってしまっている。ほんの数パーセントの例外を除いて、漁師の子供以外は漁業者になれない仕組みになっているそうです。これは日本独特で、農民ならば、土地を測量し、刀を奪って「おまえたちはこの土地で農民としてすごしなさい」と命じたのが秀吉だった。ところが農民と違って土地に縛り付けておけない存在は、海賊とりわけ瀬戸内海の海賊村上武吉だった。彼は本願寺攻めのときも、毛利を秀吉が攻めたときも、秀吉に対抗して戦った。海賊は土地がないので、固定的な主従関係を持たない。あるときは毛利につき、あるときは大内につき、またあるときは大友につくと「いった具合に、金銭的な契約さえ結べば誰とでも共闘する。しかもどこに「いるのかわからないのだから、権力者にとっては大きな脅威だ。そのために秀吉は海賊も農民と同じように土地を縛り付ける方法として沿岸地域に定住させ、その代わりに、サザエ、アワビ、伊勢エビといった定着性の水産物を獲る権利を与えたのだ。これが日本独自の漁業権の始まりであるが、現在の法体系にも延々と生きているのだそうです。それが浦浜で暮らす人々の既得権になっている。ダイバーが潜りに来たりしても「ここは立ち入り禁止」とか「入漁料」を払えという話が起きている。今や国民の権利意識もたかまっていりので違和感を抱き「海は誰のものなんだ」という憤りを感じている人も少なくない。今漁業就業者が明治時代では300万人もいたのが、たったの22万人になっているという。千葉県の浦安や神奈川県の湘南地方は現在極めて少ない。その一方で東京のベッドタウン化した街には磯遊びやダイビングも楽しめないというのでは、理不尽と思って当然だろう。
戦後の農地解放の際、小作人が農地を与えられたように水主(漁業の小作人、網や資材の購入の元手の商業資本が漁師を縛っていた)そして共同魚業権を設定して商業資本を排除し、磯で暮らす人々を育成するために作られたのが漁業協同組合の原型だそうです。漁獲物も組合を通して販売される。しかしアワビやサザエなどの共同漁業権とことなり、養殖や定置網の営業には資本と技術が必要である。規模の面でもチリやノルウエーには大規模な養殖場があり、効率的に生産された安い水産物を日本に輸出しているが、日本の宮城県の志津川のギンザケ養殖にしても一業者がもっている養殖簀はせいぜい2つか3つでこれでは太刀打ちできない。外国と戦えるようにするには効率性を身につける必要がある。
大手外食産業が養殖や定置網に参入しようとしても漁業法がネックになって入ることができない。
たとえば、確かに食料品が安いのは望ましいことであるが、あれほど中国産のうなぎや餃子が問題になっていながら、地中海産の養殖マグロにどれほどダイオキシン類が蓄積されており、国産のクロマグロがどれほど安全かの情報については消費者に教えられていないのだそうです。

これから食えなくなる魚:小松正之:幻冬舎

2009年8月19日水曜日

王様の宝箱


おはようございます。

弓の先生がこんな話をしてくれました。完全に未来に属する話ですが、弓で鹿を射るときは進行方向のちょっと前を狙う。高射砲も同じように、敵の飛行機の先、つまり未来を狙って打つという。停まっている的なら、そのものを狙うのですが、動くものが矢が到達するころどの辺に進んでいるかを予測して矢を放つということです。鳥の場合はまず上に飛び上がるので、狙いは左右ではなく、真上だそうです。
いろんな商売も未知の分野を狙っての事業もやはり未来に放つ矢の如くですね。

①プロ専門店のラーメン屋の独自の粉からの麺類と味まで下記仕様にて作って売出をかけています。
やはり事業家は違いますね。
コンビニのファミリーマートで護国寺「ちゃぶ屋」森住康二監修、鶏節の冷やし醤油ラー麺が売り出されています。オリジナルブレンド粉使用。これで「ちゃぶ屋」さんの本業の自分の店の経営はどうなるのでしょうか?http://www.chabuya.com/press/top_press.html を見る限り全く心配ないようです。ラーメンだけで大きな事業にしようとしていますし、事実そうしているようです。
山形産の天元豚:http://www.eki-net.biz/j-retail/g11673/ も使用しているそうです。見た目も素晴らしい豚肉ですがどんな味なのでしょう。


