2008年5月17日土曜日

六本木さようなら


例年12月の亡年OB会をやっているところ、25年にもなるお店が7月をもってやめるという知らせが入った。それでは
繰り上げて例月の今回を繰り上げてそこでやろうということになった。
以前はママは麻布でやっていて、ここ六本木に移ってきた。それが25年にもなったという。以前お話しした嘱託だけの気のけない0B会なのですが、一人のOBが
この六本木で銀行の電算機の仕事部屋があった時以来の付き合いだったそうです。どちらかといえば庶民や中小企業を大事にする銀行で、御本人もそういう人柄です。
ここのお店も地味で、ママの色気を売るのでもなく、さりげない心使いの人です。そのOBの方が菓子折りを残念代わりにママの娘さんに渡した。
すぐママは挨拶にくるのに、心なしか元気がなく、しばらくたってから挨拶にこられた。このお店をどうしてやめるのですかと誰しも聞くことを聞いてみた。そうする
と建物の所有者が外国人に渡った。それ以来目立つ看板は撤去され、形だけの看板にされた。通りに出す看板も警察に電話して通行の邪魔というし、テレビの電線はきられる、
上階からは音がうるさい、大分上階に部屋貸(外国人に安い宿泊代の間貸し)との契約終了の和議まで成立したが、約束は守らかったという。、相当の嫌がらせがあっても、他のテナントと違い権利金のある契約なので何とか踏ん張ってもきたし、ほかの手伝いの女性もことわり、
娘さんが応援して継続してきたが、万策尽きて廃業を決断したという次第でした。それと麻布以来の応援してきていた顧客、町内会(一頃の住民は近辺には一人もいないし、町内会のOB会
はあるものの、区外から懐かしさで来るという)の来店がめっきり少なくなったこともあるし、孤軍奮闘で相談相手もいないにのに疲れたという。
これが最後と ばかりという意気込みも我々OB会のうたう演歌もともすると、しんみりとした気持ちを込めて歌っている。「奥飛騨慕情」「サンドイッチマン」OB会賛助会員の2名の女性のうたう石川さるりの歌、「お前に」など古いものばかりでしたが、このような演歌が六本木で歌えるというのもかなり庶民的なのですが、やっと応援を求めた「銀座の恋の物語」のデュエットに応じてくれた。
ママも娘さんもどこかで手伝うにしても経営者にはならないそうです。ママさんも完全廃業まで今少し時間があるので是非また来てくださいという別れであった。

さて我々のメインイベントをどこにしようかと思案中です。

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