2008年7月31日木曜日

消費


おはようございます。きょうの朝は多少涼しいので犬の散歩の催促も落ち着いた鳴き声です。桃も美味しい季節になりました。 それとスイカは季節感がピッタリあっていますね。

「虹の彼方に」:池澤夏樹:文明の前で立ち止まるより
テクノロジーの進歩のおかげで現代では先進国の一般市民でも古代の皇帝なみの安楽な生活が可能になった(家事奴隷は全自動の電化製品に代わり、宮殿はプレハブ、美女はテレビで届けられ、山海の珍味は冷凍だけれど)。
消費はやがて消費のための消費に変わる。昨日と同じものを今日も食べられるのではもう充分ではない気になっている。消費者に仕立てるために、説得の技術がここ百年急速に進歩した。ものを買う前にためらってはいけない・考えてはいけない・一瞬のうちに好き嫌いを決め、感覚的に選び取る。商品選択の前にあるはずの買うか買わないかの選択を無意識のままに乗り越えさせる。 かくてすべてが速やかに陳腐化し、百年の変化が一年に押し込まれ、百年分の資源が一年のうちに浪費され、それに比例して汚染物資が増える。地球そのものが浪費される。消費は中毒である。一度習慣になると、これから逃れるのは難しい。消費が与えるのは瞬間の快楽であって、それと幸福は違うことも分かっている。そのあたりから考え直すしかないだろう。(山里に近く、チラシ広告が入らず、NHKのラジオとテレビの生活で、野菜や主食も自給自足にしてら、消費の誘いがないとどうなるものでしょうか?、半年位経過しないと落ち着かないかもしれません。)

2008年7月30日水曜日

食料問題


先行きの食料事情を知るには国際情勢など広い視野が必要だということでした。

7/28の講義:日本獣医生命科学大学(武蔵野市) 食品科学科 教授 佐々木輝雄
~食料価格の高騰と対策を考える~

1970年代の悪性インフレの再来か
★石油供給①産出国は増産の決定をしない。
OPEC ②埋蔵量があと30年分だということで、「長く儲けよう」とする
     ③代替えエネルギーの新技術開発やカナダのサンドオイルの開発コストをにらみながら放出       
       量を考えている。
     ④世界の石油需要量は増加傾向にしかしOPECは余剰能力は低水準に
     ⑤石油高で日本のお金25兆円ものカネ流出

★運輸の工夫:①夜間の鉄道輸送へ:佐川急便は「東京―大阪」を東海道新幹線で
          トヨタは仙台から名古屋まで「東北新幹線→武蔵野線→東海道線」で
       ②ヤマト運輸は都心でリヤカー引き電動自転車で
        ③日本航空は着陸をグライダー方式で(成田―サンフランシスコ)、1.2億円節約
★給食:山口県美祢市の民間経営の刑務所で昼食370円も、学校給食は中国産ギョウザ事件以来国産化に拍車、コストアップにより二学期から値上げを検討中
★農地:日本の農地は490万ha⇔輸入食料の栽培面積1200万ha
★卵:輸入飼料を換算したら自給率9%
★魚:海外からの輸送距離で最長は2200kmのノルウエーから等。(地球1周で3900km)
★食品廃棄物:1人1日365日間、1食分を廃棄している。1日供給2548kcalに対して1891kcal。
★気候:世界の洪水25年で4倍に
★人口増:2050年までに日本の人口22個分増加し、92億人になる。
★時給:日本の時給800円で充分ご飯が食べられる。幼児のころは家族総出でようやく食べた。多くの開発途上国は食べるために1日中働く。
●東京の農業:農地は8340haで総面積の3.8%(普通畑6080ha73%、果樹園1830ha22%、水田等325ha4%)食料自給率は1%、いざというときに農業県と仲良くしておく必要あり。多摩地区の武蔵野市では農家82戸あり、学校給食の20%を供給している由。

★運賃など:漁船燃料5年で3倍に、軽油価格5年間で2倍、約4割の運賃値上げのみ、
旅行に変化:海外旅行とりやめ、鉄道旅行の「安・近・短」新幹線本数が7月~9月に1日322本の最高に。燃料特別付加運賃(サーチャージ)が高額で 「総額表示」の指導が
★★戦略的取り組み:米の消費拡大、飼料自給率の向上、油脂類の抑制、食育(バランスガイド)自給率向上関心や節約の広報 が必要。 大手スーパーでも低価格競争や小売価格はスーパーが主導、コスト増をメーカーや卸、運輸に負担させてきたが、限界 にきている。

2008年7月28日月曜日

親子陶芸教室


おはようございます。土曜日は公民館で親子陶芸教室の手伝いでした。子供が小学生低学年11名(兄弟もいたようで)が5・6名の二つの作業机に席をならび、親御さんは3つの3・3・2
と8人でした。コーヒーカップと丸いお皿の2つを9;30分から12:00までに作るのです。
まずコーヒーカップです。粘土を板状にします。それを柄のついた針できりとります。その後紙コップに巻きつけ、板状の残りから底の丸を切り取って
くっつけて、最後にとって部分の柄を取り付けます。2時間半で作るので短すぎます。親御さんはすぐに出来上がるのですが、子供の方は例えばハブラシをもってきなさいと言ってあったのですが、これは子供等にとって何するかが一番興味があったようです。これは紙コップに巻きつけた糊しろ部分・底の部分・取って部分を接合するときに接合する部分をひっかいてザラザラにして、粘土をドロドロにした糊でくっつけるのです。実際に見せてあげると納得でした。又クッキーの型でコップや皿に模様を「付けるのですが、粘土の厚さ分まで押してしまうので、水漏れを生じるくらいの型押しではなく穴になってしまう子もいて、陶芸クラブのボランティア6人では指導員の数の少なさを痛感しました。最後に感想を聞くと、無言でした。遊びの要素がなく、自由に作らせれる部分ももっとあれば、楽しんでくれたでしょうにと思いました。中には親御さんの中には両親がこられ、パパは撮影専門の人、お母さんは自分のテーブルと子供のテーブルと往復したり、子供等も勝手がわからず、「次どうするの」という質問攻めでの子がいれば、おとなしくモクモクと作業をする子もいて様々でした。小学校3・4年生は可愛い盛りで我々も十分楽しみました。素直な年頃でした。

