2008年5月28日水曜日

オシム監督


オシムとともに:千田善[オシム監督の通訳]:April2008・、MISUZU
脳梗塞で倒れたあのサッカー監督のオシムは両足でのプッシュアップというトレイニングの最高記録は190kg。健康な男性でもなかなか難しい数値を
一見軽々とこなしてしまう。「頑張り過ぎですよ」と注意されることもたびたびだ。ところが2月のある日1968年リリースされた「ヘイ・ジュード」が流れてきたときにはリハビリの動きが止まった。この曲は1940生まれのジョン・レノンの2歳違いのオシムも当時東欧諸国では西側のロックは非合法だったユーゴスラビアでは普通にきけたのを思い出した。
このリリースの年に27歳の欧州選手権に出場の準決勝で大けがをした。この大会で大会ベストイレブンに選ばれローマ法王と面会している。この怪我のときを思い出したようだ。
勿論リハビリが順調だったわけではなく、誰でも直面する鬱のサイクルに落ちたこともある。つらい・苦しい。しかも努力しても100%回復する保証はない。家族に当たり散らす患者も少なくないそうだ。先日からの肩のリハビリが思うようにいかず、彼も涙をこらえている(ようにもみえた)。療法士が動揺しながら「僧帽筋※さえ動けば・・・」いきなり顔を上げてニヤリとした。「僧侶の帽子か、ローマ法王に会ったときにもらってくれば良かった」。オシムは気持ちの切り替えが早い。身体能力よりも一番凄いのがメンタル・コントロール能力なのだ。と記されている。
※僧帽筋は肩こりの時に張る筋肉。

2008年5月24日土曜日

神宮は天国


神社新報:カトリック教徒である曽根綾子さんはいう:
私達は恵まれた森の民として暮らしているが、その背後にある世界を知らなければならないと語っている。砂漠に生きる民族の信仰や価値観などを自らの体験をもとに紹介し
、豊かさとは反対の過酷な環境の中で、一神教が生まれたと解説したほか、
「森は与え、砂漠は奪う」という自然環境の違いを述べた。
自衛隊のイラク派遣当時、現地サマワの女性教師たちを日本に招へいし、神宮に参拝した際、イスラムでは天国にあるとされる流れる水や緑の滴る山という光景を神宮で実際に体験し、彼女らが「天国」があると驚いたという逸話を紹介されている。

2008年5月22日木曜日

ささえあい②


西東京市の場合は19.3万人の人口で65歳以上は37808人、男16063人、女性は21765人高齢化率は19.5%で全国的にみてもそれほど高くない。
「みまもり」は見張られているのはいやという印象があるようなので、「ささえあい」という用語を使うことにした。
民生委員が足りない:欠員が20%もあるが補充のめどはなり手不足で見込めない。その穴埋めを協力員が担うのか→そうではないとの市の反論もあったが迫力
がない。

