2008年4月29日火曜日

持ち主さがし

昨年の夏休みの頃陶芸教室をやっていたら、けやき小学校の3年生の2人組の女生徒が覗きにきた。そこで興味がありそうなので、2人に粘土を与えて手部練りを上手な人が指導して
2時間位で可愛いコーヒーカップが出来上がった。とてもうれしそうだった。ところが窯にいれるのが10月で随分間があって、そのうち又遊びに来ると思っていたが、パタリとこないし、
どうしたものか思案していたが、とうとう会えずじまいになってしまった。そこでこちらの工夫で窯にいれて、釉薬(うわぐすり)もいれて本焼きも終わった。そこで名前はきいていたので
けやき小学校に連絡して出来ているから連絡してほしいとお願いした。しかしけやき小学校にはそういう生徒はいないという返事が返ってきた。そこで芝久保小学校にも同様のお願いして、同様の答えがきた。こちらの勘違いだとは思いたくなかったが、そうなのかと思っていた。ところが先週の土曜日に年格好が似た女生徒にきいてみたら、いるよという答えだったので伝えてちょうだい。公民館に預けておくからと伝えて頂戴と。
結局は学校側は変なおじさんには居留守をつかうか、いないよということにしているみたいだ。相当の安全策として触らぬ・寄らぬという統一見解をとっているようだ。登下校には4月には新生徒が落ち着くまでは親が付き添っていますし、下校時に拡声器で「御近所のみなさん下校しますので、見守りよろしくお願いします」のアナンスがある。教育だよりの新聞でも、昨年はこういうことをやったとは書いてあっても、今年は何時どういうな行事があるかは父兄以外には分からないようになっているし、学校のHPのパスワードがないと見れない状態になっている。止むをえない措置なのかもしれないが、無邪気な子供らしい愛らしい子供たちにやっと渡せることになったが、手渡すことはしないようにした次第です。

2008年4月27日日曜日

春に触れる


春に触れる
目で見ていても小草の名前もすぐに言える人ばかりでないし、それを触って見分けることはおそらく難しいことだろう。
私の場合、草花は点字ふうに一粒単位で触りわけている。イヌフグリのような丸みのある花はとくに、点字を読むように左手の人差し指で花粒を一つ抓(つま)み、硬さや大きさを感じる。少しポロポロすれば開花した状態だ。その開花した花弁の先端がピンピンしていれば花は咲いたばかり、鈍い感触ならそろそろ終わりである。こういう花に触れると、私は何だか、草が“花の点字”で何か教えてくれるような気がする。
冬がおわり霞が地平線をけぶらせるころ、ザラザラした土がホッコリと空気を含んで膨らみ、そこから細いがしっかりした草の芽がチクチクした先端を頑張って立てて生えてくる。そのチクチクが日々育ち,茎となり、葉を出してツン立っったり、フカフカの葉を広げていく。ザラザラの土を草の優しい手触りが少しずつ埋めていき、地面のどこに手を置いても草に触れるようになると春が本格的に動き出す。と三宮麻由子さんが書いています。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/hashiyasume/

2008年4月26日土曜日

園遊会など


OB会で聞いた話です。このOB会は定年退職後嘱託の時代の嘱託員だけの5人のOB会です。
嘱託だけだと、ちょっと身分が違うものですから最初はボヤキかいだったのですが、この嘱託を退職してからも毎月続いて7年にもなるのです。
上下関係がないので気軽に話しあえるので良いのでしょう。
その会社の社長が皇居の園遊会に招待された2500人に入ったそうです。前列から5番目なのですが美智子皇后はとても美しい方だったとの感想です。
4月17日の2時からだったそうです。赤坂離宮ですから当然外ですが、あいにくの雨で招待された人は傘もさせずずぶ濡れだったそうです。両陛下は お付きの者が傘をさしているそうです。いただいて帰ってきたのは菊のご紋の入ったドラヤキが2つだったそうです。それを社長と奥さんがそれぞれ
1つづつ分けました。社長はこれを部長クラスに8つに刻んだものを分けてくれたそうです。一人経理部長として残っている人が携帯の写真にとったものを 我々にみせてくれました。奥さんも刻んでお友達に分けたと思いますがどうだったのでしょう。
 小生は中近東文化センターでの一般の人が受講できる講義の終了式にこのセンターの記念図書館長をされている三笠の宮殿下が列席されて、記念写真をご一緒にとらせて
いただきました。トルコとの友好を記念したお祝いの講演にトルコ大使もこられたときも列席されたいましたが今回このように気軽に撮影されるとは思いもしませんでした。

2008年4月21日月曜日

書道・臨書


新宿で考古歴史学者森浩一先生の講演を朝日カルチャーを聞いた帰りに夕飯まで時間があるので、三井ビルの1回に写真展をやっているところがあったのですが、もう閉鎖されていました。
たまたま朝日生命51階で書道展があったので立ち寄りました。
以前マイミクのナナさんから中国古代の石碑の拓本を紹介されて、その素晴らしさに目を見張ったのが思い出されました。行って初めて分かったのは、丁度同じく石碑を臨書という字の筆使いをそっくり写し(コピーではなく毛筆で)
の展覧会でした。自分の個性を殺して、石碑の字を書いた字を再現するのでした。どれも見事なものでした。
そこで知ったのは絵や写真も同様に書道も詩を語り、人を語る芸術だと感じられたのです。PCの字や活字とは違った生きたものを感じます。音楽も生を聞くのとCDを聞く違いがあるように、肉筆にも
そういう力がありました。これに合わせて本体の「墨華書道研究会」という団体の書家もやっていましたが時間を延長してほしい位でした。
小林翠径臨書展4/22まで
http://www.shodo.co.jp/tenrai/book/book-class04.html

そこで分かったことは日本三古碑(上野多胡碑※1、下野那須国造碑、陸前多賀城碑)、
※1は群馬県吉井町多胡碑記念館:吉井町大字池1085:TEL027-387-4928これは国指定の特別史跡になっています。ここは古墳の多い群馬県に行った時たまたま辿り着いていました。

http://www7.wind.ne.jp/yoshii/kanko/spot01/tago01.htm
    多胡碑は、奈良時代初期の和銅4(711)年に当時の群馬県では14番目の郡の多胡郡が誕生したことを記す記念碑で、日本三古碑の一つです。当時の三つの郡から三百戸を分割し、新しく多胡郡を設けたことが記されています。その優れた書体は今も多くの書家達に愛好され、多胡碑記念館では、そのすぐれた書体に関する中国等の拓本等も展示されています。周囲は緑あふれるいしぶみの里公園として人々の憩いの場ともなっています。


比較的近くは多胡碑を含んだ上野三碑は高崎市の巨大観音像が見える観音山南丘陵地にあるのですが、山の上の碑、金井沢の碑もあります。

「鉄山・大集経」拓本集を 高知在住の磨崖刻経」の拓本は20年ほど前、高知市の拓本家 井上拓歩さん(78)が現地を訪れ採った。一つの文字の 大きさは一辺が30cmー50cm。造形・風化美の魅力 6世紀、中国仏教の聖地
これを福岡市の木村迦葉さんが出版したのをナナさんが紹介されていたのを知ってからの連鎖反応でした。