②は添付の写真は「王様の宝物」という自動販売機です。1000円を払って、電子辞書、DVD、時計、腕輪、ネックレスなどをゲットするというアイディアです。アクセサリー部門、電子機器とかグループ特定されていて、
いるのではなく、全く完全密封のお楽しみ袋といった具合です。練馬区の西武池袋線の高野台の北東側です。駅前ではなく、駅の裏手の場所の自動販売機がそうでした。バブルの頃なら躊躇せずに試みたでしょう。
さて熟慮しても結果は見えませんので、一度は試してみようと思いますがまだ迷っています。
しかしラスク「王様のおやつ」の発想とか、まあいろいろ考える人がいるものですね。
お土産交換会:http://www.nanarokusha.com/barter/#01
ポエムという木のおもちゃ:http://poemkobo.jp/  の中の王様の宝物(先日いった静岡の藤枝市にある会社でした。このあたり家具屋さんが多い。

2009年8月18日火曜日

祀りは恨み


おはようございます。最近はどうでしょうか?祭りといえば田舎の山形県の鶴岡市では化け物祭りというのがありますが、これは天神様でした。女性の肌襦袢を着て編み笠被り、どこの家でも上がりこんで、お化けが持参の酒をふるまう。
それが親戚にいくと、女性は流石に誰の襦袢かも見破ってしまう場合もあったようです。お化けになった人が好きな彼女がいれば、其の家まで訪問できる方策になった訳ですが、この時一切口がきけないように口を手拭いで塞いでいるので想いは伝えられない。この祭りはいわゆる天神祭りですが、菅原道真が太宰府へ左遷されたのを知人が見送るために女装した名残だといわれています。この天神様もそのタタリを恐れての神社だということを何かで知りました。

梅原猛の授業仏教より

日本古来の神道ではえらい人を神にまつるということはあり得ない。神にまつる人はみな、世の中を恨んで死んだ人。高い位につきながら流されたり、殺されたりして世の中を恨んでいる人が神様にまつられている。それは彼らが怨霊だからです。世のなかを恨んで祟りをなすから、その魂を鎮めるためにまつられた。祇園祭りもそのような怨霊の鎮魂です。歴代の怨霊になった皇族や貴族がたたりをなして疫病を広める。その怨霊のたたりを鎮めるために八坂の祇園社を作った。怨霊の親分であるスサノオノミコトhttp://www.ten-f.com/gionsan.htmlを祀って、そのスサノオノミコトの霊によって怨霊のたたりを鎮めようとした。巡行する山鉾は霊を払うためのものです。山はそういうたたりの霊がまつられているお墓です。以前の祇園祭りは山がでて、1週間後に鉾が出た。怨霊がでて、それが鉾によって鎮められたことを示すのです。今は一緒に出ていますが。祇園祭りは祭りというよりもまったくのショーになってしまった。
 ところで明治以後、神道がおかしくなって天皇そのものを崇拝するようになった。そして国のために死んだ人だけを靖国にまつる。戦争を始めた戦犯の東条さんまで祀る。これは日本の神道の精神と違うんです。

2009年8月17日月曜日

大井川の川越




おはようございます。
東海道の川越は大井川に限らず、6つの川で行われていたそうです。
<大井川川越遺跡周辺>
島田駅から西へ約2Km行くと、大井川の東側、旧東海道沿いに国指定の史跡「島田宿大井川川越遺跡」があります。 旅人が川札を買った「川会所」をはじめ川越し人足が集合していた「番宿」や「札場」など当事の町並みが復元されています。また人形浄瑠璃「生写朝顔日記」にちなんだ「朝顔の松公園」などが隣接し、江戸時代のノスタルジーを感じながら博物館から分館へ通じるルートは欠かせないスポットになっています。

<大井川の川越し>
慶長6年(1601)徳川家康は、東海道に宿駅伝馬制度を設け街道の整備をしましたが、大井川、安倍川など6つの川には橋を架けず徒歩での通行と定めました。
「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と唄われたように、大井川は東海道最大の難所で、増水のため川留めになると旅人は水の引くのを最大で28日も待つ記録ことがあるそうです。
待つ気持ちとしては降雨量によってもあるでしょうが、懐さえ豊かなら、島田宿の遊女との逢瀬には苦痛もなかったという場合もあったかもしれませんし、逆に路銀を使い果たしたというような場合もあったかもしれませんね。

川越しの管理・統制は、はじめ島田代官・宿場役人の役目でしたが、元禄9年(1696)になると新たに川庄屋が任命されました。やがて、川会所が置かれ川越し制度は確立されていきました。
大井川を渡るには、川札を川会所で買い、川越し人足に渡して人足の肩や蓮台に乗り川を越しました。川越し人足の数は、初め、島田、金谷でそれぞれ350人と決められていましたが、幕末には650人を超えていました。 これらの人もその後失業して、牧の原台地で茶業に励んだようです。

