2007年11月1日木曜日

在家と出家、大乗仏教


写真はゆんふりーから
東京禅センターで行われた花園大学教授佐々木閑のお話です。この方は分かりやすいお話をします。しかし長いお話です。
これは要約はとても出来ませんので、1週間とか時間がかかるかもしれません。

只今ご紹介に預かりました、佐々木でございます。日本の仏教は全部大乗仏教ですが、その日本の仏教の本質、その成立してきた歴史的な経過、そういうものについて今日はお話をしようかと思っています。 私は花園大学で教員をしておりますが、本来は浄土真宗の寺に生まれまして、寺を出てしまったのですね。親鸞聖人は大好きですけれども、浄土真宗そのものを受け継いで世に広めるという立場のものではないのです。

 私の学問上の立場として誰が好きかといったら、とにかくお釈迦様が好きなのです。インドでの仏教を知りたいというのが勉強を始めた動機になっています。そこで、今日お話しすることすべてインドのお話です。日本で仏教の話をすると、日本のことを取り上げて日本ではこうです、という話はたくさんあります。
しかし、そのもとになるインドはどうなのだという話はなかなかなありませんね。実はインドまでさかのぼらないと仏教の本当の形は見えませんし、大乗仏教というのはどういう点で他の仏教と違うのかということも分からないのです。そんなわけで、皆さんには一番大本の話をいつもお話するように心がけています。

 阪神大震災の後でしたが、あるお寺さんに呼ばれて、皆お家が潰れちゃっているもので元気がないから元気が出るようにお釈迦様の話をしてくださいと頼まれました。皆何もすることがないから1日中喋ってくれと言われました。では一日中喋りますといって、朝の9時から喋りだして、終わったのが6時頃でしたね。その間、皆で体操したり、眠気覚ましに遊んだりしながら話をしていたのですが、大体7,8時間喋ってそれでうまく喋れたかな、というくらいです。それくらいかかるものなのです。本当はね。今日はそれを1時間にコンパクトにまとめますのでちょっと急ぐところもあるかと思います。

◆仏教成立には理由がある さあ、そこで、僕はいつも人に仏教のお話をする時に、お釈迦様が生まれたところからお話しても仏教は分からないと言っています。お釈迦様はもちろん皆さんご存知の通り、カピラ城の王子様としてお生まれになりました。そして、人生の苦悩を知り、出家をなさって最後に菩提樹の下でお悟りを開かれて釈迦牟尼仏という仏になられたということですね。これはもう、大体仏教の話をする時には最初にお話しいたします。しかし、実はその前に、仏教が生まれる前のインドはどうであったかということを知らなければ仏教が生まれてきた理由なんて分かるはずがないのです。つまり、お釈迦様はただ趣味で仏教を作ってみようと思ってたまたま作った、とそんなインチキなものではないということです。仏教というのは。ちゃんとその前の時代の流れで、どうしてもその時に仏教を作らなければならなかった理由があるのです。仏教が生まれなければ困ったのです。ですから、必ずインドの仏教の話をする時には、仏教の前の段階から僕はお話をすることにしているのです。
◆夢の国ガンダーラ インドという国は三角形、そして南に真珠のようにポツッとある、これがスリランカですね。昔のセイロン。そしてインドで一番大事なポイントは、ここに人が通ることの出来ない大きな壁があります。つまりヒマラヤ山脈ですね。8000メートル級の山がズーッと連なっております。ここは人が1人や2人、ポツポツと山道をぬいながら越すことは出来ます。しかし、大人数の、例えば軍隊とか、あるいは民族移動というようなことでヒマラヤを越えることは出来ません。無理です。ですからインドという国は非常に大きな三角形なのですが、入り口は巾着袋のようにギュッとしまっているのです。出入口はここしかありません。 これ、今大変問題になっているところね、アフガニスタンからパキスタンにかけてのあたり、我々が「ガンダーラ」と呼んでいるところです。夢の国ガンダーラ、というところですね。行けないとお思いでしょう?今は行けますよ。私はこの間学生を連れて行ってきたばかりです。飛行場から降りて、車で2時間くらいでガンダーラです。とても素敵なところですよ。それがパキスタンですね。アフガニスタンは入りません、今は。インドという国は、このガンダーラという、細い細い入り口、ここだけが陸づたいで入るための道です。 実は、今から3000年から4000年前、長いですね、1000年も間がありますが、その長い1000年間の間にこの細い入り口を通って、今までここにはいなかった新しい民族が少しずつ少しずつここへ入って来たのです。何故入ってきたか?それは、おそらくその民族はそれ以前にここにいた人達よりも何か優れた武力的な特徴とか、あるいは、農耕で優れた、つまり文化ですね、高い文化を持っていたのでしょう。そういう人達が約1000年間の間に少しずつここへ入ってきて、それまでそこに住んでいたインドの現地人と言うのか、古い人達をだんだん圧迫しながらここへ自分達の文化を作っていきました。この民族の名前を「アーリヤ」と呼びます。アーリヤ人。アーリヤ人というのはご存知ですか?今でもアーリヤ人がたくさんいる、というのはご存知ですか?
