2007年11月11日日曜日

暦の話


写真はゆんフリーから

どうして2月は日数が少ないか
太陽暦はローマ時代から続いている。その頃の1年の始まりは今の3月であった。
ローマの元老院はユリウス・シーザーにゴマをする意味で、7月をJuly・ユリウスにした。そのシーザーを継いだ養子のがオクタビアンヌスであったが、同様に8月のAugustとしたが、通常であれば31日・30日を交互に繰り返すことになるが、7月の31日にならって、8月も31日にした。そうなると365日を超えることになる。元来2月は縁起の良くない月とされていて、そんな月なら日数が少ない方がよかろうということになって2月の日数を減らしたのだそうです。フランスで30日・31日の交互の暦が実施されたが、隣国はどこも従わずに、従来のグレゴリオ暦にもどった。その後世界も2月も少ない日数のまま使用されている。

中国の皇帝は天の代理人だったので、日蝕はかならず1日に来るような設定にしていた。同一の暦を永年つかっていると、端数の時間がたまって帳尻を合わせるために新暦を作る必要とか、王朝が変わってその覇権をしらしめるための暦の改変がおこなわれた。
日本では692年持統天皇に時代から中国の暦を利用していた。1600年代になって渋川春海が江戸幕府に暦の改訂を進言したところ、823年も使っていた中国の宣明歴と渋川の暦の案の優劣を計算し比較することとなった。意外にも結果は従来からの宣明暦が優れていた。これは中国と日本の緯度の違いによるものが原因であることがようやく分かった。1685年から貞享歴が採用されたが、それまでは全国結構まちまちであったが、天文方が作った暦を使うような統一が行われた。
日本の暦の経過は木簡や実際の暦を地方の役所に配布していた。其の紙が1年経過すれば無用になるが、貴重なので、習字の練習などに使われ、土器に漆を塗り、これを包むものにも利用されていたものがのこっていたものが何かわからなかったが、赤外線を照射して字が浮かび、その結果暦の存在も分かってきた。これが漆紙文書といい、これから暦の歴史を探るのです。

イスラム教では1年が354日か355日になっているので、
この不足分がグレゴリオ暦とくらべて(実際の季節ともくらべ)、ずれるので、イランやエチオピアなどでは断食のラマダン実行時期も移動するので、長期でみると、夏になったりするときは飲み水も日没後でないととれないので大変なんだそうです。一生を計算すると日本人より2年は早く年をとることになる。
マレーシアにゆくと。民族というか、宗教がことなるので、3つそれぞれの休日を平等に採用しているそうです。
ともあれイスラム教の国に旅行するときは、大使館に正月で混雑しているか否かなど事前に問い合わせしたほうがよいとのことでした。
岡田芳朗女子美大名誉教授の暦の話を聞いた中から。

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