2009年4月10日金曜日

小川洋子さんのインタビュー


おはようございます。桜が終わりかけてきたら、鈴蘭でしょうかスノーフレークでしょうか目についた。また梨畑には白い花が、ゆき柳もいずれも白い花が目立ってきた。
気温はもう夏に。屋外においている車のハンドルも熱い。

アンネの日記を書いたアンネ・フランクが亡くなって60年になるそうです。ミープ・ヒースさんは、フランク一家を初め、隠れ家に潜んだ8人のユダヤ人を支援していたグループの一人だった。これから彼女の書いた「思い出のアンネ・フランク」を読むことにしたい。  
小川洋子さんの紹介を読むと、まず一番は食べ物だった。オランダではユダヤ人でなくとも,食料を手に入れるのは難しくなっていたが、配給切符のない8人分を確保するために、あらゆる店を回り、長い時間列にならんだ。勤めをもち、家庭もあり(驚くことに自宅には抵抗運動家の大学生を匿っていた)戦時下で自分たちの生活を守るだけでも大変なのに、彼女はけして弱音を吐かない。誰かの誕生日には貴重品のバターで小さなケーキを焼いて届けたりしていた。8人は食べ物だけでなく情報にも餓えていた。みんなを絶望させないように、慎重に言葉を選びながら、それでも真実を語った。そんなとき、ミープさんにまとわりつき、一番たくさんの質問を浴びせたのはアンネだった。

1944年8月4日隠れ家を襲ったゲシュタポは紙くずのようにアンネの日記を床にばらまいていった。それをすばやく拾い集め、戦後オットー・フランクが帰ってくるまで保管していた。
1994年の夏小川洋子さんはもう既に80才半ばを超えていたミープさんにインタビューに伺った。老いた雰囲気はなく、キチンとしたスーツ姿だった。「さあ、何でもお聞きなさい」ミープさんには特別のことをやったという意識がなかった。日記を救った功績の大きさをいくら称えても、けしてその称賛を受け入れようとはしなかった。気負いなく、人間として当然なすべきことをやったに過ぎないことを繰り返すばかりだった。
インタビューが終わり、ミープさんとお別れのキスをして、アパートの階段を降りるとき訳も分からず涙がでそうになった。
『アンネの伝記』の後書きに、ミープさんは印象的な一行を記している。・・・・・私にもアンネの命を救うことはできませんでした・・・・・
彼女の心の根底を占めていたのはこれだったのだとようやく気がついた。
小川洋子著:「深き心の底」より

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF

0 件のコメント: