2007年9月30日日曜日

軍人の配属先での傾向













小生は昭和16年生まれで、その当時は実感としてわかりませんが、どうおもわれるでしょうか?

日本の陸軍参謀本部は1940年、ヒトラーの電撃戦の成功まで決して好戦的ではない。意外かもしれないがこれは他の国の陸軍参謀本部と同じ傾向を示しただけだ。

ドイツでもヒトラーの外交的強硬策に最後までクーデター未遂も含めて抵抗したのは参謀本部だった。ところが陸軍省は政治との係りが生じることから比較的積極的となる。
石原莞爾は関東軍にいた時、満州事変を引き起こした。参謀本部作戦部長の時は日華事変の拡大に反対した。そして日本の軍人・官僚は配属先で意見を変えてしまう。すなわち現地軍にいると独断専行的意見、省にいると現地軍を支持し政治運動(外交または宮中参内)に関与、参謀本部では慎重論となる。軍人は全世界で共通の傾向を示す。

総じて陸軍は政治家に指図され、聞いたこともない地名の土地に出かけるのを嫌う。本心は自国領土で敵を迎撃することしか使命がない、と考えている。http://ww1.m78.com/より 

2007年9月29日土曜日

分かりにくい世界情勢




おはようございます。世界情勢については適切な解説者がいないと、理解しにくい
。又見方によってまるで正反対になったりします。自分の国でも分りにくいのに、どの解説者を選ぶかも人によって異なります。

米・露も自分の国の利害とプライドで動いているの過ぎない。こうしたことを基本においてみるのが覚めた見方なのかもしれません。又それぞれの国の利害等を理解することも難しいですね。


このままお伝えします。

 2001年に起きた9.11事件後、5年間でロシアと米国および中国の関係は劇的というほど大きな変化を遂げた。事件直後、プーチン大統領は米国の同盟国の首脳をさしおいて、真っ先にブッシュ大統領に電話を入れて、「対テロ戦争」において全面協力を申し入れた。中央アジアにロシアが米軍の基地を認めたことだ。プーチンが米国に接近したのは唐突と見えたが、じつは突然のことではない。ロシア経済を立て直すためには、欧米との協力が不可欠だということをプラグマチストのプーチンはすでに気付いていた。

実際には9.11事件は対米政策転換の口実に利用されただけである。
 米軍基地を中央アジアに認めたロシアは、その後米国に対して強い不満を抱くようになる。それは、ロシアとしては考えうる最大限の譲歩をしたにもかかわらず、米国がそれに見合っただけの「反対給付」をロシアに何も与えなかったという不満だ。ロシアは米国からはもはや対等の相手としては扱われなくなり、軍縮交渉さえまともに相手にされなくなってロシアは強い屈辱感を抱いた。

この感情は、2003年にイラク戦争が起きたときには、ロシアはフランスやドイツと共に、米国のイラク攻撃に強く反対する立場に立つようになる。 ちょうどプーチンが大統領に就任した2000年頃から石油、天然ガスなどエネルギー資源の国際価格が高騰し、資源大国ロシアはBRICsと呼ばれる経済的に急速な発展を遂げている国の一つに数えられるまでになった。貿易収支の好調により、大きな対外債務を背負っていたロシアの財政は一挙に黒字に転じ、2006年には外貨準備高が二千数百億ドルにまで増え、対外債務も前倒しで返済できるまでになった。このオイルマネーを背景にして、ロシアは欧米に対して、大国としての自信を一挙に取り戻すことになったのである。欧米からの支援とか欧米追随ではなく、エネルギーを梃子にして、国際政治でイニシアチブを発揮するまでになった。米国との新たな対立の気も、この状況の中で強まった。

(ひろせ ようこ 東京外国語大学大学院地域文化研究科)【参考文献】[1]拙著『旧ソ連地域と紛争:石油、民族、テロをめぐる地政学』慶應義塾大学出版会、2005年。[2]拙稿「BTCパイプラインがもたらす南コーカサス地域への政治・経済的影響」名古屋大学国際協力研究科『国際開発研究フォーラム』31号、2006年2月、1-21頁。

2007年9月28日金曜日

トルコ展















写真はスルタンのターバン飾りと王子の揺り籠

トルコ展の最終日にいってきました。

●トルコはイスラーム教ですから、お酒はご法度ですから、男性も甘いものが大好きだそうです。

●トルコは好戦的でないので、まず戦闘をするのでなく、相当に威風堂々というより、きらびやかというか、瀟洒な衣服をきた近衛兵の数多い陣容を整えて経済力で圧倒させようとしたそうです。

●宮廷内にはバラ水というオーディコロンがいたるところに用意されていた。
 この展覧会でもほのかに漂っていました。

●色々の品、タイルもそうですが細密なのはイスラーム教が偶像崇拝禁止なので、こういう方向に走ったそうです。

●チューリップの品種は数多く作り出していた。

●スープも40種以上メニューがあったそうです。


イスラーム教徒に伝わる伝説ではコーヒーを最初に用いた人物はソロモンなのであった。
ソロモンは旅行中、原因不明の病気で住民が苦しんでいるとき町を通りかかったとき、イエーメン原産のコーヒー豆を煎った不思議な液体を調合して病人を
快癒させたという。イスラーム神秘主義教団のスーフィー(修行僧)によって愛飲されたらしい。かれらは神との合一と忘我状態にはいるためにコーヒーの刺激を必要とした。
コーヒーはアルコールにくらべ、イスラームでも評判は悪くなかった。コーヒーが何年間も人々の間で飲用されてきたのはそれがよいことだという合意に基づいた
からであり、コーヒーを飲んだ人々は眠気さまし、祈りと修行を重ねた。酒を飲むものは淫らなな楽しみをもとめ、酔っ払って神をないがしろにした。
しかしコーヒーは公共の嗜好品として次第に定着し、それを供するためにできたコーヒーハウスという公共の場さえつくりだしたのだそうです。

2007年9月27日木曜日

美術史に隠れた珠玉


Photo by (c)Tomo.Yun  写真素材集のhttp://www.yunphoto.ne/

世の中画商の数はおおいが、星野桂三さんはそのなかで実に異色の存在である。画商の仕事といえば、画壇や美術史上で定評のある作家の作品を顧客に提供するというのが普通である。中には作家の才能を認め、これを育てる人もいるが今が旬の売れ筋の作家の作品のみを扱っている人も多い。

画商さん達内のオークションで星野さんの目が輝きだすのは他の画商が問題にしない作品で、著名な作家の作品には殆ど見向きもしないのである。星野さんの「石を磨く」美術史に隠れた珠玉  推薦文は近代美術館館長 内山武夫氏である。

この星野さんの画廊のお客様の牛尾平四郎を偲ぶ小冊子の一文「僕達は石だ。ごろごろどこにも転がっている石たちだ。われたり、かけたり、ふみにじられたりしている。美しく見えるものは、何時の世でも、何かを踏みにじった上に、かろうじて存在している場合が多い。そういう美しさが必要なのか、そういうものが美しいと言えるのか。人間社会の醜さの中で行き続ける僕達は、人間と社会の限りなく広い営みの中に、現在生き方を採りつづける。汚れたり、曲がったり、あくせくしながら行き続ける。存在し、存在し続ける。」を星野さんは引用している。

星野さん「ほんまにそうやろか。石はいつまでも石やてエ?そんなことあるかいな、石かてちゃんと見る人が見たら玉になるもんもあるのんとちゃうやろか」と自問自答して先輩の助言とは反対の方向へと突っ走った30年は画廊の倉庫に数千点にもなるという。
自身いわく「石たちが捨て去られたままになっている。この連載ではそうした石を今一度磨いてみたい」と結んでいる。

掲載内容及び絵の内容は下記を参照
から「石を磨く」を開いてください。絵がご覧になれます。

2007年9月26日水曜日

心の健康法 その2




昨日に引き続きのお話です。自分は愛される価値のない人間だと思いこんでいる人たちに質問する。あなたは愛される価値のない人間として生まれてきたのかと。だが、生まれたときから愛される価値のない人間だったと感じている人には、まだお目にかかったことはない。


そこで次に言う。それではあなたは、だれかによって自分は愛される価値がないと思いこまされているのだ。あなたにそう思いこませたのは、権威ある人たちからのメッセージだ。条件付きの愛しか与えられなかった場合、人は自分を不完全で愛される価値がないと人間だと感じてしまう。


息子を自慢したい両親の希望で、弁護士になった若者は脳腫瘍にかかり、あと1年の余命と宣告された。そのとき彼は言った。「それじゃ、残された1年はバイオリンを弾いて暮らそう」1年後彼はオーケストラのバイオリン奏者になり、脳腫瘍は消えていた。これに似たような話はいくつもある。