2008年7月26日土曜日

夏の夢でも普通の夢


おはようございます。今日は夢疲れです。何故か車を売っていたのです。普通なら夢のことは思いだせないのに、
結構おぼえています。日立関係に勤めている人でした。5年前から買い替えを考えだして、ここ1年で切実に考えるようになったということです。
どこかでお会いして携帯に電話して他社の車も見た帰路だという。それでは選択の目は出来ているでしょうから、是非立ち寄っていただき、10分間
くださいということになって来店していただいた。
それにしても、メカについては何も知らないし、しかしダイエーの女性社長になった林さんも以前の勤め先のホンダやホックワーゲン,BMWなどに転職しても
人の誠意こそ基本で、検討している人の立場や趣味・趣向によってその深層に訴えることだということを思い出した。結局メカについては他の
人を連れてきて説明してもらうことにした。お客様の名前を聞かれてやっと告げることができた。しかし今はもう思い出せない。好きな車種によってローンやサービス内容に入るところで目覚ましがなった。自然に目が覚めるのでないので、疲れを伴う起床となった。何故かこのお客様には車を買っていただけるという自信があった。
買って喜んでいただく笑顔が見たかった。夢は怖い夢もあるが、今回結構楽しい夢でした。イエローポスト

2008年7月25日金曜日

男性の定年後の行方様々


おはようございます。今日も朝から日の光が刺すような勢いです。
昨日は土用の日で、うっすらウナギ皿弁当でした。平面の大きさは通常のうな弁の大きさ。ウナギの厚さは半分にそいで、ご飯の厚みも米粒で
3段くらい、カロリーは396で相当に抑えてあります。食欲を意識した盛り方には感心しました。
それに近所の農家の完熟したトマトと歯ごたえのあるキュウリ、匂いのある枝豆のおかずでした。

男性の定年後の行方は様々(弓道の会):
●奥さんが脳梗塞で倒れ、介護している人。これは大変で66kgの体重が56kgに。
●脳梗塞で昔に習った弓道でリハビリ中であるが、多少再発している部分もあるそうです。
矢を拾う動作や歩くのが相当ゆったりしている。が がんばっています。
●男性の亡き母上の看病が心のこもったものだったので、一人っ子であった奥さんの田舎九州にいる母上への毎月1週間の介護
の里帰り中、猫の面倒と奥さんのつくった冷凍メニューで過ごす。
●男性は父が早く亡くなって一人母親に小さいころから手伝っていたので、掃除洗濯も苦にならないので、3つのハイキングと俳句に
 参加している奥さんの留守番。
●食事時になると、ピタッとテーブルに座る人、買い物は好きなのでこの分は助かるそうです。
●小生もきれい好きではないが、風呂場の扉付近や座る腰かけにカビが生えているのが、気になって、カビキラーを30分前にかけて
 落とした。気持ちがよい。このようなささやかな手伝いと買い物と、なるべく用事を作って出かける。

2008年7月24日木曜日

府中の郷土の森博物館

写真は飛行機を隠していたえんたい壕
おはようございます。自宅から一分の農家の畑は整然と耕作されています。そういうところの農産物はやはり味が違います。田舎の祖母が茄子やキュウリやささげをホウレンソウを栽培していて、毎日水やりを手伝いました。そのころは当たり前と思っていた味でしたが、精魂込めたものは味が違うのですね。
千葉県の一宮(その頃の軍人関係の別荘地だったそうです)で芥川龍之介がとまった宿もおいしいトマトでした。

府中の郷土の森博物館:府中市は多摩地区でも経済的に恵まれている感じがします。
博物館にしても公園にしても充実しています。

掘!府中の遺跡 発掘された戦争の記憶&調査速報
展示の中心は三鷹・調布・府中にまたがっていた調布飛行場と日本製鋼所[軍需工場]※1でした。府中競馬場ももとは陸軍の演習場でした。調布飛行場は米軍より集中して砲火を浴びた。
展示品は金属は兵器に回すためか、湯たんぽが陶器だったり、湯呑にも兵隊の絵がかいてあったり、米軍が落とした銃弾や爆弾の数はすごいもので、日本のは日清戦争や日露戦争ころの銃や高射砲の基礎、飛行機を隠したえんたい壕などで、庶民がどれほど苦労したかはほとんど展示がありません。もう戦争の傷跡はかんじられませんでした。
えんたい壕もコンクリートが粗悪でしたとかの説明でした。日本の国力が貧弱になっていたのは誰しも分かっていることですから、平和を希求する側からみれば何かピントがずれています。

※1:
http://www.jsw.co.jp/guide/index.html

2008年7月23日水曜日

図書館の省力化



おはようございます。私の部屋にはクーラーをつけていないので、窓はあけたまま、扇風機を首ふりにして膝から下のみ風が当たるようにしています。
頭寒足熱の逆で、結構これでしのいでいます。