2008年4月20日日曜日

京都の隠れた歴史の跡



新宿で同志社大名誉教授(1928年大阪生まれで、京都の東福寺の隣地に40年住居を構える)「その後の森浩一、平安京の考古学」を拝聴しました。
“考古学は地域に勇気を与える”ということを理想にしている先生です。目下最後のテーマとして「京都の歴史を足元から探る」ことに集中しているそうです。現在2冊「京都の歴史を足元から探る」あり、あと3冊は人工透析をやっているが続けられるといっていました。遠出ができなくなったので、地元を調べているがとてもユニークな論を展開しています。著書にサインしていただけるということで、二胡のチェンミンと今年は2回もサインの機会に恵まれました。
京都の歴史は朝廷や有名なお寺・仏像の絢爛さに目を奪われるが、この平安京以前の姿に注目することも大事でだと言われるのです。
① 近郊に古くから発展した拠点(マチ・邑)がある。醍醐、白川(河)、深草、鳥羽、伏見、嵯峨などで、それぞれの山荘があったようですし、これらの地名が平安時代以降の天皇の諡号(おくり名)となっている。 マチや邑といっても人や物品の集散のある賑わいがあった拠点のイメージだそうです。
例えば醍醐天皇、後醍醐天皇。こういうところには弥生時代の遺跡などがある可能性は出土品もあるし、十分な発掘が行われれば覇者が意図的に隠しているいイメージや平安京以前の分もはっきりするとのことである。。
② 天皇の諡号にはならなかったが、宇治郡の山科や木幡(こはた)も重要でとくに豪族の和邇氏の拠点で、応神天皇が木幡から葛野(かどの)を眺めた羨望の歌は面白い(『古事記』)。山科には天智陵があり、平安時代には先帝の陵の筆頭に扱われた。
③ 平城京→長岡京→平安京へと遷るが、長岡京と平安京は至近の距離(1km)の地にあって遷都の理由が問われる。山部親王(恒武天皇)は政権掌握と維持のため2人のライバルを抹殺した。弟の他戸親王(オサベ) と早良親王である。そのため2人の怨霊を死の直前まで怖れた。平城京と長岡京を捨てたのは2人の怨霊のこもる地を避け、平安京ではそれらの霊を御霊神社に祀った。
④ 平安京は唐の長安を模したとよくいわれるが、羅城門の名は長安城にはないし、平安京では2つの運河(物資の運搬)が重要な役割を持った(造営の指導者が唐にいっていない。都市のなかを運河が通るのは平城京にもあったし弥生時代の小都市(吉野ヶ里にも運河があるとのこと)、にもみられ、日本的伝統があると先生は見ている。
⑤ よく完成された都市として平安京の地図を見るが、果たしてどこまで完成していたか。藤原道長は羅城門そのほかの礎石を盗み豊楽院(迎賓館)の鴟尾を盗んでその鉛を自分の建てる法成寺の瓦(緑釉瓦は鉛を使う)に使った(『小右記』)。平安中期の道長のころは平安京が自己崩壊しだしていたのであるといわれる。

2008年4月18日金曜日

FON


PCをあちこち持ち歩く人に便利です。まだ普及度は低いですが年々海外も含めてPCの使える場所は増え、ユビキタスの世界ですね。

私のマイミクのイベント情報TSUDOIの主宰者Mさんから教えてもらったものです。

FONは「自分」の家や会社やお店に、FONの無線LANの機械を取り付けて、他の人に無線LANを使わせるかわりに、自分も他人の無線LANが使えるという相互サービスです。
通常無線LANが使えない公民館でPCでインターネットが使えたのです。どういことか聞きますと、誰かがFONを周辺の家庭かもしれませんがそれが利用できたのです。他人のFONに接続する際には、自分がFONのユーザー登録したID、パスワードを使います。 ここの安全性も大丈夫だそうです。
どこにあるかは下の地図でわかります。
http://labs.ceek.jp/fon/

fonという機械はこちらです。機械を取り付けたあと、ユーザ登録の他設定が必要です。
設定がややこしいので、もし購入されたら手助けさせてくださいといわれています。
https://www.fonshop.jp/index.html