だからこそ、両親から無条件の愛を受け入れられなかったのなら、それを自分で自分に与えなさい。両親を許し、自分自身を受け入れ、自分の真の人生を生きなさい。あなたが死にかけているとき、誰か他の人生が目の前を通り過ぎたとしたら、貴方は間違った人生を送ってきたのだ。


重要なことは、私達は親の過ちを許し、同時に自分自身も許さなければいけない。完全な親などはいない。子供から過ちのリストをもらい、立ち往生したこともある、子供は教師の一面もある、聞く耳さえ持てば、貴方も子供から多くのことを学ぶことができる。

2007年9月25日火曜日

心の健康法
















幼年期における愛情の不足は成長してからのみならず、子供時代にも著しい生理的影響を及ぼす。ある会議でアシュリー・モンタギュー博士が立上がり、誰にも答え得られない質問をした。愛情の不足はどのようにレントゲン写真に表れるか、というものだった。モンタギューがいう答えは愛されない子供は成長しない、と説明した。そうした子供の骨をレントゲンにとってみると、濃い線が見え、愛情不足のために成長が停止していた時期が分かるという。こういう場合の赤んぼうの特徴は身体体重ともに、著しく少なく、慢性的抑うつ症に見られるような引きこもりを示す。









その逆の場合は健康に有益であることも分かっている。母親の母乳の有効性は、母乳の成分を調べようとやっきになるが、大事なのは授乳の仕方なのだ。自然に及ぶ接触――それらは人間の体内環境を変える力を持つ。



 がんに患者に見られる特徴は、自分の気分に関係なく、つねに「元気です」と挨拶するような人達だ。彼らは「どうかしましたか?」と訊かれると、「なんでもありません」と答える。自分の欲求を否定し、何の問題もないからと助けを拒否すると、自分の体に「死にたい」というメッセージを送ることになる。その結果、体はその人が本心からそう思っているものと考え、病状を悪化させて死を早める手伝いをすることになる。自分の感情を率直に表現できない人のために、ABCで気分を評価するシステムを作るといいかもしれない。だれかに「ご機嫌いかがですか?」と訊かれたら[Cマナイナスの気分です]などと答えればよい。ある女性はがんには、秘密主義をとるのが自分のやりかただという。手術を受けることはほんの数人の身内しか知らせず、友人とあってもどこも具合が悪くないようなふりをしたという。しかし私にいわせればエネルギーの浪費だ。このエネルギーを病気だけでなく、彼女の人生をも癒すためにした方が有益だったろう。秘密を守るためにエネルギーを注がなくてはいけない。友人や家族に助けを求めることも、助けを受けることも出来ない。うそを真実のこととしてまわりに認めさせ、それを守り抜くことは美しい行為にみえるかもしれないが。しかし自分にとってこんな過酷な罰はない。







この博士のいいたいことはすべての人間に潜在的自然治癒力をもつことを自覚させたいことだといいます。



シーゲル博士の心の健康法より、5章、自分の中の子供を癒す:新潮文庫

2007年9月24日月曜日

なぜ絵を描くのか






昨日に引き続いてのお話です。先日経験したのは「ひきこもりの治療」のひとつとしての「箱庭」というものでした。縦40横50深さ10cmの箱があり3cm位白い砂が敷き詰めてあります。


友人が自分の子供35歳位の人で年来悩んでいることを聞き、小生の力ではどうしようもないのは分っているものの、「オンリーワン」という会に別の友人が連れていってくれて、元引きこもり、現在引きこもり(出席しているからもう大丈夫なのですが)の立ち直るきっかけも十分にあることもわかりました。ひきこもりを多少ともわかったらいいのにと思って出席してみました。


この砂は山に、川に、野原などに見たてよいし、この上に木、滝、動物、お回りさん、

看護師、ありとあらゆるミニチュアのものが用意されていて並べる時間はほとんど制限がない。大学でも学生の不安の相談や引きこもりの心理状態や治療(制限をつけないので、何回も経験するうちに、気持ちの整理が自然に行われるようです。


前置きが長くなりましたが、今回はなぜ絵を描くのか :人間の子どもがなぜ具象画を描き始めるかはまだ明らかにされていないが、自分の描いたものの中から、偶然に何かに似ている図形を発見するという仮説がある。たくさんのお絵かきをするからこその発見であろう。チンパンジーの子どもは、母親が描いていても、人間が図形を描いても、ほとんど興味を示さなかった。画面の中に見本となる写真や絵を提示しても、その絵に触れることはあっても真似た絵を描くことはない。


人間の子どもが、他人の描いたものを真似して描くのと対照的である。 絵に限らず、チンパンジーは動作の真似も自発的にはしない。他者が持っている物に興味はもっても、それを持っておこなう動作を真似することはない。ヒトの子どもは、その行為の意味がわからなくても真似をするし、記号の意味がわかっていなくても真似て描く。


真似をする能力がヒトに特有であることを示し、その上で真似をすることが高度な知性を必要とし、他者の意図の理解や、言語を使う上でも基盤となる能力であるとしている。人間の子どもたちを見ていると、大人のしていることの真似を楽しんでしているように見える。その楽しさは、お絵かきの楽しさと共通するものがあるのではないだろうか。その基礎には、ヒトにおいてとくに進化した、自分の周りの世界を取り込み、再現する能力があると考えている。 


なお最近のことだが、チンパンジーの子どもたちが4歳半を迎えて、また変化が起きた。4歳までは見向きもしなかったお絵かきに、再び興味を持ち出したのだ。チンパンジーの子どもの発達を縦断的に見ていくことによって、急激に変化が起こる時期があることがわかった。4歳半もそのひとつなのかもしれない。他の行動の変化も合わせてみていくことにより、どのような発達的変化が起こっているのか、これからも観察と分析を続けたいと語っている。
(たなか まさゆき 京都大学霊長類研究所)

 

2007年9月23日日曜日

ヒトのお絵かき


上の写真:Photo by (c)Tomo.Yun  写真素材集のhttp://www.yunphoto.ne/
                                                          
                                   
                                                                           
なぜ絵を描くのかヒトのお絵かきの発達 私たちが絵を描こうとするときの過程を考えてみる。まず描こうとするものを想起する。想起するものは今、目にしているものである必要はない。過去に見たものの記憶でもよいし、架空のものでもかまわない。写真のような鮮明な映像でなくても、大まかなイメージでもかまわない。しかしこれは最初の過程にすぎない。
                                   
絵にするにはそのイメージを紙などの二次元面に再構成しなければならない。その際に、必要な要素を抽出して、ペンなどを使って線でそのイメージを構成していく。頭の中のイメージをすべて線で描ききることは不可能なので、何が必要で何が不要かの取捨選択をしなければならない。それが決まると、次の過程では腕や手指の運動が必要になる。その運動の結果として残された軌跡を見て、頭の中のイメージと照合し、必要があれば運動を調整していく。 
                                                     
絵を描くためには知覚、記憶、思考、運動など、多くの過程を要する。脳のほぼ全領域を駆使しているといってもよいだろう。しかし実際には、私たちはそれほど苦労することなく絵を描く。技能に巧拙はあっても、絵を描くことに格別の困難を感じる人はいないだろう。子どもであっても絵を描くことに特別な訓練は必要としない。技能的に未熟な子どもの方がむしろ絵を描くことが好きだといってもよいだろう。
                                                    
大人は必要ならば絵を使うが、子どもは絵を描くことを楽しんでいるようだ。 ヒトの子どもはだいたい1歳半ごろにはお絵かきを始める。この頃の子どもが描くものは、私たちがイメージするような「絵」ではない。紙に線を描きつけただけにしか見えないもので、「なぐりがき」と呼ばれている。子どもの方も、何かを意図して描いているというよりは、自分の行為が紙に残るのが楽しいかのようだ。何枚も何枚も同じようにしか見えないお絵かきを続ける。
                                                     
この時期、子どもはある程度の語彙をもっていて、自分の描いたものに対して何らかの命名をすることはある。しかし、何を描いても「雲」や「水」などと言う。または「ぐるぐる」といった見たものから連想した名づけだったりする。 毎回同じようなものを描き続けていても、子どものお絵かき好きは衰えない。鉛筆でもマジックペンでも描くものがあれば、どこにでも描こうとする。
                                                     
