2010年6月21日月曜日

スポーツは政治に引きずらている


おはようございます。W杯をみていると、野球よりも一段とおもいしろい。強者がかならず勝つとは限らず、結構相性や戦術や、怪我人などもろもろの要素があって番狂わせがあるので、目まぐるしい。
であるがゲームの中で選手の動きは解説があってもなかなか分かりにくい。段々分かってくるでしょう。

ニッポンはどうすれば勝てるか?玉木正之×金子達仁;アスベスト発行

北京五輪開催決定の背景:
とにかくアメリカが北京でオリンピックをやりたかった。決定の99年の段階で、大阪が「立候補する」といったとき、ニューヨークが立候補して「敵はNY」になっていた。そのとき北京は全く沈黙だった。1週間でNYが取りやめたのは、米政府かコカコーラの圧力だった。米中の国交回復したニクソンのバックはペプシの影響で、それまではペプシの舞台だった。あの広大なマーケットにコカコーラも参入するために、画策した。北京は北京で立候補をずっと言わない。99年の長野オリンピックのときに、中国の体育局長が日本にきて記者に取材されても「まだ考えていない」とかいう訳だよね。もっとアメリカに金を出せよというメッセージですよ。
続いてパリが立候補したのは、北京有利の危険を感じたIOCが裏で動いたと推測される。これは第二の天安門事件を恐れたため。ヨーロッパは中国との経済的な交流に遅れていたので北京を推したくなかった。その後中国がどんどん国際社会に入ってきた。IOCも「これはもう北京でもできるだろう」という判断をしたんだよね。
「2012年はオレ達で決まり」とNYは思っていたが「9.11」が起こってしまった。アメリカはイラク戦争に反対したパリだけには絶対やらせたくない。ロンドン・2012年開催が決まったのは裏の国際的な経緯がある。
オリンピックは政治でスポーツじゃない。
クーベルタンはフランス人で、第1回をフランスでやろうと思っていたら、オリンピックと名前をつけるなら絶対に譲れないギリシャがでてきた。
ヒトラーのベルリン、モスクワ、ロスアンゼルスを出すまでもなく、全世界で聖火が問題になっているから、東京五輪の時、日本もしぶとく、旧大日本帝国占領地を全部回った。全部「ごめんなさいルート(素直にいえば平和の聖火)」ですね。YS11でまだ占領下の沖縄にいって日本に上陸。その時の最終ランナーが45年8月6日生まれの坂井義則さんは19歳広島生まれ。

モスクワ五輪で79年12月のソ連によるアフガニスタン侵攻で翌80年にボイコット、日本は追随、ヨーロッパの選手たちは開会式に自国の国旗ではなく、五輪旗で出場した。ソ連はテレビにこの五輪旗は写さなかった。
オリンピックには政治の部分と、スポーツの部分の2面性があるが、ヨーロッパはいまもこのスポーツの面で騒いでいない。

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