2008年4月17日木曜日

弓師


松永重児さんは良質の竹と粘りのある木材・黄櫨(ハゼ)を求めて、九州は熊本の球磨川べりの山中に居を構え、ここで弓師として力強い薩摩弓の特徴をいかして、京弓の軽い調子の冴えを取り入れることに没頭した。同時に
木と竹を接着する長年固形まで至らない順応性のあるニベの改良にも創意と工夫を重ね、弓造りの研究には文字通りの精魂を打ち込みようで心血を注いだ。銘のある「松永萬義」の作品も芸術品の高みに及ぶ名作として愛弓家の垂涎の的となっている。
松永青年は最初熊本にいったときの球磨川の両岸に広がる、竹あり、黄櫨ありの無限の広がり印象にのこっていた。そのころ幸か不幸か身体を悪くしていたので、長男ではあったが家を出ることもできた。しかしお親父はカンカンに怒り、さんざん悩んだ挙句、菊屋橋の弓師の木村さんのところのお内儀さんの「それならお行。しかし、道具を持って行きなさいよ。置いていっては、あとでお前の弓師の親父が泣くよ。あんたは道具を持って行ってやるのが情というもんだよ」(弓師として家をでる。そうなると道具まで取り上げたとなると、親の情もないひどい親だということになるんだと解説している)。お内儀さんは支度金まで用意してくれた。紹介された人々も懇切な人ばかりであった。
大みそかと正月にかけてのとき、普通なら到底無理なものを昨年の関東大震災から命からがら来たのだと口説き落として球磨川の竹を切って御近所の若者に仕事場まで運んでもらった。気持ちは焼網にのせた固いモチを待ち切れず何度も何度も網の上でひっくり返している子供のようだった。中芯の竹をやいたり、側木になるハゼをひいたり、手入れを暇なしで面倒をみて割と早く枯らしたつもりだった。そうしたうえでどうにか第一号を10日間張ってみた。眼前の球磨川で水垢離もし精進潔斎も何日も続け、正月2日より真っ暗い内から仕事にかかった。一心に打っただけあって期待はしているが、形や弓の反発力を整えている藤かずらをほぐすのが怖いようだった。ほぐしてみると我ながら実に良い出来栄えだった。これを神棚に供えて、熊本まで遊びに出かけた。その日帰って弓の棚のしたで休んでいると、弓のやつが踊りだしているにに気がついた。やはり甘くはなかった。
ここで反省したのは、心静かにして、落ち着いた気持ちで十二分にゆったりとした気持ちの安らぎをもって、弓道でいえば、前の澄ましを十分にとって、仕事を始めなければいけないんだーー。やはり仕事の上に造る者の気持ちが乗り移るんですねと筆者は語っている。それから川の流れの音に負けんような大声で詩吟をやりながら、川岸を上下しながら仕事の工夫も毎晩考えた。「肥後三郎(弓銘)――弓に生きる松永重児」復刻版より

こうして拵えられた弓もその使い手の手入れ技量などがまた影響する。怖いものしらずで練習している昨今です。

2008年4月16日水曜日

お逮夜


おはようございます。下記の逮夜の法要という言葉を知りませんでした。(自分の両親や兄などの菩提寺なのに)
小生の義姉(故兄のお嫁さん)が昨年亡くなりました。その人の法要についてです。
山形県一人残された娘姪御と他県(富山・千葉・埼玉)にいる義姉の4人弟妹がこれを実行していたのです。みな交代でそれぞれの連れ合いも交えて法要のため通っていたのです。一周忌が経過してある本で分かったのです。なんと篤い法要でしょう。彼らは本当に仲のよい兄弟姉妹でした。
成仏を祈るために一生懸命法要を営んでいたのでした。イエローポスト

