2010年3月31日水曜日

「冥加金」


おはようございます。千代田区の皇居の見える千鳥ケ淵は桜の名所が市ヶ谷の仕事場に近いので、昼休みに寄ってみました。
千代田区は区内に桜の名所があちこちにあるので、パンフレットを作成し配布していました。
ここは4分咲きくらいで、途中欅の枝の先に花の蕾のような葉芽がでていましたが、新緑の前の姿も可愛らしく美しいものでした。
警備員が「立ち止まらないでください。危険です」と警告を投げながら誘導するくらいの混雑でした。
異聞おくのほそ道;童門冬二より
加賀の前田家の書庫は日本中の学者が目をみはらせる程の書物を集めていた。それだけではなく藩主の前田綱紀は城のある金沢の町を「北陸随一の文化の都」に仕立てあげていた。北陸随一というよりも日本海側随一といった方がいい。
勿論日本最大の百万石の大名家だから「あそこは金がうなっていりから」という見方もある。しかしそれだけではない。他の城下町だとどちらかというと、文化というのはそれこそ金のうなっている商人が作ってきたものだ。奇妙な話だ
が、江戸時代の商人には税金がかかっていない。なぜかといえば、「士農工商」という身分制がいきわたっていた。「社会的最劣位の商人から税をとることは、彼らの行為を頼ることになる」従って商人は可処分所得がたっぷりあった。た
だし「冥加金」などによって搾りあげた。
つまり権力側が商人たちからこういうお金を搾りとるのは、商人に、「毎日無事に商売ができるのは、お上のお陰でございます。まことに冥加に存じます。ですからお礼を差し上げます。」という考えを持たせるためだ。勝手な論理なのだ。
柳沢吉ほが仕える五代将軍綱吉はこういう前田藩の輝かしい実績を半分はうらやんだ。綱吉の時代には情報収集役の隠密はまだいない、八代将軍吉宗以来である。前田家は代々将軍家から正妻をもらい受けているんで、柳沢吉保も手を出
せない。つまり外様大名とはいっても、前田家はすでに徳川家の親族であった。

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