そして3歳を過ぎたある日、突然のように人物画などの意味のある絵(=具象画)を描き始める。この過程についてはさまざまな仮説が出されているがはっきりとはわかっていない。 具象画が現れ出すと、子どもの絵は一気に上達していく。顔だけだったものが、手足が描かれるようになる。胴体がなく、顔から直接手足が生えている「頭足人」と呼ばれる人物像を描くこともあるが、やがて必要な要素をほぼ揃えた絵になる。人物の他にも花とか自動車とか見たことのあるものを描き出す。とくに見本をもたずに描いていたのが、何かを真似て描くようにもなる。人気漫画のキャラクターなどが多いようだ。またこの時期には、他の子の描き方を真似するようになる。
                                                    
真似することがいろんな表現のレパートリーを増やすことにつながるようだが、個性が消えていくようにも思える。幼稚園などで描いた絵を見ると、どの子も同じような題材で同じような絵を描いているように見える。 誰かの描いたものを真似ができるということは、描かれたものの特徴を抽出し、それを自分の手指の運動として再現することができるということだ。具象画を描くようになって1~2年でその能力を獲得する。しかし、実在の事物を見て、それを絵にすることはまだ難しいようだ。自分が見た三次元の事物から特徴を抽出してそれを二次元の平面上に線で再構成する能力は、さらに学習が必要なのだろう。
                                                     
明日は「なぜ絵を描くのか」をご披露します。


(たなか まさゆき 京都大学霊長類研究所)より。


▼引用文献▼松沢哲郎(1995)『チンパンジーはちんぱんじん』. 岩波ジュニア新書.明和政子(2004)『なぜ「まね」をするのか』. 河出書房新社.Tanaka, M., Tomonaga, M., Matsuzawa, T.(2003)” Finger drawing in infant chimpanzees(Pan troglodytes)”. Animal Cognition 6(4), 245 - 251.友永雅己・田中正之・松沢哲郎(編)(2003) 『チンパンジーの認知と行動の発達』. 京都大学学術出版会.

2007年9月22日土曜日

小学生の感性のすごさ






キトラという古墳についての作文コンクールの最優秀賞

「あっ、音楽が聞こえる!」『仔犬のワルツ』。ショパンの。自分の尻尾にじゃれた仔犬がぐるぐる回る。玄武さん、自分の(かどうかわからないが)尻尾を追って、ぐるぐる。でも、亀とヘビ、頭が2つあれば,意思も別々、各々考えてもいることも違う。遊んでいるのではなく、永遠の追いかけているのかもしれない。永遠の追いかけっこ。けっして追いつけない。とすると、ぐるぐる回りは、日が昇り、日が沈むということなのかもしれない。


だとしたら亀の甲らは、ゆるがない大地、地球、すんなりきれいな曲線のヘビは空、宇宙。大地と空、大きな円になる。そういえば、円、それは円舞曲の円。音楽が聞こえてきても不思議ではないかもしれない。
将来、私は地質学者になって、自然や歴史をたくさん研究したいと思います。そして、大地と空、地球と宇宙をつなぐ大きな輪、古代から現在の私達、未来のもっとずっと先の人々に続く大きな輪の一員として、しっかりと、物事を見すえ、伝えていきたいです。

佐藤紫苑、東京東横学園小5年の感想文そのまま。

2007年9月21日金曜日

能についての質問






能には橋掛かりといって渡り廊下があるがその一番左奥に揚幕がある。この幕の色に意味があるのですか→いろんな説があるのですが、その一つに中国古代の五行説があります。五行説は木火土金水を万物組成の五元素とし、それを色にすると、青(緑)から始まり(仏教では物質を構成する5つの要素を地、水、火、風、空とよびこれを色にあてはめて5大色としていて)、黄、赤、白、黒(紫)と観客席からみて右端が青(緑)です。この青が木です。この並べ方が一般的に正しい。


ところが他の舞台では右の方から黒(紫)になったりして裏表が逆になっている。やっぱり日本人も中国人も右から順番にはじまるから、一番奥が青でなければいけない筈です。


鏡の間という能の楽屋にあたるところですが、そこから演じる側からしたら右側が緑になる。能の最初の当時は演じる人が主だったのですからそうなっていたのです。能の歴史がそれを象徴していたことになります。切り戸口という出入り口がありますが、その他にもう一つ扉があります。地謡座の後ろに貴人口があります。そこは開閉しないで、出入りしてはいけないが、しかしながら開くようになっている。つまり身分の低い者の出入り口を貴人が出入りできないので特別ので入口なのです。しかし先ほどの説明のように演者のための出入り口ではないのです。つまり演者がもしあそこを使おうとすれば、普通の時ではなく、というのは死んだ時に、仏様とか、だから舞台で死んだ時は揚幕(演技のために出入りするところ)」は使えない。あの貴人が入るのだから別に「死人口」ともいう。しかし貴人が出入りしたことはないし、歴史にも残っていない。


能の舞台下には基本的に13個の甕が埋められている。足拍子を踏むところに置いてあります。踏んだ場合舞台は四角なので、響きがおこるので、甕をおくことによって音がここで吸収されてまた戻ってくる、そのために音がよくなる。能の型はどこを踏むかは大体場所が決まっているのでそこに置いてあるという訳である。



能・狂言なんでも質問箱:山崎有一郎・葛西聖司:檜書店より


<五行説 資    料>

木(木行)
木の花や葉が幹の上を覆っている立木が元となっていて、樹木の成長・発育する様子を表す。「春」の象徴。

火(火行)
光り煇く炎が元となっていて、火のような灼熱の性質を表す。「夏」の象徴。炎の神
土(土行)
植物の芽が地中から発芽する様子が元となっていて、万物を育成・保護する性質を表す。「季節の変わり目」の象徴。
金(金行)
土中に光り煇く鉱物・金属が元となっていて、金属のように冷徹・堅固・確実な性質を表す。収獲の季節「秋」の象徴。
水(水行)
泉から涌き出て流れる水が元となっていて、これを命の泉と考え、胎内と霊性を兼ね備える性質を表す。「冬」の象徴。
四季の変化は五行の推移によって起こると考えられた。また、方角・色など、あらゆる物に五行が配当されている。

2007年9月20日木曜日

日本はなぜ国際情報力が弱いか?


おはようございます。又長くなってしまいました。結構鋭い指摘です。
  第一に、日本人は「情報」の意味をわざと曖昧にしているのではないか。いうまでもなく、インテリジェンスは日本語の「知性」でもなければ「諜報」でもない。インフォメーションを収集して細かく分析し、評価のフルイにかけて洞察し、天秤にかけて信頼性ありと判断されたものこそ、はじめてインテリジェンスなのだ。

これは日本語の面白さでもあるが、カタカナになった外来語は、たいてい日本化している。本来の意味内容と違ってくるのだ。ある言葉を日本流に使うと、意味もニュアンスも全く違ってきて、大きな誤解を招くことになる。「スマート」はもともと「賢い」という意味だし、「モーテル」は家族が気軽に泊るホテルのことなのだ。日本人はガイジンを識別するわりには、意味のとり違いには無頓着である。

 第二に、「この情報は、いつ、どこまで公開するか」という基準が日本ではまだ十分確立していないようだ。だから情報がすべて秘密にされる可能性もあれば、大事な情報が簡単に流出してしまう可能性もある。これでは、他国との微妙で重要な情報交換は難しい。

 第三に、日本にはアメリカやイギリスばかりか、ヨーロッパやアジアの小国でも見られる国家レベルの情報収集・処理・分析をするための機関がない。熟練した多くの人材が必要である。自前の情報収集ネットワークの構築には、時間と投資が必要なのだ。これをどこかの国に依存していては、ヒトが目、口、鼻、耳を持たないのと同じではないか。 

第四に、日本の皆さんに伺いたい、「戦争になったら、あなたは何を一番に守りますか」と。“国”と答えるかもしれない。「では国とは何ですか」と問い返すと、はっきりした答えは殆ど返って来ないだろう。言っていること、考えることが抽象的過ぎるのだ。 発展途上国で、私の母国では、どう答えるか。百人のうち九十九人はこう答える、「第一に土地を守る。自分が生まれた場所であり、住む家と作物を産むからだ。第二に女を守る。子供を絶やさないためだ。第三に財産を守る。武器を買うためだ」と。もっと尊いのは祖国の土地であり、愛する国の女性と子供である。そのために命をかけて戦うのだ。

 「北朝鮮は何を考えているか、何をするか、わからない。だから一応それなりに準備をしておく必要がある」とマスコミ関係者は言うが、なんとも抽象的な話ではないか。何をどんな風に準備するのか」、不思議でならない。準備・対策の前段階として、信頼できる情報の収集としっかりした分析とが必要だ。そうしてはじめて戦略も戦術もたてられるし、国民への説明もできるのではないだろうか。 

