2008年7月7日月曜日

国立音楽大




おはようございます。今日は気温何度だろうと気になります。スイカがおいしい季節になりました。ウインドンブルの男子のテニスではテレビ観戦で、開始も途中も雨で時間が狂っていました。途中寝てしまいましたが、早速起きてニュースをみたところ、ナダルが制覇すごい戦いでした。



東京経済大の図書館で下記の図書館誌をみつけ、音楽会が あることもわかり、でかけました。英国王立音楽院の学生達がシューベルトの「鱒」が清水を泳いでいるように実に楽しく弾いていました。


Parlando(「語りかけるように歌う」という意味の楽想記号です)は国立音楽大学附属図書館・通巻259号June9・2008
音楽が本へと導く  国立音楽大学 音楽文化デザイン学科2年S/Kさんは下記の本※読んで書いています。
現在音楽療法を中心に音楽を学んでいるのだが、当時奴隷として扱われていた人びとにとって音楽がどのような存在であり、また、どのような影響を与えていたかを知りたい、そう考えた際に出会った本がこれだ。もちろん彼らの苦しみと、現代社会において様々な要因で苦しんでいる人々の辛さや悲しみを天秤にかけることはけしてできないが、そこには音楽がもたらす何か共通する部分が存在するだろう。それは音楽療法的要素はもちろん、音楽の本質的なものであるに違いないと思うのだ。黒人霊歌に注目した要因のひとつとして《WeShallOvercome》であり、そのもとは《I‘llOvercomeSomeday》 から変容したものだった。
本書で紹介したい部分は
「奴隷制があったおかげでこのようなすばらしい音楽にめぐり逢えたなどと感謝する気持ちは毛頭ない」筆者はこれに大いに賛同する。しかし黒人霊歌がジャズをはじめ、ロックなどの様々な音楽に受け継がれ、また私自身をそれらに導いてくれたことは確かなる真実なのだ。悲しみの音楽は人間が存在する限り、これからも絶え間なく生まれるだろう。しかしその音楽が少しでも、悲しみに暮れている人々の心の支えとなればいい。私はそう考えている。なんとやさしいしっかりした学生だろうと思いました。
※小川洋司著「深い河のかなたへ 黒人霊歌とその背景」音楽の友社2001

国立音楽大学は中央線立川駅下車で多摩モノレールの立川北か立川南で乗り換えか西武拝島線の「玉川上水」駅10分です。
毎月コンサート&公開レッスンがあるので音楽フアンにとって素晴らしいところです。
附属図書館も500円で利用できるようです、詳細は下記HPを。
http://www.kunitachi.ac.jp/
写真は木で作ったナメコでたべられません。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

始めて書かせて戴きます。
東京経済大学と有りましたので・・・
 
 私の師匠方に当たる鷺宮でのことです。
有る連の祭りの囃子で、余りのも子供達のリズムが変なので
我慢できず休憩時間に指導をしていました。
その時山車の外から覗くような形で、同歳くらいの男の人が見ていました。

子供達に指導をした後で、その人が「お囃子って、そんなにきちんとしているのですか?」と一言有りました。
私はそうなんですよ・・・
その人はおもむろに音楽をやっている者ですが、云われたことの理解は出来ますよ。

私は、無学なので音楽関係と言われた瞬間に固まっていました。

その方が東京経済大学グリークラブ会長で、現役と一緒にクラシックを歌っている方でした。未だにコンサートに呼ばれ、時には愚展にも来て戴ける間です。

無学な庶民が伝えた囃子のため、音楽家には嫌われるのが良く解ります。
昨年ドイツ・マルティン・ルター大學音楽部で、日本の庶民音楽について90分も話せたのも大きな宝です。