<以前からの活動>
日中独居の人をなるべく外に誘い出す。
食事会・ミニディは年2回→毎月1回→毎月4回:この回数でないと見守りできない(これに欠席がちの場合は要注意)
見守る方も毎週水曜日とか制約される。
月1回玄関先訪問をしていたので見守り隊もスムーズに行うことができた。
<ささえあい;75歳以上高齢者の不安は>→都の提案事業に応募を勧められる・2008・2月モデル事業スタート
現在全市に見守り隊を作るための講座の受講を募集中。高齢者支援課
●息子世帯と同居しているが日中独居になってしまう。
●以前契約被害にあってしまい、引きこもりになってしまった。
●独居の友人が家で倒れてしまい、発見がおくれてしまい、亡くなってから発見された。自分でも独居が不安。
<ささえあいの失敗>
■ささえあいの相談協力員は14名もの参加者が得られた。
■みまもり希望者は4名(この地区の世帯数や人口?)
▲ささえあい[守られるほうではなく、守るほう]は一人では大変なので2~3人位が適当、しかし最初は多すぎて、守られる希望者側からは
 それほど多いのはうっとうしいところがあって4名が3名に減った。
Sさん:協力員3名が見守りは順番にまわっている。訪問は固定したメンバー1人で訪問
Oさん:協力員は3名、週に2回の見守り1名が週の前半、もう一人が週の後半の各1日づつ行う。訪問は1月毎の交替
Mさん:協力員は4名、男性2名、女性2名の各グループの1名が一週間毎の見守りを交替する。訪問は女性2名が担当。
▲書類の不備、訪問日を忘れてしまい利用者に迷惑をかけた[当日利用者は来訪をひたすら待っていた]
▲訪問日の前日風邪をひいてしまった。
▲外からの見守りのときにポスト内の郵便物を届けてしまった。
<ささえあいのプラス面>
◎そとからの見守り時にポストに入れる報告書のメモ欄に一言そえるようにしたら嬉しいとこコメントがあった。
◎救急車などの動きが見守り隊にはいり、要見守り対象者とわかり、包括支援に報告してフォローしてもらっている。
約2ケ月で相互の信頼感が得られた。見守り対象者が血圧の薬飲み忘れもあり眩暈があった。フォロー方法の検討も必要か。
訪問協力員の懇話会を開催し適宜包括支援センターと随時相談している。
<利用者の声>
大変助かっています。20年も住んでいて朝の挨拶もなかったし、これをきっかけで近づきの縁ができて大変良かった。
前は23区の下町に住んでいた男性だった。病気で老・老介護で不安だった。見守り隊のグループ内や懇談会内の親密度が大変深くなった。
近所の支えあいのお手本は京都御所隣接の春日地区(元来地元の出身者多いかんじ)。4人に一人が65歳以上。
消防団や婦人会が1月1回行事を実施してシニアを引き出す。
実態調査を綿密に行う。そのあとに対策実施。みんなの集まる場所の設定[廃校になった小学校=集まって楽しむオリ紙やオシャベリ風景、高校生は手作りの人形持参と柿もぎ]、必要なシニア情報を届ける、健康チェック。
① 元気な人:②外出苦手・虚弱な人:③支えが必要な人に分類したところ①が85%なので③は介護保険中心で見守れば良い。よって②にひとを①で支えていけばよいという合意形成ができた。これにいってもろもろ実行している由。

2008年5月21日水曜日

ささえあい①


高齢者をささえあいしましょうという市民の組織が始動します。まず実態はどうかからの説明だった。


●高齢者を支えることは、それにとどまらず、地域を変える力がある
市・社福・包括・市民の協働である。
秋田では飛び込みセールで80歳代の女性[多少認知症気味]が新車をかった。こういう場合の飛び込みセールス禁止条例を作った市があったが
このような条例が欲しいという新聞投書があった。そういう人は孤独ではなく、孤立である。
全国の65歳の人は平成12年と17年を比べると27%の増加の386万人?増えている。男性は9.7%、女性は19.0%である。
65歳以上の16.5%が要介護である。
日本や韓国では近所に頼れる人や友人がいない。他人に迷惑をかけたくないという意識からくるのだろうか。独・仏・米の場合は両方いる。
千葉市の大宮団地(老齢化率40%)でのアンケート
買い物を近所の人にたのんでいますか?→依頼していないが84%
手助けが必要ですか→必要ない54%
これが80歳以上になると、手助けしてほしい①買い物②公共機関の手続き③女性のニーズが多い[女性人口が多いから?]④大工・庭仕事⑤病院の付添
① 安否確認は12.8%
60歳以上でどういう援助ができますか:話し相手は出来る:しかし希望者は少ない。希望者は家の中で倒れたらどうしようという不安は約80%、しかし機械による
見守りは物足りない。自然の付き合いのなかから頼れるシステムを作る必要がるのです。
松戸常盤平団地も古い大きな団地:孤独死が頻発。孤独死110番を設置。民生委員等が見守りのため、カーテンが開いていいるか,電灯はついているか、新聞受け・郵便受け・電灯のつけ過ぎをチェックしている。孤独死は年令の高い層に限らない、50歳代でもある。
ガバメント(統治する)→ガバナース(自分らの知恵で自治)が世のながれ。
デンマーク:高齢者委員会は無償ボランティアで委員は選挙でえらび高齢者問題を自分らで審議、議会に提出する。
イギリス:自治精神旺盛、1ケ所[規模不明・貧困地区・少女妊娠が多いところなど]に10年で100億投入、自分らで計画立案実行せよ。
     

