2010年3月20日土曜日

転ぶのも心がけ


おはようございます。何時も月1回の医者通い。笑顔の素晴らしいおじいちゃん先生は引退、息子さんの代になっている。看護婦さんも受け付けの事務も代わってしまったが、それはそれで
気持ちがよい人々です。

春のお彼岸ですね。

ひと恋しくて:久世光彦:より

転ぶ(転ばないようにしなければなりませんが):
森繁久弥さんが私の耳にこっそり囁いたことがある。「一番巧い役者というのは、転ぶのがいちばん上手な奴をいうんだよ」何かにつまずいてとか、突然背中を押されてとか階段を踏み外してとかいう具体的
なアクションの話である。「いまのところ、それがいちばん巧いのは、私です」本当に転ぶのが巧かった。見ていてハッとなり思わず画面に手を差し伸べそうになるくらいだった。森繁さんは悲しい場面、通
夜のシーンで足が痺れて、途端にひっくりかえる。無様に祭壇に這っていく顔に涙がボロボロこぼれていた。<いまのところ>といったのは、足の具合が悪くなり、思うように転べなくなった。それなら次
には堺正章である。前のめりだろうが、のけぞり返りだろうと、一瞬のつまづきだろうと群を抜いていた。自分が転ぶ姿を冷静にみている、もうひとつの目をもっていた。あのころの堺は、夜中の一人の部
屋で、何時間もいろんな転び方を試みていた。部屋ではおさまらなくなり、外にでて神社の石段や、舗道の真ん中で、いつまでも転びつづけていた。道行く人たちが不思議そうに振り返っていた。もう二十
何年前の話である。役者の栄誉といえば、世の中で真実と思われていることの疑いや、破壊や価値の逆転を見ている者に感じさせることだ。一瞬で見ている者すべてを笑わせるのが、それである。芝居は泣
かせるのがいちばん易しく、次に難しいのが怖がらせることで、なにより難しく、それだけに怖いのが人を笑わせること。本来直立しているのが基本であえう人間が、瞬き一つのうちに転倒する、堺正章は
百年に一人のこの転倒の天才なのだが、いまの客のほとんどはそれを知らない。残念の極みである。

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