◆イギリスの植民地政策 18世紀位にインドがイギリスの植民地だった頃、イギリスは植民地政策で、インドでどうやってお金を儲けたらいいか、ということを考えて、たくさんの学者さんたちをインドへ送り込みました。その学者さんは皆命令を受けて入ってきたのです。どんな命令かというと、なんでもいいからとにかくインドでお金になるものを見つけて来い、それで、植物学者、動物学者、言語学者、地質学者、色々な学者がどんどんインドへ送り込まれて、植民地からお金を吸い上げるための方法を考えたのですね。その結果、色々なものが見つかりました。 今でもそれがインドの大変な名産になっています。例えば紅茶、そんなもの昔は紅茶なんてお茶の木ですから自然の山の中にポツポツと所々に生えていた。それをイギリスの人達が見つけて、この紅茶というのはヨーロッパに持っていったら・・・エライ売れますよ、絶対金になりますと。それを本国のイギリスに報告するとイギリスから命令が来て、そのお茶がお金になるというのだったら、そこに生えている木は全部切って、全部紅茶の木に植え替えなさい、という命令が来る。そうすると、イギリスは軍隊を総動員してそのインドの山にある木をことごとく全部切ってしまう。そして、その木を全部紅茶の木に植え替たのです。 ですから今でもインドは、僕も、この間バスに乗って来まして、バスで1日10時間走りましたけれど、走っている間目の中に入ってくるのはお茶の木だけでした。そこはもともときれいな森だったのに、全部切ってお茶にしてある。これをプランテーションといいます。ガーデニングと違いますよ。そんなチャチなものとは違うよ。全部切って植え替えるのをプランテーションというのです。 他に何があるかというと、綿の木、綿ですね。インド綿。今でもお金になっています。それから、今はもう売ってはいけませんが、昔は芥子の花をいっぱい作ってアヘンを採りました。これもイギリスがどうやったらインドでお金になるか、というのを考えて見つけたものです。紅茶とか綿はそのままインドから直接ヨーロッパへ持っていって、ヨーロッパの人達に売りました。お金は全部イギリスへ入りました。だからイギリスは大金持ちになったわけです。アヘンは体に悪いので、ヨーロッパに持ってくると体に悪い!それで、他のところへ持っていって売ってしまおう、というわけで中国に持っていって中国人がそれを買った。そのお金は今度またイギリスへ回った、ということで結局お金だけは全部イギリスへ集まるようになっていたのですね。これがイギリスの植民地政策です。もうこの話だけで1日かかってしまうのだけどね、本当は。おもしろいのですが、今日はこれぐらいで。
◆英語とサンスクリット語は同じ言葉だった そのたくさん送り込んだ学者の中に、ウイリアム・ジョーンズという言語学者がいました。有名な人です。この人は言葉の学者ですが、一応肩書きはインドのカルカッタという町の裁判所の判事さんという肩書きでした。つまり肩書きだけイギリスはくれるのです。お金はその肩書きで給料払うから実際は自分の専門の教育、勉強だけして金になるものを見つけてくれと、これがイギリスがとった政策です。このウイリアム・ジョーンズが一生懸命インドの言葉を調べたら、とんでもないことを見つけたのです。 何かというと自分の国ではイギリス語、つまり英語ですね、その英語と、インド人がしゃべっている古い時代のサンスクリットと呼ばれるインドの言葉が同類の言葉だということに気が付くのです。これはとんでもないことだとわかりますか?僕は学生に例えていつも言うのですがこれは、日本人が例えばですよ、ロケットを作って宇宙飛行士が火星まで飛んでいった。火星に着陸して火星を探検していたら火星の岩の向こうから八本足のタコみたいな火星人がニョロニョロとやって来て、そして日本語で「ようこそいらっしゃいました」と言ったのと同じぐらいのショックです。わかります? 遥か彼方ヨーロッパの人達から見れば当時のインドというのは未開の野蛮な国でした。それを植民地にしてそこを調べてみたら、なんと自分たちがしゃべっている言葉と同じ言葉をしゃべっているじゃないかと。同じというのは,まったく同じという意味ではなくて明らかに同じ系統の言葉という意味です。 そこでウイリアム・ジョーンズは英語と似ているのであればドイツ語フランス語とはどうか?これが似ています。それならばヨーロッパのもっと古い言葉とはどうか?古い言葉はラテン語といいますね。もっと似ている。ギリシャ語だったら、古代ギリシャ語、ソクラテスがしゃべっていた様な古代ギリシャ語。もう絶対間違いない。インドのサンスクリットと古代ギリシャ語は同じ言葉です。そこからまったく新しい考え方が出てきた。つまりインドからヨーロッパまで全部これは一つの文化圏ではないか。古代の世界では実は同じ文化だった。今では違うように発展して違うように見えるけれども実は全部同じだという、とんでもないことがわかるわけです。ウイリアム・ジョーンズはインドとヨーロッパがもし同じ言葉であるならば、その中間地点、今で言うイラン、イラクなどのペルシャの国々ね。あそこの古い言葉も調べてみたらきっと似ているはずだという予測をたてました。そして実際に学者達が調べてみるとこれはドンピシャリ当たります。結局インド、ペルシャ、ヨーロッパ全部言葉は同じということになったのです。不思議ですね。 今考えてみるとヨーロッパから移民がアメリカ大陸に渡りました。北アメリカは英語、南アメリカはスペイン語とポルトガル語。これは全部ヨーロッパの言葉ですから今のアメリカ大陸の言葉も全部同じということになってしまう。そうするとユーラシアの一番端っこのインドからアメリカまで全部同じ言葉だったのです。凄いですね。そこから昔、強い民族がいて、それが多分ヨーロッパからインド全域を支配したのだろう。そうしてその言葉が今でも残っているのであろう、という説が出てきたわけです。
