2010年4月25日日曜日

火との対話


おはようございます。竃で炊いたご飯はとても、美味しかった。「はじめチョロチョロ、中パッパ」の呪文を唱えながら、薪を入れていた。煙が目に滲みらせながらも竹筒で吹いて火に栄養を送っていた。

厚い木の蓋の隙間からご飯のヨダレがこぼれた。ご飯との対話だった。その後暫く待たねばならなかった。釜の淵沿う部分は黄金色にアイロンがかかっていてコオバシイ匂いがした。。


村上春樹の書籍はまだ読んだことがないが、凄い売れ行きですね。

あのエッセイ・この随筆:川本三郎著より

村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』のなかの「アイロンのある風景」というたき火好きな男を描いた部分

神戸のほうから茨城県の海辺の小さな町にやってきた。男にはちょっと変わった趣味がある。四十代半ば。海の近くに家を借りて一人で暮らしている。芸術家らしい。夜、鹿島灘に面した海辺に出かけては、流木を集めて焚き火をする。
男が焚き火がすきなのは「もう病気みたい」なもので、そもそも海辺の町に」やってきたのはここの海岸は流れ着く流木が多いからなのだという。コンビニで働いている若い女の子も焚き火の仲間入りをする。
女の子は焚き火をみていると「わけもなくひっそりとした気持ちになる」という。それに対して、こんなことをいう「火ゆうのはな、かたちが自由なんや。自由やから、見ているほうの心次第で何にも見える」「でも」、どんな火でもそういうことが起こるかというと、そんなことはない。そういうことが起こるためには、火の方も自由やないとあかん。がスストーブの火ではそんなことは起こらん。ライターの火でも起こらん。普通の焚き火でもまずあかん。火が自由になるには、自由になる場所をうまいことこっちでこしらえなああかんねん。」そしてそれは誰でも簡単にできることやない」
焚き火の火はこの鹿島灘までいくのかしら。

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