第五に、古い話だが、日本の新聞には「有楽町発の外電」という言葉があったそうだ。特派員や海外の通信社から続々ニュースが入ってくるが、編集者は「読者が好み、理解できる」ものだけを掲載するという意味なのだそうだ。正直、今もそんなに変わっていないフシがある。読者・視聴者が喜びそうなニュースでないと、日本のマスコミはおしなべて冷淡だ味噌汁とご飯に合うものだけを選んでいる。だから理解しようという姿勢が育ちにくい、と言えば言いすぎだろうか。 事のついでに言わせて頂くと、日本のマスコミには欧米の報道を鵜呑みにするクセがあり、ニュースの背景にある意図や真実性を無視して掲載するケースが多々ある。 マスコミは歴史の証人であり、忠実に世の中に真実を知らせる義務がある。そのため、マスコミは意図的に真実を曲げたり、隠したり、挑発的に世論を操縦するようなことをしては絶対いけない。問題に応じて、権力に迎合することなく異なった意見や情報も掲載・放映することが、マスコミの義務であるはずだ。また、米英はフセイン政権打倒という目標を先に決めてそれを正当化するための手段として情報を捏造し、利用したのではないかと言われている。誤った情報や方向づけに対してブレーキの役目を果たさなければならない。

米英のマスコミはそうしなかった。もし日本のマスコミがそれをそのまま鵜呑みにして流すなら、外国の道具になるというだけでなく、社会に大きな被害を及ぼしているのである。 ここで付け加えたいのは、日本のマスコミが発展途上国やイスラーム諸国については勉強が不足しているように見受けられることだ。だから安直に欧米諸国のメガネを借りて見たら、一層本当のことはわからなくなる。たとえば、昨年デンマークの新聞が掲載したイスラームの預言者ムハンマドを風刺する冒涜的な漫画は、いくら言論の自由を振りかざしても、世論の挑発を目的とするものだったのは明らかだ。

もし日本のマスコミがイスラームという宗教についてもう少し勉強していれば、掲載の狙いはすぐ見抜けて正確な報道をしたであろう。全体の状況は、日本のマスコミが国際情報収集・分析に弱いとの印象を深めさせた。マスコミの正常な機能によって、日本の国民が国内・外の現実の姿を知り、政府がそれを外交政策に反映させるならば、それは世界各国で起きている困難な事態や悲惨な状況を解決することに、おおいに寄与するだろう。

モハメッド・ライースという人の意見です。

2007年9月19日水曜日

日本の鉄鋼業状況



最近インドの活躍が目立ちます。亜細亜大学で、新日鉄の内田執行役員の公開講座でした。

ところで地球の重さの35%が鉄だそうです。

●日本が高度成長の時代に年10%の国民総生産が、鉄鋼の消費の増加は15%であり、このようにその成長率×50%増しが鉄鋼の消費量の増加率と考えてよい。中国にも鉄鋼石があるが含有率が40%、豪州が60%で、鉄鋼を生産するにあたり、品質の時代なので、豪州のものを中国も輸入せざるをえない。インドの成長も著しいのでこの影響も大きくなっている。


●日本の消費量は公共投資が減少したので最盛時の60%になっている。
●日本でも最近は古鉄資材の盗難があるが、世界的にみると、鉄の販売値段よりスクラップの値段が4万円/Tもしたし、鉄鋼石も約3倍まで値上がりした。
●世界の鉄の消費量が平成9年まで8億トンを超えなかったが、最近では12億トンにもなっている。その増加要因のほとんどは、中国がかなりの高度成長を遂げていることによる。又、このことが世界の食糧事情・石油に影響を与えています。毎年中国の鉄の消費量の伸びは新日鉄が生産する量に匹敵する。


●鉄鉱石などの運搬船の需要で船が当分不足していて、早期に造船の拡大が望まれる。


●ビッグバンというか、世界の自由化の波はM&Aが激しくなりミッタルスチール※1やアルセロール※2(欧州)の合併が行われる。M&Aを受けないよう株価の時価総額をあげておく努力が必要だ。→新日鉄はアルセロールと提携していたので、ある程度の鉄製造の情報について交流せざえるをえないところに落ち着いたようですが、今後どうなるか・どうするか予断を許さない状況のようです。


●新日鉄もバブルの後遺症でヘソクリもなくなっが、平成13年から世界的需要が急上昇して、平成18年には過去最高の利益。


●新日鉄の従業員平成元年5.5万人が現在2万を割る。


●鉄の技術はプラスチック製品のように、機械にかければ出てくるような誰でもやれる技術ではなく、温度や、配合の問題、タイミングなど微妙な点にあり、更なる技術のノウハウを推進する自信があれば、追い上げてくる発展途上国に対抗できるし、そうする必要がある。

●地球温暖化を防御するために、明治神宮の10倍もの744haを植林している。 亜細亜大学の100m東の境5丁目4-3~境5―5の南北の道は花の通学路という名の緑道で散歩によい。

ミッタルスチール※1
1976年設立。前身はイスパット。「インド人大富豪」 のラクシュミ・ミッタルが経営。息子のアディテヤ、娘のヴァニシャも取締役。オランダに本社を置く世界最大の鉄鋼会社。粗鋼生産量は年7000万トン。45カ国に175000人の従業員を抱え、120カ国に5000の顧客基盤を持っています。

2007年9月18日火曜日

[老い方練習帳]より 















  人間は生まれたときからボケている。寝ぼけ、また遊び惚(ほう)けて。男の子が女の子に惚れる(逆も)はこころ定かでなくなる。時差ぼけ。おとぼけ。
  “呆”とかいてボケとよませている。この象形文字は赤ちゃんが両手・両足を広げてオムツをしている状態を示している。
  還暦は赤いチャンチャンコを着るのは再度赤ちゃんの入り口に立ったことを示す。
 ボケは長寿のお蔭。ボケを食い止めているのは多分に人の性格である。

●ボケやすい性格:お久しぶりね。→元気だったら、病院にくるかい
こんばんは。月がまん丸できれいだよ。→あしたもでるわいな。根性が曲っている人。 ほら・あれ,以外言葉を使わない人。

●ぼけにくい性格:歌を歌える人。絵を描く人。俳句や短歌を作る人。何故なんだろうと
疑問を持つ人。お茶を入れてもらって。→わあうれしい、いただきます。ああおいしい。
感 動のある人。 側はた)を楽にする人 。散歩をして会う人毎に挨拶をする。仲間を作る。友達を作って構いあう。自分からやる。  

●家族も過保護にしない(危ないから無理しないでそんなことやめてといわない、叔母が自分の娘が何もかもやってくれるので、自分のやれることがなくて困ると、従妹がいないときにフト口にするのでした)。

●おばあちゃんがいればこそ。驚く程の失敗・衰えであっても叱責しない。
本人もみんなに頼りにされて、生きていて良かった。長生きはするもんだねという(但し80歳以上になってから)→おまんじゅうをあげた人がもう一ついかがといいたくなる。 

写真は新潟県十日町市(旧川西町・日本一美しい村、これで自分の村も同じと自信を持てます)

早川一光氏の「老い方練習帳」より 

2007年9月17日月曜日

小田実の主張


小田実は7月になくなりました。生前の主張は実際に見聞し、広く見渡した上での主張でした。(小田実 - Wikipedia保護:このページ「小田実」は、荒らしや編集合戦などを理由として、保護の方針に基づき編集保護されています。現在の記述内容が正しいとは限りません。)この人の主張を下記に掲げました。


かつてソウルではどこへ行くにも深く掘られた防空壕兼用の地下通路を通る必要があったのが、今は横断歩道で行ける。それはそれだけソウルが軍事優先の軍事都市、戦争都市から市民の生活優先の平和都市、市民都市に変わったことだ。そして、かつて高速道路建設のために暗渠にしてしまった清渓川(チョンガチョン)の清流を逆に高速道路をつぶして復活させ、遊歩道をつくって市民憩いの場にするという市民生活優先の快挙。こうしたことすべて、戦争都市から平和都市への転換は、金大中文民政権登場以来の「南北対話」に基本を定めた平和政治がやって来たことだ。新しい時代が来ている。私にその実感があった。 


私があらためて考え始めたのは、日韓両国の類似だ。小部分を除いて日本は平和産業で国のゆたかさを築き上げるという世界の歴史でおそらく初めての快挙をやってのけた国だが(その経済のあり方の基本に「平和憲法」「九条」がある)、韓国も遅まきながら平和産業でゆたかさを形成して来た日本同様本質的に平和経済の国だ。政治もまた、日本が本質的に平和政治の国なら、韓国も文民改権登場以来は平和政治の国としてある。


