2007年9月15日土曜日

鈴木牧之の北越雪譜面から



新潟県は魚沼といえばお米で有名であるし、スキーで有名な湯沢の西に越後の深い山並みを超えて津南町がありその南西方向、上ったり下ったりを何十回も繰り返した上でたどり着く、長野県境も含む部分に秋山郷という秘境があった。ここは半年は雪に閉ざされている。現在のたてものも一階は住居ではなく、倉庫がわりで、冬は2階から出入りしていると思われますそのようなところです。

桃源を 、尋ねる心地して秋山に、尋ね入りぬ 牧之


明和7年に59歳で初めてこの秋山秘境は平家落人伝説のある村落を訪れた牧之は珍しい風俗や習慣などを絵と文章でまとめた「秋山紀行」を著作。この中の抜き書きから素朴ながらも賢く秋山に暮らす人々の姿が思いしのばれます。

~秋山の家々に戸鎖なしと聞く。当家などでは些か用心ありたしと云に、此処盗人と云ふ事なく、内へ盗賦這入た例もない~実に知足の賢者の住処とやいはん~
 
牧之は貧しくても人を疑う事のない、素晴らしさを伝えたかったのでしょう。「秋山郷の旅」という響きの中に、人の真心に触れたような温かさを感じます。ともかく何年ぶりかですが「たび」と言えるような旅に出発しています。


又北越雪譜※1では

「人家八軒ありて、この地根元の村にして、相伝の武器など持ちしものありしが、天明の卯年の凶年に代なして、糧にかえ猶たらずして一村のこらず餓死して今は草原の地となりしときけり」

在るものが無くなるというのは自然の摂理だとしても老若男女さては幼童まで絶滅とは悲惨冷酷で憤激にたえない。これは秋山郷一帯にも及んだ。五〇年後の天保[六・七・八・九年](天明の飢饉は1783~88年全国に及ぶ)の凶作では甘酒村、高野村、ともに絶滅と記されている※2。

秘境というものの、冬季病気になったら死を意味するようで、飢饉が来れば近隣の応援にも限りがあった。新潟地震でも応援体制が及びにくいことはご承知の通りである。実態はやはり生きるには大変困難なところであった。このように絶滅に追い込まれることさえあった。


※1:北越雪譜(ほくえつせっぷ)は、江戸後期における越後魚沼の雪国の生活を活写した書籍。初編3巻、二編4巻の計2編7巻。の結晶のスケッチから雪国の風俗・暮らし・方言・産業・奇譚まで雪国の諸相が、豊富な挿絵も交えて多角的かつ詳細に記されており、雪国百科事典ともいうべき資料的価値を持つ。著者は、魚沼郡塩沢で縮(織物のちじみ)仲買商・質屋を営んだ鈴木牧之(すずきまきし)。1837年天保8)に江戸で出版されると当時のベストセラーとなった。

※2地元の記録では亡くなった方々のお墓は昭和一八年になって篤志家がたてたとある。
●ここの平家落人伝説は源氏の宗廟八幡宮があるがこの謎は地元では未だとけていないという。この他平家落人伝説は宮崎県東臼杵郡椎葉村、徳島県西祖谷山村などがあるが全国に及んでいて
●写真上は蛇淵の滝、下は栃の木(木工の材料、木目がまことに見応えあり)

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