◆インド・ヨーロッパ語とアーリア民族 では、その民族とは一体誰なのか?今ではそういう民族はどこにいるかわかりません。おそらく一方ではヨーロッパ人になり一方ではインド人になっているのでしょうけれども、そのオリジナルの民族のことについては全然わかりません。何て呼んだらいいのかもわからない。呼び方もわからない。そこで学者はしょうがないのでインドからヨーロッパまでの文化の中で残っている一番古い本、実はそれはインドに残っていたのです。一番古いその教え、言葉というのは「ベーダ」と呼ばれる、聖なる神様を称える本がインドに残っているのです。これはもの凄く古いものです。この「ベーダ」の中を読んでみると自分達の民族のことを「聖なる民族」と呼んでいるのです。その聖なる民族という言葉はインドの言葉で「アーリア」と呼ぶのです。わかりますか?そこで我々現代人は本当かどうかわからないが、とにかく便宜上その民族の名前を「アーリア」という名前で呼ぶ様になっています。 そのアーリア人がインドからヨーロッパ全域を征服したとして、その人達が使っていた一番オリジナルな言葉、今はもう無くなってしまったけれども、そのアーリア人が元々使っていた一番根っこにある言葉のことを一応インド・ヨーロッパ語。あまりにも安易なつけ方ですよね。もう少しかっこいい名前があってもいいと思いますが、インド・ヨーロッパ語と呼ぶのです。ですから、今のインド人がしゃべっている言葉はインド・ヨーロッパ語です。それの末裔です。ヨーロッパの中でインド・ヨーロッパ語を使っていない人の方が少ないのです。ヨーロッパの言葉の中でインド・ヨーロッパ語でないもの、これは本当に少ないので挙げることが出来ますよ。 フランスとスペインとの中間地帯にバスクという地帯があります。ヨーロッパに行ったことのある方ならご存知かもしれませんね。バスク地方。バスク地方の人達がしゃべっているバスク語という言葉が今でもありますがこれはインド・ヨーロッパ語ではありません。どこから来たのかは知りません。元々ヨーロッパにあった土着のものでしょうね。それからローマという文化が出来る前にイタリアに起こっていたエトルリアという文化があります。これは綺麗な壺を作っている文化で有名ですね。エトルリアの壺という。この言葉もインド・ヨーロッパ語ではありません。 現代のヨーロッパの国の中でインド・ヨーロッパ語を使っていない国が幾つかあります。そのうちの二つは新しい時代にチンギス・ハンとかの時代ですね。ユーラシアの東の方から攻め込んできた遊牧民族がつくった国なので、何千年も前のアーリア人と全然関係なくつくられた国なのでその国の人達はインド・ヨーロッパ語を使っていません。ハンガリーです。ハンガリーのハンというのは、元々は騎馬民族フン族。フンガリーですね。ですからあそこのハンガリア語はインド・ヨーロッパ語ではありません。 もう一つはフィンランドですね。フンランド。この二つはインドヨーロッパ語を使っていない。しかしもう、挙げなさいといわれても、それぐらいしか挙げられません。後は全部インド・ヨーロッパ語の系統の国々です。したがってアーリア人という特別な民族がいたという事が想定されます。このアーリア民族が今から3千年から4千年前その大きな流れの一環としてインドにも入ってきました。そしてここに自分たち独自の文化を作るようになりました。
◆アーリア民族とカースト制度 その文化の基本は何かというと、まず一つには、それまで住んでいた民族と、征服民族として入ってきたアーリア人との間の二段階差別社会です。当然、征服した側と征服された側ですから二段階社会になる。しかもそれが幾つかの社会的な状況によってわかれるので非常に厳しい身分差別社会がここに生まれることになりました。良くご存知のカースト制度です。 <バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラ>。でさらにその下に不可触民と呼ばれる<チャンダーラ>と呼ばれる階級、大きく分けて5つぐらいの階級になります。このうちの、バラモン、クシャトリア、大体この二つは入ってきたアーリア人が占めていました。上ですからね。そして三番目のバイシャというのは普通、平民と訳されますが、一般市民ですね。一般市民の中にはアーリアもいれば元々住んでいた現地のインド人もいるという形で混ざっています。そしてシュードラまでいくと、これは元々住んでいた現地人。それから、その下のチャンダーラと呼ばれる人達はどうして生まれたのかというと、それはすでにこの段階でアーリア文化ができて入ってきますが、この辺りまで来たときにカースト制度は定着します。バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラまでできたのです。 さらにそれがこちらまで進んでいくと、例えば森の中に住んでいた少数民族とか部族がだんだん文化の中に取り込まれていきますが、もうその段階ではシュードラまで身分制度が確定してしまっていたので入る場所がないのです。それで余ってしまうので、とんでもない話ですが余った人間は下に落とそうということで、かわいそうですがどんどん取り込まれてカーストのさらに下へ置かれてチャンダーラと呼ばれる身分へと発展していきます。いずれにしてもこの様に行われるカースト制度というものが非常に厳しい階級社会を生んでいきます。
◆親が蛇使いなら子供も蛇使い カースト制度は今でもありますよ。インドでは法律上撤廃されて、ないことになっていますけれども、インドではこのカースト制度がいまだに厳しい社会制度として残っています。特に職業がカーストによって規制されています。例えば皆さんよくご存知のヘビ使い。ヘビ使いはカーストです。つまりヘビ使いという職業の人々の村があって、その人々はこの5段階の中のさらに細かい区分の一つに属しています。細かくわけて言うとインドのカースト制度は2千から3千に分かれているのです。凄いですよ。だから、いくつあるのか知っているインド人はひとりもいません。わからないのです。地域によってみんな違い、バラバラなので。ヘビ使いカーストがその中の一つです。ヘビ使いに生まれた子供たちは特別に自分が勉強して大学に行くといったことを考えない限り、父親の後を継げば必ずヘビ使いになります。 だからヘビ使いの子供に生まれたら小さい時からおもちゃはヘビなのです。最初は毒の無いヘビから触らせて、全然怖くなくなったらだんだんコブラを触るようになるというわけです。ミージシャン、ヘビ使い色々な職業がすべて2千から3千ぐらいのカーストによって決められ、そして結婚や就職その他社会での重要な局面はすべてこれに支配されている。法律上はその様なものはないと言っているけれどもとんでもない話でいまだにこれがインドを動かしているわけです。
◆バラモンは神と会話ができる その一番上にいるバラモンの話をしなければいけません。なぜバラモンと呼ばれる人達が一番上にいるのか?これは考えてみると不思議です。バラモンというと普通はお坊さんと訳されますね。バラモンはどうして一番上かといいますと、この人達は神様と話をすることができる。神様に物事をお願いすることができる階級だからなのです。どういう事かといいますと、インドの神様の体系というのはキリスト教やイスラム教の様な神様とは全然違います。 むしろ日本の八百万の神に近い様なもので、この世界の森羅万象、全てのものが全部神様になります。例えば暁、明け方になると空が赤くなってくる、それが神様です。勿論、太陽も月も神様です。風が吹けば神様。雷がなれば神様。そして昔の人は麻薬を飲んでいたのですね。麻薬を飲んでファーと気持ちが良くなると、これは麻薬の中に特別なパワーがある。麻薬も神様。サイコロ博打をすると勝つときにはどんどん勝つけれども、負けが込むといくらやっても勝てない。これはサイコロ博打の中に特別なパワーがあるに違いない。そこで博打という神様。何でも形のあるもの無いものみんな神様になって行きます。そしてこの神様は我々人間の社会と無関係にあるのではなくて、私たちが神様にお願いをすればそれに応じて神様が動いてくれると考えます。いってみれば生贄とか供物をあげると見返りに私たちにちゃんといいことをしてくれる。そういう神様なのです。