こうした「平和国家」としての両国のあり方は、軍事にあまりにも依存しすぎるアメリカを初めとする他の西洋先進国の経済大国=軍事大国の政治、経済のあり方、国のあり方と対比すれば、ちがいがきわだっている。


その両国の「平和国家」としての類似を重要だと私が考えるのは、今世界には、アメリカ一辺倒の世界のあり方とはちがった新しいあり方を求めて、ラテン・アメリカ諸国がひとつの勢力をかたちづくるまでに大きく強力に動き出しているからだ。日韓両国がその動きと結びついて新しい「非同盟」の構築に努力する(それにしても、ボリビアの原住民族出身の大統領はアメリカと並ぶ軍事大国の中国へ行っても、なぜ「平和国家」日韓両国へ来なかったのか、また、日韓両国はなぜ彼を招かなかったのか)――そうした両国の努力を今、両国自体はもちろん世界が必要としているのではないか。私はそうした主張を「ハンギョレ新聞」とインターネット週刊紙「プレシアン」で述べたが、共感するところが大いにあったのか、二つともにおどろくほど大きく私の主張を取り上げていた。 「新しい時代を生きよ」という玄順恵(小田実の奥さん)のことばは韓国人だけにむけられたことばではない。日本人にも、世界のどこの国の人間にもむけられたことばだ。そう私も認識し、同じことばを言う。


(軍需産業ほど儲かる商売はないし、ほぼ独占できている。麻薬撲滅を唱えながら核廃絶や軍縮には目をそらしている。軍事費を減らし、平和への努力につかったらどう変わるか夢でなく、実現へのエネルギーが生まれるのを期待したい。)

2007年9月16日日曜日

大きな組織の自転の怖さ




NASAが打ち上げたロケットが落下事故をおこしたのは;大統領の年頭教書の発表当日に成功を同時に行うことが効果的であるが故に無理をしたのではないかと勘ぐられた一面もある。


そんな背景があって政府調査委員会は公聴会を組織して証人の話を聞くというを着々とやっているのであった。


こういう調査はホリング議員の経験からすると、「色々な文書に目を通すだけではなく、どっぶりつかっている調査官が4・5人ロケット発射台へ飛んで行って、いろんな連中の話を聞いたり、一緒に昼飯を食ってほしいことなのだ。そのあたりのレストランで2・3週間でも食べてごらん、文書で得られる情報の量よりも、たまげるほどの情報が入るもんだ。人がうやうやしく提出してきた書類なんかいくら読んだからといって仕方がない。」というのであった。ファイマンさんは実際聞き取りもやっていた。


NASAは初期の段階ならば、宇宙服のことを例にあげれば、不都合な点があれば無視しないし、お互いに共通の関心事だった。


ところが月上陸の壮挙が成就されると、NASAはいつのまにか、大組織になっている。しかしこれだけの人を集めておきながら、いくら大きな計画が終わったといっても、いきなりクビにして、路頭に迷わせることなどできない相談だ。そうなってくると、このさき一体どうすればよいかということになってくる。NASAでなければ出来ない計画があるということを議会で説得し承認を獲得しなければならなくなる。


そのためには上層部はシャトルがいかに経済的か、何回も飛ばせることができるとか驚異的な科学的事実が発見できるとか大いにブツわけです。「シャトルは○○回も飛ばすことができ、それには□□の費用がかかります。今度下層部技術員は、意見はとんでもない、そんなに何回でも飛べる訳はありません。というギャップが生じてくる。


議会に提出している側はそんな額まで要求したら到底無理だと思うものです。技術員のいう駄目な理由は聞きたくもない。それを耳にいれなければ議会で嘘をいう必要もない。


そこで飛ばす前に、是非とも是正する必要がありますとの耳障りが聞こえてくると、幹部や中位の地位のマネージャーは「とんでもない。爆発事故の焦点でもある問題のガスもれ防止のシールにふれられると「シャトル飛行をいったん中止しなくてはいけないじゃないか」とか「だめだめどんどん飛ばし続けなくては、天下のNASAともあろうものが・・」になり、


「もっと詳しく聞こうじゃないか」という情報交換の場ではなく、技術者の段階では何回もいい加減あしらわれていれば「勝手にしあがれ」という気持ちになってしまうのも当然だ。これでは上層部も本当の原因について口をつむぐばかりである。


いくら調べようと思っても無理である。元NASAの長官がなんらかの理由で起訴されていったんクビになっても、自分のオフィスに顔を出していたのである。NASAみたいな大きな組織で働く人間はいちいち言われなくとも、すべきことはわきまえている。NASAはその能力を証明するためにシャトルの飛行スケジュールを守らなくてはいけなかった。だからシャトルを飛ばし続けるようにという圧力はそもそもNASA自体のなかにあったのだ。その夜大統領の一般演説をやろうがやるまいがそんなことは全然関係のないことだ。


(こうなると、大きな組織や国グルミの行動の場合ストップをかける難しさが十分にある。ところどころでストップして階段の踊り場みたいな場を設けて軌道修正をかける方法が必要である。これは難問中の難問である。)


R・Pファイマンは調査しても、これは私らが原因ですとは言う人もいないので、結局分からないので、推論ですがと、ことわっている。

2007年9月15日土曜日

鈴木牧之の北越雪譜面から



新潟県は魚沼といえばお米で有名であるし、スキーで有名な湯沢の西に越後の深い山並みを超えて津南町がありその南西方向、上ったり下ったりを何十回も繰り返した上でたどり着く、長野県境も含む部分に秋山郷という秘境があった。ここは半年は雪に閉ざされている。現在のたてものも一階は住居ではなく、倉庫がわりで、冬は2階から出入りしていると思われますそのようなところです。

桃源を 、尋ねる心地して秋山に、尋ね入りぬ 牧之


明和7年に59歳で初めてこの秋山秘境は平家落人伝説のある村落を訪れた牧之は珍しい風俗や習慣などを絵と文章でまとめた「秋山紀行」を著作。この中の抜き書きから素朴ながらも賢く秋山に暮らす人々の姿が思いしのばれます。

~秋山の家々に戸鎖なしと聞く。当家などでは些か用心ありたしと云に、此処盗人と云ふ事なく、内へ盗賦這入た例もない~実に知足の賢者の住処とやいはん~
 
牧之は貧しくても人を疑う事のない、素晴らしさを伝えたかったのでしょう。「秋山郷の旅」という響きの中に、人の真心に触れたような温かさを感じます。ともかく何年ぶりかですが「たび」と言えるような旅に出発しています。


又北越雪譜※1では

「人家八軒ありて、この地根元の村にして、相伝の武器など持ちしものありしが、天明の卯年の凶年に代なして、糧にかえ猶たらずして一村のこらず餓死して今は草原の地となりしときけり」

在るものが無くなるというのは自然の摂理だとしても老若男女さては幼童まで絶滅とは悲惨冷酷で憤激にたえない。これは秋山郷一帯にも及んだ。五〇年後の天保[六・七・八・九年](天明の飢饉は1783~88年全国に及ぶ)の凶作では甘酒村、高野村、ともに絶滅と記されている※2。

秘境というものの、冬季病気になったら死を意味するようで、飢饉が来れば近隣の応援にも限りがあった。新潟地震でも応援体制が及びにくいことはご承知の通りである。実態はやはり生きるには大変困難なところであった。このように絶滅に追い込まれることさえあった。


※1:北越雪譜(ほくえつせっぷ)は、江戸後期における越後魚沼の雪国の生活を活写した書籍。初編3巻、二編4巻の計2編7巻。の結晶のスケッチから雪国の風俗・暮らし・方言・産業・奇譚まで雪国の諸相が、豊富な挿絵も交えて多角的かつ詳細に記されており、雪国百科事典ともいうべき資料的価値を持つ。著者は、魚沼郡塩沢で縮(織物のちじみ)仲買商・質屋を営んだ鈴木牧之(すずきまきし)。1837年天保8)に江戸で出版されると当時のベストセラーとなった。

※2地元の記録では亡くなった方々のお墓は昭和一八年になって篤志家がたてたとある。
●ここの平家落人伝説は源氏の宗廟八幡宮があるがこの謎は地元では未だとけていないという。この他平家落人伝説は宮崎県東臼杵郡椎葉村、徳島県西祖谷山村などがあるが全国に及んでいて
●写真上は蛇淵の滝、下は栃の木(木工の材料、木目がまことに見応えあり)