<料金>
川札の値段は、毎日川幅と深さを測って定められました。→渡す人足が何人かかるか。肩車越、台越(乗客が1人と、2人とがある)、4本棒(大名籠などを人足24人から.36人)
水の深さ、は人足の体の「帯下」、「帯上げ」、「乳通(乳房も埋まる)」、「脇通(乳房の上、脇の下も埋まる)」等16段階にも分類されていたそうです。
「膝下」もあった位ですから水嵩が浅い場合で歩いて渡れる場合はどうしたかは説明されていませんでした。又川幅によっても変わるとありましたが、これも分かりませんでした。
その時疑問がわいてこず、後からでした。
別添の絵の説明を拡大してご覧ください。



昭和41年8月に国指定史跡に指定されました。

2009年8月16日日曜日

大井川の世界一長い木の橋


おはようございます。「越すに越されぬ大井川」というのがありますが、
1869年(明治2年)7月、最後の将軍徳川慶喜を護衛してきた幕臣達が大井川右岸にある牧之原を開拓し、お茶を作り始めた。
 当初は大変厳しい環境の中で、筆舌に尽くせない苦労の連続だったが、そのかいあって順調に茶の栽培が営まれ、生活が安定するに従って、島田(宿場町)の方へ生活用品や食料品を買いに出かけるようになってきた。また、島田の方からも初倉に山林、原野の開墾のため出かけるようになったが、大井川を小舟で渡らなければならず、大変危険なことだった。そこで島田宿の開墾総代達は、時の静岡県令(現在の知事)に橋をかける願が出市し許可され、1879年(明治12年)1月13日に完成した。しかし、木橋のため大井川の増水のたびに被害をうけてきたので、1965年(昭和40年)4月にコンクリートの橋脚に変え、今日の姿となった。現在の蓬莱橋は、全長897.4m、通行幅2.4であり、大井川の自然となった木橋といして知られているそうです。
現在の渡橋時間は、概ね、日の出より、日没まで。料金は大人100円、子供10円、自転車は100円、両岸にトイレはあります。原付自転車以上は利用できません。

平成9年12月に英国ギネス社より認定を受けた。
●ギネス社の世界認定はビール会社から移っている。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312965578
●大井川鉄道の金谷駅から毎日SLが走っているが、その燃料の石炭は輸入物だそうで、それは出来るだけ煙が少ないものを選んでいるそうです。
●高島田という日本髪の結い型がありますが、この島田宿にいた遊女の結い方が素晴らしく、これを上品に仕上げたもののようです。
●明日は渡し賃についてレポートします。

2009年8月15日土曜日

お茶の郷博物館



おはようございます。あの静岡の高速道路の上り車線の地震の崩壊現場、牧之原付近は大井川の西岸に広がる台地は見渡す限り、茶畑が広がっています。
明治2年から徳川家臣団や大井川越人足による茶畑開拓で日本一の大茶園となって、日本近代茶業の象徴だそうです、今回も台風で見えなかったのですが、
この大地から仰ぎみる富士山はとても美しいということが写真を見ただけでも素晴らしいいところは
「お茶の郷博物館」http://www.ochanosato.com/
でした。世界中の茶器の陳列、中国南西部の山岳地帯からお茶の文化が世界中に広がった、喫茶法の違いなど豊富な資料が展示されていて、見ごたえがありました。
ここにある下記の台地の頂上にある茶室の建て物は入場料と抹茶がセットになっていますので、抹茶を出されてちょっとあわてました。日本人ならお茶の作法位はしっているべきと思いました。

茶室「縱目楼」と庭園は千利休、古田織部を経て「綺麗さび」茶の湯を確立した
大名茶人小堀遠州侯(こぼりえんしゅう1579~1647)が手掛けた建物と庭園を復元したものです。
現存する茶室を模写するのではなく、現在すでに失われたものを復元することによって、
当時の様子を追体験できる場となっています。
茶室:縱目楼(しょうもくろう)
書院(石清水八幡宮瀧本坊復元)
鎖之間(伏見奉行屋敷復元)
奉行でもあった小堀遠州侯が手掛けた京都の伏見奉行屋敷と
石清水八幡宮瀧本坊(いわしみずはちまんぐうたきのもとぼう)を合わせて復元したものです。
書院、数奇屋、鎖之間、これら3つの座敷を使って展開された茶会が小堀遠州侯の茶の湯の世界を特徴付けています。
今はない寛永期を代表する建築がここに蘇りました。
鎖の間にて抹茶とお菓子をお召し上がりいただけます。(入場料500円・抹茶、お菓子付)
庭園
江戸幕府が小堀遠州侯に作事奉行を命じて造らせた池泉回遊式庭園です。
寛永6年(1629)に退位した後水尾院(ごみずのおいん)の院御所である仙洞御所の東庭を造園当時のまま復元したのもので、
王朝貴族の文化に憧れた小堀遠州侯の庭園造りの特徴がよく表れてい

