2009年9月30日水曜日

盆おどり



おはようございます。昨日は手話の方々のお話を聞きました。指文字は指で「あいうえお」これは伝達速度が遅いので、いわゆる手話は手ぶりや顔の表情で意味を伝達する。【かんがえる】の手話は人さし指だけは伸ばして
あとの4本は握って、人さし指を頭に付ける動作、この動作だけで上記5文字を表現できるそうです。手話している同士で工夫された伝達は他人に通じない場合もあるそうですし、綺麗に伝わっているか絶えず工夫が必要のようです。又新たにでた時事用語は手話研究所が発案した手話動作によるようです。要は伝えたいという気持ちえ通じ合えるようです。その他いろんなことを教わりました。

もうとっくに終わってますが、料理をのせる盆を持って踊るという「年代ギャップ」があって、ビックリ仰天なのでしたが、一人の人でも分かってほしいということで送信してあげた内容です。
本来、盆踊りはお盆にかえってきた祖霊を慰める霊鎮め(たましずめ)の行事です。念仏踊り(自分で念仏を唱えながら踊る)から踊り念仏(念仏を唱える人と踊る人がいます)に発展した民族芸能が盂蘭盆(うらぼん。いわゆるお盆のこと)と結びつき、精霊を慰めたり送り出すための行事になりました。15日の晩に盆踊りをし、16日に精霊送りをするのもそのためです。

念仏踊り(ねんぶつおどり)とは、踊り手と歌い手が分かれているもので、自ら念仏を唱えながらおどる踊念仏とは区別される。 起源としては、菅原道真が886年から889年の4年間、讃岐の国司を勤めた時に行った「雨乞いの踊り」とされ、翌年から村人達が感謝の意味で踊ったのが今に残る。 「念仏踊り」となったのは1207年に法然上人が宗教上の争いから讃岐に流され、この踊りを見てセリフとして「念仏」を唱えるようにさせた事による。 現在でも香川県綾歌郡綾川町滝宮では8月25日に「滝宮の念仏踊」が行なわれ、全国に残る「念仏踊り」のルーツとして国の重要無形民俗文化財に指定されている。

空也:踊念仏、六斎念仏の開祖とも仰がれるが、空也自身がいわゆる踊念仏を修したという確証はない。
門弟は、高野聖など中世以降に広まった民間浄土教行者「念仏聖」の先駆となり、鎌倉時代の一遍に、多大な影響を与えた[2]。
藤沢市にある時宗の一遍上人:各地を行脚するうち、弘安2年(1279年)信濃国で踊り念仏を始めた。踊り念仏は尊敬してやまない市聖空也に倣ったものといい、沙弥教信にも傾倒していた。弘安3年(1280年)に陸奥国江刺郡稲瀬(岩手県北上市)にある祖父の通信の墓に参り、その後、松島や平泉、常陸国や武蔵国を経巡る。




月が満ちるとき、その引力で海は大潮となり、人は高揚します。
●月明かりの下、人の交流を深めます
さらに、盆踊りには娯楽的な要素もあります。地域の結びつきを深め、帰省した人々の再会の場や、男女の出会いの場でもありました。盆踊りの歌詞に色恋ものやきわどい内容が多いのはそのためで、人々は年に一度の盆踊りに様々な思いを託しました。

本来、盆踊りの晩(旧暦7月15日)は満月ですから、照明のない時代でも明るく過ごせ、月の引力の影響で人も高揚するため、盆踊りに最適だったのです。
盆踊りには、楽しさと切なさがあります
盆踊りは、祖霊になった人々との別れを惜しむ踊りであり、人の出会いや別れとともに過ぎ行く夏を惜しむ踊り。子供達は無邪気にはしゃぎ、大人達は様々な思いを胸に踊ります。そのためでしょうか、楽しいだけではなくなぜか切なさを感じます。

帰省先なら、お盆の締めくくりになくてはならない行事。家族揃ってぜひ参加したいですね。旅先などでは、その土地ならではの風情にひたって踊りましょう。

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