2009年8月20日木曜日

漁業権のルーツは秀吉の海賊対策


おはようございます。ごみの話:主婦の声のもろもろ、近隣にくらべ割高の有料袋になっている。とくにピンクのプラスチックの袋に入れるとき、プラスチックが嵩張るので、圧縮するのに、ハサミできったりで苦労しますとのこと。時間がない時は隙間があるが、袋がもったいないが、そのままゴミに出すそうです。  それでびっくりしたのは、道路に箱にいれておいたところ、ピンクの袋ごと、無くなっていた。おそらく、これを持って行って、さらに自分の分も詰め込みしたのではないかの推定だそうです。

漁業権のルーツは秀吉の海賊対策
日本の漁業法では基本的に「漁業を営むものは漁業者に限る」となっており、これにより、漁業が極めて新規参入が難しい産業になってしまっている。ほんの数パーセントの例外を除いて、漁師の子供以外は漁業者になれない仕組みになっているそうです。これは日本独特で、農民ならば、土地を測量し、刀を奪って「おまえたちはこの土地で農民としてすごしなさい」と命じたのが秀吉だった。ところが農民と違って土地に縛り付けておけない存在は、海賊とりわけ瀬戸内海の海賊村上武吉だった。彼は本願寺攻めのときも、毛利を秀吉が攻めたときも、秀吉に対抗して戦った。海賊は土地がないので、固定的な主従関係を持たない。あるときは毛利につき、あるときは大内につき、またあるときは大友につくと「いった具合に、金銭的な契約さえ結べば誰とでも共闘する。しかもどこに「いるのかわからないのだから、権力者にとっては大きな脅威だ。そのために秀吉は海賊も農民と同じように土地を縛り付ける方法として沿岸地域に定住させ、その代わりに、サザエ、アワビ、伊勢エビといった定着性の水産物を獲る権利を与えたのだ。これが日本独自の漁業権の始まりであるが、現在の法体系にも延々と生きているのだそうです。それが浦浜で暮らす人々の既得権になっている。ダイバーが潜りに来たりしても「ここは立ち入り禁止」とか「入漁料」を払えという話が起きている。今や国民の権利意識もたかまっていりので違和感を抱き「海は誰のものなんだ」という憤りを感じている人も少なくない。今漁業就業者が明治時代では300万人もいたのが、たったの22万人になっているという。千葉県の浦安や神奈川県の湘南地方は現在極めて少ない。その一方で東京のベッドタウン化した街には磯遊びやダイビングも楽しめないというのでは、理不尽と思って当然だろう。
戦後の農地解放の際、小作人が農地を与えられたように水主(漁業の小作人、網や資材の購入の元手の商業資本が漁師を縛っていた)そして共同魚業権を設定して商業資本を排除し、磯で暮らす人々を育成するために作られたのが漁業協同組合の原型だそうです。漁獲物も組合を通して販売される。しかしアワビやサザエなどの共同漁業権とことなり、養殖や定置網の営業には資本と技術が必要である。規模の面でもチリやノルウエーには大規模な養殖場があり、効率的に生産された安い水産物を日本に輸出しているが、日本の宮城県の志津川のギンザケ養殖にしても一業者がもっている養殖簀はせいぜい2つか3つでこれでは太刀打ちできない。外国と戦えるようにするには効率性を身につける必要がある。
大手外食産業が養殖や定置網に参入しようとしても漁業法がネックになって入ることができない。
たとえば、確かに食料品が安いのは望ましいことであるが、あれほど中国産のうなぎや餃子が問題になっていながら、地中海産の養殖マグロにどれほどダイオキシン類が蓄積されており、国産のクロマグロがどれほど安全かの情報については消費者に教えられていないのだそうです。

これから食えなくなる魚:小松正之:幻冬舎

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