2009年8月14日金曜日

B級観光



おはようございます。いわゆる名物においしいものがないといいますが、B級においしいものがあるという自己満足の旅です。
昨年は愛知県の蒲郡市をたまたま訪れました。必ずしも観光で有名なところよりも、自分の故郷に似た規模の都市を旅行するのが楽しいことが分かりました。
蒲郡の場合は、絵手紙を全国的に集めてコンクールを展示していました。さすがに、全国からの応募からの厳選でしたので、その描き手味わいがストレートに伝わってきて興味がつきませんでした。又灯り(昔の燈明、行燈)の収集家が居られて、常設の展示「灯火具コレクション」http://www.city.gamagori.aichi.jp/museum/collect.html
こじんまりしていましたが、ラグーナ蒲郡http://www.laguna-gamagori.co.jp/index.htmlの入場券セットや、ガソリン券を宿泊客に市の観光課が配布していたり県外客に誘致に熱心でしたし、旅館の人たちも一生懸命の応対でした。途中豊川稲荷にも立ち寄ることができました。
 
今回選んだのも、伊豆方面ではなくて、東海道沿いの静岡県の藤枝市でした。
ここの蓮華寺池は散歩にはもってこいで、池の周囲は1.5kmはあるでしょう。そのなかに蓮の花は盛りをすぎていましたが、結構咲いていました。5月のころであれば藤棚が沢山池の周囲にありましたし、藤の町にしようという合言葉の看板があちこちにみえました。
蓮生寺はありましたが、見当たらない蓮華寺の由来は熊谷次郎直実が出家したところだと記されていました。大々的に宣伝していませんが、この蓮華寺の北の山の頂上は富士見平は360度の見晴らしは見事なもので、若一王子古墳のあるところで、ひな壇状の古墳で、どの位置からも眺望は言うことなしでした。この池のさらに北方に「白藤の滝」これも連日の雨で水量が豊富で、30mもある白藤の名前の高さで、駐車場から徒歩で10分もかからない静寂な場所にあり、満喫できました。

2009年8月13日木曜日


おはようございます。静岡県の藤枝市(静岡市と牧野原市の間)に10日から12日旅行しましたところ、11日の朝5時7分震度6弱にあい大変びっくりしました。エレベーターが停まり、8階の部屋から昇り降りは階段でした。
それ以外はそれほど不自由はなく、東名高速も2つ先の清水ICからのりましたが、すいていましたのでかえって早くつきました。

静岡はお茶です。お茶畑の広大なことは庄内平野の広さに匹敵します。峠といえば茶屋ですね。ここで飲むお茶は格別だったでしょうね。いまは見晴らし台がある位ですね。

藤枝市の郷土博物館にこんなことが書いてありました。
峠の民俗と信仰かつて峠は村の境であり、流通する物資が行き交い、時には花嫁を送り迎えするなど、人々によう利用されていました。そこには概して道幅も狭く無舗装で、その上急俊で険しい山道を喘ぎながら
上り、下りした山道であった。現在の峠には三つの様態が見られると思う。その一つは、かつて峠道となった。その峠道が拡幅、舗装され付け替えられ大型車でも楽にすれ違うことが出来る峠道となった。その峠道の中には直下をくり抜きトンネルとしたものもある。いまでは生活道路のとして生き残った峠である。
 いま一つの様態はハイキングの目的となった通過点となったもで、このような峠の多くは昔のままだが、よく整備され安全がたもたれている。そして最後の一つはまったく忘れられたしまった峠である。峠への道には倒木が折り重なり、道面にも野草が力強く顔を出して、人の往来した気配が感じられなくなった。
拡幅され舗装され、さらにはつけ替えられ大型車のが行き交える峠道はは確かに便利で、快適であり、何よりも安全に作られている。しかし峠道を行くことで、労苦に耐えてことを成し遂げた際の感激や感慨は忘れられ、もた峠を通過した、また峠を通過した際の記憶が、コンクリートと照明のあかりのみというどこか味気ないものにならないか心配にもなる。木々や谷川のせせらぎに耳を傾け、忘れかけた峠の風景を今一度思い出して欲しいと思う。
古代からの官道として利用されてきた日本坂峠、宇津ノ谷もいまや峠の真下にトンネルがほられ、そこに車や新幹線があっとい間に通過している。
昔といっても、昭和の初め頃、背負い籠にお茶や米、椎茸をつめ、喘ぎながら越えた峠の風景はどこに行ったのだろう。
比較的昔の状態を残しているハイキングの目的や通過点となった昔ながら峠に登って気づくのはほとんどの峠に「お地蔵さん」が祀られていることであると。