◆バラモンはクシャトリアの願いをかなえる ところがアーリア人が持ち込んだ神話体系、神様の体系の中では、その神様にお願いができる人とできない人がいる。どの様な人ができるのかというとそれは神様と繋がりが深い家柄に生まれた人達。いってみれば巫女さんの家に生まれたとか、なにかシャーマンの家に生まれたとかそういうことを意味しています。神様と交流を持つことのできる血筋と、いくら神様にお願いをしても何も力の無い血筋がちゃんと最初からわかれているのです。そして神様にお願いをするためには、その神様にお願いができる血筋に生まれなければならない。その血筋のことをバラモンというのです。だからこれは階級です。血筋で決まる階級。だからバラモンが一番上に来るのがわかりますか? クシャトリアは武士階級、王様階級ですからお金はたくさんあります。世の中の色々な財宝を集めることはできますが、いくらそういうものがあったとしても神様が敵にまわったらどうにもなりません。神様を自分の味方にするにはバラモンにお願いをするしかないのです。だからバラモンの方が上なのです。例えば私が大王で凄い力を持っている。しかし隣の国と戦争をしなくてはならなくなった。当然バラモンにお願いをして今度戦争をするから戦争の神様にお願いをしてうちの軍隊が勝つようにお願いをするわけです。インドラといいますね。戦争の神様のことを。日本で言うと帝釈天です。勿論敵の王様も同じ事をしていますよ。しかしそれをやらなかったらどうなるかわかりますか?もしお願いをしなかったら。お願いをしなかったら部下や兵士たちがこの様に考えます。敵の王様はちゃんと供物をあげてインドラにお願いをしたけれども、うちの大将はケチだからお願いしていないらしい。これは絶対負ける。逃げようと皆逃げてしまう。つまり神様がいる、いない関係なしに世の中の人々がそのことを信じていることによって神はそこに表れるのです。存在するのです。そうしてバラモンはクシャトリアよりも上の力を持っていく様になっていくわけです。
◆すべては血筋で決まる この話で一番ポイントになるのは、それは全て「血」で決まるということです。これは大変なことですね。今でもインドではカーストがあるわけですからバラモン階級の人達がいます。今はバラモンだからといって神様と交信する仕事に就くというのは少ないです。みんなサラリーマンになったり、普通の仕事をしています。しかし、中には今でも昔ながらのバラモンを継いでいる人がいます。そういう人はどうするのかというと。生まれてから十年間以上、ひたすら神様と交信するための儀式とか日本で言う祝詞ですね、神様を呼び寄せる言葉。そういうものを十年以上ひたすら勉強して一言も間違えないように唱えられて初めて一人前のバラモンになります。そうするとその様になった人は例えばお祭りだとか戦争だとかそういうことがある時には必ず呼ばれて行って人々からたくさんの謝礼を貰うというわけです。 そのバラモンが一番最初に神様と交信する時にCQサインをだすのですね。今から神様にお願いをしますのでどうぞ私の言うことをきいてください。アテンション・プリーズですね。なんと言う言葉かご存知ですか?その時にだすCQサイン。一番最初の言葉。これは、意味は無いのですが神様に称える言葉。これを「オウム」というのです。「オウム」とは神と人間が交信するときの最初と最後の言葉です。それが真理かどうかは知りませんけれども・・・(笑)。そういう意味があります。 このバラモン教の一番の問題点は人間の価値は生まれで決まるということです。これが問題なのです。だから先程からカースト制度が問題だと言っているのはそういうことです。人間の価値が生まれで決まるというところに問題があるわけですよ。バラモンで生まれれば幸せでしょうね。チャンダーラやシュードラに生まれた人達は悲惨ですね。チャンダーラは今ではかなり、身分は良くはなっていますけれども。第二次世界大戦前、まだ植民地時代だった頃のチャンダーラは人間扱いされませんでしたからね。殺されても警察は動かない、チャンダーラを殺したほうが牛を殺すより安くあがるとか、この様な言われ方をされていた人達です。最近では、多少は無くなってきましたが、やはり差別はあります。その今のカースト制度に基づくバラモンが一番上に来ている、そのシステムのことを我々はバラモン教と呼ぶわけです。
◆クシャトリアの義憤 今のインドはヒンドゥー教と呼ばれていますがバラモン教とヒンドゥー教は根は同じものだと思ってください。バラモン教がだんだん時代と共に色々な神様の数が増えて世俗的になっていって、やがて今のヒンドゥー教になったわけです。その根底が「生まれ」で人間を差別するカースト制度であるという所は同じです。だから考えてみるとインドの文化は数千年間、何も変わらずに続いているわけです。その中でやがて一番上にバラモンが来ることに不満を持つ人達が現れます。大体そういう人達というのは二番目の人達です。自分たちは凄く力があるのにいつも頭の上を押さえられている。どうも納得がいかない。というわけで二番目の階級の人達が今度は反バラモン教の動きを次第に持つようになっていきます。当然クシャトリア階級ですね。そこから出てくる人達がバラモン教を認めない、バラモン教の言っていることはおかしい、と言い出すわけです。どこがおかしいのかといいますと。クシャトリアに生まれてしまったからバラモンになれなかったという点ですね。当然彼らの主張は、人間の価値が生まれで決まるのはおかしいではないか、ということです。
