2009年1月31日土曜日

大事な手渡し配布



おはようございます。昨日は「シニア・かわら版」の編集会議でした。いろんな記事を集めるよりは反響のあった記事について取材するということが一番よいことですが、
それより一番大事なのは、この新聞の存在を知らしめることと、内容の充実に努めることの両立が大変大事なことが痛感しました。
配布は市の高齢支援課の理解もあって、公民館、福祉会館(60歳以上の人々が自主的に諸活動に利用できる制度)、包括支援センター(介護度認定制度相談所とおもわれていますが、シニア問題何でも相談所)、
に自動的に配ってくれるのですが、自分でその場所にいってみると、ラックに並べてあるがほとんど、減っていないとか、残部数がすくないとか場所によってまちまち、またそれぞれの会館の多くあるラックの位置が見渡し
やすい場所にあるとかで反応がことなります。ある福祉会館にいってみると、「ほとんど置いても見ないかもしれませんよ」というところもあったのでロビーにいる5・6人の人に手渡したところ、これから始まる
市長選挙に関連するものだと誤解されたところもあった。この福祉会館でいろんなチラシや地元のミニコミ紙等が置いてありますが、この福祉会館にこられる人々は、カラオケとか民謡とか俳句の会、とかそれぞれが所属している
倶楽部の活動に参加するために来館されるので、他に関心がいかないようだということです。しかしながらシニア情報に特化した・身近な情報は不足しているので、知らしめることでこの存在がわかれば、認めていただけることに
なると思います。そういう動機で始めたのですから。継続すべき地道な作業ですが、委託配布ではなく、自ら配布することによって、読者の反応を確かめることは非常に大事ですし、それなりの努力が必要だということが分かったということです。

2009年1月30日金曜日

乳母役


 
 おはようございます。昔殿様の子供・若様・お世継がうまれたら、乳母役が選ばれる。この選定にはあちこちの人を見て、家柄とか、乳母の教養の具合など諸々を考慮し、
心身共に健康で、子供アがいて、次の子供イが生まれて、母乳も富にあることが条件で選ばれる。これに召しだされることはとても名誉であることのように思われる。
 ところが残された夫は、妻が宿下がりで御盆のときとかたまに帰ってくるときに合える位で若様の生育に専念し、子育ての幼児段階が終われば、卒業ということにはならない。ずっといきっぱなしになってしまう。
残された夫も乳飲み子イはこれは大変です。自分の乳飲み子は別に母乳をもらいに走らねばならない、相思相愛の夫婦であれば、お互いによけい辛い。一生乳母役はほとんど世継の子育てのまま、子供アは丈夫に育ったが、子供イはそうはいかなかったというような場合になりがちで、健康状態や心の安定にまで影響がある。また夫も心の安定をもとめるために、いただいている報償金というのかを使ってしまう。このように家庭崩壊になりうる。それが一代だけでなく、次の世代にまで影響を及ぼすような事態もありうる。春日局が家光を育てるために、選ばれ大層その家族は恵まれたように伝えられているが、今述べた苦労もあったのではないかと想像する。このような乳母の話をある知人から耳にしました。

