2007年11月12日月曜日

自主規制する日本は我慢比べの社会

写真はゆんフリー

養老孟司(y)と荒俣宏(a)との対談
自主規制する日本は我慢比べの社会
y:日本人は世界のレベルでは“生きられない”
a:日本社会は全部我慢社会=世界レベルで“生きていない”と言われます。
y:本当に自分のやりたいことがあって、それで生きているのが世界レベルで“生きている”ということ。
世間に迷惑をかけないかはどこでも当然の規範だけれど日本で拡大解釈されて自主規制になっている。そうすると半分はしんでしまっているのです。逆に、だから日本人は長生きできるんだよと。
a:風水の話になりますが、その極意は“同じことの繰り返すことなんですね。最近は幸せになる方法だと勘違いしているようだが、風水は朝飯でいえば、おいしいビフテキをたらふく食べるより、ご飯とみそ汁で一生食べつないで行く方法なのです。そのために、これなら一生変えることなく、暮らせるという丸適マークの場所を探す、でもこれは消して幸福な状態ではなくて、同じことの繰り返しのですからおもしろくもないのです。風水を作った中国人の理想は不老長寿、つまり仙人になることで生きておもしろいかとか面白いとかは別問題なのです。風水も面白いことは求めてはいけない。まさに我慢大会に通じます。
つまり東洋では半分死んでいることが生きていくことになる“おしん”みたいな生活が長生きするんです。アメリカ人はナンセンスというが一つの生き方ではある。
a:勝手がどんなに楽しいか、最近はやや変化してきたけれど、大学というのはどうも勝手な研究をしてはいけないらしい。不思議なもので勝手をやると必ず排斥されてたり、クレームがついたり、指導がついたりする傾向がある。
y:現象的には我慢大会です、全員我慢している、我慢していない人がいるとそれが我慢できない。
まさに日本は自主規制ですよ。権力規制をやると嫌われる。
「研究は自由です」
a:その代わり予算はつけない“世のため、人のため”という市民権を得ている研究にはつかない。自分がやっている博物学には絶対つかない。(便法で薬草学ならOK)
見える日本、見えない日本:養老孟司対談集(荒俣宏・作家で博物学に詳しい)より

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