西東京市では村境には道標や馬頭観音などの名残があります。

2009年8月10日月曜日

テレビの雨が晴れた。


おはようございます。毎日梅雨のような雨が続いています。傘も乾く暇さえありません。

メインのテレビの録画機能がクリーニングテープをどうぞの指示があったので、クリーニングテープも買いに走っていれてみたが、復旧しないので、液晶テレビに買替の立派な口実ができました。

テレビ取り付け業務を委託したので、この準備がまた大変だった。これなら自分でやったほうがよかったとも思った。朝9時に電話がきて1:30から3:30の間に交換にくるという。
予備のテレビにはビデオデッキを用意していたので、予備テレビを廃棄し、今までのメインテレビを予備テレビにした。

ところがこの今までクックリした映像の新予備テレビを接続してみると、画像が雨が降ったように、ザーザーぶりで映像が楽しめない。
液晶テレビを据え付けてもらった業者さんに聞くと、その室内用アンテナ接続線が10年以上も経過していると、そういう現象があるという。これに取り換える前に以前から
もっているテレビ室内接続線を3つ位交換してみても駄目だったのでこのアドバイスを半信半疑ですが、駄目元で受け入れ、態々大ぶりの雨の中をそれを買いに走った。
早速交換してみると、以前のようにクッキリ画面になり、ビデオもアナログの両方とも大丈夫だった。
このようにアンテナ室内接続線が古くなってザーザー降りになるのは、線のビニルの内部で切断されているか、捩れているからではないかということのようでした。
このテレビの接続業者は1日16件もの接続をするという過酷な条件をこなしているそうです。もう少しゆっくり操作方法を教えてもらいたいところであるが、この16件という数字
を聞いて気の毒に思い、遠慮してしまったので、細かいところは分厚いマニュアルを見ながら勉強することにしました

2009年8月9日日曜日

笑顔で治してくれる医師


おはようございます。今日はどんよりした曇りです。2日前「かかりつけ医」のところに行きました。ここは親子でやっている内科医です。もう親の方は80代かなと思う。
以前住んでいた家から1分もかからない近い医者でした。その頃は診療のほとんどは、大先生でした。風邪だから、注射、ビタミンが欲しいと患者からいっても、「そうか そうだね」
という患者の意向を尊重してくれる親切な医者さんでした。一面ではあまりにも患者の意志を尊重してくれるので、いいなり医療かなと思うほどでした。順番を待っていると、診察室からでてくる
患者の顔が穏やかな顔で出てくるのでした。診察室の壁にはボタンの花、カワセミの飛躍の瞬間の写真がかざってあって、座れば必ず血圧の測定です。
聴診器を胸に当てる時は、ドライヤーで人肌に温めてくれるのでした。この先生の顔は何時もニコニコしていて、現代の良寛さんの感じです。ある時、電話がかかってちょっと待たされましたが、
仲間の医師から、これはどうすべきかの相談でした。これほどの力量のある医師でありながら、けして偉らぶるような素振りはしません。どこでもそうですが、老人の診療が多く、いけば1時間後の
診療です。ところが最近は受付でノートに受付番号と氏名を書くのですが午後の診療は3時からですが、4時ころにいっても延べ15名位の受診者数です。この大先生がいないので、聞いてみると、入院されているとのこと。
道理です。息子さんも内視鏡の面では優れていて、一度紹介した人の話では、よくこんな部分も見つけてくれましたねとガン専門医から言われたそうですからかなりの権威です。推薦する町医者にも掲載されてました。
この先生は、やはり「いい柔和な顔」なのですが、無口のほうでので、診察時間が極めて速く、ほとんど2分位です。
私が住居を移転し、練馬区から西東京市に移ってみて、市の指定では健康診断は市内に限るとのことで、受診してみると、大先生の良寛の場合とはやはり違います。
あの笑顔を見ると、病気の不安が消えるという不思議な感覚です。この大先生が一日も早く退院されて診療に戻ってくれることを期待しております。

