2007年9月17日月曜日

小田実の主張


小田実は7月になくなりました。生前の主張は実際に見聞し、広く見渡した上での主張でした。(小田実 - Wikipedia保護:このページ「小田実」は、荒らしや編集合戦などを理由として、保護の方針に基づき編集保護されています。現在の記述内容が正しいとは限りません。)この人の主張を下記に掲げました。


かつてソウルではどこへ行くにも深く掘られた防空壕兼用の地下通路を通る必要があったのが、今は横断歩道で行ける。それはそれだけソウルが軍事優先の軍事都市、戦争都市から市民の生活優先の平和都市、市民都市に変わったことだ。そして、かつて高速道路建設のために暗渠にしてしまった清渓川(チョンガチョン)の清流を逆に高速道路をつぶして復活させ、遊歩道をつくって市民憩いの場にするという市民生活優先の快挙。こうしたことすべて、戦争都市から平和都市への転換は、金大中文民政権登場以来の「南北対話」に基本を定めた平和政治がやって来たことだ。新しい時代が来ている。私にその実感があった。 


私があらためて考え始めたのは、日韓両国の類似だ。小部分を除いて日本は平和産業で国のゆたかさを築き上げるという世界の歴史でおそらく初めての快挙をやってのけた国だが(その経済のあり方の基本に「平和憲法」「九条」がある)、韓国も遅まきながら平和産業でゆたかさを形成して来た日本同様本質的に平和経済の国だ。政治もまた、日本が本質的に平和政治の国なら、韓国も文民改権登場以来は平和政治の国としてある。


こうした「平和国家」としての両国のあり方は、軍事にあまりにも依存しすぎるアメリカを初めとする他の西洋先進国の経済大国=軍事大国の政治、経済のあり方、国のあり方と対比すれば、ちがいがきわだっている。


その両国の「平和国家」としての類似を重要だと私が考えるのは、今世界には、アメリカ一辺倒の世界のあり方とはちがった新しいあり方を求めて、ラテン・アメリカ諸国がひとつの勢力をかたちづくるまでに大きく強力に動き出しているからだ。日韓両国がその動きと結びついて新しい「非同盟」の構築に努力する(それにしても、ボリビアの原住民族出身の大統領はアメリカと並ぶ軍事大国の中国へ行っても、なぜ「平和国家」日韓両国へ来なかったのか、また、日韓両国はなぜ彼を招かなかったのか)――そうした両国の努力を今、両国自体はもちろん世界が必要としているのではないか。私はそうした主張を「ハンギョレ新聞」とインターネット週刊紙「プレシアン」で述べたが、共感するところが大いにあったのか、二つともにおどろくほど大きく私の主張を取り上げていた。 「新しい時代を生きよ」という玄順恵(小田実の奥さん)のことばは韓国人だけにむけられたことばではない。日本人にも、世界のどこの国の人間にもむけられたことばだ。そう私も認識し、同じことばを言う。


(軍需産業ほど儲かる商売はないし、ほぼ独占できている。麻薬撲滅を唱えながら核廃絶や軍縮には目をそらしている。軍事費を減らし、平和への努力につかったらどう変わるか夢でなく、実現へのエネルギーが生まれるのを期待したい。)

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