2009年8月16日日曜日

大井川の世界一長い木の橋


おはようございます。「越すに越されぬ大井川」というのがありますが、
1869年(明治2年)7月、最後の将軍徳川慶喜を護衛してきた幕臣達が大井川右岸にある牧之原を開拓し、お茶を作り始めた。
 当初は大変厳しい環境の中で、筆舌に尽くせない苦労の連続だったが、そのかいあって順調に茶の栽培が営まれ、生活が安定するに従って、島田(宿場町)の方へ生活用品や食料品を買いに出かけるようになってきた。また、島田の方からも初倉に山林、原野の開墾のため出かけるようになったが、大井川を小舟で渡らなければならず、大変危険なことだった。そこで島田宿の開墾総代達は、時の静岡県令(現在の知事)に橋をかける願が出市し許可され、1879年(明治12年)1月13日に完成した。しかし、木橋のため大井川の増水のたびに被害をうけてきたので、1965年(昭和40年)4月にコンクリートの橋脚に変え、今日の姿となった。現在の蓬莱橋は、全長897.4m、通行幅2.4であり、大井川の自然となった木橋といして知られているそうです。
現在の渡橋時間は、概ね、日の出より、日没まで。料金は大人100円、子供10円、自転車は100円、両岸にトイレはあります。原付自転車以上は利用できません。

平成9年12月に英国ギネス社より認定を受けた。
●ギネス社の世界認定はビール会社から移っている。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312965578
●大井川鉄道の金谷駅から毎日SLが走っているが、その燃料の石炭は輸入物だそうで、それは出来るだけ煙が少ないものを選んでいるそうです。
●高島田という日本髪の結い型がありますが、この島田宿にいた遊女の結い方が素晴らしく、これを上品に仕上げたもののようです。
●明日は渡し賃についてレポートします。

2009年8月15日土曜日

お茶の郷博物館



おはようございます。あの静岡の高速道路の上り車線の地震の崩壊現場、牧之原付近は大井川の西岸に広がる台地は見渡す限り、茶畑が広がっています。
明治2年から徳川家臣団や大井川越人足による茶畑開拓で日本一の大茶園となって、日本近代茶業の象徴だそうです、今回も台風で見えなかったのですが、
この大地から仰ぎみる富士山はとても美しいということが写真を見ただけでも素晴らしいいところは
「お茶の郷博物館」http://www.ochanosato.com/
でした。世界中の茶器の陳列、中国南西部の山岳地帯からお茶の文化が世界中に広がった、喫茶法の違いなど豊富な資料が展示されていて、見ごたえがありました。
ここにある下記の台地の頂上にある茶室の建て物は入場料と抹茶がセットになっていますので、抹茶を出されてちょっとあわてました。日本人ならお茶の作法位はしっているべきと思いました。

茶室「縱目楼」と庭園は千利休、古田織部を経て「綺麗さび」茶の湯を確立した
大名茶人小堀遠州侯(こぼりえんしゅう1579~1647)が手掛けた建物と庭園を復元したものです。
現存する茶室を模写するのではなく、現在すでに失われたものを復元することによって、
当時の様子を追体験できる場となっています。
茶室:縱目楼(しょうもくろう)
書院(石清水八幡宮瀧本坊復元)
鎖之間(伏見奉行屋敷復元)
奉行でもあった小堀遠州侯が手掛けた京都の伏見奉行屋敷と
石清水八幡宮瀧本坊(いわしみずはちまんぐうたきのもとぼう)を合わせて復元したものです。
書院、数奇屋、鎖之間、これら3つの座敷を使って展開された茶会が小堀遠州侯の茶の湯の世界を特徴付けています。
今はない寛永期を代表する建築がここに蘇りました。
鎖の間にて抹茶とお菓子をお召し上がりいただけます。(入場料500円・抹茶、お菓子付)
庭園
江戸幕府が小堀遠州侯に作事奉行を命じて造らせた池泉回遊式庭園です。
寛永6年(1629)に退位した後水尾院(ごみずのおいん)の院御所である仙洞御所の東庭を造園当時のまま復元したのもので、
王朝貴族の文化に憧れた小堀遠州侯の庭園造りの特徴がよく表れてい

2009年8月14日金曜日

B級観光



おはようございます。いわゆる名物においしいものがないといいますが、B級においしいものがあるという自己満足の旅です。
昨年は愛知県の蒲郡市をたまたま訪れました。必ずしも観光で有名なところよりも、自分の故郷に似た規模の都市を旅行するのが楽しいことが分かりました。
蒲郡の場合は、絵手紙を全国的に集めてコンクールを展示していました。さすがに、全国からの応募からの厳選でしたので、その描き手味わいがストレートに伝わってきて興味がつきませんでした。又灯り(昔の燈明、行燈)の収集家が居られて、常設の展示「灯火具コレクション」http://www.city.gamagori.aichi.jp/museum/collect.html
こじんまりしていましたが、ラグーナ蒲郡http://www.laguna-gamagori.co.jp/index.htmlの入場券セットや、ガソリン券を宿泊客に市の観光課が配布していたり県外客に誘致に熱心でしたし、旅館の人たちも一生懸命の応対でした。途中豊川稲荷にも立ち寄ることができました。
 