◆人間の価値は平等 では、人間の価値が生まれで決まるのではないのならば何で決まるのかとバラモンから問いかけられます。どの様に答えますか?人間の価値が生まれではないということはつまり、生まれたときはみんな平等だという意味でしょう。スタートラインは一緒だという意味でしょう。それがどこかで人間に甲乙、優劣というものがもしできるとするならば、その違いは生まれた後でなければおかしいはずです。ですから生まれた後、つまり人間が生まれた後にどの様な努力をするか。どんな努力をどの位したかによってその人の価値が決まるという考え方が反バラモン教の人達の中心的な考え方になります。 インドの言葉で努力という言葉は「シュラム」というのです。そしてインドの言葉で努力をする人、つまりバラモン教を認めない、人間の価値は努力で決まるのだという人達は、努力をする人という意味で「シュラマナ」と呼ばれます。これがそのまま中国に渡って中国語で漢文、漢字に翻訳されるのですが、中国にはその様な人がいないので上手く翻訳することができないから、音だけを写しておくのです。音写するのですね。「シャーマナ」、「シャーマン」から沙門という言葉で音写されていきます。ですから日本では沙門というと仏教のお坊さんという意味で使うのですが、これは、本当は正しくありません。沙門というのはバラモン教を認めない、つまり人間の価値は努力で決まると考える人は全部沙門です。そして仏教はその中の一つです。だから仏教のお坊さんは沙門ですが沙門が全部仏教のお坊さんというわけではありません。
◆人間の価値は努力で決まる? 例えば今のインドにはジャイナ教と呼ばれる別の宗教があります。このジャイナ教は代表的な沙門宗教です。人間の価値を努力で決めようというわけです。だからジャイナ教の修行者も沙門ということになります。ところがこの沙門は努力をする人だと私は言いますが、難しいですね。人間の価値は生まれではなく、努力なのだと聞いて、では努力とは何か?これを答えるのは難しいですね。実際その当時のインドの人達、インドの沙門達にとってもこの問題は大変難しくて、上手く答えられない。 そこでインドにはたくさんの沙門が現れて、その沙門達はみんなそれぞれ違ったことを努力だと考えたのです。つまり色々な沙門がいたわけです。中には変な沙門もいたのです。例えば努力とは辛いことを我慢することだ。だからどの様にするのかというと爪を切らないとか。爪を切らないことが努力なのだそうです。たぶんみなさんテレビとかで見たことあるのではないでしょうか。爪をのばしている人。インド人だったでしょう。あれは沙門の伝統がそのまま今のインドにも残っているのです。あれは好きこのんで趣味でのばしているのではないのですよ。あれは修行です。あれも努力なのです。そう考える一般の人達です。色々あります。 それからお腹に針を刺すとか、暑い40度を越す真夏の日に4箇所で焚き火を焚いてその真ん中でずっと座っているとか、町内我慢大会のレベルです。それから、私は会ったことがありますが太陽を一日中見つめている人。勿論、失明していますよ。インドの太陽を三日も眺めれば失明はしますよ。角膜が焼けてしまいますからね。その後死ぬまでずっと見つめ続ける。これは全て自分の肉体をいじめて、そして我慢するということによってこれが努力である。その努力を積み重ねることによって我々の魂の解放を得ることができるという、そういう沙門の考え方です。 それとはまた別の系統に進んだ沙門宗教があります。それは肉体というものを一切無視して、肉体をいじめることは全然努力ではないのだと、努力は全て精神的な問題、心の問題だけに関わってくると考えた沙門がいます。そういう沙門はどの様な修行をするかといいますと肉体をいじめる我慢するようなことは一切いたしません。ということは、肉体は一番何もストレスの無い、リラックスした状態に置いておくわけです。その代わりそのエネルギーは全部自分の心、精神を見つめる方向に使わなければならないというわけですから、一日中自分の精神を見つめることになります。外から見るとそれはどの様な姿に見えるかわかりますか?瞑想ですね。どうしたってそれは姿として瞑想になっていきます。これが仏教という沙門宗教がとった道です。
◆仏教の基本は坐禅 お釈迦様の伝記でご存知かと思いますが出家した後に一度苦行をなさるでしょう。体をいじめる様な修行をなさるでしょう。でもそれを途中でやめてしまいます。そしてスジャーターさんがくれた乳粥を飲んで元気になってから木の下に座って悟りますね。あれはまさにそれを表しております。つまり肉体をいじめるのではなくて全てのエネルギーを精神の状態へ振り向けるという立場がこれが仏教の本来の姿なのです。 でも坐禅していると足が痛くなるよというかもしれませんが、インドで一番楽な状態は何ですかと聞かれたら、それは木の下に座っていることに決まっていますよ。40度越すようなところで家の中にはいられないです。風が吹かないからね。家の中にいたら暑くてしょうがないです。外にいるのが一番いい。太陽が無い、直射日光が当たらないで風が吹くところはどこですかといったら、木の下に決まっているでしょう。それならば寝ていた方がいいのでは。寝ていると汗はかくし、虫は来るし不愉快ですよね。座っているほうが楽です。ですから実はここは禅宗のお寺なのでいいますが坐禅というものがありますけれども、坐禅は厳しく肉体をいじめているのではないのですよ。肉体は一番楽にしている状態なのです。肉体があるということを忘れてしまうほどリラックスする状態が坐禅の座っている姿。何をしているのかというと要するにエネルギーを心のほうにだけ向けているから、あのようにジーと座っているのです。外に気が散っていないのですね。それが本来の仏教の修行なのです。
◆苦行は仏教ではない それでよく言うのですが、お正月になるとテレビで何宗か知りませんけれどもお坊さんが冷たい滝に打たれたり、水浴びしたりしていますよね。それとかどこかの行者さんが火渡りとかして火の上を歩いたり、或いは比叡山で毎日朝早く走り回っている人もいますね。今考えた本来の仏教の沙門としてのやり方から考えたら、実はあれは正しくはないのです。本来お釈迦様が考えた修行とは全然違いますよ。さきほど爪をのばしているのは努力だといった。皆さんは馬鹿みたいだと思ったかもしれませんが。それはなぜかというと爪をのばしても心は綺麗にならないからです。もし爪を伸ばして心が綺麗になるのならば、私ものばしますけれども。それは繋がりがない、関係がないと思うからその様に思うのですね。 ところがお正月の寒い冬に水浴びをしたらそれが、心を綺麗にすると考えるのですね。私はその様には思はないのですが。こんなこと言っていると怒られてしまいますが、マーいいですよね。比叡山で飯食っているわけではないから・・・。でもそれは本当にそういうことなのです。仏教の本質は瞑想にあるという点は絶対に逃してはいけない事なのです。 それ以外の色々な修行が現れますが、それはお釈迦様がつくった仏教が次第に変化して、その時代や地域に応じて転変していく中で新たに取り入れられていった別個の修行形態です。それは全て否定するのですかといわれますが。そうではなくて、別にブランド志向でなくてもいいわけです。お釈迦様ブランドがついていなくても構わないでしょう。お釈迦様の時代のバラモン教の中の世界においてはお釈迦様が考えたような、沙門宗教というものは大事ではあったが社会が別の状態だったらそれに合わせたまた別の形態があってもおかしくは無いわけですから。昔あったものが一番いいのだから、その後出てきたものは全部偽者だといって打ち消してしまうのも変な話なのです。ですからそれは、結局は今の時代の中でそしてそこで生きている我々一人ひとりの自分の状態に応じてどれが一番正しいのか自分で選ばなくてはいけないのです。選択です。
