2009年8月18日火曜日

祀りは恨み


おはようございます。最近はどうでしょうか?祭りといえば田舎の山形県の鶴岡市では化け物祭りというのがありますが、これは天神様でした。女性の肌襦袢を着て編み笠被り、どこの家でも上がりこんで、お化けが持参の酒をふるまう。
それが親戚にいくと、女性は流石に誰の襦袢かも見破ってしまう場合もあったようです。お化けになった人が好きな彼女がいれば、其の家まで訪問できる方策になった訳ですが、この時一切口がきけないように口を手拭いで塞いでいるので想いは伝えられない。この祭りはいわゆる天神祭りですが、菅原道真が太宰府へ左遷されたのを知人が見送るために女装した名残だといわれています。この天神様もそのタタリを恐れての神社だということを何かで知りました。

梅原猛の授業仏教より

日本古来の神道ではえらい人を神にまつるということはあり得ない。神にまつる人はみな、世の中を恨んで死んだ人。高い位につきながら流されたり、殺されたりして世の中を恨んでいる人が神様にまつられている。それは彼らが怨霊だからです。世のなかを恨んで祟りをなすから、その魂を鎮めるためにまつられた。祇園祭りもそのような怨霊の鎮魂です。歴代の怨霊になった皇族や貴族がたたりをなして疫病を広める。その怨霊のたたりを鎮めるために八坂の祇園社を作った。怨霊の親分であるスサノオノミコトhttp://www.ten-f.com/gionsan.htmlを祀って、そのスサノオノミコトの霊によって怨霊のたたりを鎮めようとした。巡行する山鉾は霊を払うためのものです。山はそういうたたりの霊がまつられているお墓です。以前の祇園祭りは山がでて、1週間後に鉾が出た。怨霊がでて、それが鉾によって鎮められたことを示すのです。今は一緒に出ていますが。祇園祭りは祭りというよりもまったくのショーになってしまった。
 ところで明治以後、神道がおかしくなって天皇そのものを崇拝するようになった。そして国のために死んだ人だけを靖国にまつる。戦争を始めた戦犯の東条さんまで祀る。これは日本の神道の精神と違うんです。

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