2007年9月4日火曜日

毛丹青著「にっぽん虫の眼紀行」より




日本人は真面目なのでしょうか?西洋人や中国人は自分をリラックスさせるにはどのようにしているのでしょうか? これは日本での東京から関西までのドライブの途中の事ですが、北京生まれの中国人(C)の車にヒッチハイクで乗り込んできたドイツ人(D)の街頭ミュージシャンとの「よっぱらい」についての話 D:「最後にパタンとあの犬の前で倒れてしまった。でも意外にも一人も彼を助けないし、慰めの言葉もかけない。彼は地面に倒れて吐いた。両目は真っ赤で、涙がボロボロ流れ、白いワイシャツは汚れてめちゃくちゃ」 C:「この手の人は仕事狂いだ。たくさん見た。なにも変じゃないよ。彼らも不平不満は大きくて、必ず君みたいな街頭ミュージシャンにみたいなところに寄ってきて発散する。奇妙なことにこうすることが痛快なことなんだ。日本人はみんなこう思っていると思うよ」 D:「でもあの時の様子は難民のようだった。考えてみて。あの人は、昼間は紳士でスーツに革靴なのに。夜になるとあんな惨めな様子になるっていうの?ニューヨークはこうじゃないよ。紳士は紳士。酔っ払いは酔っ払いさ」 C:「日本人はリラックスの仕方が随分下手だと思うかい」 D:「僕は日本人はリラックスを学んでいないね。重いとか、沈むとかって感じはわかったよ」 京都の手前の30kmの渋滞で、D君は突然「楽しむためさ」といいながらハーモニカとギターとシンバルを取り出し軽快な音色で優雅な曲を奏でだした。この時は時間に対する錯覚を起こした。別れ際に箱をくれた。帰宅後あけてみるとCDで直訳では「世を騒がせる悪魔」とかかれていた。これには確か哲学的意味があり、世界を見極めることが出来る人を指すとの意味だという。
この本の中で桜のことも紹介している。 浜島老人は自分の手で桜の木をなでてその体温を計り、あと何日で花が開くかを予想することができるという。 手のひらは老木の曲がりくねった根のようで、しわが網の目のように広がっている。彼は続けた。 「桜が開くときは木全体が暖かくなる。その熱気は樹心から噴出すもので、時には火のように感じるし、時にはまた人の脈拍のようにも感じられ、どくどくと脈うっているのが分かるのです。」

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