2007年9月14日金曜日

ニセ科学入門ということ





以前ユリゲーラーの「スプーン曲げ」について自分でもやってみようということが行われたことがありました。人間不思議なことが好きですね。


ニセ科学入門ということを大阪大学の菊池誠先生が、科学として信ずべきではないことはどういうことかということを主張している。
我が家では結構この血液型性格判断を信じているので、困っているというよりも便利なのです。
マイナスイオンにしても結構信じている状況にあるので、余計困りました。


「なぜニセ科学を信じるか?」マイクルシャーマー著・岡田靖史・早川書房
大阪大学の菊池誠による入門解説のホームぺージが開設されている。
 

世界中で日本人ほど他人の血液型を気にする国民はいないらしい。飲み屋で血液型と性格の関連を話題にするのは日本人くらいだろう。血液型性格判断のニセ科学性については語り尽くされているといっていいのだが、わかりやすい例なのだそうです。
 血液型性格判断の歴史は古く、1927年に古川竹二が出した学説まで遡る。もっとも古川学説は現在の血液型隆盛とは基本的に関係ない。現在の血液型性格判断に直接つながるのは1971年に出版された能見正比古の著書である簡単に述べよう。実際には


(1)4分類という思い切った割り切り:2分類では恐らく誰も信じないし、10分類では多すぎておぼえる気になれない。おぼえやすいことは重要で、血液型性格判断が学校から飲み屋まであらゆる状況で話題にされるのは、手許に参考文献がなくても議論できるからである。4という数は適当にもっともらしく、しかも使いやすいものなのだろう。


(2)血液型は遺伝現象の典型と認識されており、メンデル型の遺伝法則に従うことが一般常識として広く知れ渡っている。また、性格のかなりの部分が遺伝的に決まっていると信じている人は多そうである。いかにも遺伝しそうな「性格」が、もっともよく知られた遺伝現象である「血液型」と関連すると主張されれば、多くの人がなるほどそれは「科学的」でもっともらしいと納得するのも不思議ではない。この場合、信じる側はあくまでも「科学」として信じるわけである。



 さて、血液型性格判断も単なる遊びのうちはたいした問題ではないが、これが実害をもたらす可能性がある。たとえば、ある企業がインターネット上に公開している就職活動のためのエントリーシートには、氏名・住所・電話番号・電子メール・性別に続いて「血液型」の記入が求められている。ほかの項目は出身大学や帰省先、職種の希望など常識的なものばかりであるから、血液型の項目は目を引く。もちろん、なぜそれが必要とされているのかはわからないが、採用上なんらかの参考にしているのではという疑念はわく。また、以前、電機メーカーがAB型の社員だけを集めて新製品開発プロジェクトチームを作ったという実例がある。特に成果は出なかったようだが。要するに、血液型が就職や配属面で考慮されていると思われる事例があるのだ。これは無論、差別である。


 「あなたはA型でしょう」とコンパの席で指摘できるほどにはっきりした関係を主張していることに注意するべきである。したがって、上の質問は血液型性格判断とはなんの関係もない。 →しかしいろんな人、もちろん自分を含めてであるが、部分部分でも性格分類するのに便利であるので結構つかわれている。ここはあくまでもお遊びという認識が必要です。

2007年9月13日木曜日

芭蕉の句


芭蕉は奥乃の細道の途中で方向転換をした。ある人に言われ、立石寺(山形市)を参拝すべきということでここを訪れた。ここの開祖は慈覚大師[円仁]は入唐を念願していて、失敗を重ねていたが、45歳のとき3回目の成功した。芭蕉が奥の細道に出発した年齢と同じだった。
比叡山での修行ののち、当時の日本の代表的な優れた僧となった円仁は、42歳の時、遣唐使一行に短期留学の高僧として加えられました。43歳になった836年、円仁たちの遣唐使船は博多港を出発しますが、暴風に遭い大破し中止となります。円仁45歳の3度目の挑戦でようやく唐に着きますが、その時から、中国での9年半の苦難の旅が始まります。
円仁の入唐の目的は、天台宗の発祥の地である天台山へ行くことでしたが、旅行許可証が発行されず天台山へは行けませんでした。そこで、遣唐使船から降り、新羅人(朝鮮人)になりすまし、天台山を目指します。しかし、天台山より近いところに、五台山という仏教の聖地があり、天台宗で名高い和尚もいることから、五台山行きの意思を固めます。




この句は慈覚大師のなみなみならぬ渡航の覚悟と同じ気持ちで奥の細道に出発したという気持ちを思いながら読むともっと沁みてくるということでした。
慈覚大師があらわした『入唐求法巡礼行記』は中国や日本では、玄奘602年664年)の『大唐西域記』やマルコ・ポーロ1254年 - 1324年)の『東方見聞録』以上の価値があると評価する歴史学者もいる。(この3つを世界大旅行記とする意見もある。)
1955年には、駐日大使でもあったエドウィン・O・ライシャワーが英訳して紹介し、各国語に翻訳されて広く知られる所となる。

芭蕉の山寺行きについては中近東文化センターの池田裕常務理事の講演の話で

いろんな話、脇道のそれることの楽しさを教えてくれる方ですがそれをヒントに自分なりに調べてもみたものです。

2007年9月10日月曜日

神話が私たちに語ること



人間は常に神話を生みだしてきた。ネアンデルタール人の墓を発掘すると、武器や道具、いけにえにした動物の骨が出土する。おそらくこの世に似た死後の世界の存在を信じていたのだろう。
ネアンデルタール人が死に対して他の動物と違った見方をしていたことは間違いない。動物は死んでく仲間を見守りはするが、我々の知るかぎりそれだけで死について思いめぐらすことまではしない。死が避けられないものであることを意識するようになってからは死をうけいれるための物語を生みだした。


人のこころに備わっている特徴がある、合理的な説明のつかない事柄でも考えたり、経験したりできる能力である。つまり人間には想像力があるのだ、実体のないもの、思いついたときには客観的な存在を持たないものについて考えることのできる能力が宗教と神話を生み出す能力でもる。神話的なものの見方は、今日評判はよくない、不合理で身勝手な見方にすぎないと片づけられてしまうことが多い。この想像力というものがあるからこそ、科学者は新事実を解明し人類の進歩に計り知れない貢献をする新技術を発明し続けてきた。人間が大気圏外へ出て月面を歩くことができたのも、科学者の想像のおかげなのだ。



神話がほぼ例外なく死にまつわる経験と消滅の恐怖から生まれている。
神話が筋の面白いストーリーとして語られるのではなく、われわれ人間がどうふるまうべきかを示すために、語られる点にあるそうです


マイミィクのaostaさんが推薦していた

カレンアームストロングの著書「神話が私たちに語ること」、 武舎るみ訳角川書店より

2007年9月9日日曜日

地域の魅力、創り、育てるには



9/8八王子の魅力と課題 再発見!市民活動入門講座
トルストイ「人生にはただひとつだけ疑いのない喜びがある。“人のため、地域のために生きることである。”」と観光課長が最初の講演が始まった。 他市の人の参加でもよいということで、参加したら160人の参加があった90%が60歳以上であった。参加した人々はあちこちに友人がいるらしく、挨拶を交わしている。
黒須市長みずから市民運動に力をいれていて、市民活動センターという部署は市にあるが、これをマルゴト市民活動支援センター(NPO法人で市民活動協議会)に移行している。春田理事が運営もほめ方も上手で熱心な人であった。 パネラーの司会はこの春田理事(富山県出身など地方出身者がおおい、長年住んでいると自分 の居場所をよくしようという気持ちになるのかもしれない)。
●世界価値観調査によれば、自分の国に住んでもっとも幸福を感じている国は ナイジェリア、ベネゼイラ、タンザニア、プエトリコで先進諸国ではなくて、南米やアフリカであるという。 八王子市は人口54万人で
●工業出荷額は年間28兆円で米国のシリコンバレーの2倍。
●商業の売り上げは609百万円(町田520、立川300、武蔵野291)で断然優位、但し駅前については
町田、立川、吉祥寺のある武蔵野の方が大型店舗安定していて吸引力があるが、八王子は専門店などの全体の力で優位にたっている。
●学園都市で23の大学(大学、短期大学、高専9があり、京都に次ぐ、11万人の学生(外国人留学生3400人)
●高尾山は年間250万人で世界一登山客の多い山、高尾の駅前からロープウエイがある。 ここから東海自然道を経て大阪府の箕面まで自然道が続いている。その先も当然あるのでしょう。
●東京都最大規模のロケ地[都心からわずか40km、700の公園、200の公共施設。他市の媒体で市の知名度を上げてくれる。市の観光課の応援や警察の許可も対応よい。 ◎アンケートは50%超の方が地域活動に興味あり。  相手の笑顔が張り合いとなり、喜びにつながる。他人の役に立っていると自覚できたとき、本当にうれしい。楽しさ、遊びこそ地域活動の原点
●町の魅力は隠れた名店、路地裏のうんちく、地元の職人について地元の人にも知られていない→市民活動支援センターと旅行雑誌のるるぶと共同で「るるぶ八王子」72000部は大ヒット駅前の書店ではもう売り切れ、その後「マップル八王子」「八王子WALKER」までが創刊され各家庭に相当行き渡って、これに掲載された店は1年後でも効果あり1000万円の 売上増に繋がっている。魅力は地元にある、それをまず育てよということであった。
●都の外れにあるが山梨・横浜・長野、群馬」などの連携が取りやすい。
●この会で情報交換があった中で、このような市民活動が出席者にみられるように年配者がほとんどで、若い学生がいてもその協働作業になっていない。ここの交流をどうするかが課題であると、学生側からの現存の活動Gからの総まとめも同意見であった。