2009年1月28日水曜日

ちよだ区議会だよりと比べて


おはようございます。西東京市長選挙が2/8にあります。千代田区長選挙は2/1だそうですがここは住民の姿がみえないような所で選挙カーが動いている。

下記はちよだ区議会をみてたら他の地方議会の内容を比べてみると、自分の市の議会も見えてくる。西東京市とはだいぶ異なっているようです。
●定例議会の審議結果が:議員の名前・所属政党が書いてあり、法案ごとに出席者数、投票者数、賛成数・反対数・議決結果の可決か否決、各議員毎に○賛成、×反対、欠席、退席が書いてある。
同じ政党でも賛成・反対の投票は若干ことなる。欠席や退席は0でした。ただ議案の説明が概略なので、議事録をみないとよく分からない点はあります。
議長である区長は議決には加わらないとある。議長を除けば24名なので、同数の場合は議決に加わるのでしょうか?議会規則をみてもよくわからない。
●区の施設の指定管理者に区の社会福祉協議会(区役所の機能ではないが、ここからほとんどの活動資金がでている)になっているのは、内輪同士のなれあい発注ともとれる。
●介護保険料に剰余金ができたのでどうしようか(値下げか、別の使途?)千代田区に限らずこれはほとんどの市町村でいえるようです。
●グーグル社のストリートビュー:ネット環境をしらないひとが「自分の前の通りが映っていることすらしらない。」;
無許可の放映であるので、国や他の自治体の動向をみて考慮したい。
●日比谷図書館で有料特別席の設置を考えている:図書館法に抵触しないかといっている。
●東京タワーからのデジタル放送は周知のごとく2011年7月であるが、映るのでしょうがズレがあって東京スカイツリータワーからは2012年の春ということになっている。
●介護されている人にとって訪問リハビリは重要なサービスの一つ。介護保険の支給限度を超えても利用できる区独自の上乗せを検討する。
●カットに小学生の写真が何枚もあるが、小学校名・学年は書いていないがどれも可愛い。
http://www.city.chiyoda.tokyo.jp/

2009年1月27日火曜日

犯罪件数は増えているか


おはようございます。また景気が相当に悪化するので、犯罪が増えそうだといわれそうです・・・。デターは古いですが大きな流れはそう変わっていないでしょう。
外国人が増えると治安が悪化するのか:亜細亜大で弁護士の大貫憲介氏が言われていることは初めて治安が悪くなったといわれたのは、1989年の8月16日の読売新聞「急増する来日外国人の犯罪」それいらい、強盗が約2倍、窃盗が1.5倍になったし、ピッキングも増えたという記事になっている。ちなみに犯罪が増えたとか、減ったとかは犯罪件数ではみないのが犯罪学者の常識だそうです。いわゆる逮捕・起訴される過程において土産があります。お土産というのは、捕まえた窃盗の被疑者・被告人に未解決の事件を押しつけます。これもお前がやったということでいいなと言って押しつけて、解決したことにします。そのために検挙件数ほどあてにならないものはないといわれています。普通犯罪統計をみる場合は件数ではなくて検挙人数でみなければならないそうです。
       1993年(平成3年)外国人が刑法で検挙された来日外国人(米軍、永住権の人は除く)は7276人当時外国人入国者は約375万人、10年後のの入国者は1.5倍、刑法犯は平成14年で7690人、平成15年で8725人だそうです。犯罪の中身も、約90%弱が重要でない、窃盗だそうです。
       日本国内の凶悪犯が増えたように言われていますが、実際はそうではない。
       犯罪白書でも殺人が、1950年(昭和25年)人口8620万人中検挙3076人、それから50年経過しての2000年で、人口1億2692万人中1416人で人口も随分増えたのに半分以下になっているので治安がよくなっているのです。
       外国人労働者は一生懸命働いてくれるという経済界もこぞって受け入れを望みました。そういう時に外国事情を踏まえてで危機感をもっていたのが警察庁の三島徹というひとで1988年、外国人労働者を本格的に受け入れると、ドイツのように治安が悪くなるという趣旨の論文を「警察学論集」に書いた。この弁護士も三島氏に2回あった時に、確かめたら「いや外国人労働者が増えて、治安が悪くなったとは思わない、でも将来そうなるかもしれないという警鐘をならすのが警察官僚の役割だと述べたそうです。(平成16年武蔵野市寄付講座:特殊講義Ⅲ最新の地方自治)亜細亜大学法学部

       平成19年の犯罪白書:http:o.jp/jp/54/image/image/h003001002001e.jpg:検挙件数の伸びは急傾斜の右肩上がりになっているのに、検挙人数はおおまかにみて横ばいです。
      
入国者数: http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/54/image/image/h003001002001e.jpg(これで来日外国人数をどうみるかがよくわからないのですが?)


