2008年7月12日土曜日

武蔵野こぼれはなし




武蔵野市こぼればなし
明治22年(1889)JR中央線の前身は甲武鉄道の新宿-立川間が開通、中野・境・国分寺に「停車場」(どれも立川駅以外は今でも西武線が発着している)ができた。この甲武鉄道は汽車の火煙と騒音をきらって市街地からは全く離れている部分に軌道を敷いた。武蔵野を舞台とする文学作品は武蔵野市民に問うと、大抵の人は国木田独歩の『武蔵野』を挙げる。大方の市民は当然『武蔵野』の舞台は明治時代の武蔵野村と思っているが、独歩が多く筆を割いているのは、当時自分が住んでいた東京郊外の農村、渋谷村(今の渋谷区)周辺である。と言って落胆するのは当たらない。作品の中で具体的地名をあげて描写しているのは境(武蔵境)から西玉川上水あたりしかない。
独歩が三崎町(飯田橋か水道橋?)駅から境駅まで玉川上水にそって歩くと、桜橋に出会う。この横に茶屋があった。その茶屋の婆さんに「今時分、桜も咲いていないのに、何にしに来ただア」と問われた。成程この小金井あたりは桜の名所です。郷土史家の宮崎氏平成12年の武蔵野市百年史を見て疑問に思って調べ始めた。
この辺は農家と雑木林の純農村であった。このような荒い言葉使いはしない。
独歩の母親は千葉銚子の生まれだった。その銚子の言葉使いだということがわかり「やったあ、思いましたね。」と宮崎氏はいっています。このような発見が郷土史の楽しみなのですね。
2008年夏季刊「むさしの」から

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