仏教では、亡くなられた日から七日ごとに、閻魔大王を始めとする諸王に生前の善悪行に関して裁きを受け、 各菩薩に教えを受け、七回目の七日(四十九日)に次に生まれ変わる世界が決まるといわれています。
生まれ変わる世界は、六道と言い、地獄道(じごくどう)、餓鬼道(がきどう)、 畜生道(ちくしょうどう)、修羅道(しゅらどう)、人間道(にんげんどう)、天道(てんどう)です。
お逮夜・七日法要とは、その時に故人が成仏できるように功徳を積もうとする法要(中陰法要)となります。
昔は逮夜の法要と忌み日の法要の両方を行うことがあったそうですが、現在ではどちらかの日に法要することが一般的です。
本来は七日ごとにお寺から僧侶を呼んで法要してもらいますが、 最近では、初七日、五七日、七七日(四十九日法要)で僧侶を呼ぶ家が多いそうです。
(五七日に僧侶を呼ぶのは、閻魔大王自身が裁きをする日とされているからです。)
その他、四十九日の忌明けまで毎晩、御詠歌を上げるのも故人の功徳を上げ成仏を念ずることになります。
忌日 王 菩薩
初七日 秦広王 不動明王
二七日 初江王 釈迦如来
三七日 宋帝王 文殊菩薩
四七日 五官王 普賢菩薩
五七日 閻魔王 地蔵菩薩
六七日 変成王 弥勒菩薩
七七日(四十九日) 泰山王 薬師如来

2008年4月13日日曜日

信州の鎌倉



東信濃はまだ春は梅が主でした。真田幸村の上田城は5日から桜まつりでしたが、行った10日は雨なのでそれほどの人のではありませんでした。翌日は晴れて駐車場は満杯。みな春を待ちかねているのでした。
上田市内の別所温泉は塩田北条家の別荘があったところなので信州の鎌倉と呼ばれています。鎌倉時代の3重の塔(上写真前山寺)や安楽寺の八角三重堂など見ごたえがありました。写真は雨で写りがよくありませんので下記hpに譲ります。


http://www.bessho-spa.jp/j_kojikotou/kojik_fls.htm

2008年4月9日水曜日

ヤーコン


おはようございます。今日はヤーコンというお芋の話です。小生も全く知らなかったのですが、アースディのときにKさんから頂いたものです。
見た目は真っ黒いイモでした。それがサラダのようにして食べてみるとおいしいのです。輪切りにして薄く切ってみると、一面リンゴにミツがはいったような
ミズミズしいものでした。又買いたいと思っていましたが、3度目の正直で買うことができました。
場所は芝久保の「揚州」というらーめんやさんの西隣にコンビニのローソンがありその前の農家のところです。
ここも百円を入れてくださいというので丁度100円玉を縦にして筒の中にいれました。思わず振り返ったのはありがとうございますという御主人の声でした。
これが自動的に声を出すのでした。以前はこういうのは無かったのに工夫されたのでしょう。きっと愉快な人なのでしょう。イエローポスト
下記hpはヤーコンの説明です。
http://www.ami-yacon.jp/yacon_ryouri.html

2008年4月8日火曜日

街角イヴェント情報


おはようございます。以前もお知らせしています。“tsudoi”というイヴェントのホームページの行事内容を探しては埋めています。とりあえず西東京市内で行われているイヴェント情報を集めています。
音楽会などは各市民会館でも行われていますので、近隣の市についても情報化すれば楽しめる材料がより増えます。
次の段階は市報、社会福祉協議会、図書館だより、公民館だより、コミニュテイ紙や公民館などの公共施設においてあるチラシから情報を拾ったりしています。
また実際は福祉会館とかスポーツ施設にゆくと、募集の掲示板があったり生の情報があります。スポーツ施設にゆくと、年齢が不自然なのでしょう。係の人から怪訝そうな顔で、「どうされました。」
ときかれる。イヴェントを探していて、それを情報として流そうとしていますと言うと納得されます。どうも現地以外ではスポーツセンターで聞くのが良いようです。
ある福祉会館では広さを見るために広間を見るだけなのに、カラオケをやっていてすかさず勧誘されたりします。でもお話するといろいろ聞けて面白いようです。
野球場にゆくと、小学生6年生のチームが試合していて、これがなかなか見ごたえがあたりして、関係の父兄だけの見物では勿体ないというのもあります。こういうイヴェントを周知させたら
他の見物人が来ますし、彼らはもっとハッスルする筈ですね。こうやって調べてみますと、スポーツ施設の利用は本当に盛んです。又本当に楽しんでいるようです。
スポーツセンターでやっている子供達のダンスは一度見学してみたいなあと思います。
趣味ですが、保谷公民館だけでもグループが145もありました。すごい数のグループが動いています。
イエローポスト