写真のように机の上のコンピューターのディスプレイがあり、画面のスタートをタッチすると、机の上に置いたCDや書籍の登録番号を読み込んで、右にある図書カードをかざす(カードのバーコードを読み取る部分は写真にでていませんが)と借りる人の情報を読み込む。これで係の人を煩わせることなく、借りた明細と返却日を印刷しますかと聞いてくるので「ハイ」をクリックするとプリントされたシートがでてきた手続きが終わる。事前に予約したものは別で窓口で受け取る。
しかしCDや書籍について全部を正確には読み取りせず、漏れが生じる。こういうことがたびたびなので、受付でやり直す必要がある。図書館の出入り口にもCDショップにある磁気検問がある。もし失敗に気づかずに通過した場合にどうなるかの心配がある。
机の下に読み取り装置があるというが機械の説明は係りの人も納得できるものにはなっていない。机の板の厚み3cmを通して読み取れるものなのか。スイカなどの技術の延長なのでしょう。今のところ省力化ではなく、負担が増えているようだ。機械メーカーも
まだテスト段階なのではないでしょうか。西東京市は図書館業務に力を入れていることは確かなのですが・・・。
杉並のスーパーでもお客さんがバーコードで精算できるコーナーが3台あり、そこを通過する人は
商品の数が少なく、若い人達でした。その付近には慣れない人を助ける係員が張り付いていました。

2008年7月22日火曜日

サバからマグロが生まれる!?


昨日は海の日でした。この日が設定された経過がよくわかりません。山の日も必要、次は空の日となれば軍隊の編成になるし、ともかく漁師さん達が油の高騰で大変だという日になったような気もします。

サバからマグロが生まれる!?:
マグロについては世界の人々の需要が高まる一方です。BSE(牛海綿状脳症)の影響により牛肉の安全性が問題となり、欧米でも魚を食べる習慣が広まっているようです。
東京海洋大学の吉崎悟朗准教授はヤマメにニジマスの子供だけを産ませるという画期的な手法を開発したそうです。将来はこれを応用することによってサバからマグロを産ませることが可能になるかもしれません。サバは陸上の水槽で飼育することができる。マグロは1mを超えるので大きくなったら海に放流することが必要だそうです。ヒラメやタイについてはもう飼育が可能になっていますので、マグロにも期待の目が寄せられているそうです。

GOOGLEで「東京海洋大学 吉崎悟朗准教授」で出てきます。

2008年7月21日月曜日

料理サロン


おはようございます。土曜日の午前中は料理教室でした。ふれあい碧の会[小学校区域をもとにした・介護の中心である包括支援センターの担当区域]老人親睦としたグループです。下校時見守りパトロール、健康体操、お料理サロン、月例会(映画、落語鑑賞、ミニ学習会、)と毎週1回はある。或る講習会で一緒になったH氏とこの主催のY女史に誘われ第1回目の料理サロンに男性の参加が少ないのでということで参加した。

全体では100名を超える団体で市内でもかなり活発なところです。調理室の大きさからの制限で20名のうち5名が男性でした。予定の通知が1月半もまえなので、
数名の方が忘れていて、特に初回なので2・3日前に再度確認の必要があるようでした。
メニューは炊き込みお澄ましの卵とじ、豚肉の冷しゃぶ、デザートがバナナのカルメラ風あえ(バナナ半分をバターでいため、かなりの砂糖をまぶしてカルメラ風になって出来上がり)であった。

料理の基本を結構おそわりました。
炊き込みの具がツナ缶詰、ナメコ瓶詰とにんじんに、臭みを抜くためのショウガを入れるだけであるから極簡単。
豚肉の冷シャブの下に敷くのはモヤシときゅうり。
モヤシの根のほうを黒い部分をつまみとる。ニガミがなくなるとのこと。がこの作業はかなり面倒。沸騰したら湯にいれて手際よく掬う。本来はこれを氷でさますとよりしゃっきりするそうです。
きゅうりは斜めの輪切りをした上で千切り(千切りの両端にしゃきットとした皮部分を残す)、豚肉は沸騰した湯センし赤みがなくなったら掬い、煮汁を多少かけた上で冷ます。
お澄まし(多少カタクリをいれ)は沸騰した溶いたら卵を鍋に渦をつくるようにを入れる。すぐ弱火にする。こうすると雲がたなびくようなお澄ましのなりました。
このお澄ましにいれるミズハは半分に切り、葉と茎とを入れた上で千切りにすると葉と茎の両方が混ざってよい。
料理というのは時間のかかるものは先に、「お澄ましの卵とじ」も段取りとちゃんとできるコツや工夫がある。見た目もある。唯食べているだけでは分からない知恵がフンダンにあることがわかった。私は皿を用意し、並べる、ポンズを入れた大根おろし、もやしを不要部分をとるなどの下働きが中心でした。人数がおおいので10時開始で11時にも出来上がりそうだったが、11時45分くらいにまでなんとか引き延ばした。男性も女性も家族が一人の方もいて、みんなで作るとにぎやかでよいし美味しいと好評でした。なかなか雰囲気のよいグループでした。社会福祉協議会もここには係員も休日返上で出席していて、かなり力をいれている。

2008年7月18日金曜日

多摩のシルクロード


おはようございます。槿が一番綺麗な時期です。我が家のは2つしか咲きません。どうしたのでしょう。近所のノウゼンカズラも花の色が薄い。
遠慮気味ですね。八王子は織物のまちでしたが、もうその面影はありません。電子関係の会社と大学と墓地の町です。
絹の道はペリー提督によって開港されてから西洋文化の流入の道であった。キリスト教の伝道もされ、自由民権運動も盛んでした。この絹は日本の資金源でしたし、群馬の富岡の製糸工場や鉄道網の建設を促した。

