2010年5月29日土曜日

介護される勇気


おはようございます。介護は未知の国を探険するようなもののようですね。
おひとりさまの老後:上野千鶴子:法研
◆「介護されることを勇気をもって受け入れる」病人歴の長い柳澤桂子※さんは要介護のプロとでもいうべき存在。その人の言葉である。(詠まれている和歌は沈着冷静、よくこれほど自分を客観的にみつめられると思います。)
氷枕に頭痛をゆだね目をつぶる月をちぎって食べてしまおう      どのくらい土を踏まなかったことだろう幾年も風にも祈らなかった
※http://www.yanagisawakeiko.com/essay/index.html
◆ppk(ピンピンコロリ)が理想とはいうけれど、そうは問屋がおろさない、人間の生き死に「予定どおり」はない、という厳然たる事実がある。
この上野さんが両親を看取ってつくづく思ったのは、人間のような大型動物はゆっくり死ぬということ。小鳥ヤハムスターなどの小動物のように、ある朝突然冷たくなっていた、ということが少ない。まず足腰が立たなくなり、寝返りがうてなくなり、食べられなり、嚥下障害がはじまり、そして呼吸障害が起きて死に至る。このプロセスをゆるゆるたどるのが人間の死でそうなれば寝たきり期間は避けられない。データーによると、高齢者が死を迎えるまでに寝たきり状態で過ごす期間の平均が8.5月。寝たきりになっても長生がイヤなら衛生水準や医療水準の低い社会へ行く。(しかし介護している間にはこのように冷静でいられないのではないか。介護を終えて、振り返る余裕が出来てからの感想ではないでしょうか?)
◆介護される側にもノウハウがいる。「ケアのしかた」についてのノウハウがあるが、「ケアのされ方」を誰も教えてくれない。いくつかの答えがある。<世話されるのは針のむしろ>介護されるひと自身が「できれば介護は受けたくないものだ」と思っている。自分がネガティブな感情をもっているものに対して、多くの人が取る態度は否認、」「つまりあってもないことにするとか、できるだけふれないようにすること。女だとこの感情はもっと強くなる、もともとお世話するのが仕事だったせいで、自分がお世話されるようになることを受けいれられない。他人から責められるよいも、自分が自分を責めるほうがつらい。
介護されるひとも、両親などの介護体験をしている等以外は初体験なので判断基準がない。
どんな介護を受けても「ありがたい」「もったいない」と感謝のモードに入りがち。
プロのヘルパーさんは彼女の基準に合わせようと気をつかってくれる、結局ヘルパーさんは彼女の基準にこちらがあわるほうがスムーズにいくという経験をしている。
◆カネを払えば、経済的強者に見えるかもしれないが、カネとサービスのクオリティが連動しない。介護については「顧客満足度」はあてにならない。
今でもサービス提供事業者の選択肢は限られた地域が多い。
とくに女性は相手を不快にすることを口にしないように自分を抑えて生きてきた。イヤなことをイヤと言わなようにしていると、そのうちイヤといえなくなる。

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