2007年9月8日土曜日

医師の選択




同級生の郷里の医師が、最近は「患者」ではなく、「患者様」というようにもなってきたと言っていた。
何時も糖尿病でかかっている医師は本当に笑顔が素晴らしい先生で、聴診器をあてられ、「あ、そうですね。大したことはありません。でも油断しないでください」といわれ、血糖値を測ってくださいと、処置室にまわり、これも笑顔の美人の看護師さん「今回高めですが、どうしましたか」が、この看護師さんが変わって「血糖値は嘘はつきませんから」えっ心配ではなく、検察官のようでした。
同じ事柄でも表現で随分受ける印象は違います。
新聞に毎日恐ろしい医療記事が掲載される。これは殺人事件、飲酒運転による交通事故に類似しているのでしょうか。特殊な例といってもその被害者にならなかったことをどうおもったらよいのでしょう。医師の場合、災害や僻地で献身的医師がいるが悪徳医師のニュースにくらべ少ない。本当にそこまで劣悪なのか。 医師の死角、患者の死角(もっと豊かな医師患者関係のために)西寺桂子、草輝出版より
車やパソコンや冷蔵庫を買うとき、パンフレットをつぶさに読み、研究し、店に足を運んで、自分のニーズにもっとも近い機能を持った機種を選ぶだろう。 しかしほとんどの医師は病気を治したい、患者の命を救いたいと努力している。 メディアの力は強力で「医師」を集団で捉えるから医師の大半は悪質な医療者ではないかと思い込む、その思い込みから身構える。(救急医療での病院の受け入れ先が極めてすくないのは否めない)
最近随分クスリの内容については詳しい説明がなされているし、歯医者の数も多い故か随分親切で治療方針など説明が懇切丁寧になってきました。
●家庭医、かかりつけ医、貴方自身が本気で探してください。そして見つかったら医師と患者との信頼関係を気長に、両方で育てていくものだと思うからです。
●医師は患者を選べない
●おおきな病院は担当医師が行くたびにかわる→東京女子医大の糖尿病センターは何時も一定。 ●神田の耳鼻咽喉科では医師と患者の相性があるので、何人かの医者から自分に合う人が選べるそうです(医師も一生けん命がんばるでしょうね)
●日常のコミュケーションの80%は無言のやりとりであると唱える心理学者がいる。言葉を交わさなくても、表情や仕草で私たちはコミュニュケーションをとっているというものの、患者は自分の症状を正確に、簡潔に医師に伝える。医師は検査結果や治療方法などについて患者に伝える。患者は医師に質問することを遠慮しない。
そうしたコミュニュケーションの中で両者の信頼関係が芽吹く、芽吹かなかったら縁がないものと思えばよい。ただし信頼関係が芽吹かない場合、3人、4人と医師との関係がつづいたら 患者側に問題がある可能性がたかい。 海に囲まれて文化文明を作り上げてきた私たち日本人はコミュケーションの練習を十分にしてこなかった。以心伝心という裏ワザを駆使して生きてきた。けれども騒々しく情報が錯綜する現代社会で、無言のコミュケーションには限界がある。「アメリカでは失われたしまった医師と患者の双方がもっとオープンになって、よりよい人間関係を作ってゆくチャンスは日本は、はるかに大きいのではないか」とニューヨークのカルバリ病院に勤務する米国人医師はいったと結んでいる。

2007年9月7日金曜日

未来年表




21歳のときに手帳に夢ややりたいことを全て書き込み、15年先までの未来年表を作成して夢を実現したGMOインターネット会長熊谷正寿さんの話です。 人生を考えると限られた時間内に優先順位をつけて大事なことだけやるのは夢や目標を達成するのに効果的な方法です。


さらにカウントダウン[引き算なのでしょうか]で考えると、一秒一秒の積み重ねが命なのですとかいてあります。 未来の予定を見直すことと、見直しは手書きでやるということは参考になりました。


これは仕事に生きる年代の場合の時間管理に見えます。皆さんは如何思われますか?


● 無駄な時間は全くないのですか?時間管理で大事なのは「自分の予約」を入れることですね。  人と会っているとアウトプットのことが多いので、インプットのために充電が必要です。


● 常にスケジュールを見直す、放っておくと余計なことが入ってくるので、見直すことが必要です。その見直しは手書きですると、順序が見えてくる。(年代や挫折によって人生観がかわり、方針の変更も将来あるかもしれないが、そこのことには触れられていません)


● 仕事に熱中しているので、時間が無限に有ると思って、食事はコンビニ弁当やラーメンで済ませることになる。


● 夢ってどうやって見つかる・見つけるか→これはやはり書いていない。・・・自ずと自分の中に湧き上がってくるもので、これを見つけた人は幸福です。それは案外身近なところにあるかもしれません

2007年9月6日木曜日

智恵伊豆とよばれた男


武断政治から文治政治への移行期、秀忠、家光、家綱にわたる3代にわたる徳川将軍に仕え、<徳川の平和>の礎を作った男がいた。
離婚にまつわるもめごとを裁いた話:

 ある長屋の店子として暮らしていた町人が、女房と別れた。ほどなくその女房は、通りの向かいの側に店を営んでいる扇屋の主人と再婚した。一人暮らしとなった店子の住まいの入口――おそらく腰高障子に、まもなく張り紙をした何者かがいた。そこには、「この者意趣(恨み)があれば、火をつけ申すべし」 と書かれており、この張り紙は二度、三度とつづいた。

長屋の親と5人組の者たちは、問題の店子に別に悪意を抱いていなかった。だが万一近所に迷惑をかける事態になることを恐れるあまり、店子に立ち退きを求めた。
しかし、店子の方としては、だれにも意趣をふくまれる覚えもないので立ち退かない、と主張する。これに困った大屋が評定所に訴え出たので、信綱は大家と店子の詮議にたることになった。
まず信綱が大家に店子の日頃の行状を尋ねたところ、大家は答えた。「店を貸して数年になりますが、悪事に及んだことはございません。ただし近頃夫婦別れをいたしました。別れた女房は向かいの扇屋の妻になっております。」信綱にはそれで分かった。

「その貼り紙は、その方が貼ったのであろう。さてさて、智謀の者よな。そうであろう。」
信綱が決めつけたのは、当の店子である。店子は驚いて白状におよんだが、それをうけて裁きは、「では所払いを申しつける」というものであった。所払いというのは,罰として居住地を立ちのかせることをいう。張り紙をした下手人は店子なのに、所払いを命じられたのは扇屋の方であった。

「事語継志録」に詳しい記述がかけているが、店子が女房を離縁した原因はその女房が予ねてから密通していたため、と考えればよい。店子としては、自分が張り紙をした本人と図星を指されるとまでは予想していなかったことだろう。似にもかかわらず、信綱が扇屋に非があると見抜いたため、結果としては溜飲をさげることができた。
智恵伊豆とよばれた男[老中松平信綱の生涯]中村彰彦 著

2007年9月5日水曜日

陰日向なく




あの人は陰日向なくやってくれるという方を見かけます。 凄いなあと思います。とても自分がやれるわけではありませんが・・・ 高田明和浜松医科大学名誉教授の恩師である富田恒男教授が慶応の教授になる前に東京女子医科大学の教授をしていました。戦後ですから、基礎医学の研究者など、生活することも困難なくらいの薄給だったということです。収入を増やすために、当時の学長に相談して、何か臨床的なことでもしたいといったところ、学長はこの言葉を挙げて、今やっていることに専念しなさい、そうすれば食べことは付いてくる、と言ったということです。 無文老師は「自分は2つの目で世間を見ているだけだが、世間は何万、何十万の目で見ている」つまり一生懸命に目的のために専念している人を世間は見逃さないという意味だそうです。一時的に世俗的な富を放棄していたように見えても、それに数十倍する宝が戻ってくるということなのだそうです。