八王子市にある「絹の道資料館」は1990年(平成2年)に開館した施設で、道の右手(東側)、緑の丘を背負うように建っている。「絹の道資料館」のパンフレットによれば、資料館の建っている場所は鑓水の村名主で豪商としても知られる八木下要右衛門の屋敷跡であるという。1884年(明治17年)に母屋が永泉寺の本堂として移された後、この場所は水田として使われていたらしいが、発掘調査によって石積水路や母屋の礎石などが発見され、これらの一部が現在も野外展示されている。
かつて鎖国政策をとっていた日本も、1859年(安政5年)に開国すると欧米諸国との貿易が始まったわけだが、日本からの輸出品のうち、最も主要なものが生糸だった。八王子近郊はもちろん、埼玉、群馬、山梨、長野といった地域の養蚕農家から八王子宿に集められた生糸が、この鑓水を通って横浜へ向かった。この生糸の流通に於いて才覚を現し、生糸の共同出荷などの方式を取り入れて生糸の仲買で財を成したのが「鑓水商人」だ。当時の鑓水は武州多摩群鑓水村といい、17世紀中頃に村となったものという。江戸時代は幕府の直轄地で、農民の暮らしは厳しかった。そのために農民は現金収入を求めて副業に精を出すようになり、生糸仲買商人を生み出す素地になったのだという。生糸取引で財を成した豪商たちに支えられた鑓水は「江戸鑓水」とも呼ばれ、文化の点に於いても栄えたらしいが、やがて養蚕が機械化され、製糸工場へと移ってゆくと、家内制製糸業は衰退し、「鑓水商人」もその活躍の場を失っていったのだという。
「絹の道資料館」は、その「鑓水商人」に関する資料を中心に、幕末から明治初期にかけての生糸貿易や鑓水の歴史などに関する展示がなされている。展示室の中央には往時の鑓水の地形を再現したジオラマなども展示されており、興味は尽きない。

2008年7月17日木曜日

あるボランティア




小学校のボランティアにいったという話
課外授業を手伝いにいった横浜の方から聞いた話:
火も包丁も使わない料理を教えてくださいという条件であったそうです。
パンに切り身のついたチーズを挟むというような、これが果たして料理といえるだろうか?皆さんだったらどんなことを教えますか?
西東京市でおばあちゃん達が呼ばれていった時、聞いたのは、お母さん達も交えての授業は炭火を起こして秋刀魚を焼くということだったそうです。紙を丸めて火をおこし、細い枝に火を移し、それを炭に、これは大好評だったそうです。
もうひとつ横浜での話はハンカチ位の薄さの生地で袋物をつくる:このとき先生が選んだ針はかなり太い針だったそうです。せいぜい細い針で充分なのにですが、そうではなかったという。また他の裁縫でも、何々をみんな一緒に作りましょうというのもだめで、生徒同士も私語は駄目、独創性のあるものを作りなさいという授業だそうです。生地の選び方、針の選び方など基本も知らないのに、独創性のあるものを作りなさいというのは無理ですよね。これで学校の授業が楽しいといえるでしょうか。どうも相当に無理のある独創性の授業ですね。先生も料理や縫うことはほとんど経験がないのではと感じたそうです。

2008年7月16日水曜日

道の駅


おはようございます。もう梅雨あけといってもよいほどです。庭に水やりしていたら蚊に食われてしまいました。
道の駅:にんにくを擂ってサラダにいれたらとても美味だったし、夏に元気を出すのによいということで、日野市に道の駅があるのではないかというということで訪ねてみました。
結局はなくて、「八王子滝山」にありました。東京で唯一だそうです。日曜日だから駐車場がいっぱいになるほどで拡張工事までしているほどでした。混雑していました。どうも皆さん新鮮な農産物を期待してこられるようでした。
並べてある農産物は地方の道の駅ならば、生産者の名前がはってあったりします。ここは東京でも農業が盛んのようですが、東京の農産物の10%だそうです。
駐車場に6台ほど農産物を運んできたようです。地方ナンバーのトラックが停まっていて運転席はカーテンをして・エンジンはかけて仮眠しているようすです。農産物がならべてあるのはにんにくは青森産のものでした。
1ケ350円でした。他の農産物も値段が高いようですが、自然と目は自分の自分の田舎のものを探しています。結局アイスクリームを食べて帰ってきました。
道の駅も農産物フェアを中心にしたイベント広場でした。農産物なら地元の農家が庭先でうっているものが一番でした。

カブトムシ捕獲ツアー(有料)
昆虫展~ファーブル昆虫記と世界の昆虫、八王子の昆虫たち~(無料)
道の駅八王子滝山 料理レシピコンテスト募集開始
抽選付き七夕短冊飾り付け
道の駅 もろこし祭り
フラワーアレンジメント教室
八王子産 新じゃが祭り開催
「春(はる)繭(まゆ)で楽しむ糸作り(糸繰り)」参加者募集
ミニコンサート