2008年5月17日土曜日

六本木さようなら


例年12月の亡年OB会をやっているところ、25年にもなるお店が7月をもってやめるという知らせが入った。それでは
繰り上げて例月の今回を繰り上げてそこでやろうということになった。
以前はママは麻布でやっていて、ここ六本木に移ってきた。それが25年にもなったという。以前お話しした嘱託だけの気のけない0B会なのですが、一人のOBが
この六本木で銀行の電算機の仕事部屋があった時以来の付き合いだったそうです。どちらかといえば庶民や中小企業を大事にする銀行で、御本人もそういう人柄です。
ここのお店も地味で、ママの色気を売るのでもなく、さりげない心使いの人です。そのOBの方が菓子折りを残念代わりにママの娘さんに渡した。
すぐママは挨拶にくるのに、心なしか元気がなく、しばらくたってから挨拶にこられた。このお店をどうしてやめるのですかと誰しも聞くことを聞いてみた。そうする
と建物の所有者が外国人に渡った。それ以来目立つ看板は撤去され、形だけの看板にされた。通りに出す看板も警察に電話して通行の邪魔というし、テレビの電線はきられる、
上階からは音がうるさい、大分上階に部屋貸(外国人に安い宿泊代の間貸し)との契約終了の和議まで成立したが、約束は守らかったという。、相当の嫌がらせがあっても、他のテナントと違い権利金のある契約なので何とか踏ん張ってもきたし、ほかの手伝いの女性もことわり、
娘さんが応援して継続してきたが、万策尽きて廃業を決断したという次第でした。それと麻布以来の応援してきていた顧客、町内会(一頃の住民は近辺には一人もいないし、町内会のOB会
はあるものの、区外から懐かしさで来るという)の来店がめっきり少なくなったこともあるし、孤軍奮闘で相談相手もいないにのに疲れたという。
これが最後と ばかりという意気込みも我々OB会のうたう演歌もともすると、しんみりとした気持ちを込めて歌っている。「奥飛騨慕情」「サンドイッチマン」OB会賛助会員の2名の女性のうたう石川さるりの歌、「お前に」など古いものばかりでしたが、このような演歌が六本木で歌えるというのもかなり庶民的なのですが、やっと応援を求めた「銀座の恋の物語」のデュエットに応じてくれた。
ママも娘さんもどこかで手伝うにしても経営者にはならないそうです。ママさんも完全廃業まで今少し時間があるので是非また来てくださいという別れであった。

さて我々のメインイベントをどこにしようかと思案中です。

2008年5月16日金曜日

国民性は遺伝子からも


アメリカは自己主張しないとやってゆけない国で、特に、話術の巧拙が人の人生を大きく左右する。人の話を聞く前に人に自分の話を聞かせる、という生活哲学が支配している。
無理もない、と今にしておもう。それぞれ違う言葉や生活習慣をいちいち時間をかけて理解しようと考えたら、この土地には何年かかっても統一された国家など生まれなかっただろう。なによりもまず、自分の考え方を人に押し付け、あるいは聞かせたほうが、物事はよほどスピーディに運ぶ。アングロサクソン人はそのことに、ほかのいかなる民族よりもたけていたのかもしれない。アメリカ社会が外部の人に暴力的な印象を与えるのは多発する犯罪のせいばかりではない。おそらく、会話の一方通行性に多くの原因があるのです。相手をたたきのめす会話能力、そして雄弁さ、これこそが、アメリカで生きる武器なのである。
石川好著「ストロベリー・ロード」より(120p)


