2009年4月24日金曜日
林望さんの枕草子
林望さんの2週間ぶりの講義でした。
この枕草子が書かれた来歴、著者清少納言の履歴、名前の由来など一切わからないそうです。本も各種あって、それぞれの内容が異なるそうです。
ここでの資料は新潮社古典集成本 萩谷朴校注、であるが、これはこれで独自の解釈ではあるそうです。
第1段:春はあけぼの。白くなりゆく山ぎわ。
夏は、夜。月、蛍の群舞でもなく、3・4匹の飛び行く姿
秋は、夕暮れ。風の音、虫の音
冬はつとめては(早朝のこと)雪や、霜もおりた地面
ここでないものは・・・・・・一番最後に※答えを書きます。聴講生で誰一人分からなかったのですから。
志賀重昂(しがじゅうこう)氏の『日本風景論』のなかでいっているのは、水蒸気が日本の気候を形つくっているそうです。
「朝→夕」の起点が違うと、同じ朝でも下記のように、朝からなら「あさ」、夕からなら朝は「あした」に変化するし、夕からこそ恋の時間なのだそうです。
朝 昼 夕 朝
あさ ビジネス(情緒がない) 宵・夜半・あけぼの
寝ていない(恋の時間):あした
暁(午前三時、まだ明るくなっていない)
朝ぼらけ(冬や秋)
朝あけ:あけぼののちょっと後:6時
つとめて :人が起床してくる:6時半から7時
恋のことは:人前であらわにしてはいけない。邪魔が入ったり、人目につかないように。
男は女性の元へ通うので 、あしたになったら人目につかないように
周りの人が起き出す前に、女性のもとを離れることが常識とされた。
季節の移りかわりは日本人の心の中に埋め込まれている。
※答え:昼は退屈な情緒のない時間であるという、宵の薄くらいときが谷崎潤一郎のいう美的感覚は「ほの暗さ」にあるのだという。
第25段:「にくきもの」
だらだら喋る人、硯に入った髪をとりのぞく、病人のための祈祷にやっと探してきた験者(ものの怪もとくに夜に活躍するので、それで疲れ果てるほどに精力を費やした)が眠い声では霊験あらたかではない。火桶で手や足まであぶっている上流の人のみっともなさ。酒飲みのおれの盃を受けろとかのくどくどしさ。
情人がきたときに吠える犬、ギイギイいう牛車(近所でばれてしまう)
情人が、他にも付き合っている女性の話をする。情人がいるときに、肉親がきたので、あわてて隠すがしばらくしてイビキが聞こえるとき、ノミが騒ぐとき、情人がイチンと戸を閉めないで帰るとき、寝ようとしたら蚊がプーンと飛んできたとき。
このように愚痴を書き連ねているが、自分のことが赤裸々にばれている。これは教科書で紹介されていないオツに澄ましているだけイメージとは全く違い、達観した話のように受け取られがちだけではない面白さがあるという。
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