◆檀家制度も仏教とは関係ない 現代において、檀家制度はもう関係ないですね。それは江戸から明治でしたけれども今これからは、やはり自分にあった形を選択するという形になるのでしょうね。だから、私はお釈迦様は大好きですが瞑想修行を一番だとは私自身思ってはいません。他の形の信仰もあると思っています。しかし、それは個人的な問題なのであまり人には言わないようにしています。自分で選んだのですからそれを人にまで押し付けるのは変な話ですからね。ともかくそのようにして瞑想を中心とした一つの修行形態を持つ仏教という宗教が生まれました。たくさんある沙門の中の一つです。そして、この仏教という宗教の基本的な方針がお釈迦様によって創られました。
◆出家して、とにかく瞑想せよ! まず、何が大事かというと、とにかく瞑想せよ!全てのエネルギー、時間を使って瞑想せよ。そうしないと、人間の心はきれいにならない。そんな一朝一夕に簡単な修行ですぐきれいになる。そんなことありません。これは、大変な努力が必要です。努力宗教ですからね、「シュラマナ」だから。特にお釈迦様は、「片手間では無理だ!」と、いうのです。片手間というのは、つまり、仕事をしながらは無理だというのです。五時まで仕事して、二時間瞑想して、そして悟る。それは、無理だろう。しかも、仕事すると、自分の心の中から消さなければいけない執着とか、怒りとかそういうものがまた仕事するとどんどん増えていく。要するに今で言うストレス。ですから仕事は駄目。 というわけで仕事をやめるというのが基本方針になりました。仕事をやめて1人で暮らすというのは大変なので仕事をやめた人間が集団で暮らしなさい、そして修行をしなさい、というふうに告げました。仕事をやめた人間が、集団で暮らすと死んじゃいます。それはそうです。何も食べる手段が無いのですから。それで、お釈迦さんはどういうふうに食べたらいいか食べ方も教えてくれるわけです。人から貰えばいい。もうそれだけです。あまり物を貰いなさい、残り物を貰いなさい、これを托鉢、乞食とか言います。 まず、仏教で志を立てて修行をしたいという人は、仕事をまず全部やめること。これを出家といいます。そして集団で暮らすということ、これを「僧団」といいます。「サンガ」といいます。そしてご飯は人の残り物を貰って歩きなさい。それ以外のものは、絶対駄目です。「寺の後ろの畑で大根と人参を作ったらどうでしょうか?自分で作ったのなら良いのではないでしょうか?」というのはダメ!駄目です。お坊さんは、自給自足は禁止です。ちゃんとインドの規則書の中に書いてある。だから、インドのことやらないと、日本のことだけ見ているとわからなくなるんです。 お坊さんが大根、人参作るようになったのはずいぶん後の中国になってからの話です。インドのお坊さんは一切自分では働いていません。働いてはいけない。規則なんでね。口の中に入れていい物、つまり、食べてもいいものは、誰かが鉢の中に入れてくれたものだけ、と、決められています。大根作ったって大根が飛んできて鉢に入るわけじゃない。そうでしょ?(笑)誰かが入れてくれたものしか食べたらダメ!というのだから、自分で作ることは出来ないし、自分で拾って食べるのは、ダメですよ。山の中に入って木の実を採って自分でこれならいいだろうと、そこに落ちているドングリ食べたら、それはダメ!誰も入れてくれてない。柿の実なっているからと、採ったらダメ。それは、ズルですね。やっぱり人が入れてくれないとダメです。だからお坊さんというのは人に頼って生きるというのが、基本原則なのです。
◆出家者としての条件 でもそんなに人に頼ってもご飯入れてくれるのかしら?それはね、条件があります。入れてもらうためには、その坊さんは、入れてもらえるような人間でなきゃならない。当然でしょう。例えば、毎日遊んで暮らしているとかね、この間行ったらカラオケで会ったとか、(笑)。で、その坊さんが、次の日、鉢持って、「ここに入れてください」と言ってもチョッと入れませんよね。つまりこれは、大変厳しい話なのです。当時のインドのお坊さんというのは、ほんとに厳しい条件で生きていた。しかも大事なことは、沙門がたくさんいたから、ライバルだらけなのです。日本や今の仏教国っていうのは、仏教しかない。鉢を持って歩いてくれば仏教のお坊さんと思うでしょ? 当時のインドは、違います。毎日毎日いろいろな人が、家の前を、いろんな修行者が、歩いていくのだけれど、全部、宗教が違う。その中の1人が、仏教で、余り物をあげるといっても、みんなにあげるわけにはいかない。そんなに裕福じゃないから。そうしたら、自分が選んだいいと思う人にしかあげません。しかも、仏教で言う「業」の考え方によると、何か人にあげると、それは、良いことだから、必ず見返りが来る。その見返りというのは、いい人にあげればあげるほど、見返りがたくさん来る、と当時のインド人は、信じていた。つまり、尊敬できない人に、百円あげても、何も返ってこない。尊敬できる人にあげると、それが、千円になって返ってくる。と、当時の人は、信じていたわけです。そうすると、そういう中で、修行者がお布施を貰う。つまりご飯を入れてもらうということは、大変なことなのです。それなりにお坊さんは、もの凄く自分をキチッとした人間として生活しなければならないわけです。 ですが、これは、お釈迦様が考えた非常に合理的なやり方だと思います。これによって当時のお坊さんは、嫌でも、立派な人間として行動しなければならなかった。そうしないと、食べられなくなって死んでしまう。ですから、当時の仏教のお坊さんたちは集団で暮らしながら、キチッとした規則を守って世の中から軽蔑されないように、そしてお布施が貰えるような集団として毎日を暮らしていたわけです。その規則のことを、「律」と呼ぶのですね。お坊さんが毎日キチッとした生活をするために守らなければならない規則のことを、「律」といいます。戒律のリツです。日本にも律宗というのがありますけれども・・・このような形で仏教というのは常に社会の目を意識して、社会から軽蔑されないようにして生きていく、というのが基本法則なのです。ここがオウム真理教と基本的に違うところです。解ります?オウム真理教はどうやって生計を立てたか御存知ですか?