2009年8月8日土曜日

貴乃花といじめ


おはようございます。ピーマン、トマト、茄子いずれもナス科のものだそうです。そういわれればそうかなと思います。中に入っている種は類似していますね。

以前の貴乃花の表情を見ると、阿修羅のごとくでした。
梅原猛:自然と人生、思うがままに。より

もう親方になった顔が最近柔和になってきたのは喜ばしい。
あのころ言動に批判をあびたり、マスコミに対する態度がつっけんどんであり、負けたときは全く答えないことがあった。
20をいくつも超えていない若者に、完成した人格を要望するのは無理なことであるが、名横綱とされる双葉山や栃錦や北の湖などは若くして完成された人格をもっていたと思う。それはなぜか。逆説的に聞こえるかもしれないが、相撲界のいじめゆえである。
いじめというものは、身分社会のつもりつもった怨恨が、自分より身分の低いものに及ぶことである。相撲界ではいじめはもっとも下の番付の新弟子に及び、新弟子は徹底的にいじめられる。特に新弟子がたまたま大学を出ていたり、あるいは金持ちの坊ちゃんだったりすればよけいいじめは烈しくなる。
このいじめをできるだけ早く免れるには、番付が」いじめる人間より上になることである。こういう気持ちで稽古をする力士が強くなるが、この烈しいいじめに耐えることは、この世を生きるに必要な忍耐の徳を養うことになり、またこのいじめをいかに逃れるかといろいろ工夫を巡らすことは」、人間の処世の知恵を磨いてくれる。
貴乃花の場合は部屋そのものは自宅であり、親方は新弟子の一人として扱ったというかもしれない
、他の弟子達は親方の息子としてみるからそこではいじめは行われていないのであろう。しかしいじめによって人格形成をする機会を失ったのであろう。

2009年8月7日金曜日

小沢氏のこと



おはようございます。昨晩はテレビのビデオが故障し、この機会に地レジに取り換えるための、置場所確保していたら、蛸足配線になっていました。それと配線が絡みあって解すのに大変でした。

梅原猛さんが、小沢氏とあったときの印象について語っています。

人間がいかに権力を獲得し、それを保持することができるかということについて、小沢氏ほど精通した政治家はおそらくあるまい。おそらく彼は子供のときから政治家であった父の下で、そういう権謀術数の術を見聞きしたのだろう、15分の会話のなかでも恐るべき政治家のもつ鋭い判断をみせたが、それ以上に私が感じたのは、彼の幼さであった。人間の才能の一部である政治的才能のみが、極端に膨れ上がり、成熟した人格に必要な他の能力が未発達である人間を 感じざるを得なかった。小沢氏に感じたのは残念ながら二世の政治家に感じられる子供らしさであった。

 小沢氏の故郷のある町での講演で「誰がみても、優れた政治家である小沢氏は同郷の偉大な思想家、宮沢賢治を理解しなければならない。理解すれば、本当の意味の大政治家になれるであろうが、理解しなければ、田中角栄や金丸信の二の舞になるのちがいないという話をしたところ、満場大笑いになったそうです。
(しかし、日本にこういう感覚をもった人が少ないが故に重宝される所以でしょうか。民主党の幹部にもこういう小沢氏を受け入れる下地があるのでしょうね。)
梅原猛:自然と人生、思うがままに。

2009年8月6日木曜日

さおだけ屋は何故つぶれない?


おはようございます。結婚して最初に住んだのは茨城県の牛久市だった。通りがかった郵便屋さんに物干しとその台はどこで売っていますかと、聞くと、仕事はそのままで「ちょっと待って下さい」と実物と金物屋さんをつれてきてくれた。これにはびっくりしました。

その姿は見えぬが「さおやー、さーおだけー」と連呼しながらゆっくりと通り過ぎる声。さおだけ屋だ。たいてい、さおだけ屋の声は呼び止められて留まることがなく、流れていくだけである。今日の売り上げは如何ほどか。高いガソリンを使って朝から車を走らせて1本も売れなかったら、どうなるのだろう。気になりながらも自宅のさおだけは壊れることもないから、私もさおだけ屋を喜ばせることはできない。とはいえ、さおだけ屋はときどき我が家の近辺にやってくる。ということは潰れていないのだ。不思議だ。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』がベストセラーになったのも、私のように不思議が膨らんだ者がその理由を知りたいと、つまりさおだけ屋商法には何か裏ワザがあって、実はあの商売は儲かっている、その秘密が解き明かされるぞ、と期待を胸にとにかく読んだ、ということではないだろうか。

で、その結論はこうだ。「さおだけ屋」という単体の商売では儲かっていない、利益を出すには、単価を上げるか費用を削減するか、の2点に集約される。さおだけ屋を呼び止めて実際に買ってみると、スチール2本で1000円なんて言っていても、その1000円では終わらない。(家内が買ったのはステンレスの場合では5000円)、物干しの修理までやってしまうケースもある、そうな。そしてさおだけ屋の正体は金物屋で「さおだけ屋」用に“さお”だけを仕入れているのではなく、車の走行も配達のついでだったりするからガソリン代など余分な費用の必要なし、というのだ。、費用はなるべく低くの理にかなっており、“潰れない”というわけだ。「さおだけ屋」マジックは残念ながら存在しなかった。

