2009年4月23日木曜日
武蔵野散歩①
古代武蔵野の歌:並木宏衛・武蔵野大学教授
万葉集で東北方面をうたった歌は9首で、内5種で野がつくのが武蔵野だそうです。武蔵野は多摩川、荒川、武蔵野台地一帯の広範囲だった。
当初は都からの道は東山道で上野、下野経由だった。その後は東海道からのだった。
何故ムサシノというかは分からないそうです。古語ではムザシノとサのところが濁音だった。
国の命名の仕方の中央からの指示による混乱=縁起のよい2字をもちいよ。
◎加茂真淵の説;ムサの国(ありはしなかったが)の上・下
ムサカミ(ムをとってサガミ)、ムサシモ(モをとってムサシ)は見事なこじつけ
上総とか下総の上下は文字の上、越前、越中、越後のように前中後は後部分にあるので、加茂の説は無理があるとのこと。
ムサシ=ムザシ、サシは焼くという意味で、焼き畑の名残ではないかというニュアンスは小手指、雑司ヶ谷あたりの名前にもうかがえるという。
【国の命名は良き2字を使えという命令】
●木の国(和歌山)→紀伊(この2字できのくにとよませた)
●泉の国→和泉の国
●毛野(群馬県、けのくに)を2つに分けた。
上毛野の毛を取って上野、同様に下野
●倭(矮小の連想もあって)→大倭(これでもヤマト)→大和
●伊達は「達」の字だけでも「だて」とよめるのに、「目出度い2字」によって伊達の2字をあてた。
●春日を何故カスガと読むか→ハルビのかすが=ハルビは枕詞であったが枕詞のカスガを春日のふりがなとした読み方になった
●飛鳥も明日香の枕ことばで、今の村の名前も明日香村で字に飛鳥があるそうです。
◆現代の合併での命名はタシテ2で割る方式
国立市は国分寺市と立川市の間にあるから
◆大田区:大森区、蒲田区の合併によるので太田にはならなかった
恋しければ 袖も振らむを 武蔵野の うけらが花の色に出な ゆめ(巻14の3376)
訳;恋しく思っているから袖を振っているけれど 受けらの花(おけらという花)のように顔色に出してしまいませんように
※袖を振って示しているのに、顔色にだすなというこの時代の女性の心境はわからないそうです。
http://www.asahi-net.or.jp/~fk6n-ootk/ukera-manyou.htm
◎万葉集でよく出てくる「袖」をふる、袖は手先が見えない位に長かったし、袖は大切な魂がこもる所だった。袖先を切り取って神様に捧げる習俗があった。
◎古代の夢(イメ、ユメで、イとユはゴチャギチャで(言った、ゆったの事例でもわかる)は想う相手が自分を想っているから夢に現れるのだという。夢にもでないのは薄情な証拠だという認識だった。
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