http://tsudoi.jp/

2008年4月5日土曜日

行政相談


おはようございます。行政相談委員(総務大臣が民間有識者に委嘱している※)についてご存じでしょうか?立川市大山地区の方にあったときに、御自身もこの相談委員になっているそうです。
市内でパンフレトを見つけました。それには国の仕事のことなど困ったときは、御相談くださいとあり、相談されたら返事をださねばならないそうです。
下記は総務省と市役所に当市の担当者名を質問したところ、総務省からのみ返事がきました。市報では市民相談室とありますので、市についての相談しかできないように
思っていましたが、国についての、都についても同様に相談できるのです。結構道がひらかれているのです。
(※市議会の承認を受ける必要があると聞いています)イエローポスト

たとえば
●年金、医療保険、老人保健、福祉
●交通安全、●雇用保険、労災保険、●登記事務●道路●生活衛生
●郵便・貯金・簡易保険●消費者保護●窓口サービス


全国からかけられます。行政苦情110番は0570-090110(IP,PHSなどつながらない場合があるそうです)


1.西東京市の行政相談委員について

  西東京市では以下の4名の行政相談委員が担当しております。
   ①松下 美惠子、②菅野 亨、③渡部 と久代、④山本 政子

  下記の庁舎・日程で行政相談委員が相談を受け付けております。

   田無庁舎
   相談日 毎月第3金曜日
   相談時間 午後1時30分から午後4時30分
   場所 市民相談室
   問い合わせ 田無庁舎市民相談室(電話:042-460-9805)

   保谷庁舎
   相談日 毎月第1木曜日
   相談時間 午後1時30分から午後4時30分
   場所 市民相談室
   問い合わせ 保谷庁舎市民相談室(電話:042-438-4000)


2.行政相談の実績について
  行政相談委員が処理した実績(事務所の処理含む)等につきましては
 下記のホームページに掲載しておりますので、ご参照願います。

   (行政相談の実績)
http://www.soumu.go.jp/hyouka/soudan_n/jituseki.html
   (行政相談の解決事例)
http://www.soumu.go.jp/hyouka/soudan_n/kaiketujirei.html
   (東京行政評価事務所の行政相談実績)
     http://www.soumu.go.jp/kanku/kanto/tokyo/bunya/gyo_sou3.pdf


総務省東京行政評価事務所
 行政相談課 担当:永岡
 0570-090110

2008年4月4日金曜日

型にこだわり心に至る


高橋睦郎※さんというひとが歌舞伎についてこんなことを書いていました。舞台をみてもいっていることが分からないかもしれませんが、何となくそうだろうないう思いがあります。
舞台の充実

「型にこだわり心に至る。」げんざい女形の頂点にたつ中村雀右衛門丈(85歳)の舞台に触れた。
丈の体調を考慮してか藤間勘祖の振り付けは思いきり簡素になっている。それだからこそ踊りの骨格そのものがあり、その骨格から幻の花が顕(た)ちひろがる。世阿弥の「せぬ手立」という言いようを思い出した。雀右衛門丈は自らの意思で「風体を浅く」「手をすくなく」したわけではなかった。体調のせいでやむをえず風体を浅く手を少なくした。それがたまたま世阿弥のいう「せぬ手立」に合致したのだ。
しかし丈にはその先があった。それから10日あまりのち丈の同じ舞台を覗き、驚きをあらたにした。一日一日の舞台の積み重ねを経て丈は心身の力を充実させ、踊りの力を充実させていたのだ。
わが国の伝統芸能の基本は先人からの型だ。型はいってみれば器のようなもの、体調の十分ではないときに支えになってくれる。そして体調が充実してきた時には、その中に注ぎ込めば注ぎ込んだだけ満たしてくれる。時として型から離れることも許してくれる。これは私は型の慈悲と納得した。