編集

2007年9月4日火曜日

毛丹青著「にっぽん虫の眼紀行」より




日本人は真面目なのでしょうか?西洋人や中国人は自分をリラックスさせるにはどのようにしているのでしょうか? これは日本での東京から関西までのドライブの途中の事ですが、北京生まれの中国人(C)の車にヒッチハイクで乗り込んできたドイツ人(D)の街頭ミュージシャンとの「よっぱらい」についての話 D:「最後にパタンとあの犬の前で倒れてしまった。でも意外にも一人も彼を助けないし、慰めの言葉もかけない。彼は地面に倒れて吐いた。両目は真っ赤で、涙がボロボロ流れ、白いワイシャツは汚れてめちゃくちゃ」 C:「この手の人は仕事狂いだ。たくさん見た。なにも変じゃないよ。彼らも不平不満は大きくて、必ず君みたいな街頭ミュージシャンにみたいなところに寄ってきて発散する。奇妙なことにこうすることが痛快なことなんだ。日本人はみんなこう思っていると思うよ」 D:「でもあの時の様子は難民のようだった。考えてみて。あの人は、昼間は紳士でスーツに革靴なのに。夜になるとあんな惨めな様子になるっていうの?ニューヨークはこうじゃないよ。紳士は紳士。酔っ払いは酔っ払いさ」 C:「日本人はリラックスの仕方が随分下手だと思うかい」 D:「僕は日本人はリラックスを学んでいないね。重いとか、沈むとかって感じはわかったよ」 京都の手前の30kmの渋滞で、D君は突然「楽しむためさ」といいながらハーモニカとギターとシンバルを取り出し軽快な音色で優雅な曲を奏でだした。この時は時間に対する錯覚を起こした。別れ際に箱をくれた。帰宅後あけてみるとCDで直訳では「世を騒がせる悪魔」とかかれていた。これには確か哲学的意味があり、世界を見極めることが出来る人を指すとの意味だという。
この本の中で桜のことも紹介している。 浜島老人は自分の手で桜の木をなでてその体温を計り、あと何日で花が開くかを予想することができるという。 手のひらは老木の曲がりくねった根のようで、しわが網の目のように広がっている。彼は続けた。 「桜が開くときは木全体が暖かくなる。その熱気は樹心から噴出すもので、時には火のように感じるし、時にはまた人の脈拍のようにも感じられ、どくどくと脈うっているのが分かるのです。」

2007年9月3日月曜日

エジプトの床屋話

やはり昨日に続き、エジプトのお話です。
ナイルデルタ地区の北東部シャルキーヤ県のヒヒアという町に住んでいたときのお話です。

そこで水道水を作る浄水場の建設の仕事をしていました。地下水の量はすくなく、断水は日常茶飯事で住民の期待に仕事のやりがいがありました。

 月1回は町の床屋に行っていました。刈り方も特に毎回いう必要もなく黙っていれば出来上がりの感じでした。カイロではすでに定価の店もあるようですが、一般的にエジプトの床屋には定価がありません。

自分がは払っても良いと思った分だけ支払うというのですが、そうは言っても相場というものがあり、ここでは大体我々のローカル・エンジニアクラスでLE10(LE:エジプシャン・ポンド、現在LE1は約¥20)、作業員クラスでLE5ということでした、そして私はと言いますと、一応プロジェクトマネージャーというものでしたので、いつもLE15を払っていました。LE10を先に渡した後で少し遅らせてあとLE5を手渡しであげますと、そうすると床屋のおじさんは毎度のことながら、にっこり人のよさそうな愛想笑いを浮かべて、送りだしてくれます。

どこかのファーストフードのうたい文句「笑顔は無料」ですが、ここでは有料ですが、それでも笑顔で応対されれば気持ちは良いものです。
床屋でも洗髪の最中に断水もあり、水への期待は強く、床屋のサービスが張り切りすぎて私の髪を見て一瞬こわばった私の表情をみて「Mr。今日は代金は要らない・・・」といつもの違った無料の表情になりました。

(その後送水が開始され24H利用できるそうです)

日本エジプト友好協会会報より
大日本土木㈱海外支店エルマハラエルコブラ浄水場施設改善計画作業所 
所長中村勝彦

2007年9月2日日曜日

エジプトの田舎の動物は楽園に住む

三鷹市にある中東文化センターにいってきました。ロゼッタストーンの見本や解説など、又細密なアラビア模様など必見の場所です。そこで手にいれた日本エジプト友好協会会報VOL59号から 大日本土木㈱海外支店エルマハラエルコブラ浄水場施設改善計画作業所 所長中村勝彦エジプト辺境地物語から 通常日本の方はエジプトと聞くと、中近東そして危険と連想されるらしく、よく「治安大丈夫なんですかと」と聞かれる。常時イスラエル国境付近は緊張状態にあります。それ以外では、一番危ないのは交通事故ではないかと考えています。確かにテロが全くないとはいえませんが、ここくらいの危険は日本にもあると思います。 エジプトの田舎では平和そのものです。ここエジプトの田舎の平和は人間だけにとどまらず、動物達もそうです。田舎でよく見かける動物たちは犬、猫、ロバ、馬、牛、水牛、ヤギ、羊、アヒル、鶏、白サギ、カラス、カワセミ他沢山の野鳥や時にはカワウソなども見かけます、そうそう昔はデルタ地帯でも見かけましたが、この頃ではカイロの南でしか見かけなくなったラクダもいますね。ヤギ、羊、アヒル、鶏などは放し飼いのものも多く普通にその辺を歩いています。そしてそれらは動物達も皆仲良く生活しています。 日本では犬と猫は仇敵という感じがしますがこの辺の田舎では喧嘩もせず仲良くゴミをあさっています。そんな彼らの隣には白サギやカラスまでが並んでゴミの中から餌を食べています。塀の上で昼寝をしている猫の横で白サギも休憩している光景なども時々見ることができます。 白サギなどはおそらく地虫を食べてくれるからでしょう、野良仕事をしている農家の人の間近にいても誰も捕まえようとも追い払うこともしません。それどころか耕しながら進んでいく人のすぐ後ろをついて歩き、耕されたばかりの土にいる地虫をついばんでいます。広大なる緑の田園は平和そのものです「権兵衛さんが種撒きゃ、カラスがほじる」の世界が広がっている。     いっぺんは行ってみたいですね

ミラー細胞の栄養源

高田明和という浜松医科大学名誉教授が推薦している本:野見山(のみやま)朱(あ)鳥(すか)「忘れえぬ俳句」朝日選書に書かれている村上鬼城のこと。 「村上鬼城が関西へ来た時に披講後、百句以上について、一々その欠点を指摘した。歯切れのよい関東弁で会釈もなしにやったので衆皆酔えるがごとく、中には拍手する者すらあった。之を機にその後鬼城に選を乞うものもあったが、句稿にも一々欠点が指摘してあった。 ところが虚子先生は何度関西に来ても席上、句の欠点を一度も上せることなく、俳句を選び出して優れた点のみを説明するのが常であった。然るに虚子先生の弟子には英才雲のごとく現われ、鬼城には一人の優れた弟子も出なかった。俳句は欠点を指摘しても進歩はしないし、反って臆病になってしまい、すぐれている点を揚げられると段々自信を得て上達する。これは子供を育てる場合も同じである。」  以下は高田教授が説明されていることです。  「脳のなかにあるミラー細胞は対象の動きを真似ようと反応する。誰かが水が入ったコップを見た場合に、これを見ている 貴方は真似はしませんが、あなたの脳のミラー細胞は私の真似をしようとコップを持つ格好をしているのです。このように実際に行動はしませんが、贔屓にしているサッカーチームの選手がシュートするときに思わず右足に力が入ることもあるでしょう。これはミラー細胞が実際の行動を起こさせたのです。 音を聞く側頭葉の聴覚視野にあるミラー細胞が、言葉を聞いて、その言葉が非常に感動的な場合にはミラー細胞が刺激され、感情と結びつき、その意味するような感情、行為を起こさせようとします。これが,言葉が強い影響を与える理由なのです。これらの感動的言葉を繰り返していると次第に言葉が意味するような人間に変わってくるのです。だから進歩が生まれるのだと思われるのです。 高田明和「禅の名言」に書かれていたと思います。
do_decolink('diary_body')