◆オウム真理教の出家 今言ったように、仏教は人からモノをもらって生きます、と決めたでしょう。だから当然一般社会の人達に対して常に尊敬されなければならないという意識で生活をする。オウム真理教はどうやってお金を儲けるかというと、その1番の基本が違うのです。一般社会のお金を奪い取る、というのが基本方針。信者さんになったら信者さんの持っていた全財産は僧団に寄付しなさい。すると、残った家族は困るでしょう、困ってもいいです、困ってもいいからそのお金は全部寄付しなさい、というのがオウム真理教の生きる道でした。仏教のお坊さんは出家した時に、その財産をどうするかご存知ですか? 今、日本では「出家」ということはほとんど無いからね。お坊さんはお寺に生まれた人がお坊さんになっているだけだからあまり「出家」ということはないので、その残りの財産をどうするか、ということはあまり知らないと思いますがね。本来、仏教ではそれは、仏教僧団は知らない、と言うのです。知ったことじゃない。それは出家する人の勝手。ただ、出家したお坊さんは、財産は持たないで下さい、だからそれを例えば、残してきた子供にとか、家族に置いていくなり、誰かに寄付したかったら慈善団体でも何でもいいから寄付するなり、好きなようにしてください。お寺は出家した人のお金に関しては一切関知しません。もちろん、お寺に寄付してくれたら、それはいいかもしれないけどね。それはありがたいけれども、強制するようなことは絶対出来ないです。 オウムはそれを強制した、強制したから当然社会から見ると、我々のお金を奪っていくものだ、となります。オウムはそうやって人からの好意によって貰うのではなくて、強制的に奪い取りますから、社会に対して我々は尊敬されねばならないという、そういう気分はないのです。むしろ自分達の活動を妨害するような社会は我々の敵であると考える。だから当然それがエスカレートしていけば、サリン事件にもなるし、自分たちで武器を持って武装するというようなことになって仏教と正反対に進んでいきます。 その、仏教とオウム真理教の1番の境目、分かれ目は何かというと、それはどうやって生きていくか、という方針が違うのです。仏教はもらい物で生きる、これがもう基本方針なのですね、で、まあ今日は大乗仏教の話というのだけれども、何でもいいのです。仏教の基本さえ分かれば、あとは、大乗仏教と小乗仏教の違いというものに関しては、また別の話になってくるのです。
◆大乗は努力を他人に分けられる 今言った、僕がお話をしたお坊さんの生活方法、生活形態は、これは小乗も大乗も関係ありません。当時のインドではお坊さんと呼ばれる人達は皆この生活をしていました。ただ、小乗と大乗が違ってくるのは、大乗になってくると「自分の努力」という問題が自分の努力では足りない部分を他の人が補填してくれる、あるいは、自分の努力を他の人に分けてあげることが出来る、という具合に努力の受け渡しが出来る、と考え始めるところが大乗仏教の出発点です。本来お釈迦様はそんなこと言ってないです、お釈迦様の時代には、「業」の問題、つまり、自分が何かをした、その自分のやったパワーはどうなるかというと、それは自分が受け取るという風に考えます。それはまあ、お金と同じです。借金したら借金した本人が返さなければならない、お金を儲けたら儲けは、儲けた本人が使うことが出来る。これは一切、他の人がそこに関わることが出来ないと考えていたのです。これが本来の業の考え方です。 ところが、いろいろな時代の問題もあるのでしょうけれども、インドはお釈迦様の時代は、割と平穏だったのですが、その後、もうグジャグジャに崩れていくのですね、戦乱時代になって、そんなこと言ったって、出家したって、ちゃんとお坊さんとして生活していけないよ、という時代が来るのですね。そうなると、出家しなくても、つまり、努力をしなくても何とか他の形でゴールまで、悟りまで行けないものだろうか、といろんな人が考え始める。そこではじめて、この、業の自己責任性が次第に崩れていくわけです。 そうすると、自分ではとても努力しきれない。まあ、言ってみれば、私は今出家も出来ない、家族もいるし、今仕事をやめたら皆家族は死んでしまうだろう。ということは、私は修行が出来ないからいつまでたっても悟れない、と思っている人が、その分を誰か他の人が修行してくれて、分けてくれる、ということはないだろうか、と考え始めるわけです。逆に、今度は、私はいつも悪いことばかりして、悪い業がいっぱい詰まっている、私の背中には悪い業が山ほど溜まっている、それを誰かが肩代わりして、まあ要するに、借金だね、これを全部代わりに払ってくれないかしら、というような考えの中から次第に、我々を救う仏、我々を助ける仏というような、存在が想定されていく、頭の中に浮かんでくるわけですね。それが、今で言う浄土教的な阿弥陀の世界とか、あるいはさまざまな仏というものを生み出すわけです。 ですから、お釈迦様の時代に仏様というのはお釈迦様だけですよ。スリランカのお寺へ行ったって、お寺の中に建っている仏像はお釈迦様だけですよ。他の仏なんていうものは後で、大乗仏教になってからでてきたものであって、本来の仏教には無いです。仏がたくさんいるならば、仏予備軍もたくさんいるはずだ、仏になるために修行中の人もたくさんいるはずだ、ということで菩薩と呼ばれる、仏予備軍の人達もいっぱい考えられるようなった。小乗仏教にもともと観音信仰なんかないですよ、という具合で、また色々な原理の変更があって面白いのですけれども、今日はもうそこまで行かない。大乗の話をするといいましたがこの辺で失礼いたします。(一同拍手)
▼質疑応答
Q; 先生はお釈迦様が大好きだといわれましたが、それはどうしてですか?それと、もう1つ釈尊が生まれた場所はカピラ城・・・
A; お釈迦様の何が好きかというと、考え方がもの凄く合理的なのです。お釈迦様が考えられたこの仏教社会、仏教的な世界というものを今の科学的な世界へ移し変えてもほとんど変更する必要がないのですね。おもしろいですよ。例えば、キリスト教やイスラム教の人等はねえ、仏教を批判するときに、神がいないじゃないか、仏教には神がいないじゃないか、神がいない宗教なんてあり得ないじゃないか、というけど、それは神がいる宗教という特別なものを信じているキリスト教やイスラム教の勝手な言い分であって、仏教という、ちゃんと歴然とした絶対神がいなくても成り立つ宗教はあるのです。それを知らないだけの話なのです。 仏教では、お釈迦様の考えたことはこうなのですね、世の中は、誰か特別な力を持った人が作ったのでもないし、特別なパワーを持った人がコントロールしているわけでもない、じゃあ世の中は何故こんな風に転変して移っていくのか、これは全部因果の法則である、つまり、原因があればそれに応じて必ずこういう結果がある、ということがもうオートマチックに自動的に移っていく、その世界があるんだ、と。そして、その中に我々が存在している、我々が修行をすることによって、その心の悪い形相を取り除く、そうするとその世界の中で真の幸せを得ることが出来るという、これをオートマチックな、決まった事柄であって、誰かがどうこうしようとしてやっているわけではないのだ、とこういうわけです。 