2010年5月4日火曜日

「おやじの凧」


おはようございます。スーパーの広告で、配達しますとか、弁当を1夕食530円(5日セット)などかなり便利なサービスが出来ているし、豆腐屋さんが、リヤカーで引き売りがあって、公団の4階などの高い階に住んでいるところまで運んでくれるとか、便利になってきている。「ささえあい」という包括支援センターに希望登録している人についても、訪問や見守り(新聞、郵便物、昼の電灯)のボランティア制度で伺っているところで、調理を週1回きてもらうだけででも、その日は気持ちがハレバレするという、気分転換になるのでしょうね。

「おやじの凧」

風、凪んでまた吹いて;池部良から

だが、僕もいまやいい歳になているが、この歳まで社会の枠からはみ出る人間にもならず、家内の屈辱的言動には接しているものの、お他人様からひどい嫌味の言動をなげつけられなような善良な常識的な市民として過ごして来ているし、人間としてまあまあの線にまで育ったのは、思い返してみると、おやじの倅に対した処理の仕方が巧まずしてか巧んだか、僕に浸透しちまっっていたのではないかと思っている。
小学校に上がって間もない頃から卒業する頃までつづいたような気がするが、おやじは毎朝、新聞社に出勤する間際、晴れていて都合のいい風が吹いていてさえすれば、小さな庭先で凧を上げ、上がりきると空にのびている糸の手元を縁側の柱に結えつけてから画用紙を円く切り、真ん中に穴を開けてから半径だけ穴に向け鋏を入れ、糸を差し込む。
「俺が帰るまでのはこの円い画用紙の板が凧まで届いているぞ、良が帰るころにはまだ届いていなかな」などといって出かける。凧は終日、空にあって、おやじが帰宅する夕方には円盤が高く昇ってくっついていた。このおやじのどんなサービス心なのか、教訓なのか知る由もなかったが、おやじと自分がとてもきれいな接着剤でくっついているように思え、うれしかった。

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