2010年6月12日土曜日

何故学ぶのか


おはようございます。:H氏賞という耳慣れない賞を受けた人の話を聞くことができました。
2010.6.10武蔵野大学:講師・詩人荒川洋治http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E5%B7%9D%E6%B4%8B%E6%B2%BB
受賞:H氏賞(エイチししょう)は日本現代詩人会が主催する、新人のすぐれた現代詩の詩人の詩集を広く社会に推奨することを目的とした文学賞。詩壇の芥川賞とも呼ばれる。


今日の講演に来ているのは3百人、今大学院で教えている、あるいは学びにきている学生はほんの2・3人なのだそうです。司会者がいうには企画されたのは詩人でもある荒川さんの素晴らしい講演が学内で聞けることを知らしめるためと前置きしてはじめられた。
荒川さんの題は「新しい読書」についてでしたが、何故学ぶのかというのが本来の趣旨のようでした。


触れられた本は一冊のみ選べといわれたらあげるのはセルバンテスの「ドンキホーテ」、(そのほかジャンジャックルソーの「告白」など)


今はエッセイの時代、自分をあらわすにあたり、事実よりもいきおい書いていることに、引きずられて、他人に合わせる文章が自動的にでてくる。この場合に自分の経験をとおしてはいない。神も通過していないので皆嘘になる。今詩集に関心を持つ人は極めてすくない。人間にはそれぞれの匂いが、他人と違う匂いがある。集団には汗臭さがある。
今分けの分からないしものや」他人を嫌がる。昨今は他人とは無縁でいる社会、これは2年前の秋葉原無差別殺傷事件に現れていて、自分以外は物質に過ぎない。
矛盾した話になるのですが、本は全て他人が書いたもの、何故他人のことを知らねばならないか?自分を知るには他人をよくみないと見えてこない。
最近の現象として自費出版が盛んであるが、自分を書くということは自分が好きだから(であるが、他人には関心がない。)
日本が西欧化にはいった明治はタコツボ型文化、詩は詩だけ、小説は小説だけで、他には関心がないいびつ
最近の学問は「実学」すぐ役に立つ技術に絞ろうとしているが、、反面日本がおかしい様相を呈しているのは、役に立たないようなもので、見えないけれど生きる栄養になるものを教えていないから。どうして学ぶのか、生きるのか、この基盤がしっかりしていないと個人は安定しない。日本人は本を読まないようになっているのは世界の先端を走っていて、他の国もそういう方向に走っている。

ここから学生への呼び掛け、荒川講師は早稲田で学び、今記憶していることと言ったら黒崎講師のことの片鱗(?)だけ。このように4.50年もすれば殆ど忘れてしまうのに、何故学ばねばならなか
勧める本:チェーホフの「大学生」等を引用した。
神学生が早春の田舎の夜道を歩いていた。焚火をしている所で分けありの寡婦とその出戻りの娘に出会った。「学生さんも火にあたっていったら」と声を掛けられた。「いいですか、あたらせてください」「学生さんは勉強で大変でしょう」こんな会話を交わしてながら、学生は新約聖書の話をし始めた。そうしている内にそこにいる2人とも感きわまって泣きだした。自分の話に感動したのではない、1900年も前の新約聖書のパウロのことに触れたのだ。(講師は4・50年も前の学生時代に学んだことはすっかり忘れているのにどうして学ぶのかを繰り返していう)。
この話は寺男の息子で宗教大学の学生であるイワン・ヴェリコボーリスキイが山しぎ撃ちからの帰り道で、突然の寒さで自然までが不気味に感じられた時だった。見渡す限りの暗闇に、空腹を抱えていて、イワン雷帝などでも、今と同じ残忍な貧しさや飢えがあったに違いないと考えていた(この時代はニヒリズムに陥っていたそうです)。同じような穴だらけの藁屋根や無知や荒涼とした周囲、圧迫感がそういった恐ろしさは過去にもあったし現在にもあり、また未来にもあるだろう。そうして1000年たったところで、人生はよりよくはなるまい。こう思うと、彼は」家に帰る気がしなくなった。そうしたところに焚火にであった。「ちょうどこんなふうに、寒い夜、使徒ペテロ※1 も焚火にあたったのさ」※と話始めた。1http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AD。ペテロは遠くからイエスをながめて、晩餐の席で彼のいった言葉を思い出した。・・・・思いだすと、自分が言った言葉『わたしはあなたと一緒に獄舎にも死にもまいる覚悟です』といったのを思い出すと、彼ははっと我に返って、中庭から出て、身も世もあらず泣きだした。福音書にはこう書いてある。――『そこで外に出て激しくないた』と僕は想像するのさ。――静かな静かな、暗い暗い庭があって、その静けさの中で低いすすり泣きの声がやっと聞こえる・・・」
(イエスの受難においてペトロが逃走し、イエスを否認したことはすべての福音書に書かれている。また『ヨハネによる福音書』によれば、イエスの復活時にはヨハネと共にイエスの墓にかけつけている[4]。)

寡婦は相変わらず微笑を浮かべていたが、急にしゃくりあげたとおもうと、大粒の涙がはらはらとその両頬を伝わって流れ落ちた。その顔の表情は、激しい痛みをこらえている人のように重苦しく引きつっていた。それはあの恐ろしい夜、ペテロの身の上に起こったすべてのことことに、何か思いあたることでもあるのか。・・・・
彼は振り返ってみた。闇の中に淋しげな火が静かにまたたいているだけで、もうそばには2人の人影一つ見えなかった。彼がたったいま話したこと、千九百年前の出来事が現在に。彼が人を感動させる話術を心得たいるからではなく、ペテロがこの二人に身近であるため、ペテロの心に起こったことに、身も心も打たれたためではあるまいか。
過去は、――と考えた。一つまた一つと流れ出す、ぶっつづきの鎖のような事件によって、現在と結びついているのだ。こう思うと、彼はたった今自分がこの鎖の両端をみたような気がした。いっぽうの端に触れたら、もういっぽうの端がぴくりと震えたような気がした。
自分の生まれた村や寒々とした真紅の夕映えが細い条の帯となって輝いている西の空を眺めたとき、彼はむかしのあの庭やイエスにかかわった祭司長のいる中庭で人間の生活を導いた真実と美が、そのままとぎれずに今日まで続き、何時の世にも人間の生活の、いやこの地上の生活のすべての、最も重要なものを形つくってきたにちがいないと考えた。すると若さや健康や力の実感―――彼はようやく22歳になったばかりだった。―――幸福の、目に見えぬ神秘的な幸福の、いい知れぬ甘い期待とが、だんだんと彼の心を捕え、この人生が魅惑的な、奇跡的な崇高な意義に満ちあふれたものに思われてきた。

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