2007年11月13日火曜日

人間の歴史の短さ


写真はゆんフリー

このごろ柳田邦男先生の推薦された星野道夫という写真家の文に魅かれている。
図書館から「イニュニック(生命)」の貸出の連絡がくるのを待っている。湯川豊氏が星野道夫とのインタビューの本「終わりのない旅・星野道夫インタビュー」に抜粋されていた部分です。

星野は語る「過ぎ去った時代に思いを馳せる時、人間の歴史がもつ短さに僕は圧倒される。今一緒に旅しているキャサリンやスティーブンのわずか数代前の人々はまちがいなく神話の時代に生きていた。僕はいつのころからか、歴史の長さを人の一生で考えるになった。今自分がここに在るということは、歴史のどの時代にも自分の分身がどこかに「いたということだ。親からスタートして自分の分身が一列にずっと並んだなら、例えば2千年前の弥生時代の分身はわずか7,8十人先なのだ。振り返り、少し目をこらせば、その男の顔をかすかに読み取ることだってできるだろう。僕達人間の歴史とは、それほどついこの間の出来事なのだ。
不安なことは、人の暮らしが変わってゆくことではない。その速さである。暗い予兆を内包する、加速度的な速さである」湯川さんがいわれている七、八十人というとちょうど学校の二クラスよりちょっと多いくらい。つまり、もし一部屋に集められているとしたら、ひとりひとりの顔がはっきりと認識できる範囲なんですね。血筋をたどってゆくとすればその位の認識の範囲内なのですね。
二千年前の分身だって「少し目をこらせばその男の顔をかすかに読み取ることだってできるだろう」というのは実際二千年前の自分の先祖の消息をしるかどうかではなく、二千年前の人間をそう感じること、人間の歴史にそのような感じ方が僕には驚きだった。 」と。

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