今回選んだのも、伊豆方面ではなくて、東海道沿いの静岡県の藤枝市でした。
ここの蓮華寺池は散歩にはもってこいで、池の周囲は1.5kmはあるでしょう。そのなかに蓮の花は盛りをすぎていましたが、結構咲いていました。5月のころであれば藤棚が沢山池の周囲にありましたし、藤の町にしようという合言葉の看板があちこちにみえました。
蓮生寺はありましたが、見当たらない蓮華寺の由来は熊谷次郎直実が出家したところだと記されていました。大々的に宣伝していませんが、この蓮華寺の北の山の頂上は富士見平は360度の見晴らしは見事なもので、若一王子古墳のあるところで、ひな壇状の古墳で、どの位置からも眺望は言うことなしでした。この池のさらに北方に「白藤の滝」これも連日の雨で水量が豊富で、30mもある白藤の名前の高さで、駐車場から徒歩で10分もかからない静寂な場所にあり、満喫できました。

2009年8月13日木曜日

峠


おはようございます。静岡県の藤枝市(静岡市と牧野原市の間)に10日から12日旅行しましたところ、11日の朝5時7分震度6弱にあい大変びっくりしました。エレベーターが停まり、8階の部屋から昇り降りは階段でした。
それ以外はそれほど不自由はなく、東名高速も2つ先の清水ICからのりましたが、すいていましたのでかえって早くつきました。

静岡はお茶です。お茶畑の広大なことは庄内平野の広さに匹敵します。峠といえば茶屋ですね。ここで飲むお茶は格別だったでしょうね。いまは見晴らし台がある位ですね。

藤枝市の郷土博物館にこんなことが書いてありました。
峠の民俗と信仰かつて峠は村の境であり、流通する物資が行き交い、時には花嫁を送り迎えするなど、人々によう利用されていました。そこには概して道幅も狭く無舗装で、その上急俊で険しい山道を喘ぎながら
上り、下りした山道であった。現在の峠には三つの様態が見られると思う。その一つは、かつて峠道となった。その峠道が拡幅、舗装され付け替えられ大型車でも楽にすれ違うことが出来る峠道となった。その峠道の中には直下をくり抜きトンネルとしたものもある。いまでは生活道路のとして生き残った峠である。
 いま一つの様態はハイキングの目的となった通過点となったもで、このような峠の多くは昔のままだが、よく整備され安全がたもたれている。そして最後の一つはまったく忘れられたしまった峠である。峠への道には倒木が折り重なり、道面にも野草が力強く顔を出して、人の往来した気配が感じられなくなった。
拡幅され舗装され、さらにはつけ替えられ大型車のが行き交える峠道はは確かに便利で、快適であり、何よりも安全に作られている。しかし峠道を行くことで、労苦に耐えてことを成し遂げた際の感激や感慨は忘れられ、もた峠を通過した、また峠を通過した際の記憶が、コンクリートと照明のあかりのみというどこか味気ないものにならないか心配にもなる。木々や谷川のせせらぎに耳を傾け、忘れかけた峠の風景を今一度思い出して欲しいと思う。
古代からの官道として利用されてきた日本坂峠、宇津ノ谷もいまや峠の真下にトンネルがほられ、そこに車や新幹線があっとい間に通過している。
昔といっても、昭和の初め頃、背負い籠にお茶や米、椎茸をつめ、喘ぎながら越えた峠の風景はどこに行ったのだろう。
比較的昔の状態を残しているハイキングの目的や通過点となった昔ながら峠に登って気づくのはほとんどの峠に「お地蔵さん」が祀られていることであると。

西東京市では村境には道標や馬頭観音などの名残があります。

2009年8月10日月曜日

テレビの雨が晴れた。


おはようございます。毎日梅雨のような雨が続いています。傘も乾く暇さえありません。

メインのテレビの録画機能がクリーニングテープをどうぞの指示があったので、クリーニングテープも買いに走っていれてみたが、復旧しないので、液晶テレビに買替の立派な口実ができました。

テレビ取り付け業務を委託したので、この準備がまた大変だった。これなら自分でやったほうがよかったとも思った。朝9時に電話がきて1:30から3:30の間に交換にくるという。
予備のテレビにはビデオデッキを用意していたので、予備テレビを廃棄し、今までのメインテレビを予備テレビにした。