2008年7月15日火曜日

繁栄する貿易港



繁栄する貿易港

カリカット(英語:Calicut)はインド西南部、ケーララ州アラビア海に面する港湾都市。マラヤーラム語ではコージコード(കോഴിക്കോട്、Kozhikode)と呼ばれる。1403年明朝鄭和がカリカット(古裏)に寄航している。1498年ヴァスコ・ダ・ガマが来航し、その後、オランダイギリスが支配した。インド綿織物の輸出港として知られ、キャラコの語源ともなった。カリカット(現在のコルカッタ・旧カルカッタとも違う)の町の起源は11世紀に遡るという。この町がいかに外来の商人にとって安全だったかを伝える話が残されている。東南インドのコロマンデル海岸の商人が、紅海(アラビア半島とアフリカ大陸に囲まれた海)方面での取引で大きな利益を得た。帰途についたとき、あまりに大量の金を積んだため、船が沈没の危険性が出てきた。そこでやむを得ず、この商人はカリカットでその地の王に金の入った大きな宝箱を預けた。半分はあきらめていた財産であったが、再びこの商人はカリカットを訪れてみると、その宝箱は王のもとに手つかずのまま保管されていた。喜んだ商人はお礼として中身の半分を王に贈呈しようとしたが、王は「王者として期待される当然のことをしたまでのこと」といって何も受け取らなかった。そこでその商人は町にバザールの建物を厚意に報いたという。王は宝箱の半分よりも王が公正で町が安全であるという評判をうるほうが港町カリカットにとってより重要だということをよく理解していた。世界史の興亡15東インド会社とアジアの海。羽田正著:講談社より
投稿者 イエローポスト 場所 16:22

2008年7月14日月曜日

ドラエモンを写真集にしたような:


おはようございます。八王子市のほうまでドライブしました。山の多いところで、大学や遊園地、墓地がたくさんあります。緑がおおく気持ちがよかった。

歯医者で置いてあった本です。待ち合わせ時間のほんの数分間で「逆理の発想」をパラパラめくってみたのです。落語や漫才のネタになりそうな本でした。
最初のページは、言葉で説明しても笑いを呼ばないかもしれません。
●シャツを早く乾かす方法:晴れ間をもてシャツを何枚も吊るす道具があります。これを背中に背負って、自転車で走り回るという主婦の写真でした。
●どこでも横断歩道:小脇にクルクルまいたシートを抱えています。横断したいところで
丸めたシートを広げるのです。そうすると横断歩道の縞模様がでてきて即席の横断歩道ができるのでした。これも写真で実技を映していました。本屋で誰か笑っている人を見かけたら、きっとこの本を見ている筈です。
http://www.chindogu.net/books.htm

2008年7月12日土曜日

武蔵野こぼれはなし




武蔵野市こぼればなし
明治22年(1889)JR中央線の前身は甲武鉄道の新宿-立川間が開通、中野・境・国分寺に「停車場」(どれも立川駅以外は今でも西武線が発着している)ができた。この甲武鉄道は汽車の火煙と騒音をきらって市街地からは全く離れている部分に軌道を敷いた。武蔵野を舞台とする文学作品は武蔵野市民に問うと、大抵の人は国木田独歩の『武蔵野』を挙げる。大方の市民は当然『武蔵野』の舞台は明治時代の武蔵野村と思っているが、独歩が多く筆を割いているのは、当時自分が住んでいた東京郊外の農村、渋谷村(今の渋谷区)周辺である。と言って落胆するのは当たらない。作品の中で具体的地名をあげて描写しているのは境(武蔵境)から西玉川上水あたりしかない。
独歩が三崎町(飯田橋か水道橋?)駅から境駅まで玉川上水にそって歩くと、桜橋に出会う。この横に茶屋があった。その茶屋の婆さんに「今時分、桜も咲いていないのに、何にしに来ただア」と問われた。成程この小金井あたりは桜の名所です。郷土史家の宮崎氏平成12年の武蔵野市百年史を見て疑問に思って調べ始めた。
この辺は農家と雑木林の純農村であった。このような荒い言葉使いはしない。
独歩の母親は千葉銚子の生まれだった。その銚子の言葉使いだということがわかり「やったあ、思いましたね。」と宮崎氏はいっています。このような発見が郷土史の楽しみなのですね。
2008年夏季刊「むさしの」から

2008年7月11日金曜日

沖縄の人の名前


沖縄で道を間違えて一方通行を逆走したとたん、お巡りさんにつかまりました。
「大変だ」
「ダメじゃないか。気をつけなくては」とお巡りさんはいいました。
君の名前は?
ウンテンです。
だから名前は?
ウンテンです。何をいっているんだ。隣の女の子は?
オンナです。
まじめに答えなさい。後ろの君は?ナカマです。
?  ?  ?
「君たちは3人そろって本官をからかうのか!!」
沖縄では運天、恩納、仲間、は珍しい名前ではない。
すばらしい新世界:池澤夏樹著:中央公論社

2008年7月10日木曜日

そして作家になった。


地域レポーター養成講座:
田崎正人(たさき・まこと)さんは「定年時代」という朝日新聞で配布しているフリーペーパーの編集長です。
この人の紹介した本の著者:アメリカの作家ポール・オースターの原点はどういうところであったかです。
この著者は「シテイ・オブ・グラス」「幽霊たち」「鍵のかかった部屋」のNYの三部作で有名だそうです。
かれが8歳のとき、かれは1947年生まれで大の野球フアンで、その時生まれて初めて大リーグの試合につれていってもらった。
試合が終ったあとも,両親とそのままシートを離れられないほど大興奮していたそうです。
そして、あまり遅くなったので、ほかの出口もすべて閉まってしまったので、外野センターの出口からしか帰ることができなかった。そしてたまたまその出口は、選手たちのロッカールームの真下にあったそうです。出口のそばで、大ファンであるウイリー・メイズという選手をみかけた。8歳のポール・オースターはありったけの勇気を出して選手に@かけより、「サインしていただけませんか?」とたずねました。するとその選手は「ああ、いいよ。坊や、鉛筆を持っているか」と言いました。彼はもっていなかったので、父や母に貸してくれと頼んだ。そしてほかの大人も結局、誰一人として書くものを持っていなかった。
書くものを誰も持っていないことがわかると、選手は「悪いな、坊や書くものがないとサインができないよ」と言って背を向けた。その夜いらい、どこに行くにしてもポケットに鉛筆が入っているかどうか確認することが習慣になってしまった。そうして彼は作家になったそうです。
この講師は慣れるしたがって上達しますよともいってくれました。それと珍しい光景やおもしろそうな店、興味を引く看板だとおもったらためらわず写真を撮ることです。と教えてくれました。