       
        白書を調べてみると、65歳以上の犯罪が増えているそうです。団塊の世代で従来より人口の塊が大きいからなのかという疑問があるが、この塊が時代が経過する毎にい大きな変動を起こしていたので
          検証しなければとは思います。たしかに高齢者の比率が下記のごとく、2.5%から13.3%に増えているので4.9倍というのも、うなづける数字ではある。どうも解説は警告が先で事実の説明よりも警告
         に重点をおいている。
      白書によると、平成19年の自動車運転過失致死傷などを除いた一般刑法犯の高齢者検挙人員は男子3万3255人、女子1万5350人。男女ともに同じ基準で統計がとれる昭和63年以降最高で、同年の男子6675人、女子3213人のそれぞれ約4・9、4・8倍となっている。全体に占める高齢者の比率も、63年の2・5%から13・3%と大幅に増加した。
 この間、高齢者人口自体も増えているが、63年を100とした場合、平成19年の高齢者人口は199・2と約2倍の増加だったのに対し、検挙人員は491・6、起訴人員は742・3、新受刑者数は607・7となっている。
     増加の主な原因は65%を占める窃盗の増加で、その動機では男子が「生活困窮」、女子は「対象物の所有」「節約」が多い。手口の大半である万引と遺失物等横領も含めた比較的軽微な財産犯が高齢者の主な犯罪だが、粗暴犯の高齢者比も目立って増加し、殺人(10・6%)が窃盗(17・5%)、遺失物等横領(13・2%)に次ぐ高さに。
     

2009年1月26日月曜日

下手な見舞いの手紙


おはようございます。最近身の周りで、ガンの方がおおい。田舎の親せき筋も健康診断を1月前やったばかりなのに、胃ガンと診断されたので年に3回位ガン検診をすべきだということをいっている。
前の嘱託時代4人のOB会のメンバーの一人も、また中学の医師K君もそうだ。もう亡くなったのは高校時代ガン研にいたM君もそうです。
つい2週間前に高校時代の友人T君から、H君が大腸ガンの余命いくばくもないということで、3人で見舞いに行ってきた。医療関係の会社に勤めていたので、彼は自分の実情を詳しく説明してくれたという。自宅までいって昔ばなしをしてきたとのこと。もう自宅に来られるのは疲れるので、見舞いも電話ならば歓迎するというので、ぜひ電話をしてくれという知らせが入った。昨日も弓道で稽古しているところに3人の別のメンバーW君から、電話が入って、「3月までの命だから是非電話をしてくれという。」この電話に応えて「そうタンタンと病状を聞いて、どのように慰め、受け止めたらよいか迷っている。今手紙を書こうと思っているが書き出しがみつからないでいると」答えても「」H君は病状をわきまえていて、普通にはなせばよい」のだからと緩めてくれない。H君とは4年前に40年ぶりにあった。(これは外資系の退職金1億円をもらったので、60前にゆうゆう自適の別荘70坪の建物もある那須に行こうと誘われ、半分は興味本位がきっかけでした。)しかし高校時代にそう親しくしていた訳でもないので、昔悪さをしたとか、どこか旅行にいったとかもない。話の材料も3人でいけばリレー式にできたのと違うし、3人のメンバー以外のガンを患っているT・H君は自分も同病だから話しやすい。それとは違う。手紙は書くことにしている」ということで電話をきった。
弓道の仲間や先のOB会での参考意見も同様で「あたり前のように普段と同じように、話すのは難しい。励ますのも、下手な慰めもできないし、結局何もしてあげられないものだ」ということでした。
しかし結局はW君からの催促で机に向かうことが出来た。4年前にあったことを思い出し、ドンガラ汁(田舎では寒鱈の骨も入れた味噌汁)を食べたときに、もう高校生に戻っていたねのような話題がでてきた。とても電話口ではこちらの下手な慰めも嫌味としてしか伝わらないかもしれないが、手紙だとかなり、こちらの平常心も保てそうでやっと書き上げられた。同封には柳田邦男さんの2冊の文庫本と、島村喜久治さんの院長日記のコピーをいれて今日発送することにしました。