「さおだけ屋はなぜ潰れないか」の著者山田真哉

2009年8月5日水曜日

北風と太陽と旅人


おはようございます。この部分のイソップ物語は夏に語るものではないようですが、

イソップ物語でもチョットひねった話です。

まず最初に北風が「俺が、旅人のマントを脱がせて見せる」といって旅人のマントを剥ぎとろうとして強い風を吹き付けます。しかし旅人は寒さのあまり、ますますマントを掴んではなさなかった。
そこで選手交代で、太陽が旅人をポカポカ暖めます。すると旅人は暖かさのあまり、自然にマントを脱ぎ、競争は太陽の勝ちに終わるという物語です。
でも「心理学版」の物語があって、北風の失敗までは同じで、太陽のところでどうなるかというと、旅人は太陽に向かってこういうのです。
「太陽さん。そうしてポカポカと暖めて、私のマントを脱がそうとしているのでしょう。見え透いていますよ。残念ながら、私はあなたの思う通りにはなりませんよ!」こうして北風と太陽の競争は「痛み分け」となると言う物語です。この「操作主義」が企業とか組織においてうまく発揮できなときにはこれが原因になっていることが多いのです。「相手を動かしてやろうという」という意図が強すぎるとかえってうまくいかない人間のややっこしさですね。

意志決定12の心得:田坂広志。

2009年8月4日火曜日

おむすびの味


おはようございます。たかが「おにぎり」ですが、結構いい味です。重宝しています。

おにぎりは昔、母の手つくりは三角だった、丸かった、俵型だった・・・郷愁とともに思いだす。若者たちのおにぎりのイメージは三角のみのようであったのを新商品をラインアップするために丸型も商品に加わるようになってきました。、セブンイレブンでは年間11億個販売量の影響で、1978年以降にうまれたからと思われている。1995年に丸型も販売している。セブンのパートナー・日本デリカフーズ協同組合が開発パートナーであることはあまり知られていない。この組合には約90社が加盟している。60%の商品がセブンの開発ブランドだそうです。持ち運びで荷崩れしない安定しているのが三角形なのだそうです。シーチキンマヨネーズの開発の動機は、梅干しやシャケは先行の会社がいたので同種のものはつくれず、新企画を考えざるをえなかった。開発はこの組合の一員の株式会社武蔵野だったが、この会社の専務の高橋さんが、当時小学校の息子がなんにでもマヨネーズをかけていた。そんなにうまいのかと自分も食べてみた。悪くない、これは応用できると思ったのが発端だったそうです。

2009年8月3日月曜日

謎の多い料理店


おはようございます。又韓国ドラマ「イ・サン」が始まった。又王宮が舞台のようですね。楽しみがふえました。

さおだけ屋はなぜ潰れないか」の著者山田真哉から

著者の自宅の近くにフランス料理店がある。都心から電車で1時間、サラリーマン世帯が中心のどこにでもあるような郊外の住宅地である。そしてその住宅地に突如としてフランス料理店のお店があるのだ。メニューは最低のコースで1万円、1.5万円、2万円と続くのです。
田園調布や白金台の高級住宅地ならまだしも。
 都心から数時間の片田舎にある評判のラーメン屋に大行列ができるご時世である。
有閑マダムが利用するランチでも見かけない。
あまりにも不思議だから著者はこの店に足を運んだ。意外にも内装が凝っている。高い天井、ガラス越しのオーブンキッチン、ズラリとならぶワインボトル、ピカピカに磨かれた床をコツコツ歩きながら「これでは維持費もたいへんだ」と他人事ながら不安が募る。肝心の料理のほうは、全品有機野菜を使用しているとかでたしかに美味しかった。
もしかしてこの店は趣味でやっているのかなと思った瞬間に、ふたり組のお客さんが見えた。その主婦と思しき二人組はソムリエとやたら仲がいい。
そのときトイレにたって疑問が一瞬で氷解した。

貼ってあった中身から推定できることは

大人気!しめきり間近い!
   (シェフが教えるフランス料理教室)
   (ソムリアが教えるワイン教室)
  第13期生募集のおしらせ。
1万円×10人×4教室=で月40万円。
入会金1.5万円×40人=60万円
この教室は昼に時間の取れる主婦層がメイン。教室は昼過ぎから夕方に開けばいい。フランス料理の本業であるランチやディナーの時間にはかぶらない。
 習うなら高級なフランス料理、講師も会場もただなので経費は0です。

