2007年9月29日土曜日

分かりにくい世界情勢




おはようございます。世界情勢については適切な解説者がいないと、理解しにくい
。又見方によってまるで正反対になったりします。自分の国でも分りにくいのに、どの解説者を選ぶかも人によって異なります。

米・露も自分の国の利害とプライドで動いているの過ぎない。こうしたことを基本においてみるのが覚めた見方なのかもしれません。又それぞれの国の利害等を理解することも難しいですね。


このままお伝えします。

 2001年に起きた9.11事件後、5年間でロシアと米国および中国の関係は劇的というほど大きな変化を遂げた。事件直後、プーチン大統領は米国の同盟国の首脳をさしおいて、真っ先にブッシュ大統領に電話を入れて、「対テロ戦争」において全面協力を申し入れた。中央アジアにロシアが米軍の基地を認めたことだ。プーチンが米国に接近したのは唐突と見えたが、じつは突然のことではない。ロシア経済を立て直すためには、欧米との協力が不可欠だということをプラグマチストのプーチンはすでに気付いていた。

実際には9.11事件は対米政策転換の口実に利用されただけである。
 米軍基地を中央アジアに認めたロシアは、その後米国に対して強い不満を抱くようになる。それは、ロシアとしては考えうる最大限の譲歩をしたにもかかわらず、米国がそれに見合っただけの「反対給付」をロシアに何も与えなかったという不満だ。ロシアは米国からはもはや対等の相手としては扱われなくなり、軍縮交渉さえまともに相手にされなくなってロシアは強い屈辱感を抱いた。

この感情は、2003年にイラク戦争が起きたときには、ロシアはフランスやドイツと共に、米国のイラク攻撃に強く反対する立場に立つようになる。 ちょうどプーチンが大統領に就任した2000年頃から石油、天然ガスなどエネルギー資源の国際価格が高騰し、資源大国ロシアはBRICsと呼ばれる経済的に急速な発展を遂げている国の一つに数えられるまでになった。貿易収支の好調により、大きな対外債務を背負っていたロシアの財政は一挙に黒字に転じ、2006年には外貨準備高が二千数百億ドルにまで増え、対外債務も前倒しで返済できるまでになった。このオイルマネーを背景にして、ロシアは欧米に対して、大国としての自信を一挙に取り戻すことになったのである。欧米からの支援とか欧米追随ではなく、エネルギーを梃子にして、国際政治でイニシアチブを発揮するまでになった。米国との新たな対立の気も、この状況の中で強まった。

(ひろせ ようこ 東京外国語大学大学院地域文化研究科)【参考文献】[1]拙著『旧ソ連地域と紛争:石油、民族、テロをめぐる地政学』慶應義塾大学出版会、2005年。[2]拙稿「BTCパイプラインがもたらす南コーカサス地域への政治・経済的影響」名古屋大学国際協力研究科『国際開発研究フォーラム』31号、2006年2月、1-21頁。

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