2010年5月13日木曜日

左側通行か右側通行か


おはようございます。道の通行と海の通行は違いがあるようですが、米国と英国でどうして違いがあるのか不思議に思っていましたが、ご存じかもしれませんが、下記のような事情があったとのことです。

恨みの文化論・韓国人の心の底にあるもの:李御寧
左側通行か右側通行か

時折歴史学者は退屈しのぎに話題を展開することがある。昔の交通秩序は、もちろん、輪禍を防止するためにあったのではない。自動車ではなく、敵に遭遇した場合の自己防衛に、どちら側の通行が有利であるかという問題である。中世の頃から西欧社会では、原則的に左側通行を守ってきたというのである。貴族は当然のことだが、商人や旅行者たちも剣か槍を携行していた。そこで、前方から突然に敵(盗賊)が攻撃してきた場合、右側よりも左側に位置しているほうがいっそう有利であるということだそうです。すなわち剣を抜いて右手を使うためには、対手を自分の右側におびきだす必要があった。その習性が今も残っているのだそうです。ところで例外は米国ですが、米国のフロンティアたちは、剣ではなく拳銃を下げて往来していたからである。西欧では火器が発明された当時には既に治安維持が確保され、歩行者が武器を持ち歩く必要はなかったが、米国の開拓民だけは事情が違っていた。
ところで韓国人はどうであったか。歴史学者の解明がないが、辺鄙なところの老人衆の道を往く習慣をみれば、およそ正確な判断がえられそうだ。その歩行には左側も右側もまるで眼中にない。あの未知の敵の来襲をおもんばかる警戒心はどこにもみあたらない。基本的に対決の意識がない。
左側だ右側だと騒ぎたてるのはやはり万事に神経質な西欧人(日本人にしてもそうであった)の習癖である。
物事を思考する場合、道を往く習俗だけではなく、一方に偏しないのが韓国人の特徴である。永年の儒教的訓練によって、そのようになったのであるが、昔から極端なものは避け、無難な中道を選ぶというのがわれわれのセンスに合致するマナーだった。

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