2009年8月13日木曜日


おはようございます。静岡県の藤枝市(静岡市と牧野原市の間)に10日から12日旅行しましたところ、11日の朝5時7分震度6弱にあい大変びっくりしました。エレベーターが停まり、8階の部屋から昇り降りは階段でした。
それ以外はそれほど不自由はなく、東名高速も2つ先の清水ICからのりましたが、すいていましたのでかえって早くつきました。

静岡はお茶です。お茶畑の広大なことは庄内平野の広さに匹敵します。峠といえば茶屋ですね。ここで飲むお茶は格別だったでしょうね。いまは見晴らし台がある位ですね。

藤枝市の郷土博物館にこんなことが書いてありました。
峠の民俗と信仰かつて峠は村の境であり、流通する物資が行き交い、時には花嫁を送り迎えするなど、人々によう利用されていました。そこには概して道幅も狭く無舗装で、その上急俊で険しい山道を喘ぎながら
上り、下りした山道であった。現在の峠には三つの様態が見られると思う。その一つは、かつて峠道となった。その峠道が拡幅、舗装され付け替えられ大型車でも楽にすれ違うことが出来る峠道となった。その峠道の中には直下をくり抜きトンネルとしたものもある。いまでは生活道路のとして生き残った峠である。
 いま一つの様態はハイキングの目的となった通過点となったもで、このような峠の多くは昔のままだが、よく整備され安全がたもたれている。そして最後の一つはまったく忘れられたしまった峠である。峠への道には倒木が折り重なり、道面にも野草が力強く顔を出して、人の往来した気配が感じられなくなった。
拡幅され舗装され、さらにはつけ替えられ大型車のが行き交える峠道はは確かに便利で、快適であり、何よりも安全に作られている。しかし峠道を行くことで、労苦に耐えてことを成し遂げた際の感激や感慨は忘れられ、もた峠を通過した、また峠を通過した際の記憶が、コンクリートと照明のあかりのみというどこか味気ないものにならないか心配にもなる。木々や谷川のせせらぎに耳を傾け、忘れかけた峠の風景を今一度思い出して欲しいと思う。
古代からの官道として利用されてきた日本坂峠、宇津ノ谷もいまや峠の真下にトンネルがほられ、そこに車や新幹線があっとい間に通過している。
昔といっても、昭和の初め頃、背負い籠にお茶や米、椎茸をつめ、喘ぎながら越えた峠の風景はどこに行ったのだろう。
比較的昔の状態を残しているハイキングの目的や通過点となった昔ながら峠に登って気づくのはほとんどの峠に「お地蔵さん」が祀られていることであると。

西東京市では村境には道標や馬頭観音などの名残があります。

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