何時も糖尿病でかかっている医師は本当に笑顔が素晴らしい先生で、聴診器をあてられ、「あ、そうですね。大したことはありません。でも油断しないでください」といわれ、血糖値を測ってくださいと、処置室にまわり、これも笑顔の美人の看護師さん「今回高めですが、どうしましたか」が、この看護師さんが変わって「血糖値は嘘はつきませんから」えっ心配ではなく、検察官のようでした。
同じ事柄でも表現で随分受ける印象は違います。
新聞に毎日恐ろしい医療記事が掲載される。これは殺人事件、飲酒運転による交通事故に類似しているのでしょうか。特殊な例といってもその被害者にならなかったことをどうおもったらよいのでしょう。医師の場合、災害や僻地で献身的医師がいるが悪徳医師のニュースにくらべ少ない。本当にそこまで劣悪なのか。 医師の死角、患者の死角(もっと豊かな医師患者関係のために)西寺桂子、草輝出版より
車やパソコンや冷蔵庫を買うとき、パンフレットをつぶさに読み、研究し、店に足を運んで、自分のニーズにもっとも近い機能を持った機種を選ぶだろう。 しかしほとんどの医師は病気を治したい、患者の命を救いたいと努力している。 メディアの力は強力で「医師」を集団で捉えるから医師の大半は悪質な医療者ではないかと思い込む、その思い込みから身構える。(救急医療での病院の受け入れ先が極めてすくないのは否めない)
最近随分クスリの内容については詳しい説明がなされているし、歯医者の数も多い故か随分親切で治療方針など説明が懇切丁寧になってきました。
●家庭医、かかりつけ医、貴方自身が本気で探してください。そして見つかったら医師と患者との信頼関係を気長に、両方で育てていくものだと思うからです。
●医師は患者を選べない
●おおきな病院は担当医師が行くたびにかわる→東京女子医大の糖尿病センターは何時も一定。 ●神田の耳鼻咽喉科では医師と患者の相性があるので、何人かの医者から自分に合う人が選べるそうです(医師も一生けん命がんばるでしょうね)
●日常のコミュケーションの80%は無言のやりとりであると唱える心理学者がいる。言葉を交わさなくても、表情や仕草で私たちはコミュニュケーションをとっているというものの、患者は自分の症状を正確に、簡潔に医師に伝える。医師は検査結果や治療方法などについて患者に伝える。患者は医師に質問することを遠慮しない。
そうしたコミュニュケーションの中で両者の信頼関係が芽吹く、芽吹かなかったら縁がないものと思えばよい。ただし信頼関係が芽吹かない場合、3人、4人と医師との関係がつづいたら 患者側に問題がある可能性がたかい。 海に囲まれて文化文明を作り上げてきた私たち日本人はコミュケーションの練習を十分にしてこなかった。以心伝心という裏ワザを駆使して生きてきた。けれども騒々しく情報が錯綜する現代社会で、無言のコミュケーションには限界がある。「アメリカでは失われたしまった医師と患者の双方がもっとオープンになって、よりよい人間関係を作ってゆくチャンスは日本は、はるかに大きいのではないか」とニューヨークのカルバリ病院に勤務する米国人医師はいったと結んでいる。
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