2009年4月21日火曜日

とける・とき


時間は小生にとって風船のようだと思いますが(長く感じたり、短く感じたり)・・・・

とける・とき
時計というものが発明された最初、時は一瞬の隙間もなしに流れてやまないもの、それに刻みをいれて、そこでいろいろな瞬間を掬いだそうとして「時計」を考えだそうとしたものだろう。大岡信さんは国文学者の大野晋の「日本語をさかのぼる」岩波新書でこの仮説を読んだそうです。
「時」のもとになったのは「とける」という語だったものではないだろうか。氷が溶けてゆく。固形物が時とともに腐敗して、ゆるみほどけ、やがて消えてゆく。そこから、「とける」→「とき」という言葉が生まれたのではないかという考えは実に面白いものだった。日本人には時に「流れ去る」ものとして見る強い習性があるだけに、印象的な「試見」だった。
だから「刻む」時計は、一層日本人にとって珍しく、魅力的だったのかもしれない。
光のくだもの:大岡信:小学館より

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