2008年7月9日水曜日

空飛ぶ車イス




おはようございます。こんなノンフィクションの童話がありました。ボランティアも楽しそうにやっています。いろんな人が少しづつかかわっています。
★空飛ぶ車イス:「モッタイナイ!」日本では年間約3から5万台の車いすが捨てられる:世界には車イスが高くて買えない人が沢山います。車イスの提供→収集ボランティア→工業高校の生徒達が修理し、その学校名のシールを貼る。多くのボランティアによってさまざまな国にとどけられています。→人が他の荷物とともに、輸送ボランティア(空港渡しor現地直接渡し)・搭乗者は20kg制限あるが、航空会社の10kgオーバー協力か受取ボランティア→受取状態の写真付き報告
(未使用や書き損じハガキ100枚で車いす1台分のタイヤ代になる)

<大森学園高校での修理大会での一コマ>
●輸送ボランティアの竹内さんは戦争で物資がなくなってきた中学1年生のころには、学徒動員として武器を作る工場ではたらいていた。お役所から命令されて授業を休んで働かされた人も参加してみた。
●修理する中学生も:「みがいて、みがいて」「この研磨剤すごく落ちる」「「あはは、それ強いんだ。気をつけないと指紋なくなってしまうぞ」「うっそ!じょうだんいわないでよ」Q「こういう運動すきなの?」「前にカンボジャに本を送るボランティアやっていたからです。好き!ぜったいやりたい!」Q「なぜ?」「人のためになるから。これをやることでだれかが喜んでくれるから」

空飛ぶ車イスを応援する会:03-3846-2172

2008年7月8日火曜日

作歌から訳詞へ


おはようございます。どんな歌でも歌詞とメロディがぴったりあっているのは聞いていても心地よいですね。
Parlando(「語りかけるように歌う」という意味の楽想記号です)は国立音楽大学附属図書館・通巻259号June9・2008
長谷川由美子さんが書かれた部分の抜粋です。

作歌から訳詞へ:
明治期の唱歌はイギリス民謡の《庭の千草』》《蛍の光》、ドイツ民謡の
《霞か雲か》、ウエルナーの《野ばら》などや、讃美歌、軍楽隊所蔵楽譜からの収録されたものが引用されているのはみな様ご承知のごとくです。

芝生の上に小笹の葉にうつくしや来てあそぶ雀
きのふかけふか巣立ちてまだ
かよわき翼馴らしれやよ
そらによもに         明治23年

この歌はどんな曲に歌詞をつけたのでしょうか。
作歌者は大和田建樹が旋律に言葉をはめ込んでいった。

シューベルトの菩提樹を次のような題名の歌にしました。
雀の子 明治23年(上記歌詞の題名です)

朧月  明治41年
大和田は500以上の歌を上記のように複数の詞にした。
まるでパズルの小片をはめる感覚だった。
この彼の製作姿勢に真っ向から挑んだのが近藤一五郎だった。明治40年代になって次のような意味に添う訳詞にしたそうです。

菩提樹
泉にそひて繁る菩提樹
慕ひ往きては美し夢みつ
幹には彫りぬ ゆかし言葉
嬉悲に訪ひしそのかげ     明治47年

2008年7月7日月曜日

国立音楽大




おはようございます。今日は気温何度だろうと気になります。スイカがおいしい季節になりました。ウインドンブルの男子のテニスではテレビ観戦で、開始も途中も雨で時間が狂っていました。途中寝てしまいましたが、早速起きてニュースをみたところ、ナダルが制覇すごい戦いでした。



東京経済大の図書館で下記の図書館誌をみつけ、音楽会が あることもわかり、でかけました。英国王立音楽院の学生達がシューベルトの「鱒」が清水を泳いでいるように実に楽しく弾いていました。


Parlando(「語りかけるように歌う」という意味の楽想記号です)は国立音楽大学附属図書館・通巻259号June9・2008
音楽が本へと導く  国立音楽大学 音楽文化デザイン学科2年S/Kさんは下記の本※読んで書いています。
現在音楽療法を中心に音楽を学んでいるのだが、当時奴隷として扱われていた人びとにとって音楽がどのような存在であり、また、どのような影響を与えていたかを知りたい、そう考えた際に出会った本がこれだ。もちろん彼らの苦しみと、現代社会において様々な要因で苦しんでいる人々の辛さや悲しみを天秤にかけることはけしてできないが、そこには音楽がもたらす何か共通する部分が存在するだろう。それは音楽療法的要素はもちろん、音楽の本質的なものであるに違いないと思うのだ。黒人霊歌に注目した要因のひとつとして《WeShallOvercome》であり、そのもとは《I‘llOvercomeSomeday》 から変容したものだった。
本書で紹介したい部分は
「奴隷制があったおかげでこのようなすばらしい音楽にめぐり逢えたなどと感謝する気持ちは毛頭ない」筆者はこれに大いに賛同する。しかし黒人霊歌がジャズをはじめ、ロックなどの様々な音楽に受け継がれ、また私自身をそれらに導いてくれたことは確かなる真実なのだ。悲しみの音楽は人間が存在する限り、これからも絶え間なく生まれるだろう。しかしその音楽が少しでも、悲しみに暮れている人々の心の支えとなればいい。私はそう考えている。なんとやさしいしっかりした学生だろうと思いました。
※小川洋司著「深い河のかなたへ 黒人霊歌とその背景」音楽の友社2001

