2009年4月29日水曜日
平家の生・死様はおのれの鏡にも
おはようございます。もう桜並木も、道路の両側から覆うように日陰を作っています。
「平家物語」は奢る平家は久しからずという琵琶によって語られる没落過程の物語だと思っていた。この筆者がいう。「死」を視座に据えることによって、平家一門の一人一人が驚くほど多様な死に方をしている。いずれ死は避けられないし、平家の公達も現代の私たちもまったく変わることがない。この「平家物語」は我々の生活とは無縁の「昔のお話」だと思ってくれるなと。「生きている感情」として古典を読むという経験のためにこの本を書いたのだという。
死を前にすると人間は弱いものだ。ここに描かれた死の様相はさまざまなことを思わせると解説している。
忠度は文武ともに優れているとかかれているが、清盛の次男の宗盛はまったく反対の人間だった。伊豆守仲綱が「木のした」という並びない名馬を所有していたが、宗盛が権威をかさにこれを召し上げようとした。仲綱は言を左右にしたが、7,8度もこれを乞こわれてやまなかった。とうとう力及ばず献上することになった。しかしこの馬に仲綱と焼印をした上に名前よ声高にあげながら、鞭をあて恥辱を与えた。こうなると、俄かに平家に謀反を起こすことを思い立った訳で、一例をあげればこういうことだった。
ところがこの宗盛は頼朝が挙兵して攻めのぼってきたときの守り総大将であったが優柔不断で勝機を逸した。それから団の浦合戦で平家の敗戦は明らかになってみな討死し、または水中に沈みつつあったが生捕となった総大将だった。
又一方子煩悩で、「副将」という名で、愛妾の子の母は産後まもなく死んだので、不憫に」思っていて、敵の生捕になったあとでもこの子の助命嘆願する。あるはずもないのだが、大将でありながらひたすら、自分自身も助かるかもしれないという思う時期すらあった。
このように宗盛は間違いのない馬鹿殿なのだが、・・・じつは小心で非常に平凡な・・しかし無類に家族思いの人間的な男であった。
日常生活の中では見えていなかった宗盛の人間臭さが死という「非常」の時に分かりやすい形であらわれてきた。げに死は生を映す鏡だと。
往生の物語―死の万華鏡『平家物語』:林望著
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