2009年4月16日木曜日
富士を恋になぞらえて
おはようございます。映画「送り人」をみていて、故郷の山々・田園風景・人情などこんなに素晴らしいところだったのかと思いました。
富士の姿は富士は古代から日本最高の聖なる山として敬われてきた。けれどもたとえば例の山部赤人の
「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽(ふじ)の高嶺(たかね)に雪は降りける」のように崇高な絶景つぃてこの山を詠んだ歌は、日本和歌史の中ではむしろ少数派だったのだそうです。多数派はどんなものだったのか。
果ては身のふじの山ともなりぬは くゆる思ひの煙絶えねば
続後撰集・詠み人しらず
(宝治2年1248年奉勅、藤原為家撰)
むねに満つ思ひはあれど ふじのねの煙ならねば知る人もなし
新後撰集・鷹司院按擦(たかつかさのいんあぜち)
(正安3年1308年奉覧、藤原為世撰)
【富士山=噴煙=胸の火=こいごころ。】
こういう観念連合をもとにした歌が歴代勅撰集の主流をしめている。この場合、「思ひ」という語は古来「思+火」という形で理解されるのが当たり前だったから、火山としての富士山は、実におあつらえ向きに、恋の常套表現に利用されることになった。つまり、「現実の富士」より「言葉の世界の富士」の方が長い間詩歌の世界では重んじられたそうです。
光のくだもの:大岡信:小学館より
1707年(宝永4年)大量のスコリアと火山灰を噴出した宝永大噴火が起こった。この噴火は日本最大級の地震である宝永地震の49日後に始まり、江戸市中まで大量の火山灰を降下させるなど特徴的な噴火であった。このとき以後富士山は噴火していない。噴煙が上がっていると恋の歌になぞらえることになったのでしょうか?
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