国立音楽大学は中央線立川駅下車で多摩モノレールの立川北か立川南で乗り換えか西武拝島線の「玉川上水」駅10分です。
毎月コンサート&公開レッスンがあるので音楽フアンにとって素晴らしいところです。
附属図書館も500円で利用できるようです、詳細は下記HPを。
http://www.kunitachi.ac.jp/
写真は木で作ったナメコでたべられません。

2008年7月6日日曜日

岩井監督からみた蒼井優


おはようございます。紅色の百合の花が咲きだしました。赤毛のアンの頬みたいにそばかすがいっぱいです。

この蒼井さんも福岡の出身でした。芸能人の多いところですね。
イエローポスト


岩井監督からみた蒼井優:
Q:津田詩織の役どころに蒼井さんを選んで決めたのは何だったんですか?
実はひとつも見つからなかったのです。見るからに援助交際やりそうな人はいないんですよ。だから光っている奴を探そうということになった。
彼女は奇麗過ぎた。逆にこの子が来たらどうなるか?と思った。現場では全て予想と違っていて、おおいにはしゃいでいるし、自分を出したとき、なるほどこういう子なんだ。
ということから監督自身の中でも変化がおきた。素の蒼井さんは台本を読ませても、当時はそんなに上手ではないし、気持ちを込めろといってもきょとんとしていた。そうすると
動物でも映画で撮っている感じになってしまう。本人が普段使っている言葉を用意してあげると、「おおっと」という芝居をしてくれる。次にここまでやれるかなって持ってゆくと、急に出来なくなることがあった。
 ここからここまでのリミットがかかっているみたいなんだけど(限界があったがといわないで)、要するにそれ以外は必要なくて、ここだけちゃんと楽器でいえば「いい音」がでていれば高望みはしない。
「例えていえばどこかの森で白い鹿がふっと現れ、こっちを見たりしたら固唾を飲むんじゃないですか?」

International Interview magazin 月刊誌CUTから
http://www.fujisan.co.jp/Product/387

蒼井優のHP
http://www.itoh-c.com/aoi/

2008年7月5日土曜日

蒼井優は?


おはようございます。
インタヴューが専門の雑誌なので、徹底的なしかもゆったりした雑誌がありました。

蒼井優はいう(本当はずっとながいのですが抜粋しました)

オーデションで落ちたのはたまたま役に合わなかったからなのが分かった:
プロデューサーから電話を受けたマネージャーから言われたのはあまりにも芝居が下手だったってクレームが来てると言われた。
Q:それは撮影中に?
そうなんです。自分でもよくないので、「そうだろうなあと思っていました。(笑い)
そう言われても急にうまくなれる訳でもないなあって。」
Q:岩井監督に「女優なんて思い出つくりですよ」といわれたんでしょ。
 そうそうショックを受けました。又自分と他人の評価が違うことってあるんだなとっても分かった。「リリイ・シュのすべて」で芝居が面白いと思ったのが、その時には感覚でやっていたところがあった。
それが「害虫」の台本では夏子の役が全部言葉で説明できる位に人物を作りこんで現地入りした。ところが現地では真逆の事を言われ対応できなかったので、器用じゃないってことが分かった。それから自分で固めずに、現場にいって、他の役者さんと監督さんとの雰囲気で決めるようになった。
 コメディは難しい。こっちの計算が見えちゃいけないし、なんにも考えないで真面目にやったほうが面白かったりするんです・・・・。

International Interview magazin 月刊誌CUTから
http://www.fujisan.co.jp/Product/387

蒼井優のHP
http://www.itoh-c.com/aoi/

2008年7月4日金曜日

週刊ダイヤモンドの記者魂その2


おはようございます。昨日の続きになります。
<どうして「ヤマダ電機」なのか>自分が書いた特集は社内の編集会議で、お前の一人よがりではないかという子と揶揄された。しかし頑張った。
1998年に1620億円であった売上がこの10年間で11倍の2兆円を超えるほどになった。M&Aを多少はやったが、それを主眼にした訳でもないのに急成長したのは何故か。法令違反はおおい・会長が超ワンマン・利益率がよい・これだけ店舗を増やしえたのに、無借金で財務体質は大変よい。他社から聞こえる悪口はやっかみもあるが多すぎる。
それであっても読者がこの記事に興味を示してくれるかいなかである。
池袋で行われているのは、ビッグカメラの本店である隣に出店したので戦争状態になっている。テレビをかう場合にこの2店を交互に往復して隣はこのくらいの値段を提示した挙句、両社の競争は5万から10万円の値下げになるということを知る人ぞ知るで、この戦いの成り行き如何と興味や関心は大きい筈で、面白がって読む筈だと編集会議で主張し納得がえられた。結果は社内の売れ行き標準を突破してボーナス査定を期待したい。
証券会社にきいても小売業界について聞けば、少子高齢化で小売業界は多難の時代で下降線をたどっているが、その中でのこの売れ行きの良い面をさがせば、単身世帯が多くなっていることがテレビの台数売れ行きの下支えをしている。家電については秋葉原にみられるとうに観光地の要素に似ているのは日本特有の例だそうだし、面白いと説き伏せた。
この経済雑誌の記者はインサイダー取引になるので、出来ない立場にある。
先行きのイオン、セブンイレ・イレブンのホールディング、ヤマダ電機については外人投資家が投資している。市場規模はコンビニ業界7兆円、外食26兆円、家電7.5兆円、のうち「ヤマダ電機」は市場の20%を占めているのは驚異的的である。
電気量販店にゆけば、メーカーもひれ伏すヤマダ電機の実力である。しかし3月に年次売上目標が達成できなかった。
財務体質が借金0でよいというのは転換社債で担保なしの資金を運用しているから、在庫の回転率も大変よい。第1回目が500億円、第2回目が1500億円もの資金がえられた。
社長に取材申し入れをしたら、お前へんなこと書いたら大変だよ、不幸になるなよ・テープもとるよ(日経ビジネスが争って和解して敗訴している。という実績があるからの強気と覚悟のほどの確認があった)。
何も心配いりません。真実をいうことはお互いに社会発展のためなら良いはずです。どうぞ取材に応じてくださいとたのんで3回ほど面談の機会があったが、弁護士同席だった。
しかしこういう記事の場合クレームを告げてくるケースが多いがなにもない。
ひどい話の数かずは裏付けがないと記事にできないことも確かであります。
結局はスイスからの外人投資の源は年金資金であるので元気のある成長性が高いと「いう評価も3月決算の状況をみても、法令違反や売り場への派遣社員の動員などは、そういう企業への投資が公的資金の色彩のもの、年金融資は好ましくないという評価に転換することも否めないので株価の評価も相当に厳しい状況に追い込まれる可能性もある。
<仕事の苦労と達成感>

