2009年8月15日土曜日
お茶の郷博物館
おはようございます。あの静岡の高速道路の上り車線の地震の崩壊現場、牧之原付近は大井川の西岸に広がる台地は見渡す限り、茶畑が広がっています。
明治2年から徳川家臣団や大井川越人足による茶畑開拓で日本一の大茶園となって、日本近代茶業の象徴だそうです、今回も台風で見えなかったのですが、
この大地から仰ぎみる富士山はとても美しいということが写真を見ただけでも素晴らしいいところは
「お茶の郷博物館」http://www.ochanosato.com/
でした。世界中の茶器の陳列、中国南西部の山岳地帯からお茶の文化が世界中に広がった、喫茶法の違いなど豊富な資料が展示されていて、見ごたえがありました。
ここにある下記の台地の頂上にある茶室の建て物は入場料と抹茶がセットになっていますので、抹茶を出されてちょっとあわてました。日本人ならお茶の作法位はしっているべきと思いました。
茶室「縱目楼」と庭園は千利休、古田織部を経て「綺麗さび」茶の湯を確立した
大名茶人小堀遠州侯(こぼりえんしゅう1579~1647)が手掛けた建物と庭園を復元したものです。
現存する茶室を模写するのではなく、現在すでに失われたものを復元することによって、
当時の様子を追体験できる場となっています。
茶室:縱目楼(しょうもくろう)
書院(石清水八幡宮瀧本坊復元)
鎖之間(伏見奉行屋敷復元)
奉行でもあった小堀遠州侯が手掛けた京都の伏見奉行屋敷と
石清水八幡宮瀧本坊(いわしみずはちまんぐうたきのもとぼう)を合わせて復元したものです。
書院、数奇屋、鎖之間、これら3つの座敷を使って展開された茶会が小堀遠州侯の茶の湯の世界を特徴付けています。
今はない寛永期を代表する建築がここに蘇りました。
鎖の間にて抹茶とお菓子をお召し上がりいただけます。(入場料500円・抹茶、お菓子付)
庭園
江戸幕府が小堀遠州侯に作事奉行を命じて造らせた池泉回遊式庭園です。
寛永6年(1629)に退位した後水尾院(ごみずのおいん)の院御所である仙洞御所の東庭を造園当時のまま復元したのもので、
王朝貴族の文化に憧れた小堀遠州侯の庭園造りの特徴がよく表れてい
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