2010年5月24日月曜日

マラソンの中村清監督


おはようございます。昨日はまた涼しくなりました。女子のマラソンは層があつく、誰かが上位に食い込んできますが、男子はもう少し新人の登場が望まれるようですね。
vol.284-1(2006 年 1月11日発行) 岡崎 満義/ジャーナリストより
2006年1月ミズノ100周年記念・スポーツシンポジウム「Sports for All Children」が、東京・新高輪プリンスホテル飛天の間で開かれた。スポーツ関係者約1000人が集まり、大盛会だった。
  その基調講演は映画監督の篠田正浩さんだった。「スポーツと子どもと教育」という講演は、大変興味深い内容だったが、その中で、中村清監督についての小さ なエピソードが語られた。
 篠田さんはリーフェンシュタール演出の「民族の祭典」という、1936年ベルリン五輪の記録映画のとりこにな り、とくに走る人の美しさにうたれた。その幼児期の記憶が、篠田さんをのちに、早大競走部に進ませたようだ。
 篠田さんは昭和25年、箱根 駅伝の“花の2区”を走った。箱根駅伝は10人で走るのだが、篠田さんの記録は14番目。だから最初は2区のランナーのアテンドを命じられた。ところが前 日、中村さんからお前が2区を走れといわれたのである。大いに驚いたが出場すると、5位でもらったタスキを4位で次走者に渡すことができたほどの快走だっ た。あとで、「なぜ14番目のタイムしかもっていなかった1年生の私を、選手として出場させたんですか」と訊くと、中村監督は「10番目までに入るタイム を持つ選手と、君のタイム差は1分。20数キロで1分差ぐらいなら、新人のとんでもない暴走があれば、わけなく超えられるものだ。その可能性に賭けた」と 言った。
 上級生の安定感、平均点の走りより、新人の暴走の可能性を信じ中村監督の人を見る目、ということを考えさせられるエピソードで あった。

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