売れたときは正直うれしい。
いろんな反響があり、励ましや叱責の両方あるが、反応が多いわけでうれしい。
タレコミもある。日刊ではなくて、雑誌でスクープできたのは嬉しい。
記事にするのに3日の徹夜もあったが結果よければ楽しい。
この記事本文は2008・6・21号に掲載されています。

2008年7月3日木曜日

週刊ダイヤモンドの記者魂その1



おはようございます。週刊ダイヤモンドの記者は3日も徹夜とか、記者名前を載せるので責任を感じるそうです。
読むほうは楽ですが、記事を書く苦労も想像以上にあるようですね。

2008・6・30東京経済大のマスコミ講座:講師は週刊ダイヤモンド片田江康男
同校2003年卒・同年入社

週刊ビジネス誌が生き残る点:
日経新聞等の記事そのままなぞることは存在意義を失う。独自の視点や掘り下げた記事が求められる。
たとえばA社とB社の合併:新聞には取引規模などがどのようになったかくらいの表層的な発表に加え、何故合併したか、記者発表の裏側・背景・社長の考え方・金融機関の思惑
についての予測記事が必要。ダイヤモンドは月曜日に発売されるので、一番遅い記事は1週間遅れになるので速報性は日刊紙にかなわない。伊勢丹と三越が合併したのは両方の社長が同級生でゴルフをよくやる昵懇の間柄だったという事柄までは日刊紙には載らない。
読者の概要:日刊紙との併読、情報収集に積極的(種々勉強会にも出席)・個人投資家もよくよんでいる(最近は学生でもお金をためて投資していている話もある)。平均年齢42.3歳
一部上場会社に勤務し、小遣いは10万円、年収は1000万円。中間管理職が多い。
特集が売れる第一の要素(日刊紙が組まない記事):下記記事は経済記事ではないが
読者が欲しがる情報である。これをどう見つけて提供するかです。
●うつ病テーマ;自分も部下もこれにかからない為の情報・部下との接触方法
●年齢的に両親が介護対象になる:介護たいへんだな→こんな制度がありますよ。
●学校・教育:幼児教育から高校生までの教育をどう考えたらよいか。ユニークな学校の紹介。
 
新聞などを読まない人でもWEBメディアは閲覧している。Wikipediaは間違いが結構あるので参考に見る程度。
自分でも必ず確かめる。
日経テレコムは信頼が置けるので利用している。

<記者クラブ>
これには入っていないが。GHQが作ったもの:記者クラブにしか出されない記事がある。外国にはこのような制度はない。この記者クラブで取材させてくれませんかと聞くのもへんですが、大抵どうぞとなるが、
質問は許されない。この記者クラブは口を開けて待っている雛鳥のようだ。各紙の記事が同じになるのも無理はない。記者同士で、今回は質問頼む・あとでネタ頂戴ということや、おたがいどう書こうかという相談までされていることもある。
記者クラブに入っていないので、自分取材する必要がある。ネタは同じ会社であっても、自分のものだという意識が強い、発表寸前まで伏せられていることもあります。自分で足で細かい取材を重ねる(取材したい社長宅前で待っていて、たとえ5分でも直に聞くことの積み重ねであるのでかなり地道で根気がいる仕事)。

<社内の協力>
雑誌には広告がつきもの、会社も記事を書く編集部門が3分の1広告部門も3分の1で入社して3年は広告取りであるが、書店まわりの仕事もある。書店部門から得た勝間和代さん(経済評論家)の本が相当に売れているので、この特集を組んだら大好評だった。社内でいろんな部門が情報をだしあっている。

勝間和代のブログ
http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/
<読まれる記事>日経ビジネスは、33万部(90%が自宅美宅配される固定の読者)、
ダイヤモンドは12万部、第3位は東洋経済が8万部でそれぞれ55%が固定読者なので、日経ビジネスとは違って流動的読者の反応しだいで、売れ行きや会社の収益がことなるので特集に力をいれる。日経ビジネスは読者が欲しがる学校教育の特集などはやる訳はないし、一般の人が興味をそそる記事ではなく、三菱重工業についての特集などを書いたりする。これも固定客が多いので売れ行きについてそれほど気にしない傾向がある。お寺とお墓の特集も好評だった。
次はこの記者が書いた「ヤマダ電機」の取材の実際です。