2010年3月30日火曜日
見せる伝統
おはようございます。昨日の天気は晴れたり曇ったり、ザーザー降りで、解けたようなあられ交じりの雨で、夕方5時頃には夕焼けでした。
桜もこれでは咲こうかどうしようかと迷った筈です。
見せる伝統とショーウインドウ
『「イザベラ・バードの日本奥地紀行を読む」』という書籍:宮本常一
イザベラ・バード※が
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89
いたるところで書いていることは、家の前を開け広げているということでした。これは確かに驚きだったと思うのです。日本の“店”は“見せる”ことだったのです。これは品物を見せるだけでなく、仕事を作っている所を見せた。見ると安心して買えたし、声もかけられたわけです。それが家の前を開け放つことにつながって来るのです。こういう店のあり方が、こんどの戦争が終わるまではまだ地方にはあったのですが、戦争の少し前から日本でもショーウインドウというものが発達し始めるのです。東京でショーウインドウがかざりものとして生かされたのは高島屋だそうです。そう言われてみると、戦後の三越にも白木屋にもなかったが、高島屋のはみごとだった。そして隅っこに花が生けてあった。これがみんなの心をひくようになり、物はウインドウへ並べられて、人間が奥へ入りこんで
しまう。その時に日本の伝統的工芸が亡び始めたのだと思う。下駄屋(これは洋服文化による影響か)が衰微し、饅頭屋(パンや洋食時代の影響か)が駄目になったりというのは、自分たちがつくっていところを見せなくなってしまったからで、見せないことが良いことだと思い始めた。すると、こぎれいに作った商品の方がみなさんからよろこばれ、それが店先に並べられて、ショーウインドウ時代が続いて来るのです。レストランでもそうですが、しかし日本で古い食べ方を残したのが「にぎりずし」なのです。目の前でできるわけで、これは戦前、戦中、戦後と変わっていないのです。おそらくこの発想から近頃皆料理するところをみせるようになったし、その方がよく売れるのです。先日明治神宮の参道でそれにぶつかったのです。狭い棚にいっぱい物を入れていて、自分で好きなものを引っ張り出し、その店の人と接触ももてるということで、若い人たちに人気があるのです。武蔵野美大の学生も、イラストを描いて版にして5枚1組500円で売っていて人気がある。(祭の屋台、ラーメン屋のカウンター、デパ地下で作りながら売っているのは狭いからよりも、親近感がでるからでしょうか。そば屋も手造り場面を見せると高級感がある。せんべいも自動的に焼いているところより手作りが喜ばれる。北海道のホワイトチョコの工場も人手と機械の製造ミックスでもガラス窓からオープンでしたし、デパートでも手彫の実演とかやっていますね。)
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