2009年8月2日日曜日

会計の極意



おはようございます。夏休みだと、なにかと親子教室がおおく、昨日は陶芸教室の手伝いでした。午前組の10組の親子が集まった。
親子別べつの作業テーブルに別れた。子供は小学2年生でした。コーヒーカップを作る。筒を用意したのでそれに巻くようにしたので、
昨年の縄条にしたものから作るより、格段に上手にできて、親子の出来栄えに差がなかった。


主婦は新聞より先にスーパーのチラシを手にする。男性は最近、液晶テレビがどれがよいかと電気店のチラシをみる。田舎から出てきて、秋葉原で電気スタンドを買った。「安かったですね」と叔母にいうと「電車賃」を差し引すると、そう差がないでしょう。確かにそうでした。でもチョットでも安いと得したようになり、
買ったあとに、もうちょっと安いものがあったり、他の店でも同様だったりします。

「さおだけ屋はなぜ潰れないか」の著者山田真哉(公認会計士)

会計の極意・・・節約は絶対額で考える:
① 1000円のモノを500円で買う
② 101万円のものを100万円で買う
① は50%引きで、②は1%引きであるが、10,000÷500=20回分の得。
③ スーパーでの買い物で10円単位をケチッタリするのだから面白い。10円節約で1年間で3650円である。だったら1万円の節約をしたほうが得である。
たとえば毎日100円節約してたまにパッと5万円使った場合には次のようになる
100円×365日-5万円=△1万円3500円
めったに買わないものの場合は判断が狂う。
食器洗い機乾燥機などは、店頭で「水道代がなんと年間8万円の節約!」という張り紙があり、店員もしきりにコスト節約効果をうたって勧めてくる。そういわれれば誰だって、「年間8万円も節約されるのなら、いまここで8万円払って購入しても1年で元がとれるな」と考えるだろう、それは正しい判断だ。しかし、
食器洗い機乾燥機は炊飯器や電子レンジのようにとても電力を食う家電であることは知られていない。店員さんは自らそんなことは言わない。東京電力のホームページでも実験結果が公表されているそうです(見つかっていないのですが・・・)。

2009年8月1日土曜日

壁画の謎解き


おはようございます。涼しいので、タオルケットを手繰り寄せています。鉢植えのキュウリが2日に10cm1本、葉影に隠れていたのをやっと見つけれます。それを分けて食べています。

アフリカの白い呪術師から
魔術医」と名付けたこの人物は右手を抱いて、雌と思われるインパラの頭を抱いている。このインパラは首を前に出して、仮面の口に口をつけていた。インパラの腹の中にの暗い子宮のような部分から、2つの目が明るく輝いていた。この絵はシンボルとして重要であり、神話的な内容を含んでいることに気がついたが、どうしてもわからない意味を解くには、伝統を受け継いでいる生存者を見つける方法しかないと思っていた。ヨハネスブルグに帰ったとき、彼は希望通りの人間にであった。
クレート・ヴサマズル・ムトイウ氏はズールー族の出身で、父はカトリック教に改宗していたが、母方の祖父は<サンゴマ>と呼ばれるズールー族の占い師として民族の伝統の権威であった。クレードの家族は妥協策として、初等教育はミンション・スクールで受けさせ、その後は祖父の弟子入りさせた。キリスト教を放棄し、占い師としての訓練を完了した。」1960年に彼の婚約者が群衆めがけて発砲された警察隊の弾丸の雨で死亡した。そのとき
白人と黒人の和解をはかる血の誓いをたてた。民族の秘密主義の伝統を破り、その伝説や口伝の歴史の財産について2の大作を英語での発表した。秘密の誓いを破った黒人として避難され、黒人にも馬鹿にされた。
しかしクレードの説明は「洞窟の壁画は我々の記録庫で、文字はなかったが、歴史的事件の象徴的な記録か伝説、習俗、儀式のある側面を表したものだと。
ポーシャは彼にあの「魔術医」の絵をみせた。彼はこの絵は<ラ=ポフェロ>・生命の父です。死の父といわれることもある。
このインパラは生命の恵みを授かった。それを鼻孔に口をつけて語りかけている様子が描かれている。腹の中に精霊の気を吹き込んでいるわけです。「母になる機が熟してインパラは子を産んだ。その子は子の世に生まれてきたが、母の方は死んでしまった。親のない若者たちは自力で生きていかねばならない。これが生と死の教訓的な物語です。
命は与えられ、そして奪われる、しかし<生命>はつづいていくんです。!」