丈さんの立姿は写真ですが下記HPの「ライブラリー」で、人生記は波乱の履歴書でご覧になれます。(動画がないのが残念ですが・・)
http://www.kabuki.ne.jp/jakuemon/


※高橋睦郎の略歴:1937年福岡県に生まれる。福岡教育大学卒業。詩人。
62年上京し、学芸の諸先輩に学ぶ。詩、短歌、俳句、能、狂言、浄瑠璃、オペラ台本など、ジャンルを超えて創作活動をつづける。近年は古典の尖鋭な読みなおしで注目される。詩集『王国の構造』で島崎藤村記念歴程賞、詩集『兎の庭』で高見順賞、句歌集『稽古飲食』で読売文学賞を受賞。2000年度紫綬褒章受章。

写真は山形県鶴岡市に先端生命科学の関する慶応大学のキャンパス

2008年4月3日木曜日

各国の航空会社のサービス比較


身体の楽な紙上の景色も見えない旅行にでかけましょう。
ボーイング727:の導入によってサービスの考え方に違いがみられる。最新鋭機のフルフラットに近い座席、ワインと食事も申し分ない。タイ国際航空は食事に進歩がないため顧客満足度が2位となる。そうしてやっと3位がシンガポール航空だ。以下4位のフィリピン航空に食い込んでいる。最下位がガルーダ・インドネシア航空。新興勢力のベトナム航空が4位に食い込み、フィリピン航空はが下落する。シンガポール航空が最新鋭機を投入したのはパリ、シドニー、ニューヨーク、ロスアンゼルスなど主張が盛んな国への路線
だ。日本人は文句を言わず、金払いがよくてお人よしだから最新鋭機の導入は必要なしと思われているようで、南洋華僑の計算が見て取れる。出典はわすれましたたが、航空機評論家の意見でした。
比較するほどのっていないので下記は興味がないが、エミレーツ航空はドバイにある。産油国にとって石油経済で潤っているからでしょうか躍進ぶりが著しい。イエローポスト

乗ってみたいエアラインランキングでは投票された方のコメントもございますので、ぜひお楽しみください。

評価ポイントについて
順位 総合ランキング ポイント 前年比

シンガポ-ル航空 35.26 (昨年1位)


エミレーツ航空 34.97 (昨年2位)


全日本空輸(ANA) 33.50 (昨年4位)


ヴァージンアトランティック航空 33.25 (昨年3位)


カタール航空 32.51


ニュージーランド航空 32.24 (昨年6位)


スカンジナビア航空 31.44 (昨年10位)


ルフトハンザドイツ航空 31.41 (昨年8位)


日本航空(JAL) 31.37 (昨年21位)


キャセイパシフィック航空 31.03 (昨年7位)


タイ国際航空 30.84 (昨年14位)


フィンランド航空 30.53 (昨年5位)


スイスエアーライン 30.49 (昨年9位)


KLMオランダ航空 30.35 (昨年16位)


オーストリア航空 30.32 (昨年20位)

エミレーツ航空はドバイにある。産油国にとって石油経済で潤っているからでしょうか躍進ぶりが著しい。
ランキング総評
3年連続首位を守ったシンガポール航空の格は正に本物。
だが、惜しくも2位となったエミレーツ航空の追随は今後目が離せないであろう。エミレーツに続き、カタール航空が一気にランクイン。
ヨーロッパ・アジアエアラインが人気となる今までのランキングであったが、その一角に中東のエアラインも定着してきているようだ。
そして今回印象的だったのが、昨年21位から一気にトップテン入りした日本航空。一時はブランド力に危険信号が灯ったが、安全策への対応、サービス面の充実、また新規機材の導入などの効果が出てきているようだ。

