2010年6月2日水曜日

たった一人の和平工作①


おはようがざいます。いままで放送された番組でも内容のすぐれた番組は民放でも再放送しても、あるいは上映ライブラリーみたいなものがあったらいいのになあと思います。
そんな「知ってるつもり?!」にありました。

NTV2000/5/28 放送「消えた潜水艦とたった一人の和平工作」から:http://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/000528.html

1998年、大西洋の海底に一隻の潜水艦が発見される。その水深は5240メートル。
その潜水艦こそ、戦時中日本海軍が世界に誇った最新鋭の潜水艦イ52である。
1944年(昭和19年)、イ52はある秘密任務を帯びて、当時ドイツの占領下にあったフランスのロリアン港に向かって呉を出港したものの、結局ロリアン にたどりつくことはできなかった。そしてそのロリアンでは一日千秋の思いでイ52の到着を待ち続けた一人の男がいた。
海軍中佐・藤村義朗その人である。
彼は潜水艦作戦の失敗を知るや、故郷を遠く離れたヨーロッパで驚くべき行動を開始した。それは破滅への坂道を転げ落ちる日本を救う為の対米和平工作であっ た。しかもそれは誰の命令でもなく、誰に頼まれた訳でもない。たった一人の和平工作であった。昭和20年5月を皮切りに、当時日本海軍の最高機密であった 九一式暗号機を駆使して、彼が日本に送った暗号電は35本。
はたして藤村が模索した対米和平工作とはどのようなものであったのだろうか?
そしてその和平工作の行方は?
イ52が果たせなかった秘密任務とは何だったのだろうか?
狂気と破壊の時代、太平洋戦争の裏側に隠された真実が、今明かされる。

1940年(昭和15年)、海軍大学を優秀な成績で卒業した藤村義朗は中佐に任じられ、ドイツ駐在海軍武官補佐官としてベルリンに赴任する。藤村の任務は ヨーロッパの戦局の情報収集と戦備物資の調達。当時ドイツは第二次世界大戦のさなか、対英仏戦を圧倒的有利に戦況を進めていた。
しかし、その戦況をひっくり返す出来事を藤村が聞いたのは翌1941年(昭和16年)11月のこと。
ドイツ軍、ソ連で大敗北。その情報を掴んだ藤村は早速日本に向かって日米開戦を思いとどまるよう暗号電を打った。元々海軍は対米戦争には消極的であったと 言われている。軍艦や航空機といった機械力によって戦争を遂行する海軍にとって、国力・生産力・技術力で圧倒的に差のあるアメリカとの戦争はあまりにも無 謀であった。
しかし時既に遅く、すでに日本は対米開戦に走り始めていた。
1941年(昭和16年)12月8日、ハワイの真珠湾への奇襲攻撃は成功を収め、日本は緒戦で大勝利をものにした。ベルリンでも日本の戦勝に沸く中、藤村 は素直に勝利を喜べなかった。
 「戦争を始めたからには終わりというものがなくてはならない。
  戦争終結をいかにうまく収めるか、それが国家の命運につながる。」
藤村宛に一通の手紙が届くのはその頃である。物資調達の任務で知り合ったドイツ人経済学者フードリッヒ・ハックからの手紙である。

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