2009年4月30日木曜日
武蔵野散歩②
おはようございます。これほど夜でも明るいのに、想像できない原野だった
舞台の中の武蔵野:羽田昶文学部教授・能楽資料センター長
ここ武蔵は地の果てだった。それも広大な原野だったから何もなかった。
泣くしかない舞台だったのでしょうか。
伊勢物語に武蔵の国と下総の国の間の大きな河をすみだ河という。この武蔵にきたが、この上もなく遠くへ来てしまったなあ、と互いに嘆き合った。渡守に眼前の鳥の名前を問うと、「これが都鳥ですよ」
名にし負はば いざこととはむ 都鳥わが思ふ人はありやなしやと よめりけば、舟こぞりて泣きにけり
おまえがその名にふさわしい鳥ならばさあ尋ねよう、都鳥よ。都にいる私の恋しい人は生きているのか、いないのかと。と詠んだので、船に乗っている人は皆泣いてしまったそうだ。
能で武蔵といえば狂言※1「入間川」、※2「隅田川」があるそうです。
能楽は能+狂言を一括したもの、しかしそれぞれジャンルは別
能には間(アイ)というナレイションや解説をする人が登場する。能は笛や小鼓がつき、舞踊劇で謡によって、室町時代以前の戦記ものや、悲恋ものの筋立てが進行する。オペラ型にちかい。
狂言は芝居型の庶民の1日の日常の断片をつづったリアルなセリフがあり、動きもリアルである現実のおかしな生き方を表現している。
※1:http://www.bunren.org/kaiho/2003092.pdf
※2:http://homepage2.nifty.com/datey/nomura-siro/nomura-utaikatari.htm;入間川も荒川にそれが今の利根川へと。この入間では逆さ言葉があり、綺麗が汚い、高いが低い
逆さ言葉の言い方と、それを外した言い方のやり取りが面白いそうです。
能の場合、結末はハッピーエンドが多いが、世阿弥の子供の元雅がつくった隅田川は唯一の悲劇。
幼き梅丸が拉致※3され、物狂い(この時代の意味は、精神的異常ということではなく、感性が鋭敏になることをいう)の母が東まで探しにくるが、もう死亡していたという筋。
※3:山椒大夫など、東国での開拓要員として誘拐される話などが多い。
地謡の合唱のなかに、幼い一つの声があの世から母を呼んでいる。
この舞台に幼き子役がでるのはやり過ぎと世阿弥が「申楽談儀」で評したが、元雅は子役がでないと様にならないということで姿勢かわらず、、元雅の方式がオーソドックスになっているが、最近になって世阿弥のいう子役がでない舞台もこころみられたそうです。
能の数は2500もあったが、現行のものは250曲でこれは室町時代にできたものがほとんどであるそうです。
現在隅田川の河畔に木母寺があり、そこに梅若丸の碑があるが、これは能で有名になったあとで建立されたものであるそうです。
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