2010年5月22日土曜日

競争社会


おはようございます。昨日は急きょ半袖のポロシャツを取り出したが、背中に汗が流れるのが分かった。また電気ストーブもあるのに、扇風機も屋根裏部屋から出した。冬ものと夏ものの交換をやったが、また明日は20度の気温に戻るという。砂漠は1日でこのような気温の変動があるそうですが、少しそんなところを感じています。
生きる意味:上田紀行著:岩波新書931

競争社会
競争には2種類あって第一にには、お互いの力を高め合うというような競争の次元があるのではないかと思っております。柔道の稽古とか、剣道の稽古を2人でしている場合に、勝ち負けにこだわるというのではなく、まさにライバル心を持って競争しあうことでお互いの力を認めあい、そしてお互い頑張ろうなといって、お互いを高め合うような競争は、これはすばらしいものではないかと思うのです。ところが、現在の日本社会が目指している競争、あるいは、アメリカナイズされた競争観というのは、勝ち負けを決めるために、勝者と敗者を決めるためにあるといった競争です。そしてその結果、勝ってしまえば勝者はすべて手に」することができ、敗者はどんな悲惨な状況におかれても、それは競争で負けたのだからしょうがないだろうということになってしまう。そうした、勝者と敗者、勝ち組と負け組を決めるためのもの」といった競争観が蔓延してきているような気がします。
米国をみると競争が完全に勝ち負けを決めるためになっています。ですので、いま勝っていても、明日は負けてしまうのではないかということで、一日たりとも心が休まることがないという厳しい現実がありました。
中国もそうです。一度負けてしまえば、もう一生おしまいなのですから。
日本社会もそういう社会になりつつあります。これまではお互いに高め合う競争でした。そこもはお互いに対する信頼があり、社会全体に対する信頼がありました。しかし今目指されている競争は弱肉強食の競争であり、そこではお互いの敬意や信頼はなく、社会全体への信頼も失われていくように思われるのです。

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