日本の文化の本質は形から入る。中国から漢字を取り入れた太古の昔から、形から入って行くという基本戦略は日本の文化が形づけれているように思われる。盆栽的なものというか、理屈ではなく、時間をかけて形を磨いてすりあわせて文化をつくって行くことをずっとやってきたという。その背景には、日本が強い安定志向をもっているから。最近の遺伝子の研究で分かったことは生体的な理由もあります。生物学的に、日本人はセトロニン輸送体というものが余りないことがわかってきています。この輸送体の働きは、例えば困ってしまったとか、嫌なことが起きたとか、ストレスが起きたときに、頑張るぞというように活性化するという、それはもともと人間の脳にそういう仕組みがあるんですが、そのためのセロトニンを運ぶという、そういう輸送体が少ないタイ
プのS遺伝子と多いタイプのL遺伝子というものがありますが、その組み合わせで日本人にはSS型が7割、だからほとんどそういうものがない。それとSL型をいれると、ほとんどすべての日本人、もちろんこれは統計的なものですが、国民のほとんどが遺伝子をもっているんですね。そういうことが、最近わかっています。これにたいしてアメリカ人は日本人にはほとんどないLL型が3割もいて、逆にSS型は2割たらずということですから、困った時に跳ね返す力の遺伝子的な力がある。日本人を統計的にみると、だめになったときの落ち込み方が非常に激しいということは先天的なものだと思われる。文化とか教育や制度とかで国民性が形づけられるというよりも、そういうタイプの国民が多いことから、それに合わせて文化とか教育や制度が作られるという考える方が、自然科学をやっている方からすると、自然であってそういうようにとらえたくなるわけです。でどういう文化になるかというと、簡単にいえば、大きな変化を自分から起こせない、安定を望む文化になるとことになります。
坂村健東京大学院情報学環境教授、伝統文化活性化シンポジウム、日本文化の未来像H19年11月10日財団法人伝統文化活性化国民協会主催
http://www.kokuminkyokai.or.jp/

2008年5月15日木曜日

茶道からお茶会に


近藤美知絵さんは幼い頃から茶道を習っていたが、もっと自由に日常のお茶を飲みたいとの思いから常茶研究家の先生に約20年間師事、それでも自分なりのお茶の世界を持ち続け、千葉県流山市で「お茶を楽しむ会」を主催した。以来30年以上も続けている。そんな流派に属さない彼女が開くお茶会には下は小学生から上は80歳代さまざまな人が全国から集まる。「どんどんしゃべりたいし、聞いてほしい・・・気付いたらこんなに人が集まってくれていたの(笑)
近藤さんのはお茶の入れ方を指導するが、大切なのは型にこだわらないことなのだそうです。「お茶を淹れるために道具を準備して,片付けるただそれだけのこと」とからりという。それでも唯一教えていることがある。それは「姿勢を正す」こと。「リラックスしたいからといって頬杖をついたり、寝転がってお茶を飲めばいいのかというと、そうではない。背筋を伸ばしてお茶と真正面から向き合うと、時間や周囲の動きに流されない。ありのままの自分に気づく。お茶を通して自分と向き合い、心を静かに落ち着けることが安堵感を生み、リラックスにつながるのだそうです。さらに姿勢を正してお茶をのむと、舌の一番いい位置にお茶がふれ、何かをしながら飲むよりもより深く味わいを感じることができるそうです。
5人以上で飲むのが「ほどこしのお茶」ざっくばらんに語るお茶。一人で飲むお茶は「神茶」自分自身と向き合って澄んだ心には神が宿るとされているのだろうか。
「お茶を楽しむ会」のHP
http://www.ochatanoshimukai.com/

雑誌メトロポリターナ2008・5より

2008年5月13日火曜日

外国からの親孝行


TSUDOI(という市内のイヴェントをお知らせのネット版、地図とカレンダーがありこれで何処でなにをやっているかが分かる)の主催の人と持ち歩き用PCの前で話をしていたら、安くて美味しい引き立てのコーヒーが飲めるところに行こうということになった。おもむろにレシーバーとマイクのをPCに接続して電話をかけて開店を確かめていたのだ。(この電話は「SKYPE」というものでさっきのレシバーとマイクのセット[1000円以内]でソフトは無料です。IP電話でも雑音もないし快適です。これを自分もとりつけました。又カメラを取りつけて顔もみながら会話もできます。)

