2007年11月4日日曜日

中央構造線と日本海の拡大


詳しくは「大鹿村中央構造博物館」をごらんください。
日本海の拡大とフォッサマグナ地域の沈降日本列島の骨組みは、アジア大陸でできました。日本列島の「もと」は、新第三紀の2000万年~1200万年前ごろに、アジア大陸から離れ、太平洋へ向かって移動しました。西部は時計まわりに回転、東部は反時計まわりに回転し、大陸との間が開いて日本海が拡大しました。そのとき、折れ目になった部分が引っ張られて落ち込み、海底の地層が厚く堆積しました。 西南日本の骨組みが大きく落ち込んで、新第三紀の海の地層に厚くおおわれた地域を「フォッサマグナ」 といいます。フォサマグナとは、ラテン語で「大きな窪み」「大きな溝」という意味です。骨組みが大きく落ち込んでいる構造から、新第三紀の変動に注目するときは、フォッサマグナ地域で東北日本と西南日本に分けることもあります。フォッサマグナ地域西縁の糸魚川-静岡構造線フォッサマグナ地域の西縁の断層を「糸魚川-静岡構造線」 といいます。糸魚川-静岡構造線は、西側の古い岩石と、東側の新しい地層の、境界になっている断層です。フォッサマグナ地域の東側の境界は、もっと新しい火山や関東平野を埋めている地層におおわれて見えません。新発田-小出線と柏崎-千葉線が候補のひとつです。飯豊・朝日山地、越後山地、足尾・八溝山地には、西南日本の古い岩石が再び現われています。一方、棚倉構造線に沿って、西南日本の骨組みが引きずられ、新第三紀の地層が堆積しています。そこにも大きな構造運動があったと思われます。 ⇒フォッサマグナって何ですか?(フォッサマグナミュージアムホームページ) 糸魚川-静岡構造線の位置は、北部では糸魚川~松本平~諏訪湖~小淵沢へ続きます。しかし、その先を 富士川沿いにたどるのは誤り です。武川から~夜叉神峠付近~早川~安倍川をとおって静岡市へつづきます。静岡市付近では、安倍川沿い~高草山~焼津の線と、竜爪山地稜線付近~静岡市安倍川河口の線と、2つの考えがあります。 ⇒糸魚川-静岡構造線山梨県早川町新倉露頭見学記(2002/12/24) フォッサマグナの地層に埋まっている中央構造線西南日本の古い骨組みを食いちがわせた中央構造線は、フォッサマグナ地域では、新第三紀の地層におおわれて、地表にあらわれていません。破砕帯もおおわれているので、破砕帯が侵食されてできる直線的な谷もできません。そのうえ佐久地域では、新第三紀の地層の上を、現在の火山(浅間山と八ヶ岳)の噴出物がおおっています。隆起して古い岩石が露出した関東山地と中央構造線第四紀に大きく隆起している奥多摩~奥秩父には、西南日本の骨組みが露出しています。新第三紀の海の地層は、群馬県富岡や、秩父盆地、五日市盆地などに残っているだけです。関東山地の岩石は、赤石山脈にあらわれている岩石のつづきです。関東山地北部の群馬県下仁田には、中央構造線が露出しています。
投稿者 イエローポスト 場所 8:28 0 コメント

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