ということはね、科学的な世界観というのは物質世界だけに目をやって、因果の法則を考えていく世界。仏教というのは、逆に今度は物質のほうをほとんど無視してしまって精神の中での因果関係というものを認めて考えていく世界。別にこれ全然矛盾しないのですよ。考え方としてね。もちろん、因果法則が正しいかどうか、その時点で見つかっている因果法則が正しいかどうかは別ですよ。例えば、ニュートン力学が相対性理論によってまた変わっていくのと同じように、時代が変わればそれぞれの因果法則を、我々が認める因果法則は変わるかもしれないけれども、原理原則としては世の中にはコントロールする絶対者がいなくてもオートマチックに動いていく法則性があって、それを知ることが我々の本当の目的だと考える、これ、もの凄く合理的です。当時の社会でいったら、本当に驚くべき合理性だと僕は思うのですね。 お釈迦様はそういうことをちゃんと気がついて、そして、その中で、じゃあどうやったらその精神的な汚れを除けばいいのか、というその生活スタイルを我々のために決めてくれた、それが今日お話した話です。その、どういう生活スタイルをするべきか、ですから仏教というのは信仰する宗教というよりも、むしろ信頼する宗教だと私は言うのですけれどもね。つまり、絶対的な不思議なものを認めて信じるのではなくて、お釈迦様が言って下さったそういう世界観は正しいのだということを信頼して、それに沿って自分でやってみるという宗教ですね。 解ります?やってみるのですよ。だからお釈迦様は絶対者でもないし、お釈迦様にすがれば全部助けてくれるなんて誰も言っていません、そんなこと。お釈迦様だって困っちゃうでしょう、そんなこと言われたら。なんで自分に、ってね。ただ私は皆さんのリーダーとして最初の道を見つけたから、それを皆さんにお知らせしているのだから、その通りにやってみたらどうですか、という考え方。僕は、これは非常に今の、なんというか、科学的な世界観、宗教に全然触れずに育ってきた人間でも非常にこれは素直に受け入れられる世界なのだと思っているのです。だから今でも通用するのだ、ということなのです。 それから、カピラヴァストゥ僕も行きましたけどね、全然分からないね。あの傍からね、カピラヴァストゥの傍から昔本当に壺が1個出たのです。その壺は古い壺で、今のインド人には読めない、古い文字で、お釈迦様の骨、釈迦の骨、と書いてあったのです、壺に。それで、開けてみたら骨が入っていたのです、見つけたフランス人のペッペという名前の考古学者はその骨をインドへ寄付しようとした、これお釈迦様の骨ですからね、ただ、インドは、うちはヒンドゥー教ですから要りません、それで、しょうがないので世界で最も信仰の厚いと思われていた国、タイへそれを寄付してしまいました、その骨を。タイはまたね、仏教国だね、うちの国だけで持っておくのはもったいない、世界の仏教国にこの骨を分けてあげましょう、ということで、その骨をみんなに分けることになりました。 それで、日本も当然分けてもらえるかなと思ったら、日本は本当の仏教国ではないから分けてあげない、と言われた。ところが、たまたま、それ明治ですけれどね、明治の時代に、その時に日本から使節団がタイへ行っていたので、お願いします、そんなこと言わずに、日本にも分けて下さい、というわけでその骨を貰ったのです。日本にありますよ。ちょうど明治の、明治維新の直後にその骨は日本へもたらされました。そこで喧嘩になったんだ、どこへ置くかというので。ちょうど明治の後だから東京に、ここに首都が移ったでしょう、これは世界の宝なのだから東京に置くのが当たり前だと、江戸の人達は言う、何を言っているのだ、仏教の中心地は京都に決まっているではないか、京都の人は言う、それで綱引きになって大喧嘩になって、しょうがないから真ん中に置こう、ということで、名古屋に置くことになりました。 その骨は壺に入れて、名古屋に新しくお寺を建ててそのお寺の中に、地面の下に埋めて、そして、その上に白い仏塔を建てました。日本がタイから貰った骨を入れたお寺、ということで、日本とタイの友好の寺ということで、そのお寺は日泰寺という名前がつけられます。今でも名古屋へ行って、地下鉄に乗りますと、覚王山日泰寺、という地下鉄の駅があります。行ってごらんなさい。もう骨は見えませんよ。下に埋めてあるから、日泰寺のタイは、天下泰平の泰という字を書いているので、あまり皆気がつかないのだけれども、その泰は、タイから貰った泰なのです。まだこれはちょっと後日談があって、ペッペが掘った壺の場所から20年ほどして別の探検隊が掘ったら、その下からもう1個釈迦の骨と書いた壺が出てきて、その骨は今イギリスのブリティッシュミュージアムに置いてあります、それで、それが本当かどうかは未解決のまま。だからあなたの質問には全然答えてないのだけれども、ついでに話をしていました。---------------------------------------------
Q;佐々木先生は花園大学で「禅と生 命科学」という講義をお持ちですがどんな内容なのですか?A;数年前に、花園大学に科学者を呼んで来て、科学の話をしてもらう公開講座を三年ほどやっていました。有名になった科学者ではなくて、色々な問題に取り組んで袋小路に入って困っているとか、苦労している若手の科学者を呼んできて自分がどういう考えで科学をやっているのか、という話をしてもらっていました。名前は「禅と生命科学」なのですが呼んでくる科学者の人は仏教のことなんて何にも知らなくていいのです。何にも話さなくていいのです。科学のことだけ話してくださいということでやっていました。 ところがそうやって話してもらっているとその科学者たちの言葉の中に仏教的なというか仏教でもそれは理解できるというようなことがいっぱい出てくるのですね。特に面白かったのは物理学者、今の量子論とか相対性理論とか世界をどう見るかというその見方そのものが仏教ともの凄くつながっている。科学と宗教っていうのは無理やりくっ付けるといやらしくなります。ただ、ごく自然に考えていくと非常にそこらには深いつながりを感じるのです。で、それが面白かったのですが、三年で息切れしちゃいました。(笑) 今は自分で講義を持たせてもらっています。昔は私もやったけれど、数式を使うことなんてもう出来ませんが、今の物理学が持っている宇宙観というもの、世界をどう観るのかという見方、その視点というものは説明をすることが出来ますからね。そういうものを学生さんと一緒にやっているのです。去年は生物学をやりました。皆さんご存知かな?スティーブン・J・グールドという人の『パンダの親指』という本を使って進化についての話を一年間やりました。 今年は、量子論の基本的なことを一緒に考える授業をやっています。そうすると学生さんは面白がりますね、ここ仏教と合うのではないですかとか、そういう風に考えていける様になれば宗教とか科学っていう風に、線引きしなくても、要するに世の中を合理的に観ていったらどうなのかというその一点でおさえていく事が出来るだろうと思っております。

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