前置きが長くりましたが、彼の友人が母親一人残して外国生活をしている。顔を見ながらの通話はカメラを取りつけた。日本にいる母親はPCは触れたこともない。そこで考えたのが「リモート接続」(このソフトはパソコンに標準装備されている。skype同様に会話もできる。)という方法は外国にいる息子さんが母親がpcの電源をいれ、インターネットにつながっていれば、→息子さんが母親の画面が見られるので「ここを押して」という指示をだすことによって操作が可能になった。この仕組みをセットするのは同一の性能の機種のほうがセットしやすいそうで相当の知識がいるそうです。これが出来上がったとき、おれの親孝行もすごいだろうと彼に自慢したそうである。(私も自宅に来てもらってセットしてもらった今後困ったときはこれでPC操作で困ったときは教えてもらえることになった。)

2008年5月10日土曜日

再生陶土


御孫さんに「おじいちゃんのお仕事は?」ときくとから「ゴミ爺さん」と呼ばれている I さんはゴミ問題に取り組んでいる人です。お仲間の多摩地市のEさんが多摩市で取組み始めたきっかけは、青梅市がゴミを受け入れていたのですが、最近話題になっているもう受け入れる場所が無くなってきていたということです。
それでこのゴミをなんとかしなければというのが始まりだそうです。汚いのは自分のところは嫌、しかし持ち込まれるところも嫌ですから、結局は自分のところでどうにかするしかないのだそうです。そうした意味ではプラスチックは、コストはさておき再生できるが、たまる一方の不要陶器はどうしたらよいかの相談があって、ゴミ問題は全国共通の関心事ですから、情報はつながっていて、瀬戸物に詳しい愛知県の多治見市の人に相談した。そうしたら粉にして再度粘土にできるということになったそうです。各地で陶器の問題は関心があって全国で不要な陶器を集めて再生陶土にするという組織ができました。そのIさんから芝久保公民館で陶芸のサークル11もあるので、その再生粘土を利用してほしいということで相談があって協力することなった。まず手始めに再生陶土を購入することななりました。この土は再生陶土でありながら使い勝手がよいそうです。不要陶器を集めるには相当な手間暇がかかりそうです。文化祭などで呼びかけようという段取りのようです。
これに協力することになってよいことは、窯を構えているところに紹介していただけることになりそうです。Iさんの妹の旦那さんが、滋賀県の琵琶湖の東部地区で信楽焼をやっているそうですし、茨城県の益子焼にも紹介できるよということで、勉強の場が広まりそうです。

2008年5月9日金曜日

牡丹


おはようございます。2年前に田舎は東北なのに、大阪で中学の同級会があった。その機会を利用して奈良県の桜井市と天理市を結ぶ万葉集の山野辺の道を散策しました。古道沿いですから、寺も古いし、民家のたたずまいも板塀にしてもお日さまで焦がされたようなものになっていました。この小道もすごく古代の雰囲気がありました。行きかう学校一斉のハイキングでしょうか高校生の一行もこんにちわと礼儀正しい生徒らでした。
これを終わり平城京・斑鳩の里、思い出して長谷寺にいったのです。ちょうどボタンの盛りで回廊を上る両側には色とりどりのボタンでした。
御堂に入ると周囲を必死な形相で手を合わせながら回っている40代の女性でした。子供さんにでも、何かあるのでしょうか多分お百度まわりだったのかも知れません。ボタンの鮮やかさには目もくれずでした。ずっと焼きついています。
その帰りに叔母が外出もままならずで家にいるものですから、我が家と叔母さんように2つ蕾の鉢をもとめ自宅まで宅急便で送りました。帰京して届けたときには見事にひらいていました。今年我が家のその花が一輪だけ咲きました。叔母のところは何輪も咲いたとのこと。従妹が毎日見舞っているのでその手入れが良かったのでしょう。手入れ方法を確かめたいと思いました。イエローポスト

2008年5月6日火曜日

塔のへつり


たまたま那須と会津の延長線にある福島県のバスツアーに参加したら、聞いたことのある町だなあとおもっていたのですが、案の定西東京市と提携している友好都市でした。下郷町〔しもごうまち〕は、福島県南会津の東の端にあり、人口は約7,900人です。町の中央には渓谷美を誇る大川が流れ、南東部は那須山系の山々が連なる自然豊かな町です。周辺には、大川に国の指定天然記念物「塔のへつり」、江戸時代の宿場の面影を今もそのまま残した「大内宿」(各地の宿場町が再現されていますが、ここは観光ずれはしていないようでほのぼのしていました)等の見所もあります。このあたりは小さな丘や山が数え切れないほど幾重にもなっていて、雑木林や杉やヒノキや山桜で新緑の濃いも薄きも淡い桃色と、通過するのではなく、川のほとりを散策するにはもってこいの時節でした。「へつり」の字は上が山、」下は佛の字にのニンベンをとって合成した字になります。絶壁という意味だそうです。固いところ、柔らかいところが幾重にも重なった地層で柔らかい部分が削られています。全体の形は巨大な木の子に見えます。