ところがこの今までクックリした映像の新予備テレビを接続してみると、画像が雨が降ったように、ザーザーぶりで映像が楽しめない。
液晶テレビを据え付けてもらった業者さんに聞くと、その室内用アンテナ接続線が10年以上も経過していると、そういう現象があるという。これに取り換える前に以前から
もっているテレビ室内接続線を3つ位交換してみても駄目だったのでこのアドバイスを半信半疑ですが、駄目元で受け入れ、態々大ぶりの雨の中をそれを買いに走った。
早速交換してみると、以前のようにクッキリ画面になり、ビデオもアナログの両方とも大丈夫だった。
このようにアンテナ室内接続線が古くなってザーザー降りになるのは、線のビニルの内部で切断されているか、捩れているからではないかということのようでした。
このテレビの接続業者は1日16件もの接続をするという過酷な条件をこなしているそうです。もう少しゆっくり操作方法を教えてもらいたいところであるが、この16件という数字
を聞いて気の毒に思い、遠慮してしまったので、細かいところは分厚いマニュアルを見ながら勉強することにしました

2009年8月9日日曜日

笑顔で治してくれる医師


おはようございます。今日はどんよりした曇りです。2日前「かかりつけ医」のところに行きました。ここは親子でやっている内科医です。もう親の方は80代かなと思う。
以前住んでいた家から1分もかからない近い医者でした。その頃は診療のほとんどは、大先生でした。風邪だから、注射、ビタミンが欲しいと患者からいっても、「そうか そうだね」
という患者の意向を尊重してくれる親切な医者さんでした。一面ではあまりにも患者の意志を尊重してくれるので、いいなり医療かなと思うほどでした。順番を待っていると、診察室からでてくる
患者の顔が穏やかな顔で出てくるのでした。診察室の壁にはボタンの花、カワセミの飛躍の瞬間の写真がかざってあって、座れば必ず血圧の測定です。
聴診器を胸に当てる時は、ドライヤーで人肌に温めてくれるのでした。この先生の顔は何時もニコニコしていて、現代の良寛さんの感じです。ある時、電話がかかってちょっと待たされましたが、
仲間の医師から、これはどうすべきかの相談でした。これほどの力量のある医師でありながら、けして偉らぶるような素振りはしません。どこでもそうですが、老人の診療が多く、いけば1時間後の
診療です。ところが最近は受付でノートに受付番号と氏名を書くのですが午後の診療は3時からですが、4時ころにいっても延べ15名位の受診者数です。この大先生がいないので、聞いてみると、入院されているとのこと。
道理です。息子さんも内視鏡の面では優れていて、一度紹介した人の話では、よくこんな部分も見つけてくれましたねとガン専門医から言われたそうですからかなりの権威です。推薦する町医者にも掲載されてました。
この先生は、やはり「いい柔和な顔」なのですが、無口のほうでので、診察時間が極めて速く、ほとんど2分位です。
私が住居を移転し、練馬区から西東京市に移ってみて、市の指定では健康診断は市内に限るとのことで、受診してみると、大先生の良寛の場合とはやはり違います。
あの笑顔を見ると、病気の不安が消えるという不思議な感覚です。この大先生が一日も早く退院されて診療に戻ってくれることを期待しております。

2009年8月8日土曜日

貴乃花といじめ


おはようございます。ピーマン、トマト、茄子いずれもナス科のものだそうです。そういわれればそうかなと思います。中に入っている種は類似していますね。

以前の貴乃花の表情を見ると、阿修羅のごとくでした。
梅原猛:自然と人生、思うがままに。より

もう親方になった顔が最近柔和になってきたのは喜ばしい。
あのころ言動に批判をあびたり、マスコミに対する態度がつっけんどんであり、負けたときは全く答えないことがあった。
20をいくつも超えていない若者に、完成した人格を要望するのは無理なことであるが、名横綱とされる双葉山や栃錦や北の湖などは若くして完成された人格をもっていたと思う。それはなぜか。逆説的に聞こえるかもしれないが、相撲界のいじめゆえである。
いじめというものは、身分社会のつもりつもった怨恨が、自分より身分の低いものに及ぶことである。相撲界ではいじめはもっとも下の番付の新弟子に及び、新弟子は徹底的にいじめられる。特に新弟子がたまたま大学を出ていたり、あるいは金持ちの坊ちゃんだったりすればよけいいじめは烈しくなる。
このいじめをできるだけ早く免れるには、番付が」いじめる人間より上になることである。こういう気持ちで稽古をする力士が強くなるが、この烈しいいじめに耐えることは、この世を生きるに必要な忍耐の徳を養うことになり、またこのいじめをいかに逃れるかといろいろ工夫を巡らすことは」、人間の処世の知恵を磨いてくれる。
貴乃花の場合は部屋そのものは自宅であり、親方は新弟子の一人として扱ったというかもしれない
、他の弟子達は親方の息子としてみるからそこではいじめは行われていないのであろう。しかしいじめによって人格形成をする機会を失ったのであろう。