2009年1月25日日曜日

三角山放送局



1/24の22:30からNHKの1chドキュメント日本の現場でやっていた放送です。札幌にある本当に小さなFM放送局で、名前が三角山放送局、その放送局のモットーにしているのですが、ユニークなのは弱者を大事にする放送局でした。どういうところがユニークかといえば、パーソナリティが介護者(奥さんが認知症で5年も介護している連続もの)、おばあちゃんの一人言(がんになった人が亡くなるもでの連続)、スタジオにこられな人については、テレビ電話で取材中継して話を放送したりもする。
 今度は新たな何人かの中から選考されたのは足が歩けない女性で27歳、どういう苦労があるかというようなことをさりげなく、12/25のクリスマスからの開始、2時間もの持ち時間がある。放送中にメールが入ってくる。それが弱者がとても、放送のパーソナリティの人が心をこめて話している。
今度我々の立ち上げたブログもラジオ放送ができるらしいし、カラオケやハワイアンの練習風景など、介護家庭の現場から、あるいは座談会をYOUTUBEで映像つきビデオでも放送できるとすれば、シニアかわら版にHPのアドレスをのせて取材を生で聞けるようにする、それと思ったのはシニアかわら版の参加者がこのブログを利用して、こんな話を聞いたとか、こんなことを知りたいとか書き込め、それが相乗効果を産めば面白いニュース源になるかもしれません。
写真は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の子孫です。

2009年1月24日土曜日

姥捨て伝説


おはようございます。姥捨山はそういう伝説は、実際はなくて姥捨山は「うばすて」の「うば」は巫女「すて」は住んでいたという山だそうです。とはいうものの、それではちっともですね。

昔、年寄りの大嫌いな殿様がいて、「60歳になった年寄りは山に捨てること」というおふれを出しました。殿様の命令には誰も逆らえません。親も子も、その日がきたら山へ行くものと諦めていました。
ある日のこと、一人の若者が60歳になった母親を背負って山道を登っていきました。気がつくと、背中の母親が「ポキッツ、ポキッツ」と木の枝を折って山道に捨てています。男は不思議に思いましたが、何もきかずにそのまま歩きました。
年寄りを捨てるのは深い深い山奥です。若者が母親を残して一人帰る頃には、あたりはもう真っ暗闇。若者は道に迷って、母親の所に引き帰して来ました。息子の姿を見た母親は静かに言いました。「こんなこともあろうかと、途中で枝を折ってきた。それを目印にしてお帰り」、子を思う親のやさしい心に触れた男は、殿様の命令に背く覚悟を決め、母親を家に連れて帰りました。
 しばらくして、となりの国から「灰で縄をないなさい。できなければあなたの国を攻める」と言ってきました。殿様は困りはて、誰か知恵のある者はいないかと国中におふれを出しました。若者がこのことを母親に伝えると「塩水に浸した縄をなって焼けばよい」と教えられ、若者はこの通りに灰の縄を作り、殿様にさしだしました。隣の国では「こんな知恵者が居る国と戦っても、勝てるわけがない」と攻め込むのを諦めて
しまいました。殿様は、たいそう喜び「ほうびをとらす。欲しいものを言うがよい」と言いました。若者は「ほうびはいりません。実は・・・」、若者は決心して母親のことを申し上げました。「なるほど、年寄り」というものは有難いものだ。」と、殿様は自分の考えが間違っていたことに気づき、お触れを出して年寄りを捨てることをやめさせました。それからは、どの家でもお年寄りを捨てる事をやめさせましたそれからは、どの家でも年おいた親と仲良く暮らせるようになりました。

これについてみんなどう思ったかの座談会をやって「きらっと☆シニア」かわら版・西東京の記事にしようということになりました。

写真は昔なつかしい風景を醸し出すジオラマの詩人といわれる山本高樹という人です。