シンガポール航空
• 昨年末導入された新ビジネスクラスシートが従来より大型化し人気を得ている、また今年10月就航予定の総2階建て機材A380も話題の的となっている。
エミレーツ航空
• ファーストクラスが個室のようになっており、航空ファンにはあこがれの航空会社となっている。もちろん全てのクラスにおいてサービスの評価が高い。
全日本空輸(ANA)
• 信頼性・接客サービスの評価がとても高い。ボーイング787のローチンカスタマーとなっており、世界からも注目されている。
ヴァージンアトランティック航空
• 他のエアラインにはない斬新さが定評。エコノミーでも大型液晶モニターが設置され、空の旅を一層楽しいものにしてくれる。
カタール航空
• 最新のAVオン・デマンド・システムが全てのクラスに設置され、ハード面でのサービス水準の高さが高評価に繋がった。
ニュージーランド航空
• 機内食の評価がとても高い航空会社の一つ。スターアライアンスメンバーなので、マイレージ加算もしやすい事が高評価に繋がる。
スカンジナビア航空
• CAの決め細やかなサービスと、機内食の評価が高い。また古くから日本へ就航し、信頼性の高さも伺える。
ルフトハンザドイツ航空
• 安全性への評価がとても高く、全ての評価においてバランスよく支持されている。
日本航空(JAL)
• 以前に比べ機内食やサービスの評価が上がり、全体的なブランド力も増してきている。
キャセイパシフィック航空
• コストパフォーマンスがよく就航都市も多いことから、香港を経由して各都市へ行くのにも利便性が良いと評価されている。

写真は昔の山形県の庄内地方の郡の役所が保存されている。

2008年4月2日水曜日

前さばき


相撲用語:「前さばき」
2000年4月に「前さばき:多忙などを理由に相談を前さばき(割愛)にしてはいけない」は埼玉県桶川の女子大生殺害事件などの警察の不祥事が明るみに出た。警察の相談受付件数は、それから激増し、警視庁の場合、昨年は7万件あまりを数えた。この前さばきの訓告前の3倍。
「玄関前にゴミが捨てられた」「隣人が大声でわめく」先日26日夜も「路上の声がウルサイ」という通報が入った。現場に座り込んでいた少年3人は公番勤務の巡査部長27歳が追い払おうとしたものの、言うこときかず拳銃を向けた。警視庁はこれを罪として書類送検したが、その前に巡査部長への寛大な処置の嘆願書が地元住民10名から出ている。悪いのは少年3名で、一人の警官の制止に聞く耳を持ってていないではないか。それではどうすれば
退去させられたかという難しい問題が横たわっている。読売新聞より

写真はクロッカスですが午前11時の状態で3時半に帰宅すると閉じていました。

2008年4月1日火曜日

北京大学てなもんや留学記


おはようございます。中国人についての理解をあらたにしました。イエローポスト
北京大学てなもんや留学記:谷崎光(女性の方です)より
http://blog.goo.ne.jp/tanizakihikari


北京大学に留学した方の同じクラスにいた人の話です。アメリカ国籍でメキシコの中国人のおばあちゃんのところで育った華僑の女の子。

「メキシコにはこんな言い伝えがあります。天地創造の時、神様は小麦粉をこねて、人間を作ろうと思いました。人の形をオーブンに入れて焼いたら
、最初は生焼で真っ白。これが白人んぽ先祖。次は焼き過ぎて真っ黒になった。これが黒人の先祖。最後にうまく焼きあがったのが黄色人種です。ですから黄色人種が
一番優秀という話です。」

長身のこの子はABC(アメリカ生まれの中国人)は祖父母か親が移民している彼らは、親の尋常でない苦労を見ているから努力家でもあるし、東西文化のハーフというよりは
二倍のダブルの人々で行動的でからっとしている。東洋人とも西洋人とも自然に仕事ができ、かつたいへん有能。中国のわけわからん世界も中から知っている稀有な存在。知人のABC女性はヨーロッパの航空会社
に勤め、トラブルの塊のような中国人客のあしらいに長けて、あっという間にアジア部門のNO2に昇った。

上記のHPは面白いです。中国は滞在も奥深く付き合っているので、餃子事件やチベットの反乱とかの印象記が如実にかかれているので一度是非ご覧ください。


写真は奥の細道の芭蕉の人形