http://www.town.shimogo.fukushima.jp/

塔のへつり
 交通  車では、東北自動車道を北へ約1時間50分の西那須野、塩原インターチェンジで降り、400号線、121号線を約1時間で田島町。さらに121号線を約10分で下郷町です。 JR線では、上野より会津若松まで3時間半。会津線に乗り換え、50分で湯野上温泉です。 東武線では、浅草より会津高原まで3時間20分。さらに会津線で50分です。 

仏様は御堂の中で

薬師寺展が国立博物館であって本尊は除いてメインは両脇に貴族的雰囲気のする日光菩薩・月光菩薩、聖観音の3尊の仏像が陳列されていました。四方から照明のある中でで拝見するので、肌もピカピカしている。どっちかというと、私達は仏像を仏様として拝む機会が多い筈が、美術品として公開している博物館は自分もその一部であるが見学客も多い、仏さんの肌に照り返しがある、光背もない。
今回は工夫されていて、傾斜のあるスロープを回遊する途中バルコニー風なところからも拝観できるようになっている。途中お坊さんが引率して解説していたが、中心から水平にみて90度から外れたところや、後ろからは拝見できないので、こういう機会はめったにないという。私も3像に絞って何回も距離や角度を違えて立ってみると、同じ一つの仏像であってもこれほどまでに違うものかなと思うほど、距離、位置と角度で相当に異なる印象だった。
展覧会は彫刻として、御堂では信仰のため手を合わせる。一番は距離と角度と御堂のほの暗さがあるのがよい。やはり京都や奈良に行って仏さんとゆっくりお話ができるような雰囲気のあるところがいいと思った。先のスロープは3mもある身仏の胸に我々の目線が届くような仕組みになっている。通常は遠くを見つめるような仏像の伏し目の30度くらいである目線の下から見守られるように仰ぐのを仏師も意図して信仰のために彫刻したのではないでしょうか。身長の4・5倍の距離で拝見すると神々しいが、あまり近い身長位の距離では有難さが失われる。
全部陳列物見ると疲れる。最近は重点を置いて3つ位に絞り、何回か戻ったり、見事な配置で適宜座れるようになっていて位置を変えて拝見しました。

それと法隆寺館もあることを知った。法隆寺にある宝物より古いものがあるし、貴族達がそれぞれの屋敷で朝夕に拝んだであろう30cmくらいの観音様がずらり並んでいて古代の信仰の一端が見えたようです。

2008年5月2日金曜日

針穴写真

おはようございます。西東京市の芝久保公民館にいったら小さな展示会が今月あらたな催しもの(月末まで開催)になっていた。小さなお菓子屋ショーウインドウ位の大きさのガラスケースが2つの上には写真がA3大3枚でした(前は吉田拓郎展、大豆を顔にした内裏雛、大工道具展)
それは表題の針穴写真で撮影したものが陳列されていた。針穴写真といえば、子供の勉強のための写真くらいにしか理解していなかった。
カメラメーカーが真青になる出来栄えだった。日本針穴写真協会の入会案内書までおいてあった。
「ししくまなみ針穴写真展」の案内状があった。この6人のメンバーの一人が西東京市の人ではないかと思います。
イエローポスト

2008.4.8から5・12日曜祭日休み(4/28,30、5/1,2,7,8,9,10がオープン)
AM10:00からPM7:00[最終日はpm5:00まで]
http://sisikumanami.jugem.jp/

場所:a‘ギャラリー・アート・グラフ
〒104-0061
中央区銀座2-9-14写真弘フォットアート銀座内
TEL03-3563-0372
http://www.syashinkosha.co.jp
銀座線銀座A